2012年02月27日

溝口訴訟 遺族の水俣病認定を命じる勝訴

数日前に書いた「溝口訴訟」の判決が福岡高裁でありました。
遺族の水俣病認定を命じる勝訴でした。

以下、現時点でアクセス可能な記事リンクです。

(TBSテレビ 27日18:10)水俣病認定訴訟、遺族が逆転勝訴
【動画】



http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4963264.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter (リンク先の画像は削除されています)

熊本県を相手取り、亡くなった母親の水俣病認定を求めていた裁判の控訴審です。福岡高裁は27日、1審判決を覆し、原告逆転勝訴の判決を言い渡しました。

 Q.判決の瞬間は
 「何とも言えませんね。呼吸できないくらい」(原告 溝口秋生さん)

 この裁判は、水俣病の認定申請をしたものの、21年後に棄却された母親のチエさんについて、息子の溝口秋生さんが熊本県を相手取り、棄却処分の取り消しと水俣病の認定を求めている裁判の控訴審です。

 27日の判決で福岡高裁の西謙二裁判長は、県の棄却処分は取り消すとし、熊本県に水俣病認定を義務づける、原告の逆転勝訴の判決を言い渡しました。

 「未検診死亡者が非常に特殊な立場に置かれているし、認定は、疫学的に、ばく露についても総合的に見なければいけない」(山口紀洋弁護士)

 チエさんは、認定申請をする前に医師から感覚障害の疑いがあると診断されていましたが、ほかに水俣病と判断できる資料がないとして棄却されていました。

 今回の控訴審では、チエさんには感覚障害があり、それがほかの病気によるものではないことや、当時の生活環境などから、「水俣病と認定することができる」と判断したものです。





(NHK 27日 18時15分) 高裁で国の水俣病基準を否定
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120227/k10013321951000.html
水俣病の認定を巡る裁判で、福岡高等裁判所は「現在の国の判断基準だけで認定するのは不十分だ」と指摘し、申請後に亡くなった女性について、熊本県に水俣病の認定を命じる判決を出しました。
高等裁判所が国の認定基準を否定する判断を示したことで、未認定患者の救済の流れに影響を与えることも予想されます。

この裁判は、昭和49年に水俣病の認定を申請し、3年後に死亡した熊本県水俣市の女性を巡って争われたもので、1審の熊本地方裁判所は、平成7年に申請を退けた県の判断を「妥当だ」とする判決を出していました。
27日の2審の判決で、福岡高等裁判所の西謙二裁判長は「現在の国の判断基準だけで水俣病かどうかを認定するのは不十分だ」と指摘しました。
そのうえで、女性の手足に感覚障害があったことなどに加え、当時の生活状況なども検討して、「水俣病と認められる」と結論づけ、県に患者としての認定を命じる逆転判決を言い渡しました。
水俣病の認定を巡っては、おととし、大阪地方裁判所も国の認定基準を否定する判決を出しています。
今回、高等裁判所が同様の判断を示したことで、認定を求める人が今後増え、未認定患者の救済の流れに影響を与えることも予想されます。
未認定患者の救済策に影響も

昭和52年に国が示した水俣病の判断基準では、「感覚障害」や、視野が狭くなる「視野狭さく」など、複数の症状があることが水俣病の認定に必要だとしています。
この基準に適合せず水俣病と認められない人たちは各地で裁判を起こしていますが、このうち平成16年の関西訴訟の最高裁判決は、一定の要件を満たせば感覚障害があるだけで水俣病と認める判断を示しています。
また、おととし7月の大阪地方裁判所の判決でも「医学的な正当性を裏付ける的確な証拠はなく、基準を満たさない場合でも総合的に考慮して水俣病と認められる」と、国の認定基準を明確に否定しています。
今の基準だけで水俣病かどうかを判断するのは不十分だとした今回の判決を受けて、認定を求める人が増えることも予想され、7月末で申請が締め切られる、未認定患者の救済策に影響を与えることも予想されます。
原告側“有益な判決”

原告の弁護士は「国の認定基準を否定した全面勝訴だ。生活歴や病状などを総合して水俣病の患者を認定し、行政に対応のやり直しを求める有益な判決で、上告しないよう求めたい」と話しました。
熊本県“国と協議したい”

熊本県の蒲島郁夫知事は「判決については重く受け止めている。判決の内容を聞いたばかりなので、今後は国と協議していきたい」と述べました。
環境省“相談あれば熊本県と協議”

今回の判決について、環境省特殊疾病対策室は「判決の内容をまだ確認していないので、コメントは差し控えたい」としたうえで、「被告が熊本県であり、県から相談があれば一緒に協議していきたい」としています。




(西日本27日 14:19)水俣病認定を命令 遺族側が逆転勝訴
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/289111

(共同配信 西日本27日 14:16 )水俣病21年放置に遺族逆転勝訴 福岡高裁、認定義務づけ
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/289107

(共同 14:03) 水俣病21年放置に遺族逆転勝訴 福岡高裁、認定義務づけ
http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012022701001551.html

(朝日 27日13時44分)水俣病訴訟、遺族が逆転勝訴 認定命じる高裁判決は初
http://t.asahi.com/5psf

(熊日)福岡高裁が水俣病認定を命令
http://kumanichi.com/jyuyo_sokuho/2012/0227/20120227001.shtml

(速報扱いのためか記事すでに上記URLにありませんが、以下の内容)

死亡した母親の水俣病認定申請を熊本県が棄却したのは違法として、遺族が県に処分取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁は請求を退けた一審熊本地裁判決を取り消し、水俣病と認定するよう命じた。原告逆転勝訴。


(毎日 27日 13時34分)水俣病溝口訴訟:原告側が逆転勝訴 福岡高裁判決
http://mainichi.jp/select/science/news/20120227k0000e040183000c.html

(読売 27日13時52分)水俣病認定申請、2審は県の棄却処分取り消し
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120227-OYT1T00624.htm?from=tw

(時事 27日(月)13時24分配信)二審は水俣病認定命じる=県の処分も取り消し―福岡高裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120227-00000068-jij-soci

判決を待つ心境を語る原告の溝口秋生さん
posted by みの at 14:59 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月25日

27日 水俣病 溝口訴訟の判決に注目を

今度の月曜日、2012年2月27日に、福岡高裁で、水俣病事件に関する裁判の判決がでる。

訴えたのは、溝口秋生さん。現在80歳。
秋生さんの母・チエさんの水俣病申請を、熊本県が21年間放置していたことの違法性と、
熊本県が、チエさんを水俣病患者だと認めさせることを問う裁判である。

●時間軸でみると

1974年、溝口チエさんは、水俣病と認めてもらう申請を熊本県にした。
1977年、チエさん死亡 3年間の間に行われた認定に必要な検診は、耳鼻科と眼科のみ。

  県が結果を出すまで毎年、秋生さんは、チエさんの命日の前後には、
  審査の状況を県に問い合わせ続けた。県は「検討中」と毎回答えた。

(申請から21年後)
1995年、熊本県がチエさんを認定棄却(水俣病だと認めない)

2001年、秋生さん、熊本地裁に提訴
2004年、熊本県と環境庁の合意文書(未検診死亡者の病院調査を積極的に実施しない)発覚

2008年、熊本地裁判決 チエさんは水俣病ではない/調査の遅れは不明
    原告の訴えを棄却

2008年、秋生さん、福岡高裁に提訴
2008年、原田正純医師による証言
   「水俣病は環境汚染による食中毒。溝口家族、地域全体が汚染させている」

(↓今度の月曜日)
2012年2月27日 福岡高裁判決!




溝口訴訟の争点


チエさんの病院調査を怠り、申請から21年間処分を放置していたのは違法である。


溝口チエさんは熊本県に水俣病の認定申請をしてから、眼科と耳鼻科の検査を受けた。
しかし、全ての検査が終わる前に、チエさんは亡くなった。申請から3年後のことだった。

申請中に申請者が死亡した場合、生前に通っていた医療機関の資料などで認定を判断することになっている。これは、熊本県ほか行政が認定基準の根拠としている「1977年(昭和52年)判断条件」にも明記されていることである。

しかし、熊本県はチエさんの資料を探すことなく死後17年間放置。

申請から21年後、熊本県はチエさんの認定申請を、"資料がない"との理由で棄却した。


あえて、カルテを収集しない!?

88年(チエさんの申請から14年目)に、旧環境庁と熊本県が合議した書類に、驚くべき事実が書かれていることがわかった。

チエさんのような未検診の死亡者については、積極的に病院調査をしない、という方針が書かれていた。

病院調査(患者に関するカルテの収集など)をして、患者に有利な資料が集まれば、水俣病と認定される患者が増えてしまう。病院調査を行えば、棄却した患者の8割を認定することになりかねないという試算もあったという。

:::

本来なら、未検診の死亡者の病院調査は迅速に行うべきであった。
が、意図的に放置した結果、チエさんのように、被害者は切り捨てられた。
(単に切り捨てられただけでなく、20年以上待たされたあげくに、である)

もし、溝口さんの主張が裁判で認められなければ、申請者を長期にわたり放置するやり方がよしとされてしまうという危惧も。


チエさんの生前の病状は水俣病である

・チエさんのメチル水銀による暴露歴(患者多発地域での生活歴)
・チエさんに感覚障害があるという医者の診断書の存在

から判断すれば、チエさんは水俣病である。

しかし、熊本県側は、チエさんの感覚障害を認めた医者の診断書を認めていない。
この立場から、"資料がないから"チエさんは認定できないと主張している。

原田医師の証言については
http://homepage3.nifty.com/mizogutisaiban/news/tienowa022.htm

これに反論する熊本県側とのやりとり
http://homepage3.nifty.com/mizogutisaiban/news/tienowa023.htm

といったやりとりを経て、2月27日の判決を待つというわけです。


原告の溝口秋生さんが、高裁判決に向けた気持ちを語っています。



関連する新聞記事


水俣病は終わっていない 放置された被害 溝口訴訟が問うもの
救済されなかった「未検診死亡者」の実態を浮き彫りにした「水俣病溝口訴訟」は27日、控訴審判決を迎える(熊日2/23)
「母は、救済されることなく亡くなった人たちの代表」(溝口さん)



「行政側は職務の一部だから、長期戦になっても消耗しない。
お金も時間も限りのある個人は、ともすれば命がけの闘いになる。
水俣病をめぐる裁判を見ていて、そう思う。」2011/11/05 (朝日)記者メール


●判決日  2012年2月27日(月) 13:10〜 福岡高裁にて●

詳細
溝口さん(水俣病認定)棄却取消・義務付け行政訴訟のホームページ
http://homepage3.nifty.com/mizogutisaiban/index.htm
27日は、12時30分から福岡高裁 門前で事前集会があるそうです。

溝口チエさん水俣病認定・行政訴訟(アイリーン・アーカイブより)
http://aileenarchive.or.jp/minamata_jp/testimonials/mizokuchi.html

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2012年02月04日

熊本日日新聞2月4日のトップ記事→水俣病救済申請7月末期限

熊本日日新聞2月4日のトップ記事です。

20120204熊日1.JPG

20120204熊日2.JPG

20120204熊日3.JPG

20120204熊日社説.JPG


同じ日の沖縄タイムスの一面トップはこの記事でした。(リンク先画像あり)
【NEWS】アメリカ「辺野古断念」へ


東京新聞の一面トップ記事は、沖縄局長更迭先送り
20120204東京.JPG

水俣病の記事は3面に掲載でした。
20120204東京2.JPG

地方紙の読み比べ、面白いですね。


今日購入した書籍。
原発事故の被害と補償.JPG 

これも。
アマゾンのリンクがバグっている時があるので、書名書いておきます。
『水俣の教訓を福島へ2』


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2011年11月13日

緒方正人さんの講演メモ@「水俣病から福島原発事故を考える」水俣・白河展講演会

※UAT中継拝聴しながらのメモです。


講演会のタイトル「水俣病から福島原発事故を考える」について。
「事故」という表現。
水俣病については、「病」の悲惨さに焦点あてられて伝えられてきた。
ところが、チッソ水俣工場からでた産業廃液の垂れ流したことが、プランクトンや魚をとおして、人間、猫、鳥に汚染がいたるという、産業廃棄物の不法投棄事件みたいなもの。

ところが、水俣病というと「病」からはじまってしまう。そこに至る過程があっただろう。
その責任の内容として、「事件」という捉え方をしてきた。
「水俣病問題」という捉え方もあるが、私は「事件」にこだわっている。

福島原発のニュース 早くも「事故」という表現に違和感。
事故って、不可抗力のような響きをもっている。
ですから事件だと、と抵抗するわけ。

水俣病は1956年が公式確認だが、海の異変は敗戦濃厚なころから始まっている。
鳥が空から落ち、カキが口あけて死んでいたり。
水銀だけみると、チッソは昭和7年から使いはじめ、終戦によって生産が増大し、使い、捨てられる廃液も多くなっていく。被害が不知火海に拡大していく。

福島原発の水素爆発で建屋が吹っ飛び、も危ないとチッソを注入。
ここで「チッソ」がでてきたかと。
前は知らなかったが、25,6年前、チッソ工場を家族で見学した祭、チッソの人が、私を爆弾扱いして、恐る恐る案内してくれた。
「緒方さん、地球はうまくできているんですね」といいだす。
地球の(大気の?)の成分の74,5%はチッソで、チッソがこれだけあるから、美しい景色を保っていると。

チッソが7割以上なければ、爆発する理論があるそうで、(この話を聞いていたので)原発にチッソ注入ときいて、ピンときた。化学を知らない私でも、チッソから教育うけていたんで、すぐわかかった。

考えてみたら、共通するところがあった。

汚染された放射能汚染物質が海に大量に流されていった。
食物連鎖で広がっている。

水俣病事件で気になっているのは、人間のことはニュースにするが、(自分は)魚の代理人として発言するが、他の生き物への気遣い、許しを請うというか、そういう態度がまったくなかったのではないか。
魚は裁判所に訴える、本社に訴えることがないからか、何の侘びもなかった。
今でもそうだ。

人間社会でしか通用しない金で補償金、慰謝料、ごまかしてきた。
私は金のシステム社会のなかで、他の生き物に通じない価値観。
貨幣価値は、他の生物にまったく通用しない。

であれば「侘びをいれる」ということを考えたとき、金ではない何なのか。
これが、水俣病事件からつきつけられてきた、大きな事柄ではないか。

現代社会のさまざまなな事件、福島原発の表面にでてきてるが、チッソもそうだった。
補償金払うと、手切れ金のように、口止め料のように。
「あれっきり、これっきり、それっきりですか」という山口百恵の歌のようになる。
それで私は(金の)要求行動を捨てた。

初心は親父のあだ討ちだった。怨念といってもいいくらい、強い恨みもっている。
父、目の前で狂い死に。そのショックが私を現在までかきたててきた。
チッソとは何か考えていたら、本の題名でもあるが、「チッソは私だった」。
私ももう一人のチッソだったと。

私自身が、工場で働いていた一人だったらどうしただろう。
ひょっとしたら、同じことをしていたんじゃないか、という身震いをきいた。
ところが、患者、被害者、漁民からだと責任を問う側。問われることはない。
ところがよく考えてみたら、人として問われていた。

原発周辺の人にとっては、東電って何やったのか、国は何をしたのか。
自分たちは、税金を納め、真面目に、コンプライアンスで生きてきたのに、国か
ら捨てられたような気持ちにならざるを得ない。

えばりちらかして、原発村に学者みたいな人たちが、嘘並べて信用できん。
公的行政機関もそう、大本営発表もそう。
正直いって私は、国会は化け物のように、正体つかみにくいと思っている。

チッソは私であった。もし私がチッソで働く一人だったら、という問い。
よく考えてみれば、株式会社。
チッソは今年、名前変えて「JNC」に。
偽装倒産だといったら、チッソの部長にブツブツいわれた。

「会社」をさかさまにすると「社会」。
そのような価値構造のなかにいる。
ある意味ではとらわれ身、中毒患者である。
電気とめられたら困るもんね。

中毒社会なんですね。

そこで、どう目覚めていくか、問われている。
その意味では、原発の事件は現代社会を象徴する、もっとも危ないものの一つ。

さまざまな危険性があるなかで、現代文明を象徴する悪しきもの、必要悪として存在してきたものとして、原発をとらえている。

私もそうですが、電気コンセントがいっぱいあって、電化製品にかこ
まれて、暮らしているわけで。
どこかで矛盾を感じざるを得ない。


私は他の生き物からすれば、悪か生き物だと思う。
逃げてばっかりおって。

便利で豊かな社会というものに、私たちは、いろんなコマーシャリズムにのせら
れて、誘われてきたのではないか。

ちょっと思い出してみればわかる。
車、最初のテレビ、冷蔵庫。
現金なくても、月賦で買えるんですよって。
この罪深さ。

何ものにも変えがたく、先祖代々守り抜かれてきたものに…

寝床に毒をまいたようなもんだと思った。
おろかなことをやったのだと思った。

そういう意味で、 苦しんでいる草木生物、田んぼ、ふくめて命が今叫ん
でいる。人間に目覚めてほしいといっているのではないか。

水俣が国の直轄支配になっていたんだとおもった。
自主性が見られなかった。なぜならば、自治の最大の根幹、生命財産を守る。こ
れより優先するものがない。

原発各地につくられていくなかで、地域の関係が変わっていく。

九州の電力会社、県知事、地元の町長までのかって、悪さをやってきたみたいで
すが、事実上の、経済産業省をとおしてでしょうが、東京が事実上、直轄支配す
るような影響力をもってしまう。

企業のおごり。そういうことを感じた。

この話しを市長さんたちにしたことがあるが、主体的な自治、市長や副市長だけ
でなく、土地の人がどうしていくかという方向性、これ以上、国に左右されなく
てもいいなじゃいかなと思う。

水俣は半世紀をこえて、改めて、仕切りなおしが必要になってきている。

チッソ株式会社という名前が消え、国鉄も債務処理をしたら、消えてなくなる。
(チッソが社名を変え、ほとんどの資産を譲渡して新しく作った会社)JNC、卑怯だと思います。反対の署名集めました。

国会で法案が可決(して、チッソはJNCをつくった)。
そういう意味では、水俣病を終わらせたいという表れ。

そういう意味では、政治レベルの水俣病よりも、もっと大事な、生命の記憶として、水俣病事件を記憶していくこと。そのためには記録していくことが大事。

私自身は、内在していることをみとめているので(チッソは私だったのこと)、たたかう相手に困らないが、そういう意味では、大きな転換期を迎えているんじゃないかと思う。

福島との共通点感じた。
生命世界が脅かされている。
その罪深さが共通。

水俣病事件に限らず、公害病という別枠ではなく、環境汚染は世界中で問題。
この罪深さに対して、人間の進化がとわれている。


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posted by みの at 17:51 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森達也さん講演メモ@「水俣病から福島原発事故を考える」水俣・白河展講演会

森達也さん講演内容をメモ。
(USTを見ながらのメモ。音声の関係で聞き取れない箇所もありましたので、正確でない箇所もあるかと思います)

UST中継:http://www.ustream.tv/channel/iwj-fukushima3


イラク戦争。
大きく支持したのはメディア。
日本、小泉政権。戦争は当然であるという論調。
(このことを?)日本メディア、なかなか反省しない。

どの情報を信じたらいいのか、よく聞かれる質問。
どの情報を信じたらいいのか、という前提が間違いと答える。
どこかに信じる情報があるという前提で、その質問はでてきている。

大本営発表との共通点

(原発事故取材?)今回(メディアは?)はいくべきだった。
メディアもカメラをかついいで入るべきだったと思う。
組織ジャーナリストでない人が取材をしているケースもあるが。

そもそもメディアとは何か。
メディアリテラシー よくいわれる言葉。
メディアを批判的に、主体的に受け取る、解釈するということ。

20世紀前半、映像と音声 世界に広まった。なぜか?
人々が求めた(?)
活字は教育が必要だから。

戦争のA級戦犯は ラジオとテレビ
大量破壊兵器並

より広範なプロパガンダが可能、危険な時代に
であるからこそ、リテラシーの時代。

魚の群れは、全体で同じ方向を向き、角度を変える。
同調圧力。違う動きをしない。こういう気持ちが強くなる。
水俣であり、911、福島であったり。

誇り・・・といった言葉を使いたがる。
集団で人が動くとき、どうなるのか。
よりまとまりたくなる。
まとまるためには、異物を見つける。
異物をみつければ、自分は多数派になる。
異物を攻撃すれば、連帯感アップ、多数派になれる。

20世紀、ほとんどが自衛戦争。愛するものを守るための戦争。
他国からこれを奪ってやろうという戦いはない。
アメリカの戦争もある意味、そう。
いちおう、民主主義、人種主義を守るためとブッシュ。

メディアは利益を求める。NHKは例外ですが、子会社(株式会社)たくさんあ
るが。視聴率アップすれば、給料あがる。

人が集団化したとき、激しい声で反応する。
あぶない、きけんだと。
そこにチャンネルをあわせる。
メディアはそちらに流れ、あおってしまう。大きな間違いを。

原発大国
アメリカ・・・広大な土地
フランス・・・地震ない
日本・・・なぜこんな国にに


原発安全神話
神話は信じるものではない

羊の群れのなかには必ずヤギがいる。なぜか聞いた。
「羊は頭がわるいから家族が死んでしまう」
「ヤギはずるい。だから家族が助かる」
つまりこういうことだ。
羊は協調性がよく、足元の草を食べつくしてしまう。草なくなり家族は死ぬ。
ヤギは動き回り群れを気にしない。ヤギがいると、羊はヤギについていくので、各地を回る。
羊はヤギと一緒に放牧するのがルール。

たぶん日本人は、羊度が高い。ヤギが嫌いなんです。
日本はヤギを排除する世界。
ただ、ヤギによる。気づいたら、断崖絶壁にいることもある。
一番いいのは、羊だけどヤギ度をあげること。
そうした意識をもてば、この国は変わる。

原発事故では2万3千人ちかい人が今回なくなった。
現地で何を撮影したらいいのかわからな
かった。
撮影、マイクを向けることが後ろめたい。

31万人、ハイチ
9万 中国
20何人 スマトラ  死亡。
結局、他人事だったと気づく。世界で飢餓、戦争で苦しむ人がいる。
自分がもつ後ろめたさと、そうした苦しむ人がいるということ。
集団で動きながら、違和感を口にすること。それでたぶん国は変わる。

水俣。55〜56年。今だに片付いていない。ありえないでしょ。
変わらなくてはならないのは意識。
メディアは僕たちを反映している。
僕らが変われば、メディアは変わる。

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2011年11月11日

宇井純さんの命日に「宇井純を学ぶ」を振り返る

11月11日は、宇井純さん(1932年6月25日 - 2006年11月11日)の命日です。

2007年6月23日に東京大学・安田講堂で行われた公開自主講座「宇井純を学ぶ」について、当時取材した記事を以下に転載します。(長文です)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宇井純を学ぶ.JPG


 昨年11月に亡くなった宇井純さんを偲ぶ会が6月23日午後、東京大学の安田講堂で開かれ約900人が参加した。「宇井純を学ぶ」をテーマに、水俣病や公害研究について宇井さんから受けた影響などを研究者が語った。

講演「宇井さんの言葉と仕事は、何だったのか」

 熊本学園大学の原田正純教授は、水俣病の解決は、医学だけでなく総合的な科学として捉えることが重要だと、当初から指摘していた宇井さんについて述べた。

「医学者は病気について知っていても、工場内のことや社会の動きについては知識が乏しい。こうしたことを宇井さんは教えてくれた」

 水俣病を総合的な視点から取り上げた富田八郎(宇井さんのペンネーム)による「月刊合化」への連載記事は、勝訴した水俣病裁判の資料になったと話した。
 
 早稲田大学の淡路剛久教授は宇井さんについて、水俣病の究明課程において研究者が、公害研究という名目で、特殊利益に奉仕することに怒りを持って告発していたと語った。また、1970年、政府の水俣病対策に抗議し、当時の厚生省前で座り込みをしていた宇井さんは、患者に不利なあっせん案が出されると厚生省の建物の中に入り逮捕された。同じく座り込みをしていた淡路氏は、「研究者としてだけでなく、一人の人間として行動せざるを得ない宇井さんの決意を見た」と当時を振り返った。自主講座「公害原論」が開講される5ヶ月前のことだった。

 宇井さんとの共通点は、少数派として“対抗的な研究”を行ってきたことだと述べた九州大学の吉岡斉教授は、2005年にまとめられた原子力政策大綱に反対する2名の原子力委員会委員として(賛成30名)、海外の有識者の意見をまとめたレポートを委員会に提出。再検討するよう求めたが却下された経験を持つ。膨大な作業だったが、宇井さんの存在に励まされたという。「約30年前に宇井さんは、日本の公害を告発する英文報告書を作成し、日本の公害を世界に知らせようとした」とし、政策に影響を与えようとした行動には勇気をもらったと述べた。

「徹底的に現場での判断を重視し、権威ある人の発言に媚びない、屈しない、反権威主義をつらぬく人」と話したのは桜井国俊沖縄大学学長。日本の研究者の多くが、欧州の排水処理方法(生活・産業排水の合併処理)をそのまま日本に適応しようと考える中、これから排水路を建設する日本の現状を踏まえ宇井さんは、「混ぜるべきでないものは混ぜなければいい」と喝破したという。その姿に、目からうろこが落ちる経験だったと述べた。

 北海道大学の宮内泰介准教授は、宇井さんの主張する「住民がつくりだす科学」について言及。過去の公害において、「住民運動や市民自治の中から科学が作られていった」とし、「宇井さんの提唱する現場重視、住民主体の科学を参考軸としながら、いかに自分たちの学問研究を作り直せるのか考えていきたい」と語った。

 「公害に第三者はいない」という宇井さんのテーゼを取り上げた和光大学の最首悟名誉教授は、公害の拡張型として放射能や化学物質汚染を挙げ、加害者であるか被害者であるか問う以外に、被害者であり、かつ加害者になりうる社会であると指摘。ここから脱却するには、日々の暮らしの中で生き物を「慈しむ」ことから始まると、社会の進むべき方向を示した。

※ 東京大学の宇沢弘文名誉教授は、体調不良のため欠席した。

宇井純を学ぶ2.JPG



宇井さんの言葉と仕事を、今後の研究と教育にどう活かすか

 京都大学大学院生の友澤悠季さんは、宇井さんの貫かれた「現場主義」に、「歴史の欠如」という視点を重ねることで、日常的に目にしている場所が、実は「現場」であることを指摘した。昨年、水俣フォーラムが主催した叢想行列では、「東京に水俣の記憶を訪ねる」をテーマに、70年代に水俣病対策に抗議して座り込みが行われた場所や、旧チッソ本社前を歩いた。参加した友澤さんは、「見えたのは普通のビルや、アスファルトの道。ここでかつて何が行われたのか教えてもらわない限り、通りすぎてしまうだろう」と述べ、“ネガティブな歴史”は忘れられる傾向にあると警告。その一つに、公害があると訴えた。

 一橋大学講師の山下英俊さんは、東大2年生のときに講演会で、宇井さんから70年に始まった自主講座について聞いた。自主講座の事務局が大学にあったことから、大学が運動の拠点になりえるということを学んだ。この教えはその後、キャンパスを舞台に環境問題に取り組む学生サークルの誕生へとつながった。

 学生が主催した講演会に宇井さんを講師として呼んだ。宇井さんは、「次は自分たちで教科書を作りなさい」とアドバイス。サークルの後輩らが、『エコブームを問う』という本を完成。「本は宇井先生との共同作業だと思っている」と語った。

 沖縄大学で宇井ゼミに参加し、直接指導を受けたことのある京都精華大学大学院生の三輪大介さんは、「宇井先生のスタンスが、あまりにもストレートで厳しく、ついていけるか不安だった」と当時を振り返った。また、討論会終了後の取材では、宇井さんの「被害者の側に立つ」や「第三者はいない」という言葉については、「自己の中に当事者としてのリアリティがなければ、ただ宇井純を権威化しているに過ぎず、何も学んでいないに等しい」とし、自分の問題意識と行動の中で捉えることで、初めて、言葉の真意を理解できるのではないか、と語った。

宇井純を学ぶ3.JPG



東大に環境学は可能か

 自主講座開講時の宇井さんの言葉に、「大学および、大学卒業生はほとんど常に公害の激化を助ける側にまわった。その典型が東京大学である」という厳しい言葉がある。「東大に環境学は可能か」をめぐり議論が行われた。

 現在、東大には、環境問題に携わる研究者が数多くいる。このことから、すでに答えは出ているのではないかとも考えられる。が、山下さんは、「重要なのは、ここで“環境学”が指しているものは何か、ということ」と指摘。「宇井先生がいう「公害に第三者はいない」がここで関係してくる。公害でいえば被害者の立場で科学ができるかということ。もうすこし広げて、市民のための科学というスタンスで、環境問題の解決に取り組んでいるかどうかが基準になる」と発言した。

 東大の鬼頭秀一教授は、例として、自然科学の研究者らが被害者の立場で研究をしたことが、被害者にとって役立つことがある一方で、研究者の介入によって、被害者の関心が、一定の学問領域に落としこめられることもあると指摘。回避する方法の一つが、現場に行き、問題を総合的に見えることだと述べた。ただし、いざ学問的な論文にまとめるとなると、再び、ある学問領域内で問題が捉えられてしまうことにも言及した。「現場から見えてくるもので物事を構成し、本質を見ること。これが、環境学ができるということ」と語り、学問の枠組みを乗り越える必要性を述べた。

 東大の井上真教授は、フィールドワークの現場で、「誰のための研究か」とつきつけられる学生の葛藤に触れ、「どんな立場にいても連帯できる。やることはある」という宇井さんの言葉に触れながら、「悩みについて、我々教員も議論していく。若い人が自分の進む道を見出していく場作りが重要。大学も捨てたもんじゃない」と話した。

 東大の小林和彦教授は、「環境問題の研究が、研究者の出世につながらないと研究は進んでいかない」と述べた。会場の参加者からは、「研究者が論文を書くということは、立身出世のためというよりも、一定の成果を認められることによって、社会的発言力が増す」という意見もあった。

公害論こそ環境問題解決の鍵

 大阪市立大学の宮本憲一名誉教授が閉会のあいさつを務めた。「公害問題と環境問題は違うという考え方では、環境の科学はできない」と述べ、多様な環境問題の本質は、現在の社会経済システムが進むかぎり、公害問題論から解けるとし、適応、発展させていくべきだと訴えた。

 日本国中がアスベスト問題に取り組むようになった2005年、調査のため尼崎を訪れたところ、大学院生や若い研究者が誰一人として調査に来ていないことに衝撃を受けたという。「60〜70年代だったら、研究者が殺到しただろう」と述べ、「コンピューターを眺めていて論文が書けると思っている環境論者の大きな間違い」と指摘。「若い人には、公害論をしっかり勉強してほしい」と呼びかけた。

文・写真:奥田みのり

<追記>同日、公開講座の後、場所を変えて、宇井純さんを偲ぶ会が行われました。
宇井純さんを偲ぶ集い.JPG

この日本酒は、確か、偲ぶ会で見かけたもの。
写真は、別の機会に撮影しています。
酒 宇井純さんを偲ぶ.JPG

311東日本大震災で、宇井純さんの日本酒をつくったメーカーが被災されたと聞きました。
岩手県陸前高田の日本酒メーカー「酔仙酒造」のようです。
少し調べてみると、酔仙酒造の専務をしていた方が、専務を辞職されてから、広田湾にもちあがった石油コンビナート建設反対運動に参加。
当時、東大では、宇井さんが公害などをテーマに自主講座を開講。
宇井さんの講義を聴講するため、元専務は岩手から上京していたようです。
(参考:http://www.fu-do.com/story/sss/yagisawa/sss.yagisawa.1.html

宇井さんは各地のこうした問題とつながっていたのですね。

東日本大震災:心込め、新酒仕込み 岩手・陸前高田の「酔仙酒造」
http://mainichi.jp/select/biz/news/20111014dde041040045000c.html

 東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の老舗酒造会社「酔仙酒造」が、同県一関市にある「岩手銘醸」の醸造施設を一部借りて操業を再開し、看板商品「雪っこ」の仕込み作業を進めている。被災後初めてとなる新酒の出荷は17日に予定している。

 仕込みは先月12日に始まった。「雪っこ」は、蒸した米と水を3回に分けて酒母の入った仕込みタンクに入れる三段仕込みで醸す。約3週間発酵させた後、搾って瓶に詰める。

 震災では従業員7人が犠牲になった。酒蔵をはじめ、事務所や倉庫などすべてが津波で流された。金野靖彦社長(65)は「多くの方に応援してもらってここまできました。心を込めてお酒を仕込んでいます」と話した。【写真・文 長谷川直亮】

毎日新聞 2011年10月14日 東京夕刊





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2011年11月04日

「環境省 特措法は節目 水俣病は解決しない」とか。

11月3日のwebdiceに書いたものを転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11月2日、水俣病被害者互助会と環境省、チッソに行ってきました。
熊本日日新聞と西日本新聞の記者の方がいらっしゃいましたが、今朝ネット検索した限りでは、昨日の行動についての記事が見当たりません。

そこで、同行した私なら、なんと記事の見出しをつけるか、考えてみました。

私なら、「環境省 特措法は節目 水俣病は解決しない」でしょうか。

“最終解決”を目指してつくったという特措法について、昨日確認した環境省の見解です。

チッソはこの見解に同意しないと思いますが。

水俣病は公式に確認(政府が確認)してから55年になりますが(55年ですよ!)、昨日の話によると、いまだに因果関係を明らかにする手法の開発をしているそうです。
この間、亡くなられた被害者が何人いることやら。

こうした状態にありながら、「水俣病の教訓云々・・・」という発言もあり、教訓って何?と考えました。

結局、「検討中」「開発中」云々の対応は、解決策の先延ばしでしかなく、被害者は亡くなっていくのです。
何年も待たせてから“対応”すれば、対象となる被害者の数も減りますから、補償する側にとっては、補償額が少なくなります。

これが教訓!?
とは思いたくないですが。

日本がインドに原子力技術とともに「原発事故の安全対策」も提供

というニュースが先日ありましたが、日本の安全対策って何でしょう。
暫定規制値を事故から半年以上続けること?
まさか、安全対策って、原発を推進する政府や電力会社にとっての安全対策!じゃないですよね。でもそう考えたほうが、納得できそうな今の日本政府・東電のふるまいじゃないですか。

なお、昨日の環境省、チッソでのやりとりの内容については、本日、水道橋で開催されるシンポジウムで報告があるかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20111028/1319795841

取り急ぎの報告でした。

投稿日:2011-11-03 10:08


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2011年10月30日

11/2 水俣から埼玉の市民の皆様に「今伝えたいこと」

11月2日、浦和で開催 「水俣から埼玉へ、そして福島へ いま私たちが伝えたいこと」

水俣から、水俣病患者さんが上京されます。

1102浦和 ほっとはうす.PNG

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2011年09月28日

9/23 火のまつり@水俣湾埋立地 #minamata

本文が表示されない場合は
http://togetter.com/li/191700
リンク先でお読みください。

リンク先と同じ内容が、↓ここに表示されるように設定していますが、
表示されないことがあるようです。

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2011年09月22日

「水俣学:最初の一歩」ネット中継で受講してみた

9月22日から、「水俣学」をテーマにした講義が熊本学園大で始まりました。
授業は午後1時〜2時半。インターネットで講義の様子が中継されるとのことです。

講師のリストは以下の通り(熊本学園大・水俣学研究センターのサイトより引用


1回 9月22日 「水俣学:最初の一歩」花田昌宣(熊本学園大教授)

2回 9月29日 「水俣病補償・救済と地域社会」丸山定巳(熊本学園大教授)

3回 10月6日 「胎児性水俣病」原田正純(水俣学研究センター顧問)

4回 10月13日 「水俣病を通してジャーナリズムを考える」牧口敏孝

5回 10月20日 「東日本大震災と福島原発事故」中地重晴(熊本学園大教授)

6回11月10日 調整中

7回11月17日 「雨にも負けず、風にも負けず〜これが私の生きる道(仮)」坂本美代子(チッソ水俣病関西訴訟勝訴原告/行政認定未補償協定患者)

8回 11月24日 「教育と水俣病(私にとっての水俣病)」広瀬武(水俣芦北退職教職員等協議会/小学校教師)

9回 12月1日 「私の水俣病(仮)」緒方正実(水俣市立水俣病資料館語り部)

10回 12月8日 「水俣病といのち」最首悟(和光大学名誉教授)

11回 12月15日 調整中

12回12月22日 「水俣(病)に学び、未来を想う(仮)」森枝敏郎(前熊本県健康福祉部長)(元熊本県水俣振興推進室長)

13回 1月5日 調整中

14回 1月19日 「公害被害/社会的困難を抱える地域の再構築とその評価について」宮北隆志(熊本学園大教授)


熊本学園大のサイトから、PDFでもダウンロードできます。
水俣学2011講師リスト.JPG

初回の本日の講義、途中からネットで聴講し、メモったことを共有させていただきます。


「水俣学:最初の一歩」花田昌宣(熊本学園大教授)
(前半数分のメモはなしです)
・水俣病、神経細胞は回復・再生しない。一度被害もたらされると、一生の付き合いに。
病気をおこしたチッソ、放置した国や県。

・来週の丸山先生の話で説明があるだろう被害救済制度。
対象は広い意味で5万人。今も裁判を続けている人もいる。

・公害事件は一般的に、人々は一方的に被害をうけた。
これが、交通事故と違う。交通事故は自分が加害者になることもある。

被害者の「私たちは危険だと知らずに魚を食べた」
被害の海は、50年前も同じようなきれいな海だった。
水にとけた水銀は目に見えなかった。

飛行機に乗る。墜落をする。飛行機に乗ることで、早く移動できる便利さがあり、なおかつリスクを伴う。
水俣病事件では、自分たちの暮らしが一方的におかされる(1)

・弱い立場への被害(2)
東京、大阪、NYでは起きていない。なぜ水俣で起きたのか。
これが東京湾への水銀流出だったら、たちまち対策がとられていたはず。
水俣の貧しい漁民への被害。被害は隠蔽。その積み重ねが50数年の水俣病の歴史。


=水俣学とは何か=
水俣病学でもなく、環境学でもない理由

1)水俣病事件という「負の遺産」
そのことを将来に活かす。
どんな失敗があったのか検証し、将来二度と繰り返さないように。
自分の人生に活かしていく。自分の持ち場で活かしていく。


=越境する水俣学=
4つの原則

1)現場に学び、現場に返す
寺山修二の「書を捨てよ、街にでよ」。

水俣に一日いて見えること。
そこでの出会い、現場におちている宝とであってくる。
いろんな人がいる。そのことにつきあってみる。

教室のなかで完結しない。

よそ者としての自分。
外からの目だけでない。現場に返すとは何か。

漁民、家族、チッソ、関係者とのコンフリクト。社会紛争のなかに向き合うことになる。
それを中立的立場で観察することをしない。
私たちのスタンスははっきりしている。弱い立場の側に立つ。
社会的にものがいえない人々。そこが出発点に。
自分たちが学んだこと、調べたことを、その人たちに返す。

2)学問の壁を越える
水俣病を自分の専門分野から見ているだけでは不十分。
被害をうけた人の命と暮らしに寄り添えば、学問の壁を越えていかなければいけないことは必然。

学際、複合領域として、他大学でも取組みはある。

3)専門家と素人の壁を越える

平たい言い方になるが、一番ものごとをわかっているのは現場の人。
水俣病の被害をこうむった患者さんたち本人。
そのことに学んでいく。それが、専門家と素人の壁を越えること。

それぞれのプロとしての壁を変えていく。
講師にお呼びしている患者のお二人は大学出ているわけではないが、学ぶことがある。

4)国境を越える

国家を超えようということ。
水俣でおきていることを世界に発信。その逆も考えていく。
経験をプラスに活かしていく。
カナダの先住民族の水俣病患者
タイの工業地帯での被害民・・・
顔を見る関係で発信していこうと。



・水俣学講義の10年の歩み。2002年から開始。
原田先生の提唱に若手研究者が賛同して始まる。
若い次の次の世代にまで伝えていきたい。

そのときの原則(原則1?)は、今携わっている方から学ぶこと。
患者さんに水俣病のことを語ってほしいとお願いしている。
残酷なことをお願いしているかもしれない。
本来、人に語らない内面を語ってほしいと。
幸いなことに、喜んで語ってくれた。そうした声を学生に伝えたい。

映画監督、ジャーナリスト、写真家、労組委員長
その道のプロであり、水俣病に関わってきた人たちにも語ってもらう。

他の大学でも環境に関する授業を行い、水俣の話もするだろう。
だが、現地にも行ったことなく、患者とも会ったことがない先生が話すことも。
私たちは現地から (原則2)

原則3)今の水俣病を伝える
21世紀を語ってもらう。
過去〜現在への語り。
水俣病の罪のありかを語ることでもある。




そのほか:教室にいる180人の学生だけでなく、ライブ中継で見ている人もいる。
昨年、イギリス、カナダで見ている人もいた。

講義は「水俣病講義」として本にしている。
さらに多くの人と共有されていく。

2002年、講義始まったころのこと。
水俣病は終わったと思われていた。
1995年の政治解決で、1万人の救済策。そのころ、100年残るような授業をしていこうと始めた。

講義以外では、水俣での患者検診、聞き取りのほか、四大公害事件がおきた地域での「紛争」終了後、解決後の公害の現場の調査をし、水俣に生かそうと考えた。

水俣が解決したとは思っていないが、ほぼ解決したという認識だった。
よその地域にまなび、水俣に重ねようと思っていたが、そうはいかなかった。

2004年の秋、水俣病の歴史をひっくりかえすような最高裁の判決。
国、県に水俣病の責任があるという判決。
さらに、これまで水俣病でないと否定されてきた関西の原告たちが、水俣病と認められた。
水俣病事件史48年、大きく転換。

自分の家族が認定患者、それを隠してきた人もいる。
胎児性水俣病の人のお母さんが、患者認定の手続きをとっていなかったことも。
結婚するまでは申請しないという人・・・
そういうひとたちが、あらたに申請。1万人をこえた。

新たな裁判、新患者団体も誕生。
政府、熊本県は、「その場しのぎ」といえるような小手先の対策をしてきたこれまでの5年間。

一つ一つを水俣学講義のなかで当事者に伝えていただく。

講義で(明かされる)課題はみなさんの課題
将来に生かしてほしい。

水俣病事件のひとつひとつに学び、現在を見る。
それを一人一人が生かしていく。
一人が変わるだけでなく、将来にいかしていく。

ここで学ぶことを通して、これからであう社会問題を見ていく。
そういうツールにいかしてほしい。

語る私も変わっていく。


・・・・・・・・
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熊本日日新聞の記事 2011年09月23日

10年目迎えた「水俣学」 当事者の“肉声”に学ぶ
http://kumanichi.com/feature/minamata/kiji/20110923001.shtml

写真
◇はなだ・まさのり 1952年生まれ。京都大大学院経済学研究科博士課程修了。専攻は社会政策、労働経済学。原田正純氏の後任として2010年1月から熊本学園大水俣学研究センター長。熊本市在住。
 水俣病事件を学問としてとらえる熊本学園大(熊本市)の「水俣学講義」が10年目を迎えた。これまでの成果や今後の課題について、講義を企画・運営する同大水俣学研究センターの花田昌宣センター長に聞いた。(石貫謹也)

 −水俣学講義が始まったいきさつを教えてください。

 「1995年の政府解決策による未認定患者救済が終わり、水俣病事件がすべて解決したと誤解する人たちもいた。そうじゃないことを伝えるには、事件に直接かかわる人たちに、それぞれの水俣病を語ってもらうしかないと(医師で前センター長の)原田正純先生らと講義を始めた」

 −講義では患者のほか、さまざまな立場の関係者が講師を務めています。

 「この講義で学ぼうとしている水俣病事件の負の遺産の原点は、60年代ごろ、病を抱えて差別を受けた患者さん。私たちには幸い、そうした患者さんとのつながりがあり、それまで語ることのなかった過去のつらい経験を学生に伝えてもらうことができている」

 −それらの経験談から、学生はどんな影響を受けるのですか。

 「例えば水俣病をめぐる差別。水俣病の知識が正しく伝われば差別はなくなると思われがちだが、知識だけで差別はなくならない。差別を受けた当事者に会い、直接話を聞くことでしか、人間の心が変わるほどの強い思いは生まれないものだ。この講義は、そうした機会を学生に提供する場でもある」

 −2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を機に、水俣病事件は再び大きく動いています。講義する上で難しさはありませんか。

 「再び認定申請が増え、裁判も起き、国が当面の対応をした。事件が動き、複雑化していく中で、制度や仕組みを伝えるのは確かに難しいが、日々動いていることは事件が未解決であることの表れ。『なぜ未解決なのか』と学生がさらに探究してくれたらうれしい」

 −これからの課題は何ですか。

 「水俣病の被害は医学的側面だけでとらえられがちだった。これからは差別や風評被害といった社会的被害も合わせて考え直さなければならないし、そのことを学生に伝えていく必要がある」


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2011年09月21日

振り返り)国際的な水銀規制条約制定の動き

10月下旬、ナイロビで開催される「INC3」

INC3とは、
→水銀に関する国際条約の制定に向けた政府間交渉委員会 第3回会合
のことです。

前回の、「INC2」は、は2011年1月に、千葉県の幕張で開催されました。
国連環境会議(UNEP)主催の会議は、フリーランスが取材許可証を申請するのには、いろいろな資料が必要で大変でしたが、無事に取材パスを入手。
そのとき書いた記事で、ボツにしたものを編集してアップしました。

10月下旬から始まるINC3にも注目してください。
(私はナイロビには行きませんが、スポンサーがつけば考えます。なんて・苦笑)

・・・・・・・・・・・・・・

2013年の水銀条約成立をめざし、国連環境計画(UNEP)が主催する政府間交渉委員会の第二回(INC2) が、1月24日から28日まで千葉・幕張で行われ、約130カ国から、600人ちかくの各国代表、NGO関係者が参加した。

INC2会議風景s.JPG

鳩山由紀夫前首相が昨年、水俣病犠牲者慰霊式で、水銀条約を「水俣条約」と命名したいと提案したことを受け、日本政府は会期中、「水俣病の教訓」や、日本の水銀対策を紹介する冊子や映像、語り部によるセッションを行った。

この提案に対して、胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんらは、本会議やサイドイベントで「日本政府はまず、国内の水俣病問題とむきあうべき」「本質的な水俣病の解決がされないかぎり、条約名に水俣の名を使うべきでない」とアピール。会場に現れた松本龍環境大臣と近藤昭一環境副大臣に、アピール文を手渡した。

24日のNGO発言s.JPG
本会議で発言する坂本しのぶさん

700以上のNGOが所属するネットワーク組織「IPEN」や、インドやフィリピンなど各国の政府関係者は、会期中坂本さんの訴えに同意し、賛同の署名をした。

honoring minamata 署名ロビー.JPG

坂本さんらの訴えは、会議前日の23日から始まっていた。(他にもプレイベントが複数開催されていた)
日本のNGOによる集会「水俣を敬う」では、約180人が会場を埋め尽くし、坂本さんの訴えや、環境ジャーナリストのアイリーン・美緒子・スミスさんによる水俣を撮影した写真のスライドショーに聞き入った。

honoringminamatas.JPG

坂本さんの訴えに、フェルナンド・ルグリス議長は、「しのぶさんの為にも、世界のため、将来世代のためにも、頑張って良い条約をつくります」と語り、握手を交わす一幕も。

議長&しのぶさん2s.JPG


* * *


現在、日本が抱えている水銀問題の一つは、水俣においてチッソ工場が排出した有機水銀を含むヘドロの存在だ。1990年に有害なヘドロを封じ込めた埋め立て地(58ヘクタール)は、ヘドロの浄化されないまま、耐用年数50年の鉄板によって仕切られた状態で水俣湾と接しているため、市民を不安にさせている。

また、水俣病被害の全容を把握する調査が未だに実施されていない状態において、「水俣病の教訓」として、水銀問題を総括してしまう政府のやり方には疑問も残る。

こうしたなか政府は、「水銀規制に関する条約推進事業」を新設し、6300万円を2011年度予算に計上。交渉を円滑に進めるため、条約交渉の事務局であるUNEPに資金拠出を行い、途上国への水銀管理技術の普及を強化していくという。

しかし別の角度から見ると、日本は水銀輸出禁止の姿勢を打ち出した欧州連合(EU)や米国より遅れており、アジアでは、キルギスと日本だけが水銀を輸出しているのが現状だ。

化学物質問題市民研究会・安間武さんは、
「日本からシンガポールや香港などに輸出された後の水銀の行方を確かめるシステムがなく、途上国の小規模金採鉱に使用され、労働者や環境に悪影響を与えている可能性が十分ある」
と指摘する。


* * *


幕張の会議では、水銀条約の調印式を2013年に日本で開催することが承認された。

一般的に、調印式の場所が条約の名前になるが、現在のところ、日本のどこで調印式を行うのかは決まっていない。しかし、すでに宮本勝彬水俣市長が開会式で、水俣市での開催を希望するとスピーチをし、誘致に積極的な姿勢を見せている。

環境省の南川秀樹事務次官は、「水俣条約」については反対の意見があることも承知していると記者会見で述べ、「条約の内容は、昨年6月から検討が始まったばかり。一般向けの会合は、昨年12月に東京で初めて行った。条約交渉の進展をふまえながら、水俣で意見交換会を開いていきたい」とコメントした。

<補足>この発言から半年後の6月26日、水俣市で「水銀条約について考える会」が開催された。市民を対象にした初めての説明会だった。

水俣病に対する政府のこれまでの対応を考えると、「水俣条約」と命名することが容易に認められないことは明白だ。

水銀条約は、水銀の使用や貿易を抑制し、水銀による環境・健康被害をなくすために制定する。もし「水俣」を条約名にするのなら、日本は、水銀規制における最も進んだ実践者であるべきであろう。

また、「水俣」という地名を条約名に使うのだから、地元の理解を得ることはいうまでもない。市民を置き去りして、中央の環境省と水俣市の行政トップだけで話を進めるのを良しとするのなら、それは水俣病の経験から何も学んでいないに等しい。

半世紀以上にわたり水俣病事件をめぐる日本政府の対応を見てきたわれわれは、世界の人々とともに、水銀条約の行く末を監視していかなければならない。


・・・・・・

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2011年09月20日

9/23 水俣病で犠牲になった全ての生命に祈りをささげる「火のまつり」

9/23 水俣病で犠牲になった全ての生命に祈りをささげる「火のまつり」が水俣湾埋立地で行われます。(エコパーク水俣/親水護岸にて)

私は一度も参加したことがないので、チラシからの受け売りですが、行かれた方からは「あれはいいよ」と好意的な感想をお聞きしております。

火のまつり2011.JPG

火のまつりは、水俣病で犠牲になった全ての生命に祈りをささげ、地域の再生への願いを炎に託す、市民手づくりの行事です。
ご参加の皆さまには「祇園さんだご」と「塩」のふるまいがあります。
また、同じ時期に家庭や職場で照明を消すライトダウンへのご協力をお願いします。
ろうそくを灯すなどして、火のまつりに思いをお寄せください。


平成23年9月23日(金)
午後6時30分〜8時00分
(※荒天時は翌日に延期)


水俣市の公式ページにある「火のまつり」情報
http://www.city.minamata.lg.jp/885.htm

なんと、今回で16回目になるそうです。歴史がありますね。

祈りの火の、大たいまつへの点火
太鼓による奉納演奏(恋龍太鼓保存会)
合唱(水俣高校合唱部・合唱団みなまた)
などのほかに
参加者全員で鶴を折る時間もあるそうです。

最後に参加者にふるまわれる「祇園さんだご」。
これは丸島町の祇園神社の祭り(7月中旬)に奉納された、米粉と麦粉でできたお団子とのこと。

火のまつりに集まった人たちで、何か共有できるものはないかと考え、祇園さんだごと塩をお配りするようになったそうです。

その際、「新聞エコバック」に入れて手渡されますが、
このバッグは、ほっとはうすが火のまつり用に寄付しています。

火のまつり実行委員には行政関係者もいらっしゃるそうで、
いろいろな立場の方が、水俣病で犠牲になった命に祈りをささげる「火のまつり」で、時間を共有することに、大きな意義を感じます。



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2011年09月14日

9/16 水俣病と闘うカナダ先住民族の声を聞くセミナー

環境と生活破壊に抗するカナダ先住民族の現在
〜訪日代表団を迎えて〜

主催:熊本学園大学水俣学研究センター
共催:市民外交センター・反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)

このたび、カナダから先住民族を招聘することが出来ました。
来日するオンタリオ州北西部のグラッシー・ナロウズとホワイト・ドッグの両居
留地の先住民族は、1960年代初め、水力ダム建設のための河川改修と環境破壊、
それによる強制移住、同化政策としての寄宿学校への強制入学などを経験し、さ
らに70年から、上流のパルプ工場の工業廃水を原因とする有機水銀中毒、水俣病
の被害が起き、数百名の患者が出るとともに生業も奪われていきました。
加えて、祖先から受け継いできた森林の伐採がすすみ、大地の暮らしそして狩猟
や採集などの生業の基盤が改めて奪われつつあり、先住民族の権利としての環境
の保護と伝統的な生活を護るために10年以上にわたる闘いを続けています。
カナダでの、差別と保護そして懐柔の歴史の中で、先住民族の暮らしと権利を求
める現地からの報告を聞き、意見を交換する機会を設けました。
日本ではほとんど知られることのないカナダ先住民族の声を聞いてください。

日時:2011年9月16日(金)
   午後6時30分〜8時30分
場所:東京麻布台セミナーハウス 4F中研修室(東京都港区麻布台1-11-5)
   地下鉄日比谷線「神谷町駅」1番出口より徒歩3分
   地図→ http://kenshu.e-joho.com/azabudai/map.html
参加資料代:500円

内容
紹介:カナダ先住民族問題と現在の課題 花田昌宣(熊本学園大学教授/水俣学
研究センター長)
現地からの報告(英語、逐次通訳付き)
(1)チーフ サイモン・フォビスター 1955年生、グラッシーナロウズ在住
先住民族として、また先住民族のチーフとして生きてきた人生と現在の課題
(2)ジュディ・ダ・シルバさん 1962年生、グラッシーナロウズ在住
女性として先住民族の権利運動を進め、とくに森林開発に反対し開発現場で、実
力闘争をしてきた経験を語る。
(3)ソア・アトキンヘッドさん 1967年生、ウィニペグ在住
居留地の先住民族の支援運動をしてきたが、その思想と運動について語る。

なお、ホワイト・ドッグからシルビア・ヘンリーさんおよび先住民族のドキュメ
ンタリー映画を作成した大類義監督(カナダ在住)も討論に参加します。
●連絡先
熊本学園大学水俣学研究センター
Tel&Fax:096-364-8913
hanada(at)kumagaku.ac.jp
市民外交センター 担当:木村真希子
kimuramakiko(at)hotmail.com
反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)
Tel:03-6280-3101
imadrjc[AT]imadr.org


・・・・・・・・・
9月17日は関連した別のイベントがあります。

カナダ水俣病と講演会・映画上映あり
http://www.minamata-f.com/09info/2011/110826.html

日時 : 2011年9月17日(土) 午後2時(1時30分開場)
会場 : YMCAアジア青少年センター (東京・水道橋)

発言 : カナダ水俣病被害者ほか(4名、通訳付)
講演 : 原田正純(前・熊本学園大学水俣学研究センター長)
上映 : 「カナダ先住民と水俣病」大類義監督 原題“THE SCARS OF MERCURY”
      日本語字幕付、2009年、 特別編集版60分、DVD上映

入場料
  一般 = 当日 2200円 / 前売 1600円
  学生 = 当日 1500円 / 前売 1000円

前売券をご希望の方は、郵便局備え付けの郵便振替用紙をご利用いただき、
 口座番号欄に「00120-4-398614」 加入者名欄に「水俣フォーラム」
 通信欄に「カナダ水俣病講演会前売券希望」
とご記入の上、券種・枚数を明記してご送金下さい。ご入金を確認次第、チラシ・チケットをお送りします。なお、9月7日(水)の受付印で締め切らせていただきます。


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2011年07月02日

水俣市議会 川内原発廃炉検討を

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原子力政策転換を 2011年07月02日 朝日新聞
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001107020003
東京電力福島第一原発の事故を受け、水俣市議会は1日、原子力エネルギーからの転換と自然エネルギー推進を政府に求める意見書案を全会一致で可決した。原発の大規模な新設を前提とした既存のエネルギー政策を「完全に非現実的」と批判し、市から40キロにある九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)についても1、2号機の「計画的な廃炉の検討」と3号機増設計画の再考を求めている。

  意見書の提案には、議会運営委員会を構成する自民から共産まで全会派の議員が名を連ねた。過去に東電による原発トラブル隠しが発覚したにもかかわらず原発事故を防げなかったことなどを問題視し、原子力安全行政の抜本的な見直し▽事故調査委員会の設置と徹底的な分析▽エネルギー政策の転換▽段階的な原発縮小と温暖化対策の確立――などを要望。併せて、市民団体から出された脱原発や川内原発の廃止を求める陳情3件も採択した。

  市議会の6月定例会はほかに、6月半ばからの大雨で被害が出た農地の復旧費などを盛り込んだ一般会計補正予算案など9議案を可決し、同日閉会した。


ちょっと前にはこんな記事も。

水俣市長、脱原発訴え 2011年06月23日 朝日新聞
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001106230003

  「脱原発」への機運が高まる中、水俣市の宮本勝彬市長は22日の市議会本会議で「万が一の危険性を考えると原発は廃止した方がいいと思う。地震にも耐えうるとの安全神話の下に推進されてきたが、今回の震災で神話は完全に崩れた」と述べ、将来的に原子力発電からの転換が望ましいとの考えを示した。同市南部は九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の半径40キロ圏に入っており、3号機の増設計画については「是非、見直しをしていただきたい」と言及した。

  この日の一般質問に答え、まず「現実的に(電力の)安定的な供給を考えると、即廃止ということにはならない。万全に万全を期して安全に運転してほしい」と国や電力事業者に注文。その上で「将来的に原発に頼らない社会にすべきだ。これに代わる自然エネルギーの開発を早急に進めるべきだ」と主張した。蒲島郁夫知事が県内への原発新設に否定的な見解を示したことに関しては、「同じように考えている」と賛同した。

  市では水俣病を教訓に環境に負荷をかけないまちづくりを掲げ、波力発電など再生可能エネルギーの開発・普及にも取り組んでいる。

  また市は、東京電力福島第一原発と同等の事故が川内原発で起きた場合を想定し、市民の避難誘導や鹿児島県側からの避難民受け入れなどに備えて地域防災計画を見直す方針を表明。現行の計画は原発事故を想定しておらず、国や県の動向も参考にしながら来年度計画に反映させるという。


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2011年05月08日

愛林館 棚田カフェ 棚田のあかり

水俣の山方面にある愛林館(あいりんかん)で、
週末だけやっている棚田カフェに行ってきました〜!

東京から指をくわえて「いきたいな〜」と思っていたカフェだけに
実現して嬉しい!
実現させてくれた epiktさん、どうもありがとうございます!

愛林館です↓
愛林館.JPG

近づいてみると、玄関が見えてきます。
愛林館2.JPG

よく見ると、面白い看板があります。
愛林館3.JPG
日本一(自称)の棚田の駅だそうで。(苦笑)

駅!!???
近くに、動かないSLが止まっています。
愛林館SL.JPG

SLの付近で遊んでいる子どもたちに、
なにして遊んでいるの?と聞いたら、「走ってる」というので、
鬼ごっことか、誰が早いか競争するの?と聞いたら、
「体力をつけるため」と、まじめに答えてくれました。(笑)
体力をつけるために、走って遊ぶ。。。すごいな。

棚田カフェ。お品書き・・・
棚田カフェ 甘酒.JPG
甘酒。

棚田カフェ 和みガトーショコラ.JPG
和みガトーショコラ 

その他、コーヒーなどもありますが、うっかり、写真を撮り忘れました。
詳しくは愛林館のブログをどうぞ。

なお、5月21日には、こんなイベントがあるそうです。
棚田のあかり案内.JPG

たいまつに灯りをともして、棚田の周囲にならべます。
水面にも灯りが映るので、たいまつの光りは倍に見えるそうです。
そのための準備が、着々と進められています。

棚田のあかり準備.JPG

棚田のあかり準備2.JPG

竹のなかにワラをつめ、家庭からの使用済み油が主原料のバイオディーゼルを注ぎ、ワラをひたしているそうです。ワラがすぐに吸収してしまうので、何回かにわけて、バイオディーゼルを継ぎ足しているのだとか。

棚田の灯り仕込中.JPG

家庭からでる廃油を活用できる点、ゴミ分別22種類の水俣市ならでは、と感じさせる取り組みです。

5月21日の棚田のあかりの詳細はこちらで。

そうそう、水俣駅の近くに始点のある、「日本一長〜い運動場」(旧山野線跡地)を歩いていくと、愛林館のあたりにたどり着くはず。(ですよね?)
市街地から水俣川沿いに久木野まで約14キロ。行きは歩きで、帰りはコミュニティバス「みなくる」で帰ってくるとか。いつの日か、歩いてみたいコースです!


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2011年05月06日

あばぁマルシェ@福田農場

あばぁマルシェ@福田農場(水俣・湯の児温泉方面)に行ってきました。
イベントの主旨などは、主催者&参加者のブログやつぶやきを待つとして、
写真だけご紹介します!

20110505福田農場.JPG

不知火海が一望できる高台にある福田農場。
スペイン風の空間が広がっています。

サラダ玉ねぎ.JPG
水俣名物、サラダ玉ねぎも売ってました。

ジューシーto.JPG
地元の人が「ジューシー」と呼ぶ河内晩柑(かわちばんかん)100%の搾りたてジュース。
ステージでは吹奏楽団が演奏中。

ジューシー搾り2.JPG
こんな機械で搾ってました。便利そう。

みつばち充電.JPG
映画『ミツバチの羽音と地球の回転』が水俣で上映されるそうで、ところどころにチラシが。自転車こぐと、携帯電話の充電ができるサービス提供中〜!

わくわく昆虫ランド.JPG
昆虫ショップ・わくわく昆虫ランドが、珍しい昆虫を展示(販売?)されてました。
いただいたチラシには、「初心者の方はもちろん、マニアの方も納得の品揃え」とのこと。
お店の外のウィンドウには、人間の背の高さくらいのガンダム(多分)の模型がかざってあります!

豚角煮.JPG
麺屋・天道の豚角煮。消しゴムハンコも販売していて、注文しています。(楽しみ!)

ライスコロッケ.JPG
ほっとはうすは、ライスコロッケを販売。イタリアとフランスで7年、麻布でイタリア料理のお店の料理長をされていた方が考案、実際につくった一品です。


ゲームに参加して、キーワードの言葉がわかれば、
好きな文字を書いてもらえる、素敵なプレゼントが!
心2.JPG

心.JPG


いろいろサイトを見ていると、

〜地元の若手生産者たちが集います〜

というのが、一つのテーマだったようです。

「東北がんばれ」もキーワードだったようで、
売り上げ全部を寄付すると書いてあるブースもありました。

そこのところ主催者の方にお聞きしたかったのですが、
聞けませんでした。

福田農場.JPG

福田農場、とっても景色のいいところ。お勧めです。


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2011年05月02日

水俣病患者遺族代表 緒方正実さんの祈りの言葉

5月1日、水俣で行われた水俣病犠牲者慰霊式。
各社の記事で紹介されている、緒方正実さんの「祈りの言葉」。
記事に紹介されていない部分も含めて、読んでもらいたいです。

水俣病慰霊の碑.JPG

・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和32年12月28日、女島漁村に生をうけました。
祖父は急性劇症患者で、チッソに命を奪われ、祖父と生まれかわるようにして、この世に生をうけた妹は、胎児性水俣病患者として苦しみの人生を強いられてしまいました。家族は水銀の毒におかされていました。

私の毛髪から2歳当時、226ppmの水銀が検出されるほど、チッソが水俣湾に垂れ流した有機水銀によって、私や緒方家の未来が大きく左右されてしまいました。文明社会の掟とはいえ、あまりのもむごい出来事です。

熊本県はこの事実を知っていたにもかかわらず、38年の間、(私を)積極的に助けだそうとせず、平成8年、やっとの思いで申請した政治解決で、無残にも見捨てられてしまいました。

どうしても納得できない私は、水俣病とともに生きてきた自身を証明するため、10年におよぶ闘いの日々へと変わっていきました。

一人の人間として行政に見捨てられた私が、どんな思いで当時暮らしていたか、言葉にできないほど辛い日々でした。

10年の訴えのすえ、平成19年3月15日、潮谷義子・前熊本県知事から、2666番目の患者認定をうけました。知事の全責任において、私を救い、ふつうの生活に近づけてくれたことは、当然のことといえ、正直、一度見捨てられた行政に救われた思いです。

しかし私の人生は、50年のときが過ぎていました。水俣病の被害にあった一人の人間が、救済されるまで50年のときを要したことは、社会のしくみに問題があるのです。

水俣病は本人申請主義と、公害健康被害補償法で定められていますが、法律は何のためにあるのでしょう。
世の中の全ての人が、安心して、幸せに暮らせるために、法律があることを決して忘れてはなりません。

昭和31年、日本の経済白書が、もはや戦後ではないといった時代、
経済優先し、水俣病という世界に類をみない公害をかくしてしまったことは、わが国の失敗、一企業の責任にとどまらず、戦後復興にむけて、日本の政策に問題があったことは、隠しようのない事実です。

水俣病の政策に重大な過ちをおこし、水俣病事件へとかわっていた歴史があります。公式確認から55年、争いはたえることがなかった。

しかし全ての人の願いは一致していた。一日もはやい解決でした。
水俣病問題を大人社会のわれわれは難しくしてしまい、日々、悪化へとたどった歴史があります。

一年前の今日、特別措置法が開始されました。
一年たったいま、多くの被害者が落ち着きをとりもどしたのも事実です。
しかし、置き去りにしている問題がいくつかあります。
被害にあいながら、未解決のままなくなられた人たちの問題もその一つです。
その責任はどこにあるのでしょう。

5月1日を水俣病公式確認の日とし、手をあわせて祈るだけでいいのでしょうか。

私たちは、水俣病から何を学び、教訓として、世の中に伝えていかなければならないのか、なくなった声明からつきつけられていることを、忘れてはなりません。

胎児性患者の今後の課題、チッソ分社化による今後の行方、水俣病が今後どうなっていくか、チッソ、行政、被害者を含める社会のそれぞれが、水俣病をどう向き合っていくかだと思います。

矛盾をのこしたまま、水俣病事件を引き渡していいのか。我々の時代に、こうした努力によって、矛盾を解決し、次の時代を生きるこどもたちに教訓として、引き渡さなければなりません。

原発事故は、水俣病発生当時を思い出し、胸がはりさける思いです。
水俣の教訓がいかされていたのか疑問に思います。

先祖が大切にしていた自然を破壊したこと、どうわびればいいのでしょうか。
水銀の被害にあい、苦しみながら命を奪われた魚、鳥、すべての生命に祈りをささげ、命の尊さを世界に伝えるため、実生(みしょう)の枝でこけしを塗り続けています。

資料館語り部の一人として、世界の人に、水俣病の悲惨さを伝えながら、現在1800人あまりの人に伝えてきました。

水俣病と53年生き続け、様々な出来事と出会うなかで、正直、健康被害と引き換えに、チッソから、人間として、大切な生き方を教えていただいたような気がします。
今後、水俣病が悲惨な出来事として、歴史に刻まれていくのか。
人類にとって、貴重な出来事として刻まれるのか、今後の水俣病は、今の時代を生きる私たち一人ひとりに背負わされていることを忘れてはなりません。

水俣病で失われた全ての生命にご冥福をお祈りするとともに、一人の生き証人として、事実と真実を世の中に伝え続けることを、今日ここにお誓い申し上げ、祈りの言葉といたします。

平成23年5月1日、水俣病患者遺族代表 緒方正実

※聞き違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。



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2011年04月05日

水俣病シンポ発 被災地への支援物資出発しました!

4/3に行われた緊急シンポジウム「震災・原発事故と水俣病」会場で、
南相馬市への支援物資&カンパを集め、現地に向かう方にお渡ししました!

20110403シンポカンパ3.JPG

会場で集まったカンパ約8万円と、支援物資が、4月4日に東京を出発する支援者に渡されました。

支援地に行かれるのは、谷洋一さん(水俣病互助会事務局/NPO法人水俣病協働センター)と、白木喜一郎さん(1979年から92年まで全国を巡演した一人芝居「天の魚」同行人)。

お二人は、4月4日米沢に行き、5日は南相馬市への支援物資輸送をおこないます。あらかじめ、南相馬市からの要請支援物資リストが届いていたので、シンポ参加者には、そのなかから、もちよれる支援物資を会場に持ってきてもらいました。

カンパ物資.JPG

東京の支援者が提供したバンに、集まった支援物資を詰め込みました。

神大震災の際に地元の水俣病支援メンバーと連動して救援活動に当たった谷洋一さんは、今回も生協のつてをたどって米沢市に入り、そこをベースに被災地や、福島原発周辺地区からの避難者の現状を見て来られました。水俣病被害者や市民からの支援物資を、現地に運んだ際に使った、熊本ナンバーのトラックは、水俣病被害者の方が、被災者支援に使ってくれと、貸し出してくださったもの。
今も、東北の被災地を、このトラックが走りまわっているはずです。

谷さんがシンポでいわれた

「水俣病について50年以上たたかってきたことを、きちんとやり続けていくことが(地震・原発震災のためにも)いいのでは、と考えている」

が印象的でした。

今も、水俣病被害者互助会は、チッソ、国、熊本県を相手に、裁判を続けています。
今回、東京電力の責任が問われていますが、チッソが分社化したような道筋をたどる可能性もささやかれています。

だからこそ、チッソや国、県の責任をうやむやにしない、責任の追及をされている谷さんたちの裁判のもつ意味が重要なのだと考えます。

水俣病事件と東電の原発事故、重なる点もあれば、違う点もありますが、原因企業を非難の矢面に立たせ、その影に、国などが雲隠れしてしまう構図が、最近の報道を見て気になります。

佐藤優さんが3月30日の毎日新聞で、

誰かを血祭りにあげるような「いつものやり方」をしていると、
国民益と国家益を毀損にすることにあると危惧しているのだ。


といわれていました。

東電への厳しい視線が向けられるなか、3月31日には、参議院で、
「原子力の平和的利用における協力のための日本国政府とヨルダン・ハシェミット王国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件」
が採択されました。

ヨルダンとの原子力協定案を可決 原発事故後初の国際協定
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011033101000806.html

 参院は31日夕の本会議で、日本からヨルダンに原子力技術を供与するための原子力平和利用協定締結承認案件を、与党などの賛成多数で可決した。協定は参院先議。衆院でも近く可決、承認される。東京電力福島第1原発事故発生後、初の原子力協定承認となる。

 政府、与党は韓国、ベトナム、ロシアとの協定の早期承認も目指している。

 原子力協定は、日本企業が原発関連機材、核物質、原子力技術を他国に供与、移転する際の法的根拠。今回の協定案は、日本とヨルダン双方の原子力利用を平和目的に限定することなどを明記した。

 ヨルダンでは三菱重工業とフランスのアレバの企業連合がロシア、カナダ勢と受注を競っている。ヨルダン側の判断に、福島原発事故が影響する可能性もある。
2011/03/31 18:00 【共同通信】


民主、自民、公明、みんな、国民新、たちあがれ、無所属(糸数議員のぞく)は、賛成。
反対したのは、社民、共産、無所属の糸数議員でした。

参議院の投票結果↓
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/vote/177/177-0331-v013.htm


原発事故で東電たたきが強まって、利するのは誰か。
その背後で国会議員は、どんな法案に賛成しているのか。
注意が必要です。


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2011年03月30日

4/3 シンポ震災・原発事故と水俣病

以下の呼びかけの物資を少しでもお持ちいただける方は、シンポ当日会場にお持ち下さい。
会場で終了後積み込みます。

シンポ終了後、有志が被災地に向けて出発します。
予定では、4月4日米沢に行き、5日は南相馬市への支援物資輸送をおこないます。
南相馬市からの要請支援物資リストが届いています。
車に積める範囲で、現地に運ぶ予定だそうです。

◎特に不足しているもの

・食料品 米(精米済みのもの)、カップラーメン、レトルト食品、缶詰、漬物、副食(お菓子等)、などの日持ちする食料品。

・衣類 新品の衣類及び下着

・日用雑貨

 オムツ(大人用・子ども用)、おしりふき、生理用品、トイレットペーパー、ティシュペーパー、乾電池(各種)

・復旧用資材

 ブルーシート・スコップ・バール・長靴(各サイズ24〜28)・高圧洗浄機・チェーンソー・軍手・ゴム手袋

・家電製品

 洗濯機

◎現在ある程度確保されているもの

 水、寝具(毛布や布団)、古着



4.3 緊急シンポジウム  
震災・原発事故と水俣病

公式確認から5月で55年目を迎える水俣病は、第二次の認定患者救済補償(司法和解・特措法救済)が不知火海沿岸の約5万人を対象に実施されています。しかし、その一方で補償の矢面に立つチッソ株式会社の過度な優遇が進んでおり、4月から、子会社JNCが「水俣病に責任を負わない会社」として営業を始めます。
また、1月には千葉県幕張で水銀条約2013年締結へ向けての政府間交渉会議(INC2)が開かれました。米国オバマ政権による環境政策転換に右ならえで規制推進に転じた日本政府は、条約締結を水俣で行う案を示していますが、水俣病をめぐる政策も、水銀規制の対策も、世界に向かって胸を張れるものとは言い難い状況です。
未認定患者救済・チッソ分社の株売却・水銀条約締結・・・・水俣病は2013年度に大きな「節目」を迎えることになりますが、九州の一地方の問題として風化が懸念される中、現時点の諸問題を、ぜひ首都圏の皆様にお伝えしておきたいと思います。
ところで、焦眉の急は、東日本大震災・津波と、それを機に重大な事故の連鎖が起こった福島原発の問題です。首都圏にある私たちは、被災規模の大きさと深刻さに心を痛めると同時に、計画停電の不便や放射能広域汚染の不安を通じて、否応なく原発事故に巻き込まれています。そんな中で現状をどう捉え、何をすべきか?
「宇井純さんを偲ぶ会」の仲間で、公害や原発の問題に長年取り組んでおられる市民エネルギー研究所の菅井益郎さんに急遽、講演をお願いしました。菅井さんは福島原発の多重な事故と被害を分析し、各所で訴えを続けておられます。
また、阪神大震災の際に地元の水俣病支援メンバーと連動して救援活動に当たった谷洋一さんは、今回も生協のつてをたどって米沢市に入り、そこをベースに被災地や、福島原発周辺地区からの避難者の現状を見て来られました。
お二方のリアルタイムの報告を元に、この未曾有の災害と環境汚染にどう立ち向かうかを、水俣病の教訓や経験が活かされているかの検証も含めて考察します。
当初予定の「水俣病シンポジウム」を急遽二部構成に切り替えての緊急実施です。皆様のご参集を呼びかけます。


日時  4月3日(日)  12時半開場  午後1時―5時  シンポジウム
会場  YMCAアジア青少年センター (在日韓国YMCA) 9階 国際ホール          
(2010年10月以来3回のシンポジウムと同じ会場です)
       東京都 千代田区猿楽町2−5−5(JR水道橋から徒歩5分 JRお茶の水から徒歩7分)   
       http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/hotel/hotelindex.htm    TEL 03―3233―0611                  
参加費  500円  高校生以下無料
                                                                                           
プログラム(敬称略)
●第一部 水俣病の現在 13:00―15:00
上映   分社化を問う2011.3.2チッソ本社交渉       
開会あいさつ                        鷹取 良典(シンポジウム実行委員長)
水俣からの報告 未認定問題の現状              谷 洋一(水俣病被害者互助会事務局)
研究会報告                         細谷 孝(環不知火地域再生研究会/中央大)
報告 水銀条約へ向けた政府間交渉会議/国際NGOの水俣連帯を中心に  安間 武 (化学物質問題市民研究会)

●第二部 震災と原発事故 15:00-17:00
黙祷
講演  福島原発の現状と私たちのなすべきこと    菅井 益郎(市民エネルギー研究所/国学院大)
報告 被災地救援活動で見聞したこと          谷 洋一(同上/NPO法人水俣病協働センター)
質疑・討論   
                                                          
主催  チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会 
   〒101−0063  東京都千代田区神田淡路町1−21−7 静和ビル1A   東京・水俣病を告発する会 気付   
    連絡先FAX 03- 3312-1398 TEL090-3533-4489  メール y-kbt@nifty.com(シンポ実行委事務局 久保田)
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2011年03月17日

水俣病被害者が被災者支援に立ち上がりました!

水俣病被害者互助会などの被害者団体や水俣の市民団体有志が、東日本大震災関連情報の被災地支援に立ち上がりました!

※ツイッターでは、カンパ振込先の口座情報についてはつぶやきません。
RTされる間に、口座番号に間違いが起きることを防ぐためです。

以下、被災地支援に関する情報を転載します!

3月11日午後、東日本を襲った地震、津波の被害、そして福島原発の事故によって、被害はまさに3重苦の様相を呈しています。
私たち水俣では本日、被害者団体や市民団体有志で支援体制作りのための会合を持ちました。1995年1月の阪神大震災の際より協力してきた被災地NGO協働センターや全国の災害支援市民団体と協力し、支援活動を開始します。

1、被災地NGO協働センターからの要請で、2トントラック1台、ハイエースワゴン車1台を提供し、援助物資輸送を始める事。

2、水俣から緊急支援援助物資(食料品、医療品、日用品など)を送るとともに、被災地NGO協働センターがおこなっている新燃岳の噴火被害地域からの野菜を被災地へ輸送する。(3月17日NHKあさいちで放送)

3、現地では山形県米沢の生活クラブ生協をストックヤードとして、援助物資輸送等にあたる。(山形県は地震の被害を一部受けていますが、現在宮城県からの津波被害者や福島県からの原発地域からの被災者を受け入れています。)

4、リサイクルせっけん協会、東北事務局の工房知音がバイオディーゼル製造しており、燃料不足の中でそれを活用させていただく。(日産100リットル)

5、原発の暴発は、50年前の水俣と同様、「ただちに健康被害が生じなかった人たち」にも10年、20年後被害を起こす可能性があり、水俣病の教訓を生かす取り組みを検討する。
などです。

さしより、19日(土)に谷洋一と車両提供者の西純代さんが、神戸まで支援物資を届け、谷はその後、神戸グループと共に現地に向かう予定です。
支援物資調達、輸送費用、現地での活動など資金が必要となります。協力のカンパ等をお願いできれば幸いです。よろしくお願いします。

カンパ振込先(東日本大震災カンパと明記ください)
郵便振替 口座番号 01720-5-49797
加入者名 水俣病被害者互助会
銀行振り込み 金融機関 九州労働金庫 水俣支店
       口座番号 普通 3567604
口座名 水俣病被害者互助会 代表 佐藤英樹


なお、支援に立ち上がられた団体のひとつ、水俣病被害者互助会は、チッソ、国・県を被告に熊本地裁に訴訟をし、現在裁判中です。
報道では「和解」の言葉がよく聞かれますが、被害者互助会は和解することなく、裁判を続けています。原田正純医師が証言されているのは、この裁判です。

裁判については、こちらのブログをご参照ください。
水俣病訴訟を支える会

金曜日_838.jpg
『週刊金曜日』838号に、
チッソ子会社JCNの営業開始/患者団体が責任の所在追及
という記事を書いています。

被害者互助会の西さんらが上京し、チッソの総務部長に4月以降の企業責任の行方について聞きました。
報道で「和解」が報じられる一方で、今もチッソや国、熊本県をあいてにした裁判が行われていることを考えると、チッソや国の別の顔が見えてきます。




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posted by みの at 23:32 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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