2013年11月06日

続・カナダ水俣病 報告交流会 #minamata

以前、9月13日に東京で行われた「先住民の証言 カナダ水俣病報告交流会」の写真速報を掲載しました。
今回は、同交流会の詳細です。

カナダ製紙工場の水銀汚染
カナダ・オンタリオ州を流れるイングリッシュ・ワビグーン川の流域にある先住民族居留地、グラッシー・ナロウズとホワイトドッグ。この二つの居留地の先住民に、感覚障害や視野狭窄などの神経症状が見られることを原田正純医師が確認したのは1975年のことだった(発表は1976年)。

原因は、居留地を流れるワビグーン川水系の約200km上流に位置するリード社の製紙工場(ドライデン市)。

漂白に使う苛性ソーダの触媒に使用した水銀を水系に排出。水銀は環境内で有機化し、食物連鎖により魚介類に蓄積。それを摂取した住民の間に水俣病が発生したという。
しかしカナダ政府は、水銀汚染は認めても、水俣病が発生していることは認めていない。

カナダへ帰国前の東京で
この報告会は、熊本学園大学が熊本・水俣で主催した「環境被害に関する国際フォーラム」に招聘したカナダからの参加者を囲んで、帰途の東京で設けられたものである。

グラッシー・ナロウズからはジュディ・ダ・シルバさんが来日。参加予定だったホワイトドッグからのパメラ・マンダミンさんは、体調不良により急遽帰国、話を聞くことはできなかった。
報告会には約50人が参加した。環境省の水俣病担当の官僚の姿もあった。
 
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日本語通訳つきで報告会

カワウソの水銀値
祈りの言葉をつぶやいてから、ジュディさんはポツリポツリと、話し始めた。
「1997年、カナダ厚生省の医者が私たちに、川に水銀は含まれていないと言いました。最初は信じましたが、知り合いの看護師が、それが真実ならば、どうしてスポーツフィッシングをしにここへ来る人たちには、魚を食べるなと言っているのか、と質問したのを聞いて、これは疑ってかかるべきだと考えました」

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ジュディ・ダ・シルバさん 

ジュディさんたちが独自に行なった調査では、カワウソの肉からは、カナダ厚生省による許容水銀値の40倍が検出された。

「私たちはカワウソは食べませんが、この数値から、どれほど水系が汚染されているかを知りました。水銀の垂れ流しは1970年代に禁止されたのに、未だに水銀値は高いのです」

ジュディさんの食生活は、街で買う牛肉や鶏肉と、森からの鳥や鹿と、川魚の「ピケラル」(カワカマス科の小魚)で成り立っている。ピケラルの水銀値は高いが、ジュディさんは食べ続けるという。

「なぜって、ピケラルは私にとって文化であり、伝統であり、大切な存在だから。この魚を食べることを諦めることより、汚染をなくすことが大事なのでは」
ジュディさんの顔の左半分には感覚がない。身体バランスの崩れ、めまいがあるという。

「認定基準」を輸出した日本
花田昌宣氏(熊本学園大学教授)は、日本の水俣病認定基準が、そのままカナダで使われていると説明した。

「カナダの(生活保障給付の)認定基準には腱反射の低下が入っているが、これは日本の2004関西訴訟最高裁判決で否定された末梢神経損傷説による基準。それがそのまま導入されている。カナダ政府は原田先生の診断書を認めていない。原田先生がいう『差別のあるところに公害が起きる』の典型といっていい」

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花田昌宣さん

ジュディさんたちと共に来日した支援者、ソア・アトキンヘッドさんによれば、原田氏がグラッシー・ナロウズで開いた記者会見では、米国のメイヨクリニックの医者が原田氏の発言は真実でないとコメントをしたという。

「原田医師の信頼をおとすためでしょう。その人は、水銀の専門家ではなく神経科の医者でした」
 
メイヨクリニックはカナダでも知られた有名な病院で、新聞でそこの医師のコメントを読めば、「原田先生のことを知らないふつうの読者は、メイヨクリニックの医者の発言が正しいと受取ってしまう」とジュディさんはいう。

参加者からの質問
Q 苛性ソーダは現在も使われているのか。
ジュディ:1970年頃、触媒に水銀を使うのをやめている。今は別の有害な代用品が使われている。

Q (水俣病として)認定されているのは何人?補償金は誰が払っているのか?
ジュディ:水俣病認定はゼロ。リード社がコミュニティ全体に対して補償金600万ドルを払った。現在リード者は買収されて、別の会社が運営している。

花田:1986年に会社と州政府、国で「水銀障害委員会」を設立。水俣病に似た症状がある人に、毎月250〜800ドルが払われている。償いの金ではなく、生活保障(福祉)としての支給で、グラッシー・ナロウズで約150人、ホワイトドッグで約100人が受給している。

Q カナダ国民の意識は?
ソア:水銀のみならず、化学物質に環境が汚染され苦しんでいる先住民は多数いる。環境問題に人種差別があることをカナダ国民は認めていない。これを認めさせるのは難しい。よって、補償を勝ち取るのは夢の夢だ。
政府は2005年、イングリッシュ・ワビグーン水系で商業目的で獲った魚(3000ポンド)を、水銀値が高いと全廃棄させた。なのに、ジュディたちの身に起きている健康被害は認めない。ダブルスタンダード以外のなにものでもない。

Q 住民の症状は「ケネディ病」と診断されることがあるというが、水銀中毒症として認識されているのか。
ジュディ:ケネディ病と診断した人物は同時に、この患者はアルツハイマーだとか、痴呆症、多発性硬化症じゃないかというが、決して、水銀中毒とは言わない。

ピーター・カウチスキ(マニトバ大学教授):政府は水俣病の発生を認めていないので、医者の診察には水俣病かどうかのテストはない。医者はこの地域にほとんど診察に行かないし、まれに行く医者がいても、水俣病を知らない医者だ。
メディアが報道していた時期もあったが、現在は終わった問題扱いだ。

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カウチスキさん

終わりに
花田氏は、急遽帰国されたパメラさんが原田氏を最初にホワイトドッグに受け入れてくれたチーフの娘であること。また、ジュディさんの父親は、水銀問題にとりくんできた偉大なチーフであることが紹介し、「(カナダの水俣病も)二代目の闘いかな」と話した。

集会主催団体の東京告発の久保田好生氏が「初めてカナダの被害民が最初に東京・新潟・水俣を訪問してから38年が経つが、未だに日本もカナダも水俣病が解決しておらず心が痛む。しかし、何度も繰り返されてきたあいまいな決着で終わらせず、運動を継続してきた素晴らしい面を水俣の患者さんやカナダの皆さんから教えてもらった」と閉会の挨拶をし、水銀の入っていない寿司(食品サンプルのマグネット文具)をジュディさんたちにプレゼントした。

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・・・・・・・・・・・
以上、『季刊水俣支援』67号に書いた原稿を転載。

原稿を書きながら感じたのは、カナダ水俣病について語るときは、カナダ政府がいうところの「認定基準」については、必ず、“生活保障の受給者認定”のことであり、水俣病認定とは無関係であることを、明確にするべきだということ。

ジュディさんは「認定患者」だが、その意味するところは、認定され、毎月、生活保障をもらっているということで、水俣病認定患者とは無関係。

日本では、 認定=水俣病患者 を意味するが、
カナダでは 認定=生活保障受給者。
カナダ政府は、カナダに水俣病患者がいることを認めていない。

↓ この本の第七章に「カナダ先住民の水俣病と受難の社会史」あり!


ドキュメンタリー映画「カナダ水俣病と先住民」
英語版です。you tubeに、続きがアップされています。


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2013年09月14日

カナダ水俣病 報告交流会 #minamata

9月13日、東京で行われた
「先住民の証言 カナダ水俣病報告交流会」の写真速報です。
(報告集会ルポはこちら 続・カナダ水俣病交流集会

カナダ・オンタリオ州を流れるイングリッシュ・ワビグーン水系流域にある先住民族居留地の一つ、グラッシー・ナローズとホワイトドッグ。
この川の上流にあるパルプ工場(ドライデン市)から排出された水銀によって、住民の間に水俣病が発生したという。
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ジュディ・ダ・シルバ氏(グラッシー・ナロウズ居留地生まれ・在住)
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ピーター・カウチスキ氏(マニトバ大学教授)
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花田正宣氏(熊本学園大学教授)
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イングリッシュ・ワビグーン水系流域に点在する、先住民居留地
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大規模水力発電に反対する人々。
日本のように高低さがない大地にダムを建設することで、地中の水銀が水に入り込むとのこと。
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約50人ほどが参加。噂では、環境省の水俣病担当の官僚も参加していたと聞く。
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主催団体の「東京・水俣病を告発する会」の久保田氏からお土産贈呈。
水銀の入っていない寿司のマグネット。
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集会チラシ
カナダ水俣病.JPG


会場で販売されていた書籍の一つ
書籍の画像がありません・・・


この本の第七章「カナダ先住民の水俣病と受難の社会史」に、
集会で講演されたジュディさんについて書かれています。

このなかに2011年にジュディさんたちが来日された際、熊本県の阿蘇を訪問された時のエピソードがありました。一部抜粋します。

いつもは、噴火活動が続いているので山上まで登れないか、登れたとしても霧が強くて噴火口が見えるのは稀なのだが、この日は彼らと噴火口までたどり着いたとたん、それまで深い霧がかかっていたのだが、一瞬嘘のように晴れ、コバルト色の火口湖が見えることができた。奇跡的だねと話しているそばで、ジュディ・ダ・シルバが山上の風に向かって大きく両腕を広げていた。何をしているのかと尋ねたところ、
「私たちは飛行機で来たので早く着きすぎてしまい、魂がついてこれなかった。今その魂が風に乗って追いついてきたので全身で受け止めているところだ」という。横に立って、同じように風邪を受けてみると何か感じるような気がしたのも不思議な感覚だった。


これを読んで、故杉本栄子さん(水俣病患者)のことを思い出しました。
九州新幹線に乗っていた栄子さんは、新幹線が水俣の山のなかを通過する際、静かに手を合わせて、山の神様たちに祈りを捧げたそうです。

集会の話に戻って、ジュディさんはお話を始める前、祈りの言葉をつぶやかれていました。

・・・・・・・・
以上、速報でした。
日本政府の水俣病事件への対応が、そのままカナダ政府に引き継がれていることなど、
報告すべきことは他にもたくさんあるのですが。(後日、別途ご報告できればと思いつつ
多忙な日々…)(おかげさまです)
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2013年07月06日

小柴一良さんの写真集『水俣よ サヨウナラ、コンニチワ』

写真集、一足先に拝見させていただきました。
光と影の繊細さが、ジワジワと迫ってきます。

小柴さん写真集チラシ.jpg

小柴さん写真集チラシ裏.jpg

水俣1974-2013 水俣よサヨウナラ、コンニチワ

表紙の「水俣」の書は、鬼塚勇治さん。
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2013年04月28日

『水俣病と労働者』石田博文さん

チッソ第一組合は(会社の方針に従う第二組合とは別の組合)1968年8月30日、
水俣病発生企業の労働者として
「何もしなかったことを恥とし、水俣病と闘う」という有名な「恥宣言」を採択しました。
この「恥宣言」を大会で読み上げた石田博文さんが、本を出版されました。

水俣病と労働者.jpg

注文方法 
このチラシスキャン画像の一番下に書いてあります。
水俣病と労働者1.jpg

本のタイトル『水俣病と労働者 ―−チッソ水俣の労働者は水俣病とどう向き合ったのか―ー』とありますが、私の印象では、「水俣病と労働者」というより、「チッソ水俣工場と労働者」のほうが、しっくりきます。

この本を読んでわかるのは、チッソに15歳で就職した当時の石田少年が、チッソの身分制度、人事制度に直面し、組合活動に本腰を入れるようになっていった過程です。

チッソの労働者への締め付けが厳しくなるなか、会社に対する疑問は増していく。
そして、水俣病発生企業の労働者としての「恥宣言」や、水俣病裁判におけるチッソ労働者としての(被害者側の)証言といった行動につながっていくのです。

裁判で証言をする際のお気持ちを、石田さんはこう記されています。

裁判での証言は、(略)自分の証言が患者さんたちのためになるなら、私が証言することが役に立つのなら、という思いとうしろに労働組合がついている、という安心感があったからと言える。


組合員(なかま)の存在が、石田さんを後押し、精神的な支柱にもなっていたのです。


1946年、日本チッソ水俣工場労働組合が結成。
当時の管理職や熟練労働者たちを中心に組織された組合は、
(戦後の)レッドパージへの対応をめぐって一時分裂状態に。

1951年、再編成を経て、合化労連に加盟。新日窒水俣労組として再出発。

1953年、身分制撤廃争議により、不十分ながらも、全従業員を社員にするという成果を勝ち取る。

1956年、水俣病が公式発見された年。

1962年、会社側は春闘回答で、同一業種並みの賃金を保証する代わりに組合は争議を行わないという「安定賃金」を提案。
組合はこれに対して、長期にわたる闘争を決行。合化労連などの全国的な支援体制を得て、大規模な争議に。

この争議のなかで、チッソ内に「第二組合」がつくられ、組合の分裂が進められた。争議解決においても、会社側の主張を大幅にのまされる結果に。

しかし争議直後、新日窒労組は多数はで、強固な組織を維持。
会社は、賃金差別・不当配転など、非人道的な扱いをすることで、組合の切り崩しを行う。

会社との10年戦争に。しかし、組合員は持ちこたえ、会社の切り崩し策は失敗に。

1968年、水俣市民による水俣病市民会議が結成。組合人のなかにも、これに参加する者がいた。

同年8月30日の組合定期大会で、公害発生企業の労働者として「何もしなかったことを恥とし、水俣病と闘う」という有名な「恥宣言」を採択。水俣病患者支援を打ち出した。

患者・家族が起こした水俣病訴訟においては、組合員が訴訟活動の中心になり、また法廷での組合員の証言によって、人間性無視のチッソの企業体質、安全性無視の工場運転実態などが明らかになり、裁判勝利の大きな原動力に。

こうした活動は、公害の原因企業の労働組合としては、きわめて稀有な活動だった。

会社は1962年に起こった安定賃金争議以降、従業員の新規採用に際して、第二組合系の人しか採用しない方針をとったため、第一組合の新規加入はなくなり、退職者数の増加とともに組合員数が減少していった。

2004年、3月に(第一組合)解散大会を開催。
2005年、3月30日、最後の組合員2名の退職をもって、59年の歴史に幕を閉じた。

(「新日本窒素労働組合60年の軌跡」より抜粋&一部加筆)



第二組合系の人しか採用しない方針により、第一組合の人数は増えることなく減るだけ。
2005年に最後の組合員二人が退職すると、第一組合に所属する労働者は誰もいなくなり、
59年にわたる第一組合の歴史に幕は下ろされました。

チッソ第一組合が計画的に消滅させられたように、同じことを水俣病の患者・被害者にもしてはいないかと考えてしまいました。
水俣病の患者・被害者が亡くなるを待っているかのように、一向に進まない水俣病行政とチッソによる補償。
行政認定された「認定患者」が、チッソから補償を拒否されている事実。
高齢の患者が亡くなるのを、じっと待っているとは思いたくないですけど。

70代の石田さんが本に込めた思いは、第一組合が貫いたものを、次の世代に語り継いでほしいということと、チッソの第二組合への檄文だと感じました。
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2013年04月21日

「人間が素直だから、こういう字を書くんですよ」溝口秋生さん

溝口秋生さん、水俣病訴訟 最高裁で勝訴後、
初の書道教室を、「ほっとはうす」で行いました。

東京で記者の取材を受ける溝口さんの口から、何度、ほっとはうすで書道を教えている話を聞いたことでしょう。胎児性水俣病患者たちが通う通所施設「ほっとはうす」で溝口さんは、ここ10年、書道を教えていらっしゃるのです。

20130416溝口秋生さん.JPG

書道教室が始まる前には、ちょっとしたパーティも行われました。
詳しくは、ほっとはうすのブログ でどうぞ。
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2013年04月11日

#最高裁 に要請文を提出 水俣病裁判 筋の通った判決を #minamata

「水俣病について筋の通った最高裁判決を」という要請文が10日、最高裁に提出されました。
提出したのは、チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会と東京・水俣病を告発する会。

代表として細谷孝氏(中央大学講師)が要請文を提出。最高裁の訴廷上席書記官・若梅順一氏と訴廷首席書記官補佐・岩崎俊弥氏が対応しました。

最高裁.JPG

要請文の宛名は、第三章法廷所属の5人の裁判官と、担当調査官宛。
彼らが16日に判決がくだされる二つの水俣病裁判を担当しています。

二つの裁判とは、溝口訴訟とFさん訴訟のこと。

溝口訴訟は、水俣で検診未了のまま死亡した母・溝口チエさんの水俣病認定を求める訴訟。
原告は息子の溝口秋生さん。81歳。
熊本県はチエさんの水俣病認定審査を21年間放置し、集めるべきカルテを集めずにチエさんを棄却処分しました。チエさんは水俣病だと認めさせる裁判です。

Fさん訴訟は、関西訴訟&最高裁で水俣病と認められたのに、熊本県認定審査会では水俣病でないとされたFさんの水俣病認定を求める訴訟。原告のFさんは3月3日、87歳で亡くなられ、ご遺族が原告となり、裁判を継承されることになりました。

要請文では、過去における最高裁の判決が、水俣病における行政の過ちを正してきたことにふれ、
4月16日の判決においても、歴史の審判に堪え得る判決を期待するというもの。

作家の石牟礼道子さんら410人が要請文に賛同者として名を連ねています。

要請文のほかに、水俣病裁判で、環境省から「国に都合のよい証言」をしてほしいと要請された医師の証言映像をおさめたニュース番組の記録と、
この間の水俣病裁判に関する地方新聞の記事のコピーも手渡しました。


国から「都合のよい証言」依頼された 水俣病 医... 投稿者 tvpickup

このニュースを見るまでもなく、最高裁は、佐藤医師が最高裁にあてた意見書を読んでいるはずですから、大阪高裁判決(原告のFさんは水俣病ではないという内容)は、環境省が恣意的に用意し高裁に提出した医師の意見書によって、導かれた判決である可能性を否定できないでしょう。

また、原告のFさんは、2004年のチッソ水俣病関西訴訟最高裁判決の勝訴原告です。最高裁に水俣病と認められているFさんを、下級審の大阪高裁が後に、水俣病でないとしたのです。つまり、最高裁の判決を否定したといってもいいかもしれません。
このことを最高裁は、どうお考えなのでしょうか。

要請 水俣病について、筋の通った最高裁判決を  

最高裁判所第三小法廷 御中   
裁判長 寺田逸郎 様  裁判官 田原睦夫 様  裁判官 岡部喜代子 様
裁判官 大谷剛彦 様  裁判官 大橋正春 様  担当調査官 林俊之 様


 水俣病未認定患者Fさんと溝口さんの上告審について訴えます。

 チッソ水俣病関西訴訟における2004最高裁判決は「チッソのみならず国・熊本県行政にも水俣病発生・拡大の責任があること」「健康被害の基底は中枢神経損傷によること」の2点において2001大阪高裁判決を確定させ、水俣病の定義を塗り替えました。その判決以降、不知火海沿岸に潜在する未認定患者の申請が6万数千人に及びました。被害を申し出ることを躊躇していた住民の背中を判決が押した形です。9年前の見識に改めて敬意を表します。

 今回訴訟のFさんは関西訴訟の勝訴原告です。その最高裁判決と整合しない棄却処分や2012大阪高裁判決を放置・追認するなら、最高裁の水俣病観が医学的にも法解釈的にも根底から問われます。また、遺族の秋生さん提訴の溝口訴訟においては、行政が意図的に病院カルテ調査を放棄した故・母チエさんについて、2012福岡高裁は疫学的条件を重視し詳細な鑑別を行なって水俣病と判示しました。この判決を否定して別な結論があり得るでしょうか。そして、それぞれ高齢の患者や遺族に、これ以上の長期訴訟を強いることは人道上も容認できず*、迅速・広範な救済という立法趣旨にも反します。Fさんと故・溝口チエさんが医学的にも法的にも水俣病であるとの認定義務付けを、最高裁の責任において速やかに判示されるよう、強く要請する次第です。

 昭和52・1977水俣病判断条件の症候組み合わせ論と「末梢神経損傷説」に基づく運用が医学的にも誤りであることは明らかです。これが法の目的・趣旨に照らして妥当などという判示が万一あれば、1973年以来地裁高裁で確定した幾多の水俣病判決をも含め、司法の功績は烏有に帰してしまいます。

 関西訴訟や1980川本輝夫さん刑事訴訟の公訴棄却におけるように、水俣病における行政の誤謬を正した最高裁の判決・決定は歴史を画します。2004最高裁判決の意義内容をふまえぬ水俣病政策の誤りを断ち、歴史の審判に堪え得る判決を出されるよう、強く求めます。
 以上、貴所に要請するとともに、同時にこれを声明として世に広く伝えます。

2013年4月10日

*Fさんは賛同呼びかけ中の3月3日、87歳で亡くなられ、ご家族が訴訟を継承されました。心からご冥福をお祈りします。

※要請文は、cuatro-gatosのサイトから転載。
同サイトには、賛同者の名前も掲載されています。サイトには賛同者406名とありますが、要請文提出直前に確認したところ410名とのことです。

なお、最高裁弁論が開かれた3月15日の段階で、331人分の賛同名とともに要請文を提出しています。
今回の提出は、これに賛同者名を追加したものの提出です。
そのときの写真はこちら。
最高裁jpg.jpg
最高裁の東門での受け渡しでした。(4月10日の要請文提出は会議室で行われました)
このあと弁論が開かれましたので、報道関係者もたくさんいらっしゃいましたし、要請文提出の記事も何本がネット上で確認できます。
posted by みの at 00:39 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月29日

大学生が新潟水俣病の患者支援に!

新潟市で開催された「新潟水俣病患者のボランティア支援について考えるフォーラム」に行ってきました。

主催は、新潟医療福祉大学
新潟医療福祉大学では新年度から、水俣病患者を支援する学生ボランティアの育成をはじめるそうです。
通院や買い物の付き添いボランティアなどを学生がするとのこと。

「やっと地元の大学が動いた」という安田患者の会事務局の旗野秀人さんの一言。
「やっと」という一言、深いです。

20130327新潟フォーラム.JPG



新潟医療福祉大学では2月、何人かの大学生が水俣でフィールドワークを行ってきました。
参加した大学生のうち、お二人が、フォーラムで感想を話しました。

大学3年生の堀井夢摘さんは、新潟で行った患者さんたちへの足湯提供の機会などを通じて、
水俣病の健康被害が外から見ているだけではわかりにくいこと。
しかし、被害が見えないだけで、「日々つらいことを知った」と話しました。

同じく3年生の木村駿介さんは、水俣訪問時、熊本学園大が開催している原田正純さんの追悼展示を見て、「チッソ従業員にも患者がいたことに戸惑いを感じた」と話しました。
原因企業のチッソで働いていた人のなかにも、被害をうけた人がいる。
水俣病のことをよく知る人は、当たり前のことだろうと思うかもしれませんが、初めて水俣を訪問して感じたフレッシュな感想は、何年も水俣に通うようになった私のような者にとって、忘れていた当初の気持ち、水俣病をよく知らない人はどう感じるのか、どう考えているのか、といった視点を教えてくれます。

新潟水俣病被害者の会・会長の小武節子さんは、大学生が患者支援にふみだすことについて
「こういう機会をもうけてくれただけで、これからも生きる力になる。感謝しています」
「ボランティアをとおして、なぜ水俣病は解決しないのか、考えてほしい」
と発言されました。

そこに安田患者の会事務局・旗野秀人さんの愛情たっぷりの辛口発言が入りました。

感謝してくれる患者さんばかりではない。
自分が水俣病患者だということを隠している人もいる。
当たり前だけど、患者はふつうの人たち。いろんな人がいる。
ボランティアの押し売りもある。放っておいてほしい、という人もいるだろうと。

会場からのご発言でも、こういうのがありました。
患者は全ての世代にいる。そのなかでも働いている世代は、多分、患者であることを名乗り出ないだろう。
となると、名乗り出れないことが本人にとっては苦痛になっている。
そういう人がいることを知ったうえで、ボランティアを展開してほしいと。

現場をよく知る方からの発言は、新潟医療福祉大学が今後展開していくボランティア活動を、より現実的なステージに引き上げる、貴重な助言です。
会場から数多くの発言があがったのも、新潟医療福祉大学の試みへの期待のあらわれでしょう。

そして、一歩間違えると、フォーラム自体が「賞賛の嵐」になってしまうところを、
こうした意見が飛び交ったことで、より実りある、リアルな議論の場にすることができたと思いました。


大学生のような「若い」人たちが、動き出すということに、期待せずにいられません。
若い人は、大人にはない力を秘めているからです。
直接会場で、堀井さんや木村さんにお伝えできませんでしたが、若いということは、それだけで特別なこと。そのことに気づくのは年をとってから・・・なのです。

以前、こんな話を聞きました。
水俣の山のほうにある村に、大学生のグループが村を見に来ました。
村のおばちゃんたちは、若い人が村に来てくれたことに大喜び。
そんななか、大学生から水俣病についても知りたいといわれて、これまで水俣に住んでいながら、水俣病のことに関心のなかったおばちゃんたちは、「わたしらも水俣病について勉強しなくちゃ」と考えるようになったそうです。

若者マジック!?

若者の言動が、予期せぬ展開につながるかもしれません。

会場を埋めた60人ほどの参加者のなかには、新潟医療福祉大学の学生も10人ほどいらしていたと、丸田秋男副学長が話しました。フォーラムに参加しても授業の単位になるわけではないとこのこと。それでも、会場に足を運んだ人には、ズシリと体感するものがあったはずです。
私はこういう「体感」を、大事にしたいと思っています。

そのうちのお一人、水俣でフィールドワークに参加した大学3年生の方は、水俣の患者さんの言葉がなかなか理解できなかったが、心で聞くことを知ったと述べられました。

この話は、基調講演で、ほっとはうすの加藤タケ子さんが話されたことに通じます。
加藤さんは「次世代を担う学生への期待」として、水俣にある患者の通所施設「ほっとはうす」のメンバーについて話ました。
言語障害のある金子雄二さんの言葉は、初めて聞く人にとっては、理解するのが難しいのです。
話を聞きにきた小学生も、最初は戸惑います。
そして加藤さんは、金子さんが発する一言の重み。その声を、心で聞いてみてくださいといいます。
大人なら「まさか、心で聞くなんて」と、冷めた態度で受け取ってしまうところ、子どもたちは、金子さんの二回目の発言には、さっきとは全く違う気持ちで向き合うのです。
その姿を後ろから見ていた大人のなかには、「子どもたちの背中が違ってみえた」という人もいました。
私は、患者さんの語りを前にした子どもたちの姿を見るうちに、自分も含めた大人が失ってしまった感性・感覚といったものに気づかされました。
そして人と人のつながりのあり方について、考えさせられました。

社会福祉法人でもある ほっとはうす。施設長の加藤さんは
新潟医療福祉大学の大学生たちに向けて、
「社会福祉に関わる人材が、新潟水俣病に関わることはすごいことです」と、エールを送りました。

患者さんの話を心で聞くことができたら、
ぐっと、患者さんとの距離は近くなるでしょう。
その人たちが、社会福祉の視点を持ち合わせていたら、
何が見えてくるのでしょう。
何が始まるのでしょう。
これからが楽しみです。

胸にジーンとくるものを残してくれた新潟医療福祉大のフォーラムでした。
そんな思いに浸っていた私に、会場で声をかけてくださった方が、
「今年のフォーラムは、感動しました」
といわれてました。
私が感じたものと、似たようなものを感じている人が、ここにもいらっしゃいました。

フォーラムでは、新潟県がやっている「新潟水俣病関連情報発信事業」
「新潟水俣病地域福祉推進条例」についての説明はありませんでしたが、
こうした事業の積み重ねが、大学を動かす原動力の一つになっていることでしょう。

暖かい気持ちで会場を後にしました。

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水俣病裁判 最高裁判決 2013年4月16日!
溝口さん(水俣病認定)棄却取消・義務付け行政訴訟のホームページ
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2013年01月04日

音声ガイドで #映画 『水俣 患者さんとその世界』 #minamata

明日に迫りました。


水俣病:視覚障害者に伝える 市民団体が音声ガイド付き映画上映会
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20121230ddlk14100119000c.html

 水俣病を世界に知らせたドキュメンタリー映画「水俣 患者さんとその世界」(71年製作、2時間47分、土本典昭監督)の音声ガイド付き上映会が来年1月5日、相模原市南区の小田急相模原駅ビル4階おださがプラザで開かれる。「『水俣』を子どもたちに伝えるネットワーク」(田嶋いづみ代表)らが「視覚障害者が同じ情報と思いを共有できるように」とガイドの台本を作成した。【高橋和夫】(毎日新聞 2012年12月30日 地方版より)



「『水俣』を子どもたちに伝えるネットワーク」の田嶋いづみさんが、
音声ガイドをつけた『水俣 患者さんとその世界』について、つぶやかれています。
以下のサイトにご発言、まとめています。



http://togetter.com/li/433786

「言ってみれば、視覚障害者は音声ガイドの助けを借りて心のスクリーンで見る。心のスクリーンに映るものを見逃すことはない。目の見えるものは、たくさんのものを見逃す。それは、心の隙間とつながっていて、見るということがどんなことか教えてくれる。体験してみませんか?」(田嶋さん)

◇  ◇  ◇

詳細は、以下のサイトでご確認ください。

毎日新聞の記事 
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20121230ddlk14100119000c.html

伝えるネットねこレポート(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/tutaerunettoneko
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2012年12月30日

胎児性患者の近況 シンポ「水俣病は終われない」E #minamata

胎児性患者の近況 by ほっとはうす施設長 加藤さんタケ子さん 

「『水俣病は終われない』ということについては、深く同感です」と話をはじめた加藤タケ子さんは、胎児性・小児性水俣病患者が通う社会福祉法人ほっとはうすを運営している。

日々、患者さんと接するなか、彼らの身体機能がますます低下していることは間違いないという。
全国から訪問客の絶えないほっとはうすだが、一年ぶりに患者さんと再会した人は口々に、
「(みんな)元気はあるんだけど、体がきつそう」という感想をもつという。

認定患者のなかには、ランク変更(補償のランクを変更する手続き)をしている人もいるが、希望通り、変更が認められているわけではないようだ。

また、水俣病に関する情報が届いていない地域も多く、受けられる支援があっても、その存在を知らずに過ごしてきた人が少なくないという。

このようななか、熊本県が動き出し、患者さんのお宅を訪問し始めた。
そこで紹介されて、ほっとはうすに通うようになった胎児性患者の方が数人、今年は増えたそうだ。

加藤さんはいう。

「この人たちの話を聞いてみると、これまでずっと、水俣病のことは話さないできたというのです。若いころは隠しながら、どうにか生きていくことができたのだけど、この世代になると、胎児性(患者)が50代ですから、兄弟は同じような年齢を超え、両親は亡くなっているか、(子どもの)介護をするのがきつい世代。経済的にもきつくなっていく。そういう方々なんですね」

「障がい者手帳をもたない場合は、厳しい生活だと思います。幸い、みかん山をもっていたりして、どうにかやってきた方々。新たな課題が続出している現状があります」

「特に、認定された患者さんについては、補償金で償いは済んだといわれがちですが、社会のなかで、この方たちがふつうに暮らしていくには、社会福祉システムが欠落している。この部分も含めて、水俣病の責任だと思います」

後半は、ほっとはうすの若いスタッフが選んだという日々の活動スナップ写真の紹介。
写真に写っている人からは、許可をもらっていることを説明し、岩坂すえこさんという患者さんの写真をスクリーンに写した。

s-R0125651.jpg

「かつて、土本憲昭監督が(彼女のことを)撮影し、お母さんに撮ったということで怒られたという、あの、岩坂すえこさんです。ご両親は亡くなり、お姉さん二人と、ご兄弟3人で…。明水園からほっとはうすに通うようになりました。お姉さんたちは、すえこが希望するところには、どこにでもだしてほしいといわれています」

もう一人、同じく明水園からほっとはうすに通うようになった女島出身の福浦さんについても紹介。
明水園で約10年過ごし、今年9月から土曜日だけ、ほっとはうすに顔をだすようになったとのこと。
同じ明水園で暮らしている鬼塚勇治さんや半永一光さんが、週に何回かほっとはうすに通い、そのうちの一回は、レスパイト(短期の宿泊)を利用している姿をみて、自分もやってみたいと考えるようになったそうだ。

年末には、毎年恒例のほっとはうす主催(今年は、松永幸一郎さんが幹事)の忘年会がある。
今年の忘年会は、福浦さんにとって、“人生で初めての”忘年会になるとのこと。

私はまだお会いしたことはないが、50代の患者さんだとしたら、この年で迎える初めての忘年会とは…。少し考えただけで、福浦さんのこれまでの人生が目に浮かぶ。
そして、ほっとはうすと出会えたことを、とても嬉しく思う。

なお、忘年会を楽しみにしているのは、福浦さんだけではない。
岩坂すえこさんも、心待ちにしている一人だ。
彼女は忘年会に備えて、髪をカラーリングして、パーマをかけるのだとか。

加藤さんからこのような話を聞いて、患者さんにとって、忘年会は一大イベントなのだと実感した。
忘年会が終われば、クリスマス会が(ほっとはうすでは、忘年会が先)、新年になれば、新年会、成人を祝う集いが続く。

たくさんの出会いと笑顔が生まれるますように。

シリーズ “シンポ「水俣病は終われない」”
坂本龍虹さん「水俣病に学び伝えたいこと」シンポ「水俣病は終われない」より@
おしたようこさん「我が家の水俣病事件」シンポ「水俣病は終われない」よりA
溝口訴訟 最高裁の現在 シンポ「水俣病は終われない」よりB
特措法締め切り後の現地状況 シンポ「水俣病は終われない」よりC
「水俣条約」が水俣の教訓を反映していない!?シンポ「水俣病は終われない」よりD
胎児性患者の近況 シンポ「水俣病は終われない」E
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「水俣条約」が水俣の教訓を反映していない!? #minamata

水銀の使用を規制する国際的な条約づくりが進むなか、
日本政府は、条約を「水俣条約」と呼び、条約の調印を水俣で行うことを希望しています。
ところが、このままだと、「水俣条約」なるものは、水俣の教訓を反映していない条約になってしまう可能性があります。

一体、どういうことなのでしょう。

被害者も「水俣条約」反対 内容に具体策明記求める
2012年12月28日 00:12 西日本新聞朝刊

 来年秋に熊本県で締結予定の水銀汚染防止条約について、水俣病被害者互助会など被害者4団体や市民グループが27日「条約案に水俣の教訓が生かされていない」として、名称を「水俣条約」とする環境省提案に反対する共同声明を発表した。

 条約は来年1月にスイスで開かれる国連環境計画(UNEP)の政府間交渉委員会会合で各国が内容について合意、同10月に熊本で正式採択される予定。環境省は「水俣の経験を世界に発信したい」との立場から条約名を「水俣条約」とするよう提案している。

 これに対し声明は、条約案は水銀の排出規制に向けた努力目標にとどまり、汚染が現実化した場合の具体的対応策が明記されていないと指摘。条約案に「汚染地域への責任と修復、被害者への補償を汚染者に求める」−など4項目を明記するよう要求。「内容が変更されない限り、命名に同意できない」としている。

 声明はこの日、宮本勝彬・水俣市長に手渡されたほか、関係省庁にメールや文書で送られた。

 「水俣条約」の命名をめぐっては水俣市議会も「風評被害が永遠に続く」として19日に反対の意見書を可決している。

 環境省環境保健部は「途上国を含め多くの国が参加することで、実効性のある条約となるよう交渉に努める」としている。


この記事にあるように、被害者4団体や市民グループが、「水俣条約」とすることに反対する声明文を出しています。

この声明文は、宮本勝彬・水俣市長に加え、
安倍晋三・内閣総理大臣
岸田文雄・外務大臣
茂木敏充・経済産業大臣
石原伸晃・環境大臣
蒲島郁夫・熊本県知事
にも送られました。

声明文では、水銀条約の最終交渉会議で議論される“汚染サイト”に関する条約部分に、
「水俣の教訓」が反映されていないとし、以下の点を条約に含むべきとしています。

 1:汚染サイト(汚染された土地・場所)への責任と修復を汚染者に求めること
 2:全ての被害者への責任と補償を汚染者に求めること
 3:国と汚染者に被害の全貌解明のための徹底的で透明性のある調査を求めること
 4:被害に関連する情報をすべて開示すること

水俣病の全容解明はなされていません。国は水俣・近隣地域の調査を拒んでいます。
被害者の救済は道半ば。環境省も「救済策」では水俣病は終わらないと発言しています。
水俣湾には150万㎥にも及ぶ水銀ヘドロが、工事着工以来30年以上、未処理で暫定的に埋め立てられたまま。
チッソの八幡残渣プールも未処理です。

このように、何一つ終わっていないし、終わる見通しも立っていないのです。

「水俣条約」とすることについて、被害者団体は、「水俣病被害者の尊厳を冒涜するものであり、水銀条約の権威を損なうことになる」と考えています。

本来なら、「水俣の教訓」を尊重し、水銀条約に反映させることこそが、
水俣病を経験した日本政府の責務であるはずです。
それがなされないまま、条約名に「水俣」とつけることは、同意できないということなのです。

水銀条約の内容については、これまで何回かの国際会議で議論されてきました。
2013年1月にスイスのジュネーブで行われる5回目の会議で、最終的な内容が決定するとのこと。

内容に問題のある現在の水銀条約について危機感をもつ国際的なNGOネットワーク(IPEN)は、
水銀条約について交渉する各国の代表者に、提案書を送っています。

現在協議されている水銀条約の内容のままでは、人の健康と環境は守れないこと。
よって、日本政府が提案している「水俣条約」という名前に値しないこと。
したがって、条約には他の名前を選ぶべきだ、という内容です。

最終交渉の場は来月に迫っています。

参考:水銀問題への国際的取り組み(化学物質問題市民研究会)

※12月8日に東京で行われたシンポで、化学物質問題市民研究会の安間武さんが、「水銀条約の問題点」について報告されています。本ブログ後半の、IPENの提案については、シンポでご紹介いただいた内容です。
よって、今回のブログ記事は、シリーズでご紹介している、“シンポ「水俣病は終われない」より”の第5弾
と位置づけておきます。

INC2会議風景s.JPG
政府間交渉委員会の第二回(INC2)の様子

24日のNGO発言s.JPG
政府間交渉委員会の第二回(INC2)本会議で発言する坂本しのぶさん
「日本政府はまず、国内の水俣病問題とむきあうべき」
「本質的な水俣病の解決がされないかぎり、条約名に水俣の名を使うべきでない」とアピール。
会場に現れた松本龍環境大臣(当時)と近藤昭一環境副大臣(当時)に、アピール文を手渡しました。


●水銀条約に関する過去の記事●
2011年09月21日 振り返り)国際的な水銀規制条約制定の動き
2011年01月27日 世界のNGOが水俣病被害者の思いに賛同

●シリーズ “シンポ「水俣病は終われない」”●
坂本龍虹さん シンポ「水俣病は終われない」より@
おしたようこさん シンポ「水俣病は終われない」よりA
溝口訴訟 最高裁の現在 シンポ「水俣病は終われない」よりB
特措法締め切り後の現地状況 シンポ「水俣病は終われない」よりC
「水俣条約」が水俣の教訓を反映していない!?シンポ「水俣病は終われない」よりD
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2012年12月24日

特措法締め切り後の現地状況 シンポ「水俣病は終われない」よりC #minamata

谷洋一さん(水俣病被害者互助会事務局)による特措法締め切り後の現地状況
水俣病は終われない.jpg

申請者6万人越えをどう見るか
「不知火海沿岸地域に約20万人が住んでいると考えても、3分1弱にすぎない。
不知火海の魚が流通していた範囲で考えれば、200万人はくだらない。
この200万人のなかには、症状がはっきりしている人もいれば、まだ自覚がない人もいる」

自分の健康状態はふつうだと思っていた人が検診を受けて、初めて自分に水俣病の症状があることを知ったという話しはよくあるという。

70年代に水俣入りした谷さんは、40数年来、数千人の被害者の話をきき、認定申請や行政への申し立てをしてきた。

だからこそ谷さんには、

「6万人を超える申請者のそれぞれに人生があり、悲しみ、苦しみがあるということ。それらを隠しながら、やむをえず申請できなかった人がいること。こういう状況のなかで、水俣病が進行しているということを理解してほしい」
という。

谷さんが水俣に通い始めた70年。認定患者は121名だった。
鹿児島の出水で訴訟家族の手伝いをしながら、「あそこのおじいちゃんは、寝たきりだから水俣病かもしれない」「あそこのこどもは、どうも胎児性水俣病らしいよ」と聞いては会いに行ったそうだ。
あの当時、「何百人かの被害者がいるかもしれない」と谷さんは考えていたが、
まさかその数が「6万人」になるとは、考えていなかったという。

これまで被害地域として考えられていなかった地域でも、被害を訴える人がでてきているという。

天草の上島や下島、牛深の人たち。
八代で魚を食べていた人たち。
熊本市内では、毛髪水銀値が106PPMの人がいたという。しかし、市内に発病した人がいたかどうかはわかっていない。
人吉にも魚は流通していたが、被害は確認されていない。
鹿児島の大口では、検診を受けた30人のうち、20数人に症状があることが確認された。

「6万人を超える申請者の被害のなかに、改めて水俣病を学びなおす必要があるのでは。
水俣病事件は終わるところではない。戦いはまさに続いている」

政府が水俣病を公式に確認してから56年がたつなかで事態は進行し、
一方で、"水俣病は終結する″という話をしている。
だが、今回のシンポジウムのタイトルは、「水俣病は終われない」である。


当時の認識を覆す現状
谷さんに寄せられた相談から。

一人は名古屋生まれの女性。名古屋で魚は食べなかったが、水俣の漁師と知り合いになり恋に落ちた。両親は水俣病を理由に結婚に反対したが、その女性は水俣病は終わった思い、結婚に踏み切った。現在、その女性は手がしびれて、コップがもてず、車の運転も長時間できない。

もう一人は長崎・壱岐生まれの女性。魚はあまり食べていない。認定患者を兄にもつ人と結婚、水俣に来た。71年〜72年ころに水俣で魚を食べる暮らしに入っている。感覚障害、運動失調もあり、彼女を診た医師は「水俣病にまちがいない」といっている。認定申請をしたが棄却されている。

水俣で70年代を過ごした谷さんも、
「あのころ人々は、海の汚染は終わっていると思っていた。私も漁師の家でだされたサカナを食べていましたから」と話す。

おしたようこさんの話にふれ、昭和40年代(1965年〜)の胎児期の暴露(妊娠中の母親の暴露)の場合は、どのような影響があるのかについての調査がないが、汚染の量が昭和30年代に比べて少なくても、症状がでているという事実は受け止めなくてはならないと訴えた。

行政不服申立
溝口訴訟
被害者互助会訴訟
大阪Fさん訴訟
Iさん訴訟
・・・水俣病関連の裁判が続いている。

裁判とは別に、行政不服申立をする人もいるという。
現在、800件弱の行政不服が申し立てられ、半数が取り下げになり、残る半分のうち、13件が取消しを勝ち取ったそうだ(認定にもっていけたケース)。
件数は少ないが、「たたかって勝ち取ったケース」であり、現在も行政不服を続けている人はいるそうだ。

「水俣条約」の是非
水俣病の教訓をふまえて、水銀が国際的に規制されることは喜ばしいこと。
そのことが条文として明文化されることには期待があると谷さん。
しかし水俣の現状は、「水俣の教訓をふまえている」とは言い難いようだ。

「私たちが(この間)求めている被害全容の解明、加害責任の検証、チッソや国が責任を果たすのかどうか、といったことについては、納得のいく解決を見ていない」
という。

「政府の「救済法」はごまかしです。見舞金契約以来の被害の隠蔽であり、一時金で黙らせている。医療費だけは払ってやるから、一切の権利を請求するなという脅かしだ。こうした動きをする国とはなんでしょうか」

「今、選挙前ですが、国の官僚を信頼していますか? 政治家を信頼していますか?と聞かれたら、信頼していると答える人はいるでしょうか。水銀規制条約の交渉の場には、国(官僚)が交渉人として参加し、条約名を「水俣条約」にすることを議論しているのです」

「水俣条約」と命名することに賛成か反対かと聞かれれば、
「水俣病を繰り返さないということが生かせる条約ができるなら賛成」だという。
それができないなら、「水俣」という名前を使うことに値しないと話した。



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2012年12月23日

溝口訴訟 最高裁の現在 シンポ「水俣病は終われない」よりB #minamata

溝口訴訟 最高裁の現在について
山口紀洋さん(溝口訴訟弁護団)

水俣病は終われない.jpg

水俣病事件をめぐる現状認識
「特措法(政府の「救済策」)の申請受付を7月末で締切ることに抗議する声はあったが、締切り翌日の8月1日、一揆がおこったわけではない」
と話し、何も起きなかった「平穏な状態」は、結果として特措法のやり方を「支持」(黙認)しているという指摘として私は受け取った。

特措法による「救済策」に申請した人は約6万5000人。

救済対象になるには、水銀曝露が確認され、感覚障害があることが最低条件。このような条件を要求されていながら、救済対象者になっても、「水俣病」という社会的な承認は得られないのが「救済策」である。
水俣病という社会的な承認が得られないことは、70年代に川本輝夫さんや一次訴訟の原告らが勝ち取った補償協定(補償金1800万〜1600万)の対象でないということを指摘し、

「このような状況をつくりだす特措法を許してはいけないというのが、私と会場の皆様の考えだろう」と述べた。

被害者が被害者と認められない。
放置されたままの被害者がどれくらいいるのかもわからない。
悉皆(しっかい)調査を一度もせず、データをとっていない。
行政があつめた医者によって、ある者は水俣病だと認められ、ある者は認められず。
認められない者は特措法に(過去であれば95年の政府解決策に)おいやられていく。

「この状況に、満腔(まんこう)の怒りをもって対決しなければならない」と訴えた。

水俣病をめぐる裁判
最高裁には3つの裁判(溝口訴訟。Fさん訴訟。Iさん訴訟)がもちこまれていて、いずれも、行政の主張する水俣病の要件「52年判断条件」が正しいかどうかが争点になっている。

「ピンチであり、チャンスでもある」
52年判断条件が医学的にも行政的にも、公健法の主旨としても間違っていることが最高裁で認められれば、特措法の強行による現在のねじれきった水俣病体制が解決できると、山口氏は話した。

溝口訴訟では52年判断条件はどう考えられているのか。
福岡高裁(原告勝訴)の判決では、
「(52年判断条件の)運用に問題があると書いていて、52年判断条件(自体)については、一定の意味を認めている。それでも実質的には、52年判断条件を初めて否定したといっていい。原告団の主張を大変な共感をもって(判決文に)とりいれている。ただし、直ちに行政が52年条件条件を撤回するほどの言葉ではなかった」
と山口弁護士は解説する。

52年判断条件を真正面から戦い、最高裁の文言として否定しないかぎり、特措法体制は打破できないという。

「よって、われわれに選択の余地はなく、52年判断条件の違法性を最高裁に明文化させなければならない。司法の場では、支援者、被害者はこの一点に集中して支援してもらいたい」

溝口訴訟の経過
福岡高裁で勝訴(2012年2月27日)。
高裁で負けた熊本県は判決を受け入れず、熊本県知事は上告(3〜4月)。
県の上告に対して、原告(患者側)は、答弁書を提出して反論。

最高裁がこれらの書類を読み終えたところで、山口弁護士ら弁護団に指示があるのではないかとのこと。
弁論を開くことになるか、県知事の上告申し立てを受理せず却下するか…

「行政は、52年判断条件に合わないから(溝口チエさん:原告の母)を却下して何が悪いという主張。我々は反論として、52年判断条件には根拠がないことを訴えたい」


(NHK 2月27日 18時15分) 高裁で国の水俣病基準を否定
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120227/k10013321951000.html

水俣病の認定を巡る裁判で、福岡高等裁判所は「現在の国の判断基準だけで認定するのは不十分だ」と指摘し、申請後に亡くなった女性について、熊本県に水俣病の認定を命じる判決を出しました。
高等裁判所が国の認定基準を否定する判断を示したことで、未認定患者の救済の流れに影響を与えることも予想されます。

この裁判は、昭和49年に水俣病の認定を申請し、3年後に死亡した熊本県水俣市の女性を巡って争われたもので、1審の熊本地方裁判所は、平成7年に申請を退けた県の判断を「妥当だ」とする判決を出していました。
27日の2審の判決で、福岡高等裁判所の西謙二裁判長は「現在の国の判断基準だけで水俣病かどうかを認定するのは不十分だ」と指摘しました。
そのうえで、女性の手足に感覚障害があったことなどに加え、当時の生活状況なども検討して、「水俣病と認められる」と結論づけ、県に患者としての認定を命じる逆転判決を言い渡しました。
水俣病の認定を巡っては、おととし、大阪地方裁判所も国の認定基準を否定する判決を出しています。
今回、高等裁判所が同様の判断を示したことで、認定を求める人が今後増え、未認定患者の救済の流れに影響を与えることも予想されます。

未認定患者の救済策に影響も

昭和52年に国が示した水俣病の判断基準では、「感覚障害」や、視野が狭くなる「視野狭さく」など、複数の症状があることが水俣病の認定に必要だとしています。
この基準に適合せず水俣病と認められない人たちは各地で裁判を起こしていますが、このうち平成16年の関西訴訟の最高裁判決は、一定の要件を満たせば感覚障害があるだけで水俣病と認める判断を示しています。
また、おととし7月の大阪地方裁判所の判決でも「医学的な正当性を裏付ける的確な証拠はなく、基準を満たさない場合でも総合的に考慮して水俣病と認められる」と、国の認定基準を明確に否定しています。
今の基準だけで水俣病かどうかを判断するのは不十分だとした今回の判決を受けて、認定を求める人が増えることも予想され、7月末で申請が締め切られる、未認定患者の救済策に影響を与えることも予想されます。

原告側“有益な判決”

原告の弁護士は「国の認定基準を否定した全面勝訴だ。生活歴や病状などを総合して水俣病の患者を認定し、行政に対応のやり直しを求める有益な判決で、上告しないよう求めたい」と話しました。

熊本県“国と協議したい”

熊本県の蒲島郁夫知事は「判決については重く受け止めている。判決の内容を聞いたばかりなので、今後は国と協議していきたい」と述べました。(追記:熊本県知事は3月7日に上告)

環境省“相談あれば熊本県と協議”

今回の判決について、環境省特殊疾病対策室は「判決の内容をまだ確認していないので、コメントは差し控えたい」としたうえで、「被告が熊本県であり、県から相談があれば一緒に協議していきたい」としています。



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2012年12月15日

おしたようこさん シンポ「水俣病は終われない」よりA #minamata

水俣病は終われない.jpg
12月8日行われたシンポのチラシ


今回は、おしたようこさん(30代 胎児性水俣病患者疑い)の話。

おしたさんは1974年、兵庫県生まれの38歳だ。
関西生まれだが、胎児性水俣病患者である疑いを抱えている。

おしたさんの両親は不知火海沿岸地域生まれ。両親は1973年に結婚。兵庫県へ移住した。
その翌年、おしたさんは生まれた。

小学校時代は、教室の机から動くことができないほど強い頭痛に見舞われた。
高校時代、定期的に頭痛や倦怠感に悩まされ、保健室に通った。
大学卒業後、小学校教諭として働き始めるが、31歳のとき、体調不良はピークをむかえた。
教師の仕事を休職。以後、体調は回復せず、35歳で退職。

休職中だった2006年、水俣病が政府に「公式に確認」されてから50年ということで、水俣病の記事が新聞に載ることが多くなった。

ある日、おしたさんの目に水俣病の記事がとまり、自分の体調不良は、もしかしたら水俣病なのではと疑った。
そう疑うようになった理由はいくつかあった。

「母の叔母の子どもの一人目はすぐ亡くなった。二人目は当時、脳性マヒといわれていて、17歳で亡くなった」(おしたさん)

この17歳で亡くなった(親戚の)お兄さんは、死後、胎児性水俣病患者として認められている。寝たきりで話すことができなかったこのお兄さんは、帰省した母の実家では、いつもおしたさんと遊んでくれたという。

「家系図をかいてみると、母の姉妹がうんだ子どもは、みな病弱」
「認定されたお兄さんと私は、同じ家で同じ魚を食べた人たちの子どもなんですね」

 死後認定となった親戚のお兄さんが生まれたのは1961年。
 おしたさんが生まれたのは1974年。
 母親と叔母は、一時期同じものを食べていた。
 おしたさんの母親は、おしたさんを妊娠する直前まで、不知火海沿岸地域で生活をしていた。

*   *   *

政府が今年(2012年)7月に申請窓口を締め切った「救済策」は、1969年11月までに生まれた人が対象だ。
これは、チッソ水俣工場の排水が止まったのが1968年5月だったことから、「救済策」の対象となる人の生年月日を区切ったからである。
しかし、排水が止まったからといって、1969年以降に生まれた人に影響がないとはいいきれない。

*   *   *

大阪には、阪南中央病院という水俣病関西訴訟の原告たち(水俣病の被害者)が通う病院がある。その病院には原告の子どもたちが体の不調を訴えに来る。彼らはおしたさんより年上の世代だという。

阪南中央病院を訪れたおしたさんを診察した医師は、水俣病に特徴的な症状のひとつ・感覚障害が彼女にあることを確認した。

医師は、おしたさんを「胎児性水俣病疑い」と診断した。
6年前のことだった。

おしたさんは、もうひとつ、病気をかかえている。線維筋痛症という難治性疾患だ。

「この病気の治療には抗うつ剤が効くけど、抗うつ剤は水俣病ではあまり使わない薬。顔のしびれなどは、線維筋痛症ではあまり見られないと線維筋痛症の専門医はいっているのです」
 
線維筋痛症の症状もあるし、水俣病の症状もある。それがおしたさんなのだ。
あえて補足するなら、線維筋痛症の人は水俣病にならないか、というと、そうではないということ。

しかし、水俣病の被害を過小評価したい人たちは、水俣病の症状を訴える人たちを、別の病名由来の症状だと言い放ち、補償や救済、謝罪をしなくていいように「処理」する。被害を訴えている人たちの食生活、同じものを食べていた人たちの病気の記録などを丁寧にみていけば、有機水銀による症状であることは間違いなくても。
 
おしたさんの家族や親戚には、これまでに打ち出された水俣病対策の対象者が含まれている。

母親は「被害者手帳」保持者(「新保健手帳」から切り替え)
父親は「被害者手帳」保持者
両親の双方の祖母、漁師の叔父夫婦は「医療手帳」保持者
母の叔母の息子は胎児性水俣病認定患者(死後認定)

繰り返しになるが、おしたさんの母親は、おしたさんを妊娠する数ヶ月前まで、不知火海沿岸地域に暮らし、魚を食べていた。


*   *   *


教師の仕事を辞めてからは、月3万円ほどの医療費の支払いが、おしたさんの家計の重荷になってきた。「せめて医療費の補助だけでももらえたら」と思い、今年、「救済策」に申請をした。73年生まれの彼女は救済の条件を満たしていないが、1969年末以降に生まれた人でも、へその緒、胎毛筆(赤ちゃんの筆)の毛、妊娠中の母親の毛髪など、有機水銀摂取の可能性を示すものがあれば、“総合的に判断”されることになっているからだ。

おしたさんは、へその緒を提出した。

回答を待つこと数ヶ月。
おしたさんは棄却された。

*   *   *

おしたさんの母親が生まれ育った環境、食生活をともにした兄弟や親戚の体調不良。認定患者が親戚にいることを考えると、首をかしげたくなる。

棄却の理由も、救済の基準も明らかにしない「救済策」。

これが水俣病事件の加害責任を負う政府のやり方なのだろうか。


水俣病は、今夏の「特措法締め切り強行」のもと、未認定・潜在患者を
様々に切捨て、積み残したままの「幕引き」が懸念されます。
(略)
総選挙、そして東京では都知事選も含めて喧騒の師走となり、
選挙では「脱原発」やフクシマの被害補償も重要な争点となっていますが、
水俣病のまっとうな解決は、福島原発事故の責任を
国と東電にきちんと取らせる上でも、重要な前例となります。

2013年にはまた、国際水銀条約締結や海づくり全国大会が
熊本県を会場に行われる見込みですが、それらを「水俣病幕引き」のセレモニーとさせてはなりません。
患者被害者・住民への支援を継続し、終わらない、終われない水俣病 を、最後まで見届けましょう。

シンポジウム趣旨より一部抜粋


水俣病、救済対象外でも80%超に症状 住民健康調査
2012/7/19 2:05 日本経済新聞
 水俣病被害者団体と医師らでつくる実行委員会は18日、6月に行った熊本、鹿児島両県の八代海(不知火海)沿岸の住民健康調査で、国が救済対象としていない地域や年齢の住民の80%以上に手足の感覚障害など水俣病特有の症状が確認されたと発表した。
 国は水俣病特別措置法に基づく救済策の申請受け付けを7月末で締め切るとしている。都内で記者会見した実行委委員長の藤野糺医師は「潜在的な患者がたくさんいることが明らかになった。救済策の締め切りをやめるよう国に要請したい」と話した。
 調査は6月24日、過去最大規模の約1400人に実施。実行委は受診者全体の87%に症状が確認されたとの結果の概要を6月に発表していた。
 今回はそのうち、特措法の対象外の住民について分析。その結果、救済策の対象地域に居住したことのない573人中504人(88%)に症状が確認された。救済対象外となっている1969年12月以降に生まれた41人中35人(85%)にも、同様の症状があった。〔共同〕


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落合恵子さんのブログや、講演内容を時系列にまとめたエッセイ集。
2012年6月14日は「水俣の教訓」として、原田正純さんの言葉を紹介している。

水俣の教訓を残してゆくために、忘れてはならない視点がある。
第一は、弱者の立場で考えること。政策や研究とは、そもそも弱者の立場を基本にすべきである。
第二はバリアフリーだ。素人を寄せつけない専門家の壁、研究者同士の確執、行政間の壁などが、患者救済や病像研究をどれだけ阻害してきたか、私は目の当たりにしてきた。
そして第三は、現場に学ぶということだ。
事実は現場にしかない。



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2012年12月14日

坂本龍虹さん シンポ「水俣病は終われない」より@ #minamata

シンポジウム「水俣病は終われない」が12月8日、東京で行われ60人ちかくが集まった。

環境省は7月末で水俣病の救済窓口を締め切ったが、窓口の閉鎖によって、水俣病事件が解決したわけではない。そのことを象徴するシンポ講演者の話を紹介する。

水俣病は終われない.jpg
12月8日行われたシンポのチラシ

まずは、水俣在住の坂本龍虹さん(水俣病被害市民の会代表)。

坂本さんは、今年7月、政府による救済策ではなく、「水俣病患者」として行政に認定させることを求める公害健康被害補償法に基づく認定申請をした。政府の救済策では、救済対象者になっても、「水俣病患者」として認めるわけではなく、加害責任を負う国や県、チッソとの関係は曖昧なまま、裁判をおこす権利や、認定申請をする権利は奪われるというもの。

坂本さんは、「私は78歳。行政認定を勝ち取るには年をとりすぎているが、後世に自分の水俣病について説明できる被害者でありたい」との思いから行政認定を選択したと話した。

これまで水俣病被害者を支援する立場だったが、検診で水俣病に特徴的な症状が確認されたことを機に、被害者として戦う決意をしたという。志を共にする地元在住の10人で、「水俣病被害市民の会」を立ち上げたのが7月13日。7月18日は7人が認定申請をした。

現在申請者は10人に増えた。水俣病患者への差別が最も厳しかった70年前半、献身的に患者に寄添い続けた日吉フミ子さん(元水俣市議)も認定申請中だ。

「まだまだ地元には申請を躊躇している人が多数いる。そういう人と一緒に徹底的に闘いたい」と坂本さん。

           *    *    *


水俣病が「救済策」で終わると思ったら大間違いである。

「救済策」の根拠になっている特別措置法には、「公健法に基づく新規認定等を終了する」とあり、既存の認定申請制度をなくしてしまう可能性がある。「救済策」を7月末で締め切る際、窓口の延長を望む声は多数あった。たとえば、子どもが結婚するまで申請はできないとか、あと数年でチッソ関連会社を定年退職するけど今は申請できないとか。ある人は、自分に水俣病の症状があることに気づいていない。なぜなら、周囲の人もみな、同じ症状をもっているから、それが普通だと思っているのだ。

潜在患者――は、必ずいる。そうした人たちが取り残されてしまうことを十分承知の上で、政府は「救済策」を締め切った。有機水銀暴露地域の健康調査もせずに。

そのうえ、公健法に基づく認定申請もなくしてしまうかもしれないのだ。

坂本さんたちの認定申請は、ご自身の水俣病の加害責任を問う戦いでもあるが、これから後の世代に、認定申請という制度を残していく挑戦でもある。


           *    *    *

次回は、おしたようこさん(30代 水俣病胎児性患者疑い)を紹介する。


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2012年12月09日

シンポジウム「水俣病は、終われない」 #minamata

以下のシンポジウム、無事終了しました。
水俣病は終われない.jpg


チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム 水俣病は、終われない   

12月8日(土) 12時半開場 午後1時―5時
YMCAアジア青少年センター 9階 国際ホール

プログラム  (敬称略)                                                                  
*講演  チッソの経営状況と補償の現在 矢作 正(経営学/「技術と社会」資料館)

*お話  水俣病に学び伝えたいこと  坂本 龍虹(水俣病被害市民の会)

*お話  我が家の水俣病事件 おした ようこ(兵庫県出身/胎児性患者疑い)

*報告  山口 紀洋(溝口訴訟弁護団)
谷 洋一(水俣病被害者互助会事務局)
加藤 タケ子(ほっとはうす)   
安間 武(化学物質問題市民研究会)

*討論   

主催   チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会
協力   東京・水俣病を告発する会    最首塾


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2012年11月20日

『阿賀に生きる』 #minamata

『阿賀に生きる』試写会行ってきました!

11月24日(土)より渋谷ユーロスペースにて!
『阿賀に生きる』公式サイト 

新潟第二次訴訟 真っ只中の80年代に撮影された映画。
裁判が終わった今見ると、特別な思いがあります。
毎月一度、裁判所に通う原告の水俣病被害者の姿をみて、
このころは裁判での勝利を目指していたのだと、しみじみ感じ入ってしまうのです。

この映画の魅力は、なんといっても3組の老夫婦の生き生きとした姿です。
顔のしわは、彼らの人生の軌跡。

映画を見て、自分を振り返り、近代への道を猛進してきた現在の世の中を振り返ったとき、
彼らとは対極にいる私たちの存在は、なんて軽い存在なのかと考えました。

出会いと別れ
阿賀野川が、絶えず流れていくように、人間関係も変わっていきます。
映画にでてくる3組の老夫婦と、阿賀の川のほとりに住み込んで3年、
映画を撮り続けた7人のスタッフとの関係も変わっていく。

現地に住み込み、村の生活にとけこんで、気心しれた間柄になっていく。
しかし、映画の撮影が進めば進むほど、彼らとの別れも近づいてくる。

最後の撮影が終われば、ここを去らなくてはならない現実。
閉ざされていた扉が少しずつ開き、彼らにしか撮影できないシーンがカメラに収められたいく。
両者の距離が近くなればなるほど、この先にやってくる別れはつらくなるのだが。

私たちはみな、事情は違えど、同じような体験をどこかでしている。
大事な人を残して、そこから離れていくという選択。
「さみしくなるねぇ」
と、誰かにいわれたことはなかっただろうか。
あるいは、去っていく相手に対して、そう思ったことはないだろうか。

別離が悲しいほど、両者のつながりも深いわけで、
もし、そのような自分に近い関係にある人が、水俣病の被害を受けていると知ったら、どんな気持ちになるのだろう。

映画で、カメラが水俣病で震える手を偶然とらえたシーンがあるが、
つつましく生きている老夫婦たちの日常を見ているだけに
「豊かな暮らしとは何か」
と、私は問われた。


もう一つ。

坂東克彦弁護士
昭和電工と国を被告とする国家賠償請求訴訟(新潟第二次訴訟)が1982年に起こされます。
原告は、水俣病の認定を棄却された患者でした。
原告団長を務めたのは、映画に登場する坂東弁護士。
映画では、雨のなか傘をさしながらハンドマイクを片手に、昭和電工の説明をされているのが坂東弁護士です。
新潟第二次裁判は、1994年に和解の道を選ぶことになり、12年間原告団長を務めてきた坂東弁護士は団長を辞任するのです。

坂東弁護士の和解への思いは以下のとおりです。

裁判上の和解というのは、当事者の双方に落ち度があったり、歩み寄りが必要なときに行われる手続きです。
水俣病についていえば、被害者には何の落ち度もありません。
(略)
国に対する責任を放棄するというのならいざ知らず、そうでなく、解決へのリーダーシップを裁判所にとらせるには、少なくともそれなりのリスクを覚悟しなければなりません。


1994年には村山内閣が成立し、政治的解決策が模索されたころ。
坂東弁護士は、「政府が政治決着で因果関係をあいまいにしようとするのは、環境行政の誤りを認めたくないため(略)政治的解決は、言い換えれば政治的幕引きだ」
と述べています。

実際、水俣病の歴史を振り返ると、1995年に第一の政治決着(政治解決)がなされ、裁判で国や昭和電工、チッソの加害責任を追及していた被害者たちは、水俣病患者と認定されることもないままに、裁判を取り下げ、政府が提案する「救済案」へと流れていったのです。

数年前、坂東弁護士に阿賀野川周辺の患者多発地域を案内していただいたときのこと。
急に雨が降ってきたので、傘をさしながら、ハンドマイクを使ってご案内いただいたのです。

そして先日の試写会にて、20年前にも同じように、傘をさし、ハンドマイクを片手に新潟水俣病の現場説明をしている坂東弁護士の姿がスクリーンの中にありました。

「現場こそ最良の教師なり」
「毒まんじゅうを食ってはならない」
という坂東弁護士からいただいた教訓の言葉。
坂東弁護士は、この間ずっと、教訓を貫かれてこられたのでしょう。

時代が変わりゆくなかで、変わらないものが、ここにありました。



新潟水俣病の三十年 坂東克彦
ブログ内での坂東弁護士の発言は、この本からの引用です。
新潟水俣病の三十年

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著者:坂東克彦
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追伸:時間がないなかで、急いでこの文章を書きました。
誤字脱字、ご容赦ください。
『阿賀に生きる』の公式サイトもぜひご覧になってください。

マスコミ向け試写会、あるいは20年前のロードショーで『阿賀に生きる』を見た方他のつぶやき。
関係者のつぶやきもあります。








posted by みの at 01:38 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月05日

#ETV 「原田正純 水俣 未来への遺産」 #minamata

2012年11月4日に放送されたETV特集「原田正純 水俣 未来への遺産」に関するつぶやきを、毎度のことながらまとめてみました。

minori_okd 「#NHK #ETV 「原田正純 水俣 未来への遺産」 #minamata #水俣病」をトゥギャりました。 http://t.co/M8kPl2ks at 11/04 23:18


posted by みの at 16:28 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

まとめ チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい

10月14日に行われた集いの情報をまとめました。

集会開催中のつぶやき(ツイート)まとめ
※映像アーカイブもリンクされています。


IWJによる集会映像まとめサイト
2012/10/14 【大阪】チッソ水俣病関西訴訟集会 チッソ水俣病 なぜ終わっていないのか

集会チラシ
チッソ水俣病(表).jpeg チッソ水俣病(裏).jpeg



補足
今回の集会を主催された「知ろっとの会」の皆様による「水俣甚句」(2012年5月に新潟にて収録)





posted by みの at 09:13 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

1981年、水俣病患者の川本輝夫さんらが所属する「水俣病患者連盟」は、水俣病のことを「チッソ水俣病」と呼ぶことを宣言した

1981年、水俣病患者の川本輝夫さんらが所属する「水俣病患者連盟」は、水俣病のことを「チッソ水俣病」と呼ぶことを宣言した。

高校の教科書から「チッソ」という企業名が削除されつつあることへの危機感からだった。

水俣病の原因企業がチッソであることを社会に訴え続けていくため、
患者団体の名称も「チッソ水俣病患者連盟」に変更した。

あれから約30年がたち、水俣病のことを「チッソ水俣病」と呼ぶ人はそれほどいないと感じている。

そんなか、このチラシを目にした。

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チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい
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チッソ水俣病(表).jpeg

今月14日、大阪で行われるイベントのチラシだ。

近い将来、分社化によって「チッソ」という会社が自主的に倒産し、水俣病の原因会社がなくなってしまうことを予測して、

水俣病事件の責任会社の名前を歴史上に残しておくために
集会の名前に「チッソ水俣病」とつけたという。

(チラシ裏面)
チッソ水俣病(裏).jpeg

+ + +

少し前、新聞やテレビでは“水俣病の救済”を報じていた。
細野環境大臣(当時)や、横光環境副大臣(当時)が、7月末で受付が締め切られる「救済策」に申請するよう呼びかけていた。

この「救済策」の根拠になっているが、水俣病に関する特別措置法だ。
当時の与党・自民と公明、与党だった民主党の賛成で成立した特措法の内容はおぞましい。

"水俣病の救済”を法律の名前に取り込んでいるが、
法律には、チッソが悲願していた「分社化」が盛り込まれた。
実際、2011年4月にチッソは分社化した。
遅々として進まない被害者への補償とは大違いに、分社化は手際よく進んだ。
(当時の小沢鋭仁環境大臣が認可)

分社化で誕生した新会社「JNC」には、チッソの利益部門を譲渡。
チッソ本体には、水俣病の原因企業としての責任だけが残った。

特措法は、補償責任を抱えるチッソの(計画的)倒産も認めている。

遅かれ早かれ、チッソがこの世に存在しなくなる日は来るだろう。
十分な補償がないまま、何十年と患者認定、補償を訴えてきた人を尻目にしながら
利益部門を引き継いだJNCは、水俣病事件とは関係のない会社として存在していく。
水俣病事件の責任は継承せずに。

+ + +

チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい
http://yummyseaweed.seesaa.net/article/296050778.html
posted by みの at 23:12 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月06日

チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい

チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどいが来週に迫りました。

チッソ水俣病(表).jpeg

チラシ裏面はコチラ。
クリックで拡大します。
チッソ水俣病(裏).jpeg

このチラシには「水俣病」ではなく「チッソ水俣病」と書いてあります。
これは、近い将来、分社化によって「チッソ」という会社が自主的に倒産し、水俣病の原因会社がなくなってしまうことを予測し、水俣病事件の責任会社の名前を歴史上に残しておく必要性から、「チッソ水俣病」と呼ぶことしたとお聞きしています。

実は今から約30年前。水俣病患者の川本輝夫さんらが所属する「水俣病患者連盟」は、水俣病のことを「チッソ水俣病」と呼ぶことを宣言していました。
高校の教科書から「チッソ」という企業名が削除されつつあることへの危機感からでした。
水俣病の原因企業がチッソであることを社会に訴え続けていくため、患者団体の名称も「チッソ水俣病患者連盟」に変更したのです。


来週、14日に大阪で行われるこの集会のタイトルは
「チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい」。
「チッソ水俣病」となっています。

関西最高裁判決で、国(環境省)、熊本県の加害責任が明らかになってから8年。
国とチッソが見捨てようとしている水俣病患者がいることを、集会で知ってください。

チラシをブログに貼り付けることもできます。以下の画像リンク先にタグあり。
チラシ(表) チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい 10月14日(日)午後2〜5時 #minamata... on Twitpic

チラシ(裏) チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい 10月14日(日)午後2〜5時 #minamata ... on Twitpic

去年の様子はこちらで。






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