2015年02月02日

水俣病 新通知差し止め訴訟 東京高裁 第一回口頭弁論 #minamata

水俣病 新通知差し止め訴訟.jpg

東京高裁822号法
控訴人側に二人着席 (傍聴席から見て、左手、手前に佐藤さん、奥に山口弁護士)
被控訴人側に6人着席。

傍聴者は21名。

開廷まもなく、佐藤英樹さんの陳述。
裁判官の真正面にある証言台に移動。

佐藤さん「控訴人 佐藤英樹です」と話し出す。

佐藤さんの陳述内容は、一人芝居「天の魚」の上演が5月に乙女塚で決まったこ
とにふれ、この一人芝居の上演運動を応援しつつ、水俣病の不正を裁判で自分は正し
ていく、というものだった。

「天の魚」の登場人物である杢少年の暮らしぶりに触れ、実際に、似たような暮らし
を強いられた人が水俣にいると話した。






この日、法廷にいた少なくとも半分の人たちは、「苦海浄土」を読んだことがあり、「天の魚」と聞けば、どんな話なのかわかる人たちではなかっただろうか。

石牟礼道子さんの「苦海浄土」に収録されている一作品である「天の魚」は、先
日NHKで放送された石牟礼さんを取り上げた番組で紹介されていた。

それは、「天の魚」杢太郎のモデルとなった胎児性水俣病患者の半永一光さんを、石牟礼さんが明水園に訪
ねるシーンだった。
半永さんを目の前にして、「天の魚」を朗読された。
そのときの石牟礼さんは、「杢太郎」の部分を、「一光」(かずみつ)と読み、半永さんに呼びかけているようだった。

さて、法廷――。

佐藤さんの5分程度の陳述が終わると、山口弁護士が、佐藤さんに代わって裁判官の真正面に位置する証言台まで出てきて話を始めようとしたが、裁判官から「代理人はできれば席で(話をするように)」といわれ、控訴人席に戻って話を始めた。

先ほど提出したばかりという「第四準備書面」がどうのこうのと聞こえてくるが聞き取れない。
(法廷内でのやりとりは、マイクを使っていないため、聞き取りずらい)

必要書類等の確認だろうか。そのあと、以下のように続いた。

(かっこ)は筆者の補足。
《二重かっこ》は、聞き取りにくかった箇所。文脈から判断して発言を予想した。

「59年間の水俣病の放置は違法。明らかにされていないことがたくさんある。
そうした患者の実態…
今も国、県、チッソは責任を取ろうとせず、調査をしないのは異常。

私は42年間、被害者の訴訟を(弁護人として)してきた。
これは自慢ではなく、私の愚かさを暴露しているのである。
裁判を42年間続けても、水俣病の本質を解決できないのは、弁護士の責任であり、私の愚かさでもある。
もちろん、チッソ、県、国も責任を負っている。
さらには裁判官にも責任がある。
同胞の命や体が無視されてきた責任をとるべきである。

去年の4月16日、最高裁の寺田逸郎裁判長は、溝口訴訟最高裁判決で、この事態の最終解決を目指すを判決を下した。
この判決に従って、環境省、官僚、指定代理人が動けば、(水俣病は)解決できたはずだった。

ところが、判決の二日後、環境省の事務次官が(判決内容を)否定。
現在まで、あらゆる手続の場で(環境省は)これまで同様に患者を否定している。

さらに(2014年3月に環境省は)『新通知』を発出。(新通知の発出によって、現在の水俣病認定基準の)違法を《補強》する作戦にでた。これを許すことはできない。

(そこで新通知を取り消す「新通知差し止め訴訟」を2014年2月4日に東京地裁に提訴)

しかし、(新通知取消訴訟の)一審は、裁判すら開かれなかった。

(8月8日、一審の訴えは却下。8月18日に、一審を不服とし、東京高裁に控訴)

したがって、高裁が(今日、このようにして)開かれたことに、感動と喜びを感じている。

水俣病の実態を知っていただき、行政の責任を知っていただきたいと心から祈ります。

一審判決への批判だが、(一審は)患者の水俣病が(行政に)否定されても、(患者個人には)損害が
ないと主張しているが、佐藤さんが50年以上、水俣病の病(やまい)を負って生きていること。正しい行政の対応を受けてこなかったこと。(水俣病の)申請をしても「52年判断条件」で、適切な判断が受けられなかったことは大損害であると主張する。

環境省の小林秀幸の証人尋問を準備したい」


ところどころ聞き取れなかったが、だいたい、このような話だった。

このあと、裁判官が、被控訴人側(国と熊本県側)に、反論があるか尋ねると

「反論はありません」

とのこと。

国側が反論しないのは、そもそも本件が、裁判で争われるべき対象ではない(処分性がない)と考えているためのようだ。
国・県側は、一審でも、本件には処分性がない、というスタンスだった。

法廷は、次回のスケジュール調整の後、閉廷。
次回は4月21日 11時。

NHKの番組で、石牟礼さんが、半永さんにプレゼントしていた「苦海浄土」は、これだったように見えました。


こちらのバージョンには、第1部「苦海浄土」、第2部「神々の村」、第3部「天の魚」の3部作すべてが収録されています。














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2015年01月17日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第三回 口頭弁論 #minamata

裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg水俣病に関する食中毒調査義務付け訴訟の第三回口頭弁論が16日、東京地裁で行われた。
被告(国、熊本県)が否定する「処分性」(被害者個人が行政に対して調査を要求をする権利があるのかどうか)について、裁判官は原告側に法的根拠に基づく説明を求めた。
次回は3月13日11時30分。

食品衛生法は、行政に対して、有害物が混入した食品の流通販売を禁止し、被害拡大を防ぎ、保健所は住民の悉皆調査を実施し、上部機関に結果報告をすることを定めている。しかし、水俣病事件では、行政による悉皆調査が一度も行わていない。

食品衛生法 58条〔中毒に関する届出、調査及び報告〕
  〃   60条〔厚生労働大臣による調査の要請等〕


悉皆調査(被害者の掘り起し)をしない行政は、水俣病患者認定制度に「本人申請主義」を採用。
差別偏見があるなか、被害者本人が名乗り出るのは困難。
結果、「申請なし=被害なし」という行政に都合のいい歪んだデータがつくられていった。

熊本県は2004年、悉皆調査の実施を提案したが、環境省幹部から「患者の掘り起しにつながる」と否定されている。(西日本新聞2010年4月30日)

西日本新聞2010年4月30日.jpg


食品衛生法に基づく調査が行われていないことから、行政の記録に残されない、データに表れることもない被害者がどれくらいいるのかわかっていない。
つまり、水俣病事件の被害の実態は、今もわかっていないというのが現状。

被害実態がわからないのに、「申請なし=被害なし」と都合よく被害数を解釈して構築した官製の「水俣病の被害実態」は、さまざまな水俣病施策の骨格になっている。

例えば、
不正確な実態把握を基にしている水俣病の認定基準。
2014年3月に環境省から熊本県他に出された「新通知」など。

この基準にそって、水俣病かどうか判断されることで、本来、水俣病患者として補償されるべき人たちが、切り捨てられている。

食中毒義務付け訴訟の原告、佐藤英樹さんもそうしたうちのお一人。
行政が悉皆調査を行わないことで、佐藤さんは、不利益をこうむっている。

裁判では、
食品衛生法58条に基づき、悉皆調査を行うこと。
調査が行われない場合は、裁判所はこれが「違法」であると確認すること。
原告の佐藤さんには、損害賠償として10万円を払うこと等。
を求めている。

損害賠償金が10万円というのは、佐藤さんが受けた不利益に照らし合わせると低額すぎるが、
裁判の目的は、調査の実施であるから、このようになっているのだろう。

魚介類を食べて病気になるという食中毒事件が起きたのに、発生地域の調査をしない。
調査をしないまま(現状把握がされていないまま)、誰が患者で、誰がそうでないか決める基準がつくられる。
被害者自らが手をあげない地域は、被害ゼロと解釈されて、行政に放置される。

これが、政府公式確認から今年で59年目をむかえる水俣病事件の現状なのです。

現地調査義務付け訴訟 食品衛生法の義務、原告に立証求める
 国と熊本県に食品衛生法に基づく水俣病現地調査、報告義務付けなどを求めた訴訟の第3回口頭弁論が16日、東京地裁であり、谷口豊裁判長は、原告で水俣 病互助会の佐藤英樹会長(60)=水俣市=に対し、同法が定める国と県の具体的義務、調査を求める根拠などの立証を求めた。
 同法に基づく調査・報告について、原告側は「水俣病患者の生命と健康を守るための法的義務を定めている」と主張。被告側は「食中毒発生の判断が目的で、患者認定など国民に対する義務はない」と反論している。
 谷口裁判長は「双方の主張がかみ合っていない」と述べ、原告側に主張を裏付ける根拠の説明を求めた。(山口尚久)
熊本日日新聞 2015年01月17日

引用元  http://kumanichi.com/feature/minamata/kiji/20150117001.xhtml


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2014年11月06日

11月22日 チッソと国の水俣病責任を問うシンポ(第11回) #minamata

※シンポジウム告知のお知らせ、貼り付けています。

関西訴訟最高裁判決10年
いま問う 国の水俣病放置責任 
チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム(第11回)ご案内


水俣病で国の責任を認めた2004.10.15の最高裁判決以降、不知火海および阿賀野川沿岸で6万5千人の未認定患者の存在が明らかとなりました。しかし、先日発表された特措法判定結果によれば、その人々のうち、210万円の一時金給付が認められなかった人が1万5千人(一切の給付なし9千人、被害者手帳のみ6千人)にも上り、特措法が標榜した「能う限りの救済」は看板倒れです。未認定問題が今回も解決に至らなかったことは、なお残る公健法での認定申請者1万人、係争中の訴訟10件という数字に端的に示されています。

折しも、チッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決から10周年を迎えますが、国・環境省が、最高裁が関西訴訟判決で認めた水俣病像や溝口訴訟で示した認定の方法論に従わないのは由々しいことです。

シンポジウムでは、熊本・東京・新潟で引き続く訴訟や患者の現状について報告を受け、終わらぬ水俣病について考えます。

患者・被害者へ補償を求め続ける上で避けて通れないのが1950−60年代、被害発生拡大期の行政の責任です。最高裁が認めた「水質二法での不作為」以外にも、通産省や厚生省の発生源対策の怠りには看過しがたいものがあります。被害の発生・拡大を何ら防止できなかった国の責任は、チッソに劣らず重大です。チッソ水俣病関西訴訟で行政責任論を担当された小野田弁護士から、事実や証言をふまえた講演を受けます。

原発問題の現状を見るにつけても、半世紀以上続く環境汚染・水俣病の責任を最後まで国とチッソに取らせることが重要です。(川内原発反対を巡る水俣の動きについても報告を頂きます)。

現地・各地の被害者の闘いを支え、国の政策を厳しく注視し続けるために、首都圏皆様のシンポジウムへのご参加を呼びかけます。

日時:11月22日(土)  12時半開場  午後1時―5時
           
会場:YMCAアジア青少年センター 9階 国際ホール           
   東京都 千代田区猿楽町2−5−5  地図  
  (JR水道橋から徒歩5分 JRお茶の水から徒歩7分)
   TEL 03-3233-0611          
参加費:1000円 (学生半額) 

プログラム(敬称略 順不同)
講演:水俣病発生拡大をめぐる国・熊本県の責任 
   小野田 学(元チッソ水俣病関西訴訟弁護団)
報告:山口 紀洋(互助会国賠訴訟、食品衛生法による調査義務付け訴訟弁護団)
   谷  洋一(水俣病被害者互助会事務局)
   萩野 直路(新潟水俣病第三次訴訟事務局)
   永本 賢二、 松永 幸一郎  加藤 タケ子(ほっとはうす)

主催 チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会
   千代田区神田淡路町1−21−7静和ビル1A 
   TEL/FAX 03- 3312-1398(昼留守録) 
   メール y-kbt@nifty.com (@を半角にしてください)

協力 東京・水俣病を告発する会 最首塾


過去のシンポジウムの様子(2014年7月)
s20140706会場.JPG


聖地Cs 木村友祐

『聖地Cs』と『猫の香箱を死守する党』の二作品が一冊に。
『猫の香箱を死守する党』は思わぬところで水俣病の話がでてきます。

斎藤美奈子さんによるレビュー
ヤワな観念論をぶっ飛ばす震災後文学――木村友祐『聖地Cs』




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2014年10月27日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第二回 口頭弁論 #minamata

2014年10月24日(金)、東京地裁で行われた水俣病食中毒調査義務付け訴訟の傍聴に行ってきました。

裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg

水俣病食中毒調査義務付け訴訟の法廷が開かれたのは今回が二回目で、この日は、原告である佐藤英樹さんの口頭弁論が行われました。佐藤英樹さんは水俣病被害者互助会の会長です。

佐藤さんが裁判官に述べた内容の抜粋が
以下の通りです。

まず、佐藤さんご自身について

  • 水俣病患者が多く住む、水俣市袋生まれ。

  • 海岸から20mのところで育った。


家族と水俣病について

  • 父親と祖父は漁師。

  • 祖母と両親は水俣病認定患者。

  • 4人の姉弟全員が、水俣病の医療手帳保持者、あるいは被害者手帳保持者。


佐藤さんと水俣病について

  • 佐藤さんご自身は現在、3回目の認定申請中(二回棄却されている)。三回目の申請は9年前。つまり9年間待たされている最中であり、必要な検査もまだ終わっていない。


佐藤さんを棄却した判断基準(52年判断条件)への不信について

  • 佐藤さんと同じように、認定申請を二回棄却された下田良雄さんという人は、公害健康被害補償不服審査会に申し立てをして、2013年10月に水俣病と認められた。
    (下田さんを水俣病患者だと認めてこなかった審査を、不服審査会が見直したところ、審査の誤りを認め、下田さんは水俣病患者だと認められたということ。)

  • (佐藤さん、下田さんを棄却してきた基準である)52年判断条件は、何を根拠にして決定されたのか。現地の患者データや医学論文があるのか。根拠なく基準が決められているのが事実ではないか。もし根拠となるデータがあるのなら、(被告=国に)具体的な表題を聞いてほしい。

  • このような状態にあることから、食品衛生法に決められている汚染地域の調査をしてほしいと訴訟をした。



水俣病は魚介類を食べたことで発症した病気であることから食中毒事件であり、であれば、食品衛生法に基づいた現地調査が行われるべきだという主張です。

ところが、これまで国が打ち出してきた水俣病に関する施策は、被害地の状態を調査せずに考案された策ばかりです。ですので、佐藤さんは、現地調査をしてほしいと訴えているのです。

口頭弁論の後、山口弁護士が、この間に集めた署名を裁判官に提出し、次回の日程を決めて、この日の法廷は15分ほどで終わりました。

ここから先は、同日に行われた報告集会での話を含む報告になります。

争点
佐藤さんが訴えた、食品衛生法に基づく食中毒事件としての水俣病の調査(不知火海沿岸の住民県調査)を求める主張が、この裁判の争点です。

この主張に対して、被告(国、熊本県)は、「処分性がない」「行政訴訟の要件を満たしていない」と反論しています。

「処分性」という表現は、あまり馴染みのない表現ですが、行政(国や県)が行ったことについて、裁判で争うには、行政がしたことによって、「直接国民の権利義務が失われたり、狭まったりすること(権利の変動が明確にあること)」だけが、訴訟の対象になるのだとか。

この「処分性」の有無については、水俣病事件に関する別の訴訟でも問題になり、訴訟自体が却下されたケースがあります。

環境省が今年3月にだした「新通知」についての訴訟です。訴訟内容は、この「新通知」に従った認定審査を熊本県にしないように求めると同時に、環境省に「新通知」を取り消すよう求めるものでしたが、「処分性がない」という理由で訴訟自体が却下されています。
環境省から熊本県にあてた新通知は、国民には関係はなく、官庁間の連絡事項でしかない---- というのが却下の理由でした。

参考:
新通知差止め訴訟と仮の差止め請求の経過一覧表

私からすれば、食中毒調査も、新通知も、国民への影響があるとしか思えません。

「新通知」は、認定申請者が水俣病かどうか判断するときの基準について書かれたものですから、患者かどうかを判断する根拠になるわけで、申請する人にに影響を及ぼします。

食品衛生法に基づく調査をしていないということは、不知火海沿岸地域に「行政に記録されていない」被害者がいるか、いないかもわからないということ。実態がわからないままに組立られた水俣病の認定基準や新通知といったものを、患者認定、あるいは患者切り捨ての基準にしているわけで、この基準にそって、水俣病かどうか判断される佐藤英樹さんは、まぎれもなく不利益をこうむっていると思われます。

ところで、この裁判において被告(国と熊本県)は、水俣病が食中毒事件であるかどうか、意見を述べていないと山口弁護士はいいます。

「水俣病は魚たべて症状がでるわけで、食中毒である。ところが、国の指定代理人は、水俣病は中毒かどうか明らかでないといっている」(山口弁護士)

こうした立場をとる国・県は、水俣病事件はそもそも食品衛生法とは関係がないと、いわんばかりなのだそうです。

国側が裁判所に提出した書面(第一書面)によると、食品衛生法にもとづく調査報告要請というのは、直接的に個別の国民との関係において食中毒発生実態や正しい病像を明らかにするものではなく、また食中毒患者等を食中毒患者として認定するものではないと解釈していて、
つまりこれは、「食品衛生法が国民を守ってくれるものだと思っていたら、国いわく、この法律は直接国民とは関係ないといっているに等しい」とのこと。 

最高の法廷進行
それでも報告集会で山口弁護士は、この日の法廷でのやりとりについて、「最高の法廷進行」だったと評価しました。

国を相手にした行政訴訟で、ここまで上手くいくことはあまりないとのこと。
一般的な事件の裁判も含めて、この日の法廷の展開は「奇跡的」な出来事があったといいます。

第一の奇跡
水俣から、被害者である佐藤英樹さんが来て、陳述したこと。
佐藤さんが直面している「不条理」を、当事者から聞けたことが一つ目の「奇跡」。
裁判官は佐藤さんの話を途中で止めることがなかったこともよかったと。

ちなみにこの日の法廷は、原告側の席に二人(山口弁護士と佐藤さん)、被告側には、14人もの指定代理人や検察官、訴訟検事が座っていました。私たちの税金によって、仕事をしている人たちが、佐藤さんの主張に反論を唱えるために仕事をしているのは皮肉なことです。
 
第二の奇跡
この訴訟が継続する(軌道に乗った)という手ごたえがあったこと。
処分性がないという理由で、審議が行われないこともなく、裁判官が双方の言い分を聞くような姿勢を見せていること。次回(2015年1月16日)で閉廷するとも言われていない。

第三の奇跡
水俣病の調査をするよう求める1468人分の署名が提出できたこと。

「みなさんの汗と情熱による署名簿が、私のコメントともに提出できたことは、裁判ではあまりないことです」(山口弁護士)

住民訴訟の場合は、住民投票の有無といったことが、判決を左右する要件になりますが、水俣病の調査義務付け裁判における署名の意味というのは、「これだけ多くの人が、食中毒調査をしてくれ」と要望していることを可視化したもの。裁判官が署名を受け取るにしても「雑記録」として受け取ることもできたにも関わらず、裁判資料として受け取ってもらえた点が、注目すべき点なのだとか。

「署名簿が正式な証拠になったことは奇跡的なこと」(山口弁護士)

次回法廷が行われるのは、来年1月16日です。

水俣病食中毒調査義務付け訴訟の経過一覧表

詳しくはこちらのサイトで。
食中毒調査の義務付け判決を求める署名用紙(PDF)もこちらのサイトにあります。
食品衛生法に基づく水俣病食中毒調査の義務付け訴訟


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2014年10月01日

訃報 「水俣な人」塩田武史さん

写真家、塩田武史さんの訃報を見て驚きました。
今年に入ってからも、手紙や電話でお話しさせていただいたことがあったからです。

朝日新聞(10月1日)の訃報によると、心筋梗塞だったそうです。69歳ともありました。
年齢のことも、ご家族がいらっしゃることも、訃報で知りました。
塩田さんも私も、お互いのプライベートな話には触れることはありませんでした。
水俣病について、水俣の秘境について、ゆるキャラについてなどなど、水俣にまつわる様々なことについて意見交換をさせていただいておりました。

私のようなものにも、決して上から目線で語ることなく、それでいて、人生の先輩として、伝えるべきことはおっしゃってくれる方でした。その言葉の節々から伝わってくる塩田さんのお人柄に、静かに感動しておりました。

そもそも、塩田さんとやりとりが始まったきっかっけは、塩田さんが撮影された写真に写っている「カーターさん」(Anthony Carter)の消息を探しているとお聞きし、そのお手伝いをさせていただければと、私が申し出たことでした。

カーターさんは、1972年にスウェーデンのストックホルムで行われた国連人間環境会議で、日本から参加していた水俣病患者の通訳をされた方です。塩田さんは、このときのカーターさんの通訳に衝撃を受け、当時のことを次のように振り返っていらっしゃいました。

 この人の情熱的な通訳ぶりが私の頭から離れません。世界中の記者が集まった民間フォーラムの記者会見場で、坂本しのぶさん母娘、浜元二徳さん、カネミ油症患者等の通訳を勤めてくれました。浜元さんのトツトツとした言葉とカーターさんの激しい舌鋒(ぜっぽう)のやりとりは静と動となって会場を揺すった。坂本フジエさんもカーターさんの顔を真っ赤にした通訳ぶりに乗せられたのか、お互いの心の昴(たか)ぶりはその極に達していた。英語特有の強弱のアクセントが場内の人々の心を突きさす様が伝わってくる。痛いばかりの拍手が響き渡りました。
 私はこの日を忘れることが出来ません。彼の英語の喋り口が40年たった今でも頭に残っています。
(『季刊 水俣支援東京ニュース』No.63 2012.10.15より抜粋)


「静かで小さい声」で仕事をするのが通訳だと思っていたところ、型破りなカーターさんの姿は、とても強烈だったそうです。

塩田さんによると、カーターさんは、「米国籍の牧師」であり、日本の女性と結婚しているとのこと。ご存命なら80歳くらいではないかともいわれていました。米国で暮らしていたことのある私は、日系アメリカ人コミュニティに知り合いがいます。日本語がわかる牧師であれば、日系コミュニティに知っている人がいるかもしれない思いました。

カーターさんの消息を探す「たずね人」の記事と写真を、米国の新聞に掲載したく、塩田さんに写真掲載の許可などのことで連絡をとらせていただいたのが、2012年の冬だったと思います。これが交流の始まりでした。

たずね人の記事は、ロサンジェルスで発行されている「RAFU SHIMPO」に2013年1月29日に掲載されました。ネットにも同じ記事が掲載され、情報を待ちました。しかし、消息を知っている方からの連絡はありませんでした。

カーターさんは、1973年に行われたマグサイサイ賞表彰式でも通訳をされていたようで、フィリピンにあるマグサイサイ賞財団にも問い合わせてみましたが、「当時のことを知っているスタッフはいない」とのことで、手がかりは途絶えてしまいました。
マグサイサイ賞財団は、1973年にマグサイサイ賞を『苦界浄土』を執筆した石牟礼道子さんに贈っていて、表彰式の通訳を担当したのが、カーターさんらしいのでした。

カーターさんの消息については、国内外、いろいろな方にお聞きしてみましたが、これ、といった情報を得ることはできないまま、今日に至ります。

2013年4月には、塩田さんの写真集『水俣な人』が発売されました。「水俣な人」というのは、水俣に惹かれ、集まった人たちのことで、一つ前の写真集、岩波から出版された『僕が写した愛しい水俣』が患者を中心にしたもだったのに対して、『水俣な人』は、支援者がテーマである写真集です。このなかには、カーターさんの写真も掲載されています。

塩田さんはこの写真集について、「私としては最後の仕事と思い取り組んでいます。前回の‟岩波の本‴は患者中心でしたが、今回は支援者中心です。これで私の‟水俣病”は完結です」とおっしゃっていられましたが、本当にそうなってしまいました。それでも2014年1月27日に熊本地裁で行われた水俣病被害者互助会 第2世代訴訟の結審には行かれていたようで、水俣への思いはずっと持ち続けていらっしゃったことと思います。

『水俣な人』に掲載されている塩田さんが撮影された方々の表情を見て、私は塩田さんにこうお伝えしました。「年をとることについて、“時の流れは残酷だ”、という言葉を聞くことがありますが、『水俣な人』のお顔には、人生を丁寧に生きてこられた歴史が刻まれていると感じました」と。私もそういう年の取り方をしたいと思った次第です。

塩田さんのことは、2007年、水俣市の水俣病資料館で行われた『水俣を見た七人の写真家たち』のパネルトークでお見かけしておりますが、きちんとご挨拶をさせていただく機会もないまま、2012年冬に、手紙と電話でお話しさせていただくご縁をいただいたのでした。
晩年の塩田さんのお顔を拝見することが叶わなかったことが残念です。塩田さんは、まぎれもなく『水俣な人』だったと思います。

合掌。

A.Carter.jpg
塩田さんが撮影されたカーターさんの写真。
モスクワからストックホルムに向かうバスの車中。
前列左は、土本典昭さん、中央に、坂本フジエさんとしのぶさん。右手前がカーターさん。
1972年6月4日 撮影:塩田武史さん

A. Carter in Moscow on a Stockholm-bound bus on June 4, 1972. (Photos by Takeshi Shiota)




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2014年08月05日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第一回 口頭弁論 #minamata

水俣病・食中毒調査義務付け訴訟の口頭弁論が、2014年8月1日、東京地裁で行われました。

水俣病が食中毒であることによる住民調査の義務付けを求める訴訟です。

原告は、水俣市在住の佐藤英樹さん。
被告は、国と熊本県。
食品衛生法に基づく調査の義務付けを争う裁判であり、被告の「国」とは、具体的には処分行政庁の厚生労働省を指します。


裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg
裁判所合同庁舎(東京・霞が関)

東京地裁に向かう弁護団.JPG
東京地裁に向かう弁護団

10時30分から始まった食中毒調査義務付け訴訟の第一回口頭弁論は、約15分ほどで、あっという間に終わってしまった印象でした。

原告側は、食品衛生法に基づく調査の実施と報告、これら調査をこれまで行ってこなかった責任の追及、調査が行われなかったことで損害を受けている原告への損害賠償を求めています。

被告側は、原告にはこうした要求をする権利は認められていない、訴訟要件を欠いているため不適法だと主張し、請求の却下を求めています。

法廷で、原告側代理人の山口紀洋弁護士が述べたのは4点でした。

1) 陳述時間について
報道に与えられた法定撮影時間は2分。山口弁護士に与えられた陳述時間は5分。(15分欲しいとお願いしていた)短すぎると主張。

2) 水俣病の経過
政府公式確認から58年目の水俣病。ところが2012年7月に申請を締め切った特措法には、約6万5千人が申請していることから明らかなように、長年、被害者は放置されてきた。
2013年4月16日の溝口訴訟、Fさん訴訟についての最高裁判決について。溝口チエさんは、認定申請から42年かかって患者と認定された。最高裁判決は、52年判断条件を否定。本来なら、(国・環境省は)52年判断条件を撤回し、新しい基準をつくるべき。ところが、環境省は2014年3月に、根拠なしにつくった「新通知」を出すことで、最高裁が否定した52年判断条件を維持している。また、これまでに国が水俣病の認定を棄却したケースについては、見直しをしないといっている。

3) 水俣病 不正/解決しない原因
当初から、被害者の調査をせず、また、今日にいたるまで、調査を行うことを否定してきた行政の姿勢が原因。これは許されることではない。

以下は、法廷での発言ではありませんが、食品衛生法に基づく調査義務付け訴訟を始めるきかっけの一つは、環境省特殊疾病対策室室長だった大坪寛子氏(現在の小林秀幸室長の前任者)が、患者や弁護団から、国はなぜ水俣病の調査をしないのかと理由を問われた際、公式確認以来57年間、「調査の手法について調査してきた」と回答したことだったそうです。
このやり取りが行われた現場に筆者もいましたが、この回答に唖然としてしまいました。

なお、このときの環境省とのやりとりについては、溝口訴訟弁護団のホームページに掲載の、環境省への申し入れ書(2013/4/26)で読むことができます。(以下引用)


  
水俣病公式確認から56年以上を経た今日において、認定をめぐる行政の不法がなされて来た根本原因は、環境省および熊本県が不知火海沿岸往民の健康披害に係る悉皆調査を実施しないことにあります。
 すでに、2004年10月の関西訴訟最高裁判決の直後に、当時の潮谷県知事が、環境省に対し、八代海地域に居往歴がある者47万人を対象とした網羅的な悉皆調査を提案しているのです。
 さらに、この問題に関して、前環境省特殊疾病対策室室長大坪寛子氏は、調査方法を57年間検討中である、などという明らかに虚偽違法の発言を続けていま した。調査方法については、通称・重松委員会の「水俣病に関する総合的調査千法の開発に関する研究」をはじめ、これまで環境省委託で行われてきた様々な研 究が、調査手法を提言しているにもかかわらず、いまだに実施に移されず、それどころか、調査手法自体決められないというのは極めて異常な事態です。


4) 被告の答弁について

被告の反論は、技術的な部分に限定されている。
原告の佐藤英樹さんと同時期に発生した患者を含め、水俣保健所長と天草保健所長は県知事に報告をし、県知事は厚生労働大臣に報告。大臣は食品衛生法に基づき、県知事に調査を求めるべきだった。この手続がとられていれば、佐藤英樹さんは食品衛生法に基づく調査で患者と認められたはず。


第一回口頭弁論のより正確な報告は、溝口訴訟弁護団のサイト に掲載されると思います。
同サイトには、訴状の概要が掲載されています。

<訴状の概要>
 訴状では、公式確認から6か月後の1956年11月には、水俣病は魚介類による食中毒であることが判明していたこと。そして、当時既にこのような大規模な集団食中毒に対する行政対応や実態把握の方法(すなわち食品衛生法に基づく住民食中毒調査)が、関係行政機関の義務として法定されていたことを指摘しています。
 また、水俣病の実態把握(病像やメチル水銀の汚染範囲)をしなければ、適切な施策ができないことは自明であり、現に1991年の中央公害対策審議会答申や、2004年の熊本県の八代海沿岸住民調査の提案など、行政側からも住民調査の必要性が説かれてきたことを列挙しています。
 しかし、水俣病ではこの当たり前の対応がなされず、代わりに作られた本人申請主義と認定制度は、実態把握からは遠のき、事態を混乱させるだけだったことを明らかにしました。
 何の医学的・科学的根拠を持たない「S52年判断条件」によって、水俣病の病像がねじ曲げられ、さらに本人申請主義では、家族や地域の事情のため申請することが困難であり、患者として名乗り出たくてもできない状況があることを指摘しています。
 その結果、公式確認から58年を経た現在に至っても、水俣病は解決するどころか、民間の調査によって新たな患者や汚染地域の拡大が確認され続けている事実を指摘しました。
 水俣病は、食品衛生法の目的である「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もって国民の健康の保護を図る」が未だ履行されていない現在進行形の事件であり、直ちに適切な対応施策をとならなければ、不知火海沿岸住民が今後も回復困難な損害を被ることを訴えました。




今回、原告の佐藤さんは上京できなかったので、法廷で原告サイドに立ったのは、山口紀洋弁護士一人。対する被告側には、国や県の代理人が15人もいるという、圧倒的な差を見せつけられました。(筆者は13人までしか確認できませんでしたが)

傍聴席は報道関係者も含めて30人くらいが確認できました。

報告集会.JPG
口頭弁論の後、弁護士会館で報告集会が行われました。

「一人ひとりが、(水俣病事件解決にかかわる)波の一波だと実感してほしい」と語る山口弁護士。
「それを実感する日が、人生のなかで一日でもあったことが嬉しい」とも。

私のようなものが、傍聴席に座っていることが何になるんだろうと、考えないわけではなく、自分の無力さを常に感じているからこそ、山口弁護士のこの言葉に胸をうたれました。裁判の傍聴に行くことも、波の一波なのだと、気づかせていただきました。

そして、半世紀以上の水俣病事件史を振り返ってみると、
40年前の1974年8月1日は、水俣病認定申請患者協議会が発足した日であり、溝口チエさんが熊本県に水俣病の申請をした日でもあります。(申請から21年後に行政はチエさんを棄却。(←放置しすぎ!)2013年に最高裁はチエさんを水俣病と認定しました)

溝口チエさんは申請から3年後の1977年に死亡。チエさんの水俣病患者認定は、チエさんが亡くなってからのことだったのです。
溝口訴訟にかかわってこられた支援者の方も、この間、亡くなられています。

新聞が、全ての水俣病患者の訃報を取り上げるわけではありません。
この間、人知れず、ひっそりと亡くなられていった水俣病患者の方がいらっしゃいます。
ご自分で主張できる人もいれば、水俣病で言葉を失われた人もいます。
言いたいことを言えないまま、息を引き取られていった方々…
そうした方々に寄り添い続けている方…

いくつもの一波が積み重なって今日に至っているわけです。

水俣病の食中毒調査義務付け訴訟をするべきだと主張してきた津田敏秀岡山大学教授は、疫学の研究者として「同時代性の責務」を感じていると、山口弁護士から紹介がありました。
この時代に生きている疫学者としての責務、というわけです。

この裁判の続きは、10月24日(金)11時に開廷とのことです。

なお、この日、「チッソの逃亡を許さないアピール」が、チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員から、環境省の長谷川特殊疾病対策室長補佐に手渡しされたとのことです。
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2014年07月06日

「チッソ・JNCの水俣病補償救済からの逃亡を許さない7・6アピール」

チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム第10回にて、以下のアピール文が採択されました。

s20140706会場.JPG

チッソ・JNCの水俣病補償救済からの逃亡を許さない  7・6 アピール

 水俣病未認定問題では、被害者の闘いと、為政者の和解策とが交互に歴史を織りなしてきました。

 一九九五年 村山内閣による第一次政治決着が約一万人の未認定患者を対象に行われましたが、患者定義も行政責任もあいまいなことに抗して続けられたチッソ水俣病関西訴訟で、二〇〇四年、最高裁判決が国と熊本県に水俣病拡大の賠償責任を初めて確定させ、病像も中枢神経損傷説を軸に塗り替えられました。

 判決に背中を押されるようにして多くの患者が認定を申請する中、二〇〇九年には「水俣病特措法」が施行され、補償救済を求めて新たに名乗りを挙げた人々は六万五千人に上りました。私たちは水俣病被害の裾野の広さを、深く認識し直した次第です。しかし、出生年や居住地域の線引き、二年二カ月での受付停止、今後明らかになる「非該当」判定・・・様々な形でそこから除外される人々が多数存在し、特措法が標榜した「能う限りの救済」は画餅に帰さんとしています。

 そんな中で二〇一三年、溝口訴訟・Fさん訴訟の最高裁判決が、棄却患者を多数生みだす公健法の認定基準(水俣病判断条件)の誤りを指弾したのは記憶に新しいところです。二度にわたって、行政の誤りを最高裁が断ずるというのは、極めて稀な展開です。そこ至る患者・被害者の闘いに心から敬意を表するとともに、この期に及んでも水俣病判断条件を見直さない国の環境行政には憤りと失望を抑えることができません。

 それにも増して由々しいのは、チッソが、勝手に水俣病問題を終わらせようとしていることです。特措法がチッソと子会社JNCの免責を促進することを、私たちは、法の成立以来ずっと批判し続けて来ましたが、今般の会社法改正問題で、いみじくも、チッソの本音が露呈しました。チッソは特措法の「子会社株売却 → 免責」をあたかも既得権のように言い募り、それに籠絡された国会の多数会派が、改正会社法で課されるはずの「子会社株売却には株主三分の二の同意が必要」という新たな規制を、チッソには免除することにしてしまったのです。

 このようなチッソ優遇の立法は残念至極ですが、そのことで私たちは危機感を深めました。当面チッソ子会社株売却を認可する状況にないと環境省は言っていますが、予断を許しません。熊本・新潟の患者団体は連帯を強め、また、国会内でも超党派の議員連絡会が結成されるなど、新たな動きも始まっています。

 水俣病被害の「底」が見えない以上、補償救済は被爆者援護法のような恒久法によってこそ行なわれるべきで、そのためにも、チッソによる子会社株売却は、半永久的に凍結し続けるしかありません。
水俣病補償責任がある故に行政の手厚い庇護を受け、倒産を回避してきた会社が、未認定患者がなおも苦難の海にあえぐ傍らで補償救済の放棄を目指すのは、天に唾する暴挙です。

 私たちは、チッソ(新潟では昭和電工)と国・県に対し、水俣病患者・被害者の補償救済に最後まで責任を持つよう、強く求めます。チッソ・JNCの逃亡を決して許さないことを、声を大にして訴えます

2014年7月6日

チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム  参加者一同

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2014年05月27日

奪われた言葉の代わりに、写真が水俣病を伝えてくれた #minamata

もう7年も前のことになるが、2007年に水俣病資料館で「水俣を見た7人の写真家たち展」が行われ、7人の写真家によるシンポジウムが行われた。

それほど広くない会場に、たくさんの人が話を聞きに来ていた。
そのなかに水俣病患者の杉本栄子さんの姿もあった。

シンポジウム後の質疑の時間に、栄子さんは手をあげて発言をされた。
その発言を聞いて私は、強い衝撃を受けた。

栄子さんの発言に、身も心もつかまれてしまったような一撃を忘れることはできない。

あのとき栄子さんは、水俣を撮影してきた写真家たちに感謝の言葉を述べていた。

水俣病が「水俣病」と呼ばれる以前、「奇病」と呼ばれ、伝染病だと思われていた1950〜60年代、栄子さん一家は、家族同然の付き合いをしていた親戚や近所の人たちから、徹底的に村八分にされた。

家族の身におきた病気について口にすることを、世間は許さなかった。
言葉を奪われた栄子さんは、「おはようございます」と挨拶することも許されなかったという。

桑原史成さんをはじめとする写真家たちが水俣で撮影を始め、雑誌などに発表されると、世間の関心が水俣病に注がれるようになった。

栄子さんに代わって、写真が、水俣で今、何が起こっているのか伝えてくれたというのだった。

「水俣へ来られた写真家の皆さんが、言葉を発することの許されない私たちの代わりに、写真で水俣を伝えてくれた。だからこそ、今がある」

「私は感謝しています。もの言えなかった私たちが、言えるようになったっです。それはみなさんの写真のおかげです」


20070430杉本栄子.JPG
2007年4月撮影 水俣病資料館にて 発言する杉本栄子さん。

杉本栄子さん

1938年生まれ。漁師の家に生まれる。
3歳から父に漁を教えてもらう。
1959年、母が水俣病で入院。杉本家に対する差別が始まる。
    結婚。栄子も発病。
1969年、父が水俣病で亡くなる。
1969年、水俣病の原因企業チッソに賠償を求める裁判の原告になる。
   (熊本水俣病第一次訴訟)
1973年、第一訴訟勝訴
1974年、栄子 水俣病患者認定
1981年 夫 水俣病患者認定

2008年2月28日、永眠




「闘いを教える人も全国から来てくださる。写真家も全国から来てくださる。このことが世界につながった。
 でも、この人たちに頼とっていいのか。俺たちゃ、ここで死なんばならないとやろが、闘いも争いもなくすためにはどうすればいいのか。
 ものを言えない、標準語も言えない、漁師である私が(資料館の)語りにならせていただいたってことは、水俣のことは水俣んもんじゃなからんば解決しならんとじゃなかっただろうか。
 私は考えました。だから、標準語も、やっとやっと、ちった言えるごっなりましたばってん、語り部になりました」

栄子さんは1995年、水俣病資料館の語り部になった。

語り部をしている栄子さんの映像がふんだんに使われているのが、西山正啓監督の2014年の映画『のさり』だ。

西山監督いわく、栄子さんは、「水俣病の過去・現在・未来」の全てを体験した人だという。
そして、栄子さんの語りのなかには、その全てがあるという。
映画は、そこを描きたかったそうだ。

「闘いも争いもなくすためにはどうすればいいのか」と、資料館で発言された栄子さんは、
自身が経験した水俣病の過去と現在を語り、さらに、未来の水俣はこうあってほしいね、と話していたと思えてならない。

栄子さんが経験した水俣病の過去には、水俣病で奪われてしまった日常生活。
拒絶された人間関係と、人様からの残酷な仕打ちがある。
これは、栄子さんたちがチッソを被告にした裁判に参加することで、さらに激化した。

裁判原告になったのは、29世帯。
この時期、原告家族は隠れるようにして生活をしなければならないほど、世間から忌避されていた。
当時の栄子さんたち原告家族の苦しみを見落としてしまえば、栄子さんの言葉の重みも、水俣病事件が教えてくれる教訓も、その意味合いが変わってしまう。
この時期、栄子さんたちが耐え抜いた人様からの残酷な仕打ち。
このことを考えずして、水俣病事件は語れないのではないか、と私は思う。

映画では、語りに加えて、栄子さんが小学生に「2001水俣ハイヤ節」を教えるシーンがでてくる。
子どもたちの前で踊ってみせる栄子さんは実に、いきいきとしている。
もし「2001水俣ハイヤ節」が、百年後の水俣でも踊り継がれていれば、こどもたちは踊りがつくられた理由を考えてくれるかもしれない。そして、自分たちが住んでいる町に、水俣病事件があったことを知ることになるかもしれない。
栄子さんは水俣病の歴史を「芸能」で残したいと考えていた。

栄子さんにとって、ハイヤ節を子どもたちに教えることは、未来を生きることだったのだろう。

実際、ある水俣の小学校で踊られたハイヤ節の輪には、チッソの子どもと患者の子どもが一緒に踊る姿があったという。

映画のなかでは、はつらつとハイヤ節を踊る栄子さんだが、そのころから体調はよくなかったと西山監督はいう。

2008年、栄子さんは69歳で亡くなった。


今でも毎年、栄子さんの命日にはご縁のあった人たちが集い、栄子さんとの縁(えにし)を語り合う。
今年行われた栄子さんの七回忌では、『のさり』が上映された。
かつて、語ることを禁じられた栄子さんの言葉は、写真がその代わりを果たしたように、
映画『のさり』は、故人となられた栄子さんの代わりとして、多くの人を魅了していくだろう。




写真集「水俣を見た7人の写真家たち」




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2014年05月14日

水俣病 大石利生さんの意見陳述 #minamata

大石利生さん(水俣病不知火患者会会長)が、5月13日の参議院法務委員会で、
会社法改正におけるチッソ優遇修正案について、参考人として意見陳述されました。

水俣病をめぐる行政の問題点を、わかりやすく話していただいてます。
特に、以下の点がポイントかと。

● 症状が見えにくいため理解されにくい水俣病の症状について

● チッソが子会社売却で得る益売却を、水俣病の補償救済の財源にすると政府は説明していますが、
このとき得られる財源は一時的なものでしかなく、年々減っていくものであること。
大石さんは、政府のやり方では、新しい被害者がでてきた場合、補償救済ができない点を指摘しています。

● 国が決めた、救済の対象となる範囲が現実と乖離しているため、救済されるべき人が取り残されていること。この点が解決しない限り、水俣病は終わらないということ。

法務委員会_大石さん.jpg
参議院インターネット審議中継からキャプチャー

以下、意見陳述の中継を見ながらの、おおまかな文字おこしです。
聞き間違い等あるかもしれませんので、録画映像をあたってください。


会社法改正では、子会社の株売却につき株主総会の特別決議が必要とされている。ところが水俣病の加害企業であるチッソを適応除外する修正案が衆議院で可決された。これに反対する意見を述べます。

加害者はすべての被害者への補償、救済に最後まで責任におうべき。どうして国会が加害企業であるチッソを特別扱いにして優遇するのですか。どうして国会が、公害加害企業チッソの責任逃れを手助けするのですか。水俣病に苦しみつづける私たちは被害者は絶対に納得できません。

水俣病はチッソがメチル水銀ふくむ工場排水を海に垂れ流しておこりました。激しく痙攣(けいれん)して短期間で死亡にいたる劇症型はよく知られているが、現在の被害者は、手先、足先の感覚がいたみ、感じにくいという症状が多く見受けられる。私の場合は38歳で交通事故にあい、ガラスの破片が足の裏から甲までつきぬけたことがありましたが、痛みを感じず、血だらけの足をみるまで怪我に気づかず平気で歩いていた。他にも様々な症状がでる。

現在の水俣病被害者の生活の一つのイメージはこうです。議員の方も考えてください。
朝起きたときから頭が重い。食事は味も臭いもわからない。よくものを落とす。ころぶ。家事も仕事も失敗する。手がふるえる。口がまわらずしゃべりたくない。ひっこみがちになる。少し疲れるとこむらがえりで激痛。夜は耳鳴りで眠れない。やっと眠れたのに、こむらがえりの激痛で起こされ朝まで眠れない。こういうものです。想像できますか。

外から見ただけではわかりにくい被害かもしれません。しかし今の被害者は水俣病に苦しみつづけている。
胎児性患者の坂本しのぶさんは、本当は健康な身体で生きてきたかった。私は苦しみながら生き続けるのに、その加害者であるチッソは免罪されはればれと生き続ける。こんな不条理は絶対に許せないといっている。これは全ての被害者に共通の思い。

修正案の提案者は、被害者救済と水俣病問題の最終解決を妨げてはならないというが、現実を無視するもの。水俣病特措法は、チッソの子会社の株式を売却をして、それを被害者の補償にあてるしくみとなっている。子会社の株式を売ることで一時的にはお金がつくれる。しかし、被害者補償に回せる金額の上限がきまっている今、未救済の被害者が取り残されている。今後、被害者が補償をもとめても資金不足でチッソからの補償をうけられなくなるおそれがある。これでは被害者救済にも、水俣病問題の最終解決にも逆行することになる。驚かれるかもしれないが、公式確認から58年、まだ被害者は多数とりのこされている。水俣病は終わっていない。

平成22年から特措法の受付はじまったが、不当に切り捨てられた人が多い。検診で症状を認めてもらえず切り捨てられた人がいる。配布資料1ページ目の写真をご覧ください。痛みの感覚の検診で、医者からつまようじを強くつきさされて出血した人の写真。わたくしどもが把握しているだけで20件以上はあった。

検診を依頼する医師は、行政が依頼するわけですが、なかには申請者の感覚障害を疑ってかかる医師もいた。感覚の検査では、手先、足先と胸などの体感を比較する。しかしうちの会員である山本さとこさんのケースでは、医師が比較の検査をしなかった。山本さんは元看護師なんで、おかしなことがわかったんですね。人の命と健康を扱う医者が、あんないいかげんな検査をするなんて許せないと怒っています。

次に、半世紀前の資料をだせと行政から無理強いされて出せずに切り捨てられた方もいる。被害者と認められるには、症状にくわえて、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという暴露要件が必要です。行政が一定の地域を対象地域と定め、そこでの居住歴、生活歴があれば、暴露ありとされるしくみです。ところが行政は客観資料を要求する。客観資料とは、住民票、雇用暦、学齢の証明書です。しかし半世紀前の住民票は廃棄されて残っていない場合がある。引っ越しても住民票を移さなかったケースは昔よくあった。

会員の大野よしみさんは、3歳から6歳まで女島という患者多発の漁村で暮らしたが、住民票を移してなかったために非該当となった。大野さんは、当時同居していた親戚の証言を文章でだしたのに認めてもらえなかった。行政は住民票をうすさなかった親を恨めというのですか、と憤慨している。

会員の77歳のIさんは、30〜32年まで水俣の洋服店に住み込みで働いていた。今では店もなく、雇い主の行方もわからず、雇用証明書をだせす非該当になった。
国は私たちを放置していて、今になって60年前の雇用証明をとっていなかった私が悪いというのですかとおっしゃっています。

対象者が多数取り残されていることが明白な地域、特に天草。配布資料3ページ。地図がついているところ。(地図の説明省略)図で斜線をひいたのが、特措法対象地域。天草は、御所浦、龍ヶ岳だけが対象地域。

従来、行政は、対象地域外というだけで水俣病と認めてこなかった。住民も、対象地域外とされれば、自分が水俣病のはずがないと思い込み、ある方は申請しても無駄だとあきらめていた。

しかし平成21年の民間の住民健診では、天草の住民から水俣病の症状が確認された。手先足先の感覚障害は珍しい症状で、汚染のない住民のなかでは100人に一人いるかいないかというレベル。手先、足先の感覚障害を持つ人が多数みられれば、地域ぐるみのメチル水銀汚染が強く疑われる。

その後、天草の対象地域外から、数百名が、ノーモアミナマタ第一次訴訟の原告となり、平成23年の和解で地域外の7割が救済対象に。その後特措法でも、私どもが把握しているだけでも、地域外の会員のうち数百名が救済対象になっている。被害者のいないはずの地域外から、被害者がでたのを他の住民がみて、救済を求める声がさらに広がっている。

水俣病不知火患者会は、被害者の掘り起し、検診を勧めている。ノーモアミナマタ訴訟では、天草の、倉岳(くらたけ)、河内(かわち)、姫野(ひめの)の三地区が中心でしたが、特措法では、楠浦(くすうら)、親和(しんわ)、栖本(すもと)など沿岸地域一体に申請者が広がっている。

対象地域外の地元自治体も対象地域の拡大を求める意見書をだしている。天草の不知火海沿岸で、対象地域外とされている地域の人口はすくなくても3万人以上。天草での救済は始まったばかり。そのほか魚介類が流通した内陸部。山間部、昭和43年以降に生まれた人の救済が本格化しようとしている。

特措法 平成24年7月に間に合わなかった申請者もいる。過去の差別、偏見の影響で、子や孫の就職、結婚の心配から、申請をためらう人がいる。水俣市周辺の市町村を比べると水俣市の割合が低いのも、チッソのおひざ元であるのが影響しているのではないでしょうか。

県外転出者にも情報が届いてません。高度成長経済のとき集団就職で、中学卒業すると東京、大阪方面に集団就職で移住。その人たちが私たちと同じ症状がでてますが、それが水俣病だということわからない。誰も教えてくれないのが現状。

以上のように、未救済の水俣病被害者が多数とりのこされている。被害者救済が終わる見込みない。水俣病は終わっていないのです。

このようななかでチッソを優遇する修正案は絶対に許せない。国はチッソを優遇して、子会社株式売却を手助けすれば、残されている被害者がチッソから補償を受けられなくなる。水俣病問題の最終解決に逆行する。

加害企業チッソを擁護しても、国の賠償責任は消えません。関西訴訟最高裁判決では国の責任は4分の1。しかしチッソがいなくなれば、被害者が賠償うけられなくなれば、国が全額を負担するようになるのではないか。すべての加害者はすべての被害者への補償をまっとうするべき。私たちは闘いつづけます。

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2014年05月13日

水俣病 5月13日の参議院・法務委員会の感想 #minamata

会社法改正におけるチッソ優遇修正案について話題をしぼり、
5月13日に行われた参院法・務委員会の感想を。

法務委員会_共産にひ議員4e.jpg
(参議院審議会中継サイトの映像をキャプチャーしました)

チッソ優遇修正案を提出した維新の西田議員の言いたいことは、
大切なのは 水俣病特措法を立法した「先生方の努力」(先生方=国会議員)であり、
したがって、「先生方」が熟考された特措法スキーム実行の障害物になるものは取り除いて当然というように聞こえた。
この場合の障害物とは、親会社が子会社株を売却する際、株主の同意を得るという要件。
チッソ以外の会社は、この要件に従うことになるのだが、チッソだけは適用除外にするのが維新の修正案。
よって、チッソは株主の同意なしに子会社株の売却ができるようになる。
チッソが子会社株を売却し、チッソが計画的倒産をすることは、特措法に盛り込まれている。
この加害企業消滅計画が実行されると、チッソが加害責任からフリーになる。
また、どのタイミングで、特措法スキームに書いてある、新規の水俣病患者認定を停止するのか定かでないが、新規認定が停止されると、現在、環境省が熊本県などに委託している患者認定業務もなくなるだろうから、環境省および関係する県も、水俣病の加害責任からフリーになれるという、許しがたい事態になる可能性は大きい。

特措法は成立時から問題が指摘されていたが、自民・公明・民主の賛成で2009年に成立した。
実際に特措法による救済策が開始されると、被害の現状を無視してつくられた救済策なので、切り捨てられる被害者が続出することになった。

そうした現状があるのだから、水俣病被害の救済の終わりは遠い。
だが、チッソが子会社株を売却するには、前提として、水俣病被害者の救済が終了していなければならない。
しかし、チッソと環境省を免責したい人達は、この不都合な現実を無視している。

維新の西田議員と、共産の仁比議員のやりとりを聞いていると
西田議員が修正案を正当化する理由として挙げているのは、特措法立法者である先生方の意志を貫くため、特措法スキームを実行するために限ってであり、そこには、修正案が被害者救済にプラスになる根拠は一切見当たらない。

・・・・・・・・
仁比議員が、具体的な事例をあげて、「こうした事態から、救済が終了したといえると考えられますか」
と質問。

西田議員の回答
「ご指摘の問題はあると思う。しかし、今回の会社法で我が党がだした修正案は、あくまで現行の水俣病特措法のスキームを前提とした修正案。あまり、特措法そのものについての認識について、この場で私が修正案を超えてお答えするのが適切なのかと考えるところ。ご理解を」

 ※「特措法スキームを前提」にした修正案であり、被害の現実は前提にされていないようである。

仁比議員
「政治家としての感想も示せないのか。スキームというが、特措法は、あたうかぎりの救済が目的。あなたががたの提案は、その加害企業チッソの株式譲渡を容易にしようと、ハードルを課さえないものになっているから抗議の対象になっているわけ。(略)
被害者たちが、一方的に国が設定した線引きで切り捨てられていいはずがない。もう一度おたずねする。これで救済が終了したといえると思いますか。それを前提に株式譲渡の要件を議論する場面だと思いますか」

西田議員
「おっしゃるような、問題がおきていることは事実。(生じた問題については)裁判中であるわけで、司法の結論でれば対応されなければと思う。
 特措法制定時の原則、あたう限りの救済から何分ずれるものではない。そういった思いで、修正案は努力のなかで成立された(特措法)立法者の意志とはそぐわないという認識」

仁比議員
「つまり、救済の終了とはおっしゃりはしないわけですか」



昨日(5月12日に)行われた院内集会での被害者団体からのコメントを再度紹介します。

大石利生さん(水俣病不知火患者会 会長)
「会社法改正によるチッソ優遇の修正案は、チッソの責任と役割を免責し、水俣病の幕引きをしようとするもので許されない」

坂本龍虹さん(水俣病被害市民の会 代表)
「会社法でチッソだけ適用除外する件もそうだが、特措法でもチッソは民法や破産法のいくつかの項目で法の適用対象外になっている。なぜチッソだけが適用対象外なのか理解に苦しむ」

谷洋一さん(水俣病被害者互助会 事務局長)
「国はなぜチッソをこれほど擁護し、被害者のためには動かないのか。
 水俣病被害の申し立てが相次ぎ、訴訟も今後行われていく状態。そういう意味では水俣病の解決が見えないなかで、チッソの分社化は進められ、先日の水俣病犠牲者慰霊式では、チッソの社長が子会社の株売却を早く進めたいと発言している。ようするに、水俣病の責任から逃れたいということを平気で発言しているということ。被害者はこうしたことを許せない」

中山裕二さん(水俣病被害者の会全国連絡会 事務局長)
「特措法がこのままいくとチッソは消滅する。チッソが子会社の株を売却すると加害企業がなくなる事態になる。認定患者がチッソと結んでいる補償協定は、1970年代に患者が必死の闘いで勝ち取ったもの。それをないがしろにする行為であり、それが特措法である。
 慰霊式で石原環境大臣が、自分の在任中はチッソが株を売ることはないといったが、私の在任中は消費税をあげないといった総理大臣もいた。同じことなのではないか」

菅一雄さん(ノーモアミナマタ第二次国賠訴訟弁護団)
「今の状況説明を。今国会に会社法改正案が提出されていて、改正案は多義にわたるが、そのうちの一つが、子会社の株式売却時、親会社の株主総会による承認を必要とする改正案。私どもが反対しているのは、この改正案からチッソを除外しようという修正案。修正案は維新の会が議員提案し、衆院で可決、参院にまわされているのが今の状況。
 反対する理由は、特措法にはじまる加害企業免責、水俣病問題の幕引きの一環としての動きだから。
どういうことかというと、特措法の申請が締め切られ(2012年7月末)、いよいよ今夏にも特措法に定められた手続き上、チッソが子会社売却を環境省に伺いたてられる状況。これにより本当に加害企業チッソが水俣病と縁を切ることにつながる。縁が切れれば、チッソは水俣病と無関係に金儲けができる。今、その一歩手前にきている状態で、わざわざチッソに株を売りやすくする修正案をだしている。なぜ加害者の味方を国会がするのか」


20140512チラシ.JPG
(院内集会にて撮影。手前は配布されたチラシ)

参議院の「先生方」はどう、判断するのでしょうか。

追伸:12日の院内集会での被害者団体からの発言と、本日の法務委員会で意見陳述をされた大石利生さんの発言および仁比議員の質疑には、水俣病の補償救済の不条理な線引きの実態、理解されにくい病状の具体例等の話がありました。これらは、特措法の救済制度が根拠なくつくられていること指摘する証言でしたが、会社法改正および修正案の話題と一緒にすると、かなり長文になるかと思い、別の機会に書きたいと思います。
posted by みの at 17:53 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

会社法改正 チッソ優遇の修正案は 許せない #minamata 

2014年5月12日 参議院議員会館で、水俣病に関する院内集会がありました。
集会の趣旨は、会社法改正において、チッソ優遇の修正案は許せないというもの。

チッソ優遇の修正案は、「チッソだけ特別扱い」とか、「チッソだけ適用対象外」と読みかえてもいいかと思います。

どんな特別扱いをチッソだけがしてもらえるのかというと、

会社法改正案では、親会社が子会社の株を売却する際、
株主総会の承認を義務づけているのですが、

チッソにおいては、親会社であるチッソが、子会社(JNC)の株を売却する際、
株主総会の承認の義務を適用対象外にするというもの。
これが、チッソ優遇の修正案です。

水俣病 国会院内集会 2014/5/12 on Twitpic

院内集会では、特措法についても多くの問題点が指摘されましたが、
ここでは、会社法改正 チッソ優遇の修正案に関する発言だけを紹介します。

大石利生さん(水俣病不知火患者会 会長)
「会社法改正によるチッソ優遇の修正案は、チッソの責任と役割を免責し、水俣病の幕引きをしようとするもので許されない」

坂本龍虹さん(水俣病被害市民の会 代表)
「会社法でチッソだけ適用除外する件もそうだが、特措法でもチッソは民法や破産法のいくつかの項目で法の適用対象外になっている。なぜチッソだけが適用対象外なのか理解に苦しむ」

谷洋一さん(水俣病被害者互助会 事務局長)
「国はなぜチッソをこれほど擁護し、被害者のためには動かないのか。
 水俣病被害の申し立てが相次ぎ、訴訟も今後行われていく状態。そういう意味では水俣病の解決が見えないなかで、チッソの分社化は進められ、先日の水俣病犠牲者慰霊式では、チッソの社長が子会社の株売却を早く進めたいと発言している。ようするに、水俣病の責任から逃れたいということを平気で発言しているということ。被害者はこうしたことを許せない」

中山裕二さん(水俣病被害者の会全国連絡会 事務局長)
「特措法がこのままいくとチッソは消滅する。チッソが子会社の株を売却すると加害企業がなくなる事態になる。認定患者がチッソと結んでいる補償協定は、1970年代に患者が必死の闘いで勝ち取ったもの。それをないがしろにする行為であり、それが特措法である。
 慰霊式で石原環境大臣が、自分の在任中はチッソが株を売ることはないといったが、私の在任中は消費税をあげないといった総理大臣もいた。同じことなのではないか」


国会議員も数名出席。
民主・大島議員(参)、共産・仁比議員(参)、共産・市田議員(参)、共産・赤嶺議員(衆)、社民・吉川議員(衆)

コメントを紹介したいところですが、今日は時間がありません。

明日の参議院法務委員会で、仁比議員と糸数議員が、チッソ優遇問題について発言する予定です。
法務委員会の傍聴も可能。
インターネット中継もあります。(詳細は↓)

会社法改正 チッソ優遇の修正案について、社民党の声明文がわかりやすかったので、紹介させていただきます。(アンダーラインは私によるものです)

2014年4月25日
「チッソ」子会社株の売却緩和法案に強く抗議する(談話)

社会民主党幹事長
又市 征治

1.水俣病の原因企業「チッソ」が子会社株の売却をしやすくする法案が本日、衆院本会議で可決された(社民党は反対)。日本維新の会が提出した会社法改正案の施行に伴う関連法の修正案で、子会社株の売却時に株主総会の決議を義務づける新規定からチッソのみを免除するもので、安易な水俣病問題の幕引きにつながりかねず断じて認められない。

2.チッソは水俣病被害者救済特別措置法により主要事業を子会社に移管し、親会社のチッソが被害者補償や公的債務の返済を担っている。しかし被害者団体はチッソが子会社株を売却し、売却益で補償債務を返済した上で会社の清算を念頭に置いていると強く危ぐしている。今回の法案はこうした動きを助長・加速させかねず、被害者救済が道半ばで同社や国を相手取った損害賠償請求訴訟も続いている中で加害企業の特別扱いは決して許されない。

3.水俣病問題をめぐっては今年3月、環境省が認定基準の新たな運用指針を示したが、手足の感覚障害だけでも認めると譲歩したかに見せつつ、実際には当時の頭髪や血液などの有機水銀濃度、漁業従事歴の確認など半世紀も前の証明を申請者に求め、認定のハードルを大きく上げるものとなった。安倍政権は患者認定基準を抜本的に改めるとともに、これまで一度も行っていない不知火海沿岸や阿賀野川流域での健康調査や被害者の実態調査を実施し、水俣病の全容解明と全ての被害者への救済・補償を図ることにこそ全力を挙げるべきである。

以上
引用元:http://www5.sdp.or.jp/comment/2014/04/25/%E3%80%8C%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%BD%E3%80%8D%E5%AD%90%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E6%A0%AA%E3%81%AE%E5%A3%B2%E5%8D%B4%E7%B7%A9%E5%92%8C%E6%B3%95%E6%A1%88%E3%81%AB%E5%BC%B7%E3%81%8F%E6%8A%97%E8%AD%B0%E3%81%99/


衆議院を通過し、参議院で審議されることになりますが、
5月13日の参議院法務委員会で、本件について議論されます。


傍聴のための集合場所:参議員議員面会所(参議院議員会館の、道路の向かい側)
  午前:9時45分(厳守)までに集合    午後:12時45分(厳守)までに集合

インターネット中継あり
http://t.co/QnUmjcioI2

チッソ優遇問題について質問する予定の仁比議員、糸数議員に注目。
水俣病不知火患者会の大石利生さんの参考人陳述は午後1時45分頃から。

法務委員会予定 敬称略
午前の部
<質疑>石井準一(自民)10:00−
    小川敏夫(民主)10:15−
    佐々木さやか(公明)10:45−
    行田邦子(みんな)11:00−
    仁比聡平(共産)11:15−
    谷亮子(生活)11:30−
     糸数慶子(無所属)11:45−
  仁比さん、糸数さんの質問にはチッソ優遇問題が含まれます。
  チッソ優遇修正部分の提案者として答弁に立つのは西田議員(衆・維新)。

午後の部
<参考人意見陳述>
    静正樹(証券取引所)13:00−
    藤田和久(三菱商事)13:15−
    岩原紳作(早大教授)13:30−
    大石利生(水俣病不知火患者会)13:45−
<参考人に対する質疑>
石井準一(自民)14:00−
    小川敏夫(民主)14:15−
    佐々木さやか(公明)14:30−
    行田邦子(みんな)14:45−
    仁比聡平(共産)15:00−
    谷亮子(生活)15:15−
    糸数慶子(無所属)15:30ー
    
    15:45終了予定


昨日のツイートですが、関連するので貼り付けておきます。























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2014年04月23日

水俣病 臨水審報道の裏にあるものを考える

ツイートのなかから、臨水審についての私の考察を抜粋しておきます。











という展開にならないといいのですが。
・・・・・・・・・・・・・・・

以下の3冊は、すべて同じ内容ですが(解説や加筆されたあとがき以外)タイトルがそれぞれ異なります。
最も内容を的確に表しているのは、二番目の『官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で』だと思います。ここでいわれている「官僚」とは環境省の官僚だった山内豊徳さんのこと。
水俣病行政の現実と理想の間で板挟みになり、その結果、「死を選んだ」のです。
山内さんの通夜だったか葬儀で、同僚が、山内さんについて「彼は官僚に徹しきれなかったのね」といったそうです。では、官僚になるということは、どんなことなのでしょう。
理想は理想、現実は現実と割り切ることができる人間になるということでしょうか。


著者は映画監督の是枝裕和さん。
現在、もっとも入手しやすいのは、これ↓のようです。

雲は答えなかった 高級官僚その生と死 (2014年出版)

是枝さんによる「刊行にあたって」(2014/1/15)
想田和弘さんによる「解説――共振する『しかし』」
が、2014年に出版されたPHP文庫版には掲載されています。



官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で (2001年出版)

このバージョン↑は、未確認ですが、おそらく
是枝さんによる「文庫版のためのあとがき」(2001/5/1)が、このとき、加筆されたと思わます。



しかし… ある福祉高級官僚死への軌跡 (1992年出版)
【送料無料】しかし… [ 是枝裕和 ]

【送料無料】しかし… [ 是枝裕和 ]
価格:1,782円(税込、送料込)


私の手元にあるのはこの↑バージョンです。
是枝さんによる「あとがき」(1992/11/3)があります。
一気に最後まで読み切りました。
その後しばらくの間は、山内豊徳さんのことを考えずにはいられない日々が続きました。
そして現在も、水俣病行政を担当する環境省の官僚を前にすると、山内さんのことを思い出してしまいます。

近く発行される『水俣支援東京ニュース』に、水俣病患者と環境省の水俣病担当者のやりとりを一部再現したルポが掲載されます。
嫌というくらい「官僚に徹して」いらっしゃる環境省の担当者たちを目撃しました。
私のルポは、たくさんの人の目に留まることはないと思いますが、例えば50年後、誰かの目に私のルポがとまれば、あのとき、2014年4月2日に環境省の一室でどんなやり取りが行われたのか、知ってもらえるわけです。
私は、小さな小さな種を、将来にむけてまいたと思っています。
あまりにも種をまいた場所が日影すぎて、小さな種は大きく育たないかもしれないですけど。
それでも、種はまかれた。
種は私に実をもたらさなくてもいいのです。
小さくても、ささやかでも、何があったのか未来の人に知ってもらえればいいのです。

水俣病で犠牲になった命とその魂たち――。
どこかで私がしていることを見てくれていますか?
あるとき、
「水俣病で亡くなった魂が、よろこんでくれるような仕事をしていきましょう」と、
ある方からいわれて、とても納得しました。
それ以来、私は常にこの言葉とともに生きています。

水俣病事件の解決に人生を捧げてきた方々。
すでに故人となってしまった方々もいらっしゃいます。
もし、そうした人たちが死後、どこかで集まっているのなら、
私も死後、そこにおじゃまさせていただき、私が見て来た水俣病事件についてお話したいです。
焼酎は飲めませんが。(苦笑)
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2014年04月17日

土門拳賞授賞式 水俣を撮り続けた桑原史成さんに #minamata #水俣病

第33回土門拳賞授賞式に行ってきました。2014年4月16日のことです。

20140416桑原さん.JPG
受賞された桑原史成さん(写真)です。
トロフィーと、受賞作品の一つ、写真集『水俣事件』を手にされています。
(正確には受賞作は、写真展『不知火海』と写真集『水俣事件』)

2012年の冬だったか、東京の大江戸線で、偶然、桑原さんにお会いしたことがあります。
そのときに桑原さんが、藤原書店から写真集を出す話があるんだと嬉しそうに話してくれました。その写真集が、今回の土門拳賞受賞作品となった『水俣事件』です。

トロフィーや賞状授与の後の、歓談の時間、主役の桑原さんは当然のことながらひっぱりだこ。私が話を聞ける機会はないかと思いきや、一瞬だけ、桑原さんと一対一でお話できる機会がありました。

77歳にして新人賞!?
土門拳賞を受賞してのお気持ちは?
「80歳まで現役だとして、77歳にして新人賞をもらったような気がします。サッカーでいう、ロスタイムに一点入ったような。あと3年というロスタイムのなかでね」

水俣病事件を初期から見続けてきたお一人である桑原さん。宇井純さん、原田正純さんが亡くなり、ご存命でいらっしゃるのは石牟礼道子さんと桑原史成さんのお二人になりました。
「その後も、新しい人が入ってきているから、そうした人もいれたらもっと増えますよ」

という話をしている最中、「桑原さん、誰々さんが呼んでます」と声がかかり、私の取材はここで終わりとなりました。

サッカーの試合にご自身の現役人生の残り時間をたとえていらしゃいましたが、桑原さんに原田正純さんが亡くならた際にインタビューさせていただいたのですが、そのときも、「彼は、サッカーの試合でいうと後半戦で力量を発揮した人じゃないか」と話されていらっしゃいました。

そのときの記事はコチラ 
水俣病事件の初期を知る第一世代の同志・桑原史成さん、原田正純さんを語る

桑原さんがいうところの、水俣病を追っている「新しい人」が、桑原さんより後から水俣病を追い続けている人と解釈していいのなら、来賓祝辞を述べられた村上雅道さんは間違いなくそのお一人だと思います。

普通の積み重ねが、桑原さんの言動力
村上雅道さん。3年前まで熊本放送で水俣病をはじめとするドキュメンタリー番組を制作されていた方。世に送り出した水俣関係の番組は13本。今も長崎県立大学の教授の仕事をされながら、水俣についての新作を制作中とのこと。職業が変わっても、水俣を追い続けている一人であります。

スピーチでは、桑原さんと村上さんが出会うきかっけになったドキュメンタリー『記者たちの水俣病』(2000年)作成秘話を聞くことができました。この作品は、メディアが水俣病をどのように報道したのかを検証したといいます。作品のなかで桑原さんには、「大手メディアが水俣病から目をそむけていたときに、真正面から患者と向かい合ったジャーナリスト」として登場してもらったそうです。

20140416村上さん.JPG
「桑原さんと(番組の取材のために)最初に出会ったのが六本木のアマンドの前。待っているときはすごく緊張していた」と語る村上雅道さん。

そのときの村上さんにとって、桑原さんといえば、「チッソ工場内で秘密裏に行われた猫400号実験をスクープしたジャーナリスト」であり、「洞察力のするどい報道写真家」だったそうです。

「だから、待っている間は緊張がピーク。ところが、お会いしている間に印象は変わっていきました。温和な顔、飾りっ気のないしゃべり口。なにより、全てを受け入れてくるおおらかな人間性が、私の緊張をやわらげてくれたんじゃないかと思います」

そして、インタビューを開始すると、村上さんが桑原さんに抱いていた印象がさらに変わったといいます。

「やはり(私は)テレビ屋なんで、非日常的なものを求めるんですね。ところが桑原さんからでてくるのは、普通のことばかり。普通の人が、普通の姿勢で、普通のことを考えた。私の桑原さんへの印象も、普通のおじさんのイメージに変わっていきました」

桑原さんへの取材は三回行われ、六時間ほどお話をうかがったといいます。

「でも、桑原さんの話を聞いていたら、話をうかがうたびに、話の重みが増していく。いつのころからか、桑原さんの世界に引き込まれてしまう。これぞ、普通の積み重ねが、桑原さんの作品の原動力か、と思うようになってきました」

以来、水俣病のドキュメンタリーのみならず、他のテーマのドキュメンタリー番組をつくるたびに、村上さんは桑原さんのことを考えるようになったといい、「ある意味で、制作者としての恩師でもあります」と話しました。

スピーチの最後は、水俣病「公式」確認の日である5月1日について。水俣では毎年、水俣市主催の犠牲者慰霊式が行われています。新作制作中の村上さんは、「桑原さんもこの日は水俣にいらっしゃるんですよね。ぜひ、ジャーナリストとしての真骨頂を見せつけてください」と結びました。


突然のご指名でスピーチをすることになったのは、旗野秀人さん(新潟水俣病安田患者の会世話人)でした。
20140416籏野さん.JPG

冥土連設立宣言を載せてくれて感謝
「突然しゃべろといわれたんですが、決して、褒めるなといわれました。(笑)
そもそもある日(桑原さんから)電話がきて、『旗野さん、僕は土門拳賞もらうことになったんだけど』というので、よかったじゃないですかといったら、『あんた人が死んでいるんだぞ、そんなんでもらっていいのか』というわけです。授賞式の案内状が届くかもしれないけど、わざわざ新潟から来なくていいぞって。でも、来なきゃなんないじゃないですか」

「うれしかったのは、今回の写真集『水俣事件』に、“水俣病になってしまったけど、生きていてよかった”という『冥土連設立宣言』を書かせてもらったこと。(写真集には)新潟代表として、坂東弁護士と私に執筆を依頼してくれました。(依頼されたときに)え、私でいいんですかって、写真集の品位が落ちると思ったんですけどね。桑原さんは、すごい仕事をされるんだけど、お茶目なところ、ちょっと危ないところがあって、そのへんはたぶん、私と共通している」

「桑原さん77歳でしょ。こんな大きな賞もらって。もうちょっと働けってことなんだから、あと3年だけは、一緒に付き合っていただきたいと思います」

冥土連:正式名称「冥土のみやげ全国連合」。「水俣病にはなってしまったが生きていて良かったと、患者さんに喜んで貰える冥土のみやげをつくろう!」が設立宣言の内容。


桑原史成さん 受賞者挨拶
20140416桑原さん2.JPG「(受賞を知らせる連絡をうけて)受賞の対象になった作品はなんですかと聞くと、去年発表したものだというので、それを聞いて率直なところ困ったなと思いました。去年といえば、水俣について写真展をやり、写真集をだしているんで。別のテーマならよかったんだけど。

水俣事件というのは、認定されている患者がざっと3000人。うち、亡くなられたのが正確にはわからないが2000人。特措法で65000人が申請し審査を受けている。さらに、訴訟が5本…そういう未解決な状態が続いているなかで、僕は傍観者で、事件の周辺をうろついて写真を撮っていた。そういう者がスポットライトを浴びることに負い目を感じて困りましたが。

土門拳賞は、写真界で、ドキュメンタリーですばらしい賞だと存じているので、今日はありがたく頂戴いたします」

「熊本、福岡、宮崎から。玄界灘を渡った僕の田舎の島根津和野から町長さんも。新潟からもおいでくださいました。玄界灘を渡った韓国からも友人が…」と、集まった方々へのお礼の言葉も。本当にたくさんの方がいらしゃっていて、参加者のほぼ全員がはいった集合写真の撮影のときには、カメラの方が、全員を写真に収めるのにご苦労されていました。(でも、とっても声がけの上手な方でした!)

そのなかでも、水俣病事件を撮影されてきた写真家が6人、一堂に会したことには、この授賞式をさらに特別なものにしたのではないでしょうか。こんな機会はめったにないだろうということで、集合写真、撮らせていただきました。



その他のコメント

「去年は水俣病の被害者認定につながる最高裁判決があり、水俣条約が採択された節目の年。このときに、桑原さんに土門拳賞を贈れるのは意義があると思う」伊藤芳明さん(毎日新聞社主筆)

「水俣について桑原さんの『傍観者の負い目』と聞いて、キャパの『ちょっとピンぼけ』のある部分を思い出した。キャパは第二次大戦で負傷した兵士から、おい写真屋、どういう気持ちで写真を撮っているだといわれて、その場を黙って立ち去った。撮影者の内面の葛藤は深く複雑。だけれども、記録しなければ、その現実は歴史として残らないというドキュメンタリーの現実がある。桑原さんの『水俣事件』は、後につづく若い写真家にとって励ましになることを確信している」鈴木龍一郎さん(写真家)



「桑原さんの作品は7月に(展覧会が)予定されている。土門拳記念館でしか味わえない雰囲気をつくる。ぜひ桑原さんの作品は土門拳記念館に見に来てほしい。桑原先生おめでとうございます」高橋修さん(土門拳記念館理事長)

「桑原さんの写真集にも書いてあったが、まさに、水俣に始り、水俣に終わる写真家人生。時代を享受させる報道写真だ」西岡隆男さん(ニッコールクラブ会長)

紹介された祝電
西田弘志水俣市長
坂東克彦弁護士(元新潟水俣病訴訟弁護団長)
ジュリア・トーマスさん ノートルダム大学準教授  
こじまあいこさん シカゴ大学博士課程

選考経過
最終選考に残ったのは11作品。水俣2作品、沖縄3作、その他。実験的な作品もあり。最終的に、桑原さんの『水俣事件』と、小柴一良さんの『水俣よサヨウナラ、コンニチワ』が残り、桑原さんに決定したとのこと。(授賞式での鈴木龍一郎さんのスピーチより)※毎日新聞(2014年3月23日)に詳細あり。

授賞式の詳しい記事は(授賞式)翌日の4月17日の毎日新聞に掲載されるとのことです。





こちらは、楽天でみる限り、売り切れの書店がいくつか。


posted by みの at 23:19 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月31日

水俣病被害者互助会 第二世代訴訟判決がでました。

(2014年3月31日午後の時点での記録です)

2014年3月31日、熊本地裁で、水俣病に関する判決が下されました。
水俣病被害者互助会による第二世代訴訟と呼ばれる裁判で、原告8人が、国、熊本県、チッソを被告に、水俣病の損害賠償請求をしていたものです。

判決は、原告8人のうち3人の賠償請求を認め、5人の訴えを棄却するという内容。
賠償が認められた3人の賠償額は、報道によると220万〜1億500万円とのこと。

賠償請求を認められた3人のうち、特に重症のお一人の方だけは、請求どおり1億円ちかくの損害賠償を認めたようです。
残りの二人については、220万〜ということしか現在ではわからないのですが、どちらかお一人の損害賠償額が220万円だとしたら、ここまで低額になる根拠が気になります。
もともと原告の損害賠償請求額は(重症の方をのぞき)一人あたり1600万円で、これは、チッソと「認定患者」が締結する補償協定に準じた金額でした。

原告8人は、故原田正純医師によって、水俣病と診断されている方々です。
公的には水俣病と認められていない、未認定患者ですので、裁判では、水俣病患者であることを認めさせることが目的の一つでした。

しかし裁判では、8人のうち5人は、水俣病とは認められなかったわけで、裁判所は原告の水銀暴露歴を調べる際、原告の同居家族に認定患者がいるかいないかを考慮したようです。

ただ、家族に認定患者がいないことが、原告の水俣病を否定する材料にはならないと思います。

例えば、認定患者のなかには、一回目の認定申請では認められず、二回目、あるいは三度目の申請で認定患者になった人もいます。もし、一回目の申請で諦めてしまったら、未認定患者のままです。また、認定申請は一回しかできないと思い込んでいる人もいます。(認定申請についての情報が正確に広報されていないことが原因)

医者に水俣病の申請をしたいと申し出たら、そんなバカなことするのかと、露骨に嫌な顔をされて、申請をあきらめてしまった人もいます。(認定申請を阻止する圧力)

胎児性水俣病の子どもを出産した母親が、認定されていないケースもあります。

地域から認定患者を出すな、という圧力があり、申請ができなかった人たちもいます。

このように、誰もが申請できる環境にいたわけではないのです。

また、こういう方もいらっしゃいます。自分と同じような症状が、周囲の人にも同じようにあったので、自分の体の具合がおかしいことに気づかなかった。よって、体調不良の原因が水俣病によるものだとも知らず、認定申請はしてこなかった――というケースです。

ですから、同居家族に認定患者がいる・いないは、本人の水銀暴露暦や水俣病であるかどうかを否定する情報には成りえないと思うのです。

報道にざっと目を通すと、「未認定患者3人に賠償」「賠償1億超え」といった見出しから、原告が勝訴した喜ぶべき判決がでたような印象を持ちますが、原告8人のうち5人の訴えは棄却されているわけです。よって、

「未認定患者5人の訴え棄却」
「賠償220万しか認めないケースも」

といった見出しも間違っていなかと…。

続報入り次第、リポートしたいと思います。





お知らせ

4.2 水俣病被害者互助会 第二世代訴訟 判決報告東京集会
2014年 4月2日(水) 6時半―8時45分 午後6時開場  連合会館 4階 402会議室
参加費 500 円

主催 水俣病被害者互助会第二世代訴訟原告団/水俣病被害者互助会第二世代訴訟弁護団
共催 水俣病訴訟を支える会
協力 東京・水俣病を告発する会/チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会/最首塾
連絡先 千代田区神田淡路町1−21−7静和ビル1A(東京告発)/090−3533−4489(久保田)

    

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2013年11月25日

水俣病-5- 環境省は患者が増えると困る!? #minamata

(前回からの続き)

もし最高裁判決に従って、環境省が水俣病の認定基準を変えれば、認定される患者が増えることは想像できる。
だが、環境省は認定基準の見直しに同意せず、「最高裁判決は認定基準を否定していない」と独自の主張を続けている。

そこで代理人が、「患者の数が多くなるから困っているのか」と聞くと、これまでほとんど発言していなかった飯野氏が間髪入れずに「そういうことはないです」とほぼ小林氏と同時に反論した。
「そういうことはない?神に誓って、そういうことはない?」と代理人が聞きかえすと、小林氏は「神に誓ってそういうことはない」と述べた。

認定患者が増えると、チッソが払う補償額が増えることにつながる。このことから
「チッソと(環境省は)話し合いをしているんじゃない?」
と代理人側が問うと、飯野氏が「してないですよ。本当にしてない」と否定した。
再度「大事なことだから確認しますが、この件について、チッソと相談したり話し合ったりしていることはないでしょうね」と聞くと、小林氏が「ないです」と回答した。

患者・被害者を避けていないか?
環境省は患者や被害者を避けていないだろうか。
このような疑念を抱いたのは以下のやり取りからである。

代理人側が、総合的検討について、現地の人との意見交換の場を持ってほしいと提案すると、「約束(するの)は控えさせていただく」と小林氏。その後のやりとりを経て、やっと、「検討させていただく」という発言に行き着いた。

さらに、総合的検討の公表前に、被害者団体に説明することを考えているか聞くと、「検討していきたい」とだけ答えた。

水俣病行政において、患者・被害者・現地の住民の声を聞かずに加害者側がつくったものは、水俣病の解決を先延ばしにしてきた。
その間、被害者は高齢化していく。時間の経過とともに、水俣病の被害を訴える人間が少なくなっていく。
水俣病を担当する環境省の職員、とりわけ特殊疾病対策室長は、約2年後には別の部署に異動していく。

室長は、異動とともに水俣病との関わりから外れ、「出世」していくと聞く。だが被害者は一生、水俣病とつきあっていくしかない。

環境省は患者の数が増えて困るという考え方を否定した。であれば、認定基準の見直しを行い、現行の基準と最高裁や不服審査会が示した基準とのギャップを取り払い、停滞している認定審査の迅速な対応に動くべきだ。








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2013年11月24日

水俣病-4- 秘密主義?で進む「総合的検討」の実態 #minamata

(前回からの続き)

最高裁判決が国の水俣病認定基準を否定したことを、環境省は認めていないことはこれまでに書いてきた。
その代わりに環境省がいいだしたのが、52年判断条件に関する「総合的検討」だ。だが、検討内容などについては何も説明がないまま、加害責任を負う環境省と熊本県が検討を進め、検討のテーブルにつくことができない被害者たちを待たせている状態が続いている。(待たせているという状態は、加害者側を利する)

12日の環境省交渉では、総合的検討について小林氏から以下のことを聞き出すことができた。


  • 環境省には、総合的検討に関する検討会や審議会といったものは置いていない。熊本県と会合を行っているかについては「何をもって会合というのか。会合という言い方(表現)がいいかは別にして、検討会的なオフィシャルな会はない」

  • 検討は「資料を参考に」し、熊本県の「いろんな資料」も参考にしている。

  • 検討するにあたり、認定審査会委員の意見を聞いているのかについては、「聞いていきたいと考えている」といい、現段階で委員に意見を聞いているのかについては「そこは控えさせていただきたい」と回答を避けた。

  • 総合的検討は「環境保健部としてやっています」とのこと。小林氏の姿が現地で目撃されていることから、実質的には小林氏が動いていることは認めた。

  • 総合的検討の発表時期については「なるべく早くに」とだけ回答。具体的な時期や、検討に時間がかかっている理由等の説明はなし。

  • 総合的検討の発表方法(記者会見をするのか、通達なのか等)については、「手続の話なので即答できない」。

  • 52年判断条件は変えず、「補足する」「言葉を補う」「実務の参考にする補足の説明をもりこむと」という認識。



ここからは筆者の感想。

「総合的検討」は「会合」のようなものは設けていないという件だが、議事録の公開を求められたときに、会合自体が存在しないので議事録も存在しないというために、先手を打ったのではないかと考えてしまう。

税金を使って水俣と霞が関を往復し、調査を委託し、ときには被害者を相手にした裁判費用に、何十人にもの弁護士を雇う環境省。税金によって行われている「総合的検討」が、「密室会議」と批判されるほど実態が見えにくのは問題だと思う。

そもそも「総合的検討」の必要性には疑問の声もあがっている。
なにも環境省がこれ以上検討すべきことはなく、最高裁判決にしたがい認定基準を見直せばいいだけだという指摘だ。

総合的検討の公表前に、被害者団体に説明する考えがあるのかについては、「検討していきたい」と小林氏は答えた。
しかし筆者はこう考える。
ある日突然、中央(東京)で報道関係者に向けて発表し、報道関係者が水俣の関係者にコメントをもらおうと連絡を入れたところで、初めて、現地住民の知るところになるという、現地が置き去りにされたやり方だ。

水銀の使用を規制する条約名を「水俣条約」とする提案も、ある日突然、知らされた。、鳩山首相(当時)が水俣病犠牲者慰霊式に出席した際、スピーチのなかで発表した。その後、東京では説明会らしきものが開催されたが、地元での開催は後回しだったと記憶する。当然、水俣で開催された説明会では、「水俣条約」と名前を付けることの賛否で、住民の間に仲たがいが生じた。

全てがトップダウン(中央から地方への一方的提案)であり、その被害をこうむるのは地元の人たちである。

「総合的検討」の公表時期については、具体的な時期を述べなかったが、支援者の間では12月、年末近くではないかとささやかれている。(続く)
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2013年11月23日

水俣病-3- 騙されてはいけない環境省の「最高裁判決は受け止める」発言 #minamata

(前回からの続き)

環境省・特殊疾病対策室室長の小林氏によれば、最高裁判決に認定基準は拘束されるが、不服審査会の裁決には拘束されないという。しかし、筆者は、審査会の裁決は、環境省を拘束するもの(行政不服審査法第四十三条)であると考える。
また、審査会の裁決は最高裁判決に従ったものであるから、最高裁判決が示す認定基準と、不服審査会が今回用いた認定基準には違いはなと理解している。
 
最高裁判決「単一症状でも水俣病と認定する余地はある」
    ↓
不服審査会、上記判決内容に従い、下田さんを認定相当に。
   ↓
環境省「最高裁判決には拘束されるが、審査会裁決には拘束されない」


最高裁判決に従えば、結果として、環境省は審査会裁決に従ったことになるのだが・・・

代理人:今回の(審査会の)裁決は、最高裁判決の趣旨を再確認、徹底したものだという考えはもっているのか。あるいは、今回の裁決は、全く違う趣旨だと理解しているのか。
小林 :合議体組織である不服審査会として判断されたものとして考えている。
代理人:(小林氏が質問とはズレた回答をしているので、再度質問)裁決は、最高裁判決の趣旨を徹底、再確認し、さらに具体化したものだと理解しているが、それは違うか。
小林 :独立した合議体組織の判断については、環境省の事務方としてはコメントを控えたい。


このやり取りからわかるように、環境省は何がなんでも、不服審査会の裁決内容は認めたくないようだ。
よって、最高裁判決と、審査会裁決の主張が同じであることも認めたくないため、「コメントは控えたい」と言わざるを得ないのだろう。

次に、環境省がいう「最高裁判決には拘束される」の真意を見ていく。

最高裁判決が認定基準(52年判断条件)を否定していることについて小林氏は、
 「52年判断条件が否定されているという見解ではないという認識を持っている」と発言している。
したがって、小林氏が何度も口にした「(環境省としては)最高裁判決をふまえた通知をだして、より丁寧に慎重に(やっていく)」という、一見、判決を素直に受け入れたように聞こえる発言も、“最高裁判決によって基準が否定された”という認識がないことを踏まえての発言と考えると、全く意味のない回答に等しい。

であれば、環境省が取り組んでいる「総合的検討」は、水俣病行政の改善にはつながらない。「総合的検討」は、被害者を不利な状況に追い込む時間かせぎと、最高裁判決をうけて環境省は対策をとったというアリバイづくりにしかならないだろう。

そのような逃げ腰の環境省に対して、さまざまな団体が基準を見直すよう訴えている。

孤立する環境省〜環境省を包囲する動き〜
最高裁判決(4月16日)を支援する声明等。

日本弁護士連合会会長談話(4月16日)
国は、今回の最高裁判決を踏まえ、すべての水俣病患者を救済するために、感覚障害等一症状だけであっても、曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定するよう、「昭和52年判断条件」を速やかに見直すべきである。


大阪弁護士連盟会長談話(4月16日)
国は、今回の最高裁判所判決を踏まえ、全ての水俣病患者を救済するために、感覚障害等一症状だけであっても、曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定するよう、「昭和52年判断条件」を速やかに見直すべきである。


熊本県、最高裁判決をうけて、溝口チエさん(故人)を認定。(4月19日)

九州弁護士会連絡会 水俣病の認定義務付け訴訟最高裁判所判決に関する理事長声明(5月1日)
今回の最高裁判決を踏まえ、国は、すべての水俣病患者を救済するために、「昭和52年判断条件」を速やかに見直し、感覚障害などの一症状だけであっても、汚染地区の魚介類の摂取などメチル水銀への曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定すべきである。


最高裁で大阪高裁に差し戻しとなった豊中市の女性(故人)の遺族が継承していた水俣病裁判で、熊本県は訴訟を断念し、女性を水俣病と認定することを発表。(5月2日)

日本弁護士連合会緊急提言(6月27日)
日弁連は、環境省に対し、水俣病の現行の認定基準である「昭和52年判断条件」を改定して、恒久的な患者救済システムを構築するよう再三にわたって提言してきましたが、前記最高裁判決により司法判断が確定したことから、改めて下記のとおり水俣病問題の総合解決に関する緊急提言をとりまとめ、2013年6月 27日付けで、環境大臣、熊本県、鹿児島県、新潟県に提出しました。
本提言の趣旨より一部抜粋> 昭和52年判断条件を改定し、現行の症候の組合せを要求する基準を撤廃して、感覚障害のみの一症候であっても、患者の居住歴や魚介類の摂取状況、家族の認定の有無等総合的に考慮して水俣病と認定するという基準に改めること。


日本精神神経学会 水俣病認定に関する最高裁判所判決(2013年4月16日)に関する声明(7月27日)
今回の判決においては、「所轄行政庁の運用の指針としての昭和52年判断条件に定める症候の組み合わせが認められない四肢末端優位の感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はないところ」と述べられ、本学会の1998年見解が採用された。
本学会は、環境省が今回の最高裁判決を遵守し、昭和52年判断条件を撤回することをあらためて要請する。


九州弁護士会連絡会 水俣病問題につき,認定基準を改め,すべての被害者を水俣病患者と認めて救済することを求める決議(10.25)
国に対して,(1)昭和52年判断条件を改定し,現行の症候の組合せを要求する基準を撤廃して,感覚障害のみの一症候であっても,居住歴や魚介類の摂食状況などといった諸条件を踏まえて,総合的に考慮して水俣病と認定するという基準に改めること。


公害健康被害補償不服審査会が、下田さんを認定相当と裁決。(10月25日)
熊本県知事が下田さんを認定。(11月1日)


欧州環境庁
『2013年版報告書』5章に、水俣病についての記述があり、国が定めた52年判断条件について「根拠がない」と指摘する論文が掲載されている。(2013年1月発行)

「俺様ルール」で都合の悪い判決・裁決を曲解し、正当化し、強行突破するのは許されない。
もはや、環境省に逃げ道なし。八方ふさがりの状態だ。(続く)

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2013年11月22日

水俣病-2- 環境省は不服審査会の裁決に拘束されない? #minamata

(前回からの続き)

ところで、環境省は公害健康被害補償不服審査会の裁決に拘束されないのだろうか?
行政不服審査法の趣旨にはこう書いてある。

第一条  この法律は、行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによつて、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする。


このことから、行政不服制度には、@「国民の権利利益の救済」のほかに、A「行政の適正な運営を確保」するという目的があることがわかる。

@の目的は、下田さんが認定されたことで達成された。Aについては、環境省は審査会の裁決をうけて、水俣病行政の適切な運営に必要な見直しをすべきで、このことがなされないと、Aの目的は達成できない。

さらに、
第四十三条  裁決は、関係行政庁を拘束する。


とある。裁決は、環境省を拘束するのである。

だが、小林氏は、あくまでも審査会の裁決は「個別の事案」であり、裁決の内容は、環境省の認定基準を拘束するものではないと主張する。

代理人らが、行政不服審査法の趣旨と照らし合わせ、環境省の主張の不備を追及すると、
「認定されたことを尊重する…」と、下田さんの認定にだけ言及し、行政の適切な運営確保については無視した。

間違いなく、行政不服審査法が目的とする「行政の適正な運営を確保」は、環境省にとって都合が悪いようだ。(続く)
posted by みの at 10:29 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

水俣病-1- 溝口訴訟最高裁判決を受けて 行政不服審査会は棄却された男性を認定相当と判断 #minamata

政府が水俣病を公式に確認してから57年がたつ水俣病事件。
国(環境省)に水俣病の患者認定を棄却(否定)されてきた下田良雄さんが、公害健康被害補償不服審査会に挑んだことで、11月1日、水俣病と認定された。
これまで水俣病患者認定を棄却されてきた下田さんが認定にいたった背景には、2013年4月16日の溝口訴訟最高裁判決の影響があった。

週刊金曜日(奥田みのり)s.jpg
雑誌『週刊金曜日』941号より、最高裁が初認定 感覚障害だけでも水俣病の記事。

溝口訴訟最高裁判決は、国が1977年(昭和52年)に定めた認定基準(52年判断条件)について以下のように判断した。

これまで国は、水俣病の症状とされる感覚障害や視野狭窄などのうち、複数の症状の組み合わせがなければ基準を満たさないとし、52年判断条件を運用してきた。
しかし、感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はない。したがって、52年判断条件は、単一症状(症状が一つだけ)でも水俣病と認定する余地がある

判決前:複数の症状の組み合わせがなければ対象外。
判決後:単一症状でも水俣病と認定する余地はある。


つまり、これまでの基準は、認定対象者を狭くとらえていて、最高裁判決はそれはおかしいと判断した。

不服審査会は、最高裁判決の内容をふまえた判断をし、下田さんを認定相当と判断。

本来なら、4月16日の最高裁判決以降、環境省はすみやかに認定基準の見直しに着手するべきであったが、環境省は直ちに見直しをしないと宣言した。かといって、環境省が主張する認定基準の欠陥が最高裁判決で指摘された以上、何もしないわけにはいかない。
そこで環境省が言い出したのが、「52年判断条件についての総合的な検討」(総合的検討)だ。ところが、総合的検討が何を目指しているかなど、一切の情報は知らされないまま、環境省と熊本県によって進められているのが現状だ。

2013年11月12日、下田さんの代理人や支援者らは環境省を訪問。約二時間議論をした。代理人らの要求は6項目にわたったが、ここでは「52年判断条件を見直し、認定制度の抜本的改革をおこなうこと」という要望だけを取り上げる。
対応したのは、環境保健部・特殊疾病対策室の小林秀幸室長と、飯野暁(さとる)課長補佐。他、二名の環境省職員が記録のため同席していたが、名前や所属は不明。

現行の認定基準は改変すべきという要望に対して環境省は、逆転認定となった下田さんの裁決については「個別ケース」とし、審査会の裁決は、認定基準のあり方を拘束するものではないという主張を貫いた。(続く)
posted by みの at 16:14 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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