芝居を観に行ったわけではなく、チラシを見て興味を持ったので、覚書としてブログに書いたまでのことだったのだが、最近、再び思い出す機会があった。
それは、『昭和残影』(目黒考二)という本に、「煙突男」として、ミスター・チムニーのことが紹介されていたからだった。
煙突男というのは、1930年(昭和5年)、川崎の冨士瓦斯紡績での労働争議の最中に、煙突のてっぺんまで昇り、「組合の条件を受け入れるまで、絶対に下におりない」と宣言をした男のことである。
煙突での籠城は、六日間で終わった。
その理由は、昭和天皇が乗る列車が、近くを通過するというので、煙突の上から、赤旗でも振られては大変なことになると会社側が考えたからだった。
煙突男の要求を会社は受け入れ、争議は労働者の勝利となった。
それから三年後、煙突男の遺体が、堀から発見された。
警察は溺死者として処理しようとしたが、遺族らの疑念を受けて解剖したところ、他殺と判明した。
この時期、元「煙突男」は、警察にとらわれの身で、釈放されていなかった。
そういう時期に遺体が見つかったことで、遺族らは単なる溺死ではないと疑ったのだった。
『昭和残影』で引用されている、『拷問』(森川哲郎)の一節。↓
このころ、獄内で拷問、虐殺された数は、数えきれないほどで、またそのために発病、瀕死の状態で保釈仮出所はさせられたが、家へ帰る途中、死んだり、帰りついてすぐ死んだりする者も多く、惨憺たるありさまであった
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私が7年前にブログに煙突男のことを書いたときには、まだ芝居は上演されていなかったが、今、ネットを見てみると、「ミスター・チムニー! 天空百三十尺の男」のレビューサイトがいくつか見つかる。
同じ関心を寄せる人たちの声に触れて、煙突男の出来事は、さらに私の記憶に深く刻みこまれることになった。