2014年05月14日

水俣病 大石利生さんの意見陳述 #minamata

大石利生さん(水俣病不知火患者会会長)が、5月13日の参議院法務委員会で、
会社法改正におけるチッソ優遇修正案について、参考人として意見陳述されました。

水俣病をめぐる行政の問題点を、わかりやすく話していただいてます。
特に、以下の点がポイントかと。

● 症状が見えにくいため理解されにくい水俣病の症状について

● チッソが子会社売却で得る益売却を、水俣病の補償救済の財源にすると政府は説明していますが、
このとき得られる財源は一時的なものでしかなく、年々減っていくものであること。
大石さんは、政府のやり方では、新しい被害者がでてきた場合、補償救済ができない点を指摘しています。

● 国が決めた、救済の対象となる範囲が現実と乖離しているため、救済されるべき人が取り残されていること。この点が解決しない限り、水俣病は終わらないということ。

法務委員会_大石さん.jpg
参議院インターネット審議中継からキャプチャー

以下、意見陳述の中継を見ながらの、おおまかな文字おこしです。
聞き間違い等あるかもしれませんので、録画映像をあたってください。


会社法改正では、子会社の株売却につき株主総会の特別決議が必要とされている。ところが水俣病の加害企業であるチッソを適応除外する修正案が衆議院で可決された。これに反対する意見を述べます。

加害者はすべての被害者への補償、救済に最後まで責任におうべき。どうして国会が加害企業であるチッソを特別扱いにして優遇するのですか。どうして国会が、公害加害企業チッソの責任逃れを手助けするのですか。水俣病に苦しみつづける私たちは被害者は絶対に納得できません。

水俣病はチッソがメチル水銀ふくむ工場排水を海に垂れ流しておこりました。激しく痙攣(けいれん)して短期間で死亡にいたる劇症型はよく知られているが、現在の被害者は、手先、足先の感覚がいたみ、感じにくいという症状が多く見受けられる。私の場合は38歳で交通事故にあい、ガラスの破片が足の裏から甲までつきぬけたことがありましたが、痛みを感じず、血だらけの足をみるまで怪我に気づかず平気で歩いていた。他にも様々な症状がでる。

現在の水俣病被害者の生活の一つのイメージはこうです。議員の方も考えてください。
朝起きたときから頭が重い。食事は味も臭いもわからない。よくものを落とす。ころぶ。家事も仕事も失敗する。手がふるえる。口がまわらずしゃべりたくない。ひっこみがちになる。少し疲れるとこむらがえりで激痛。夜は耳鳴りで眠れない。やっと眠れたのに、こむらがえりの激痛で起こされ朝まで眠れない。こういうものです。想像できますか。

外から見ただけではわかりにくい被害かもしれません。しかし今の被害者は水俣病に苦しみつづけている。
胎児性患者の坂本しのぶさんは、本当は健康な身体で生きてきたかった。私は苦しみながら生き続けるのに、その加害者であるチッソは免罪されはればれと生き続ける。こんな不条理は絶対に許せないといっている。これは全ての被害者に共通の思い。

修正案の提案者は、被害者救済と水俣病問題の最終解決を妨げてはならないというが、現実を無視するもの。水俣病特措法は、チッソの子会社の株式を売却をして、それを被害者の補償にあてるしくみとなっている。子会社の株式を売ることで一時的にはお金がつくれる。しかし、被害者補償に回せる金額の上限がきまっている今、未救済の被害者が取り残されている。今後、被害者が補償をもとめても資金不足でチッソからの補償をうけられなくなるおそれがある。これでは被害者救済にも、水俣病問題の最終解決にも逆行することになる。驚かれるかもしれないが、公式確認から58年、まだ被害者は多数とりのこされている。水俣病は終わっていない。

平成22年から特措法の受付はじまったが、不当に切り捨てられた人が多い。検診で症状を認めてもらえず切り捨てられた人がいる。配布資料1ページ目の写真をご覧ください。痛みの感覚の検診で、医者からつまようじを強くつきさされて出血した人の写真。わたくしどもが把握しているだけで20件以上はあった。

検診を依頼する医師は、行政が依頼するわけですが、なかには申請者の感覚障害を疑ってかかる医師もいた。感覚の検査では、手先、足先と胸などの体感を比較する。しかしうちの会員である山本さとこさんのケースでは、医師が比較の検査をしなかった。山本さんは元看護師なんで、おかしなことがわかったんですね。人の命と健康を扱う医者が、あんないいかげんな検査をするなんて許せないと怒っています。

次に、半世紀前の資料をだせと行政から無理強いされて出せずに切り捨てられた方もいる。被害者と認められるには、症状にくわえて、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという暴露要件が必要です。行政が一定の地域を対象地域と定め、そこでの居住歴、生活歴があれば、暴露ありとされるしくみです。ところが行政は客観資料を要求する。客観資料とは、住民票、雇用暦、学齢の証明書です。しかし半世紀前の住民票は廃棄されて残っていない場合がある。引っ越しても住民票を移さなかったケースは昔よくあった。

会員の大野よしみさんは、3歳から6歳まで女島という患者多発の漁村で暮らしたが、住民票を移してなかったために非該当となった。大野さんは、当時同居していた親戚の証言を文章でだしたのに認めてもらえなかった。行政は住民票をうすさなかった親を恨めというのですか、と憤慨している。

会員の77歳のIさんは、30〜32年まで水俣の洋服店に住み込みで働いていた。今では店もなく、雇い主の行方もわからず、雇用証明書をだせす非該当になった。
国は私たちを放置していて、今になって60年前の雇用証明をとっていなかった私が悪いというのですかとおっしゃっています。

対象者が多数取り残されていることが明白な地域、特に天草。配布資料3ページ。地図がついているところ。(地図の説明省略)図で斜線をひいたのが、特措法対象地域。天草は、御所浦、龍ヶ岳だけが対象地域。

従来、行政は、対象地域外というだけで水俣病と認めてこなかった。住民も、対象地域外とされれば、自分が水俣病のはずがないと思い込み、ある方は申請しても無駄だとあきらめていた。

しかし平成21年の民間の住民健診では、天草の住民から水俣病の症状が確認された。手先足先の感覚障害は珍しい症状で、汚染のない住民のなかでは100人に一人いるかいないかというレベル。手先、足先の感覚障害を持つ人が多数みられれば、地域ぐるみのメチル水銀汚染が強く疑われる。

その後、天草の対象地域外から、数百名が、ノーモアミナマタ第一次訴訟の原告となり、平成23年の和解で地域外の7割が救済対象に。その後特措法でも、私どもが把握しているだけでも、地域外の会員のうち数百名が救済対象になっている。被害者のいないはずの地域外から、被害者がでたのを他の住民がみて、救済を求める声がさらに広がっている。

水俣病不知火患者会は、被害者の掘り起し、検診を勧めている。ノーモアミナマタ訴訟では、天草の、倉岳(くらたけ)、河内(かわち)、姫野(ひめの)の三地区が中心でしたが、特措法では、楠浦(くすうら)、親和(しんわ)、栖本(すもと)など沿岸地域一体に申請者が広がっている。

対象地域外の地元自治体も対象地域の拡大を求める意見書をだしている。天草の不知火海沿岸で、対象地域外とされている地域の人口はすくなくても3万人以上。天草での救済は始まったばかり。そのほか魚介類が流通した内陸部。山間部、昭和43年以降に生まれた人の救済が本格化しようとしている。

特措法 平成24年7月に間に合わなかった申請者もいる。過去の差別、偏見の影響で、子や孫の就職、結婚の心配から、申請をためらう人がいる。水俣市周辺の市町村を比べると水俣市の割合が低いのも、チッソのおひざ元であるのが影響しているのではないでしょうか。

県外転出者にも情報が届いてません。高度成長経済のとき集団就職で、中学卒業すると東京、大阪方面に集団就職で移住。その人たちが私たちと同じ症状がでてますが、それが水俣病だということわからない。誰も教えてくれないのが現状。

以上のように、未救済の水俣病被害者が多数とりのこされている。被害者救済が終わる見込みない。水俣病は終わっていないのです。

このようななかでチッソを優遇する修正案は絶対に許せない。国はチッソを優遇して、子会社株式売却を手助けすれば、残されている被害者がチッソから補償を受けられなくなる。水俣病問題の最終解決に逆行する。

加害企業チッソを擁護しても、国の賠償責任は消えません。関西訴訟最高裁判決では国の責任は4分の1。しかしチッソがいなくなれば、被害者が賠償うけられなくなれば、国が全額を負担するようになるのではないか。すべての加害者はすべての被害者への補償をまっとうするべき。私たちは闘いつづけます。

posted by みの at 00:58 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月13日

水俣病 5月13日の参議院・法務委員会の感想 #minamata

会社法改正におけるチッソ優遇修正案について話題をしぼり、
5月13日に行われた参院法・務委員会の感想を。

法務委員会_共産にひ議員4e.jpg
(参議院審議会中継サイトの映像をキャプチャーしました)

チッソ優遇修正案を提出した維新の西田議員の言いたいことは、
大切なのは 水俣病特措法を立法した「先生方の努力」(先生方=国会議員)であり、
したがって、「先生方」が熟考された特措法スキーム実行の障害物になるものは取り除いて当然というように聞こえた。
この場合の障害物とは、親会社が子会社株を売却する際、株主の同意を得るという要件。
チッソ以外の会社は、この要件に従うことになるのだが、チッソだけは適用除外にするのが維新の修正案。
よって、チッソは株主の同意なしに子会社株の売却ができるようになる。
チッソが子会社株を売却し、チッソが計画的倒産をすることは、特措法に盛り込まれている。
この加害企業消滅計画が実行されると、チッソが加害責任からフリーになる。
また、どのタイミングで、特措法スキームに書いてある、新規の水俣病患者認定を停止するのか定かでないが、新規認定が停止されると、現在、環境省が熊本県などに委託している患者認定業務もなくなるだろうから、環境省および関係する県も、水俣病の加害責任からフリーになれるという、許しがたい事態になる可能性は大きい。

特措法は成立時から問題が指摘されていたが、自民・公明・民主の賛成で2009年に成立した。
実際に特措法による救済策が開始されると、被害の現状を無視してつくられた救済策なので、切り捨てられる被害者が続出することになった。

そうした現状があるのだから、水俣病被害の救済の終わりは遠い。
だが、チッソが子会社株を売却するには、前提として、水俣病被害者の救済が終了していなければならない。
しかし、チッソと環境省を免責したい人達は、この不都合な現実を無視している。

維新の西田議員と、共産の仁比議員のやりとりを聞いていると
西田議員が修正案を正当化する理由として挙げているのは、特措法立法者である先生方の意志を貫くため、特措法スキームを実行するために限ってであり、そこには、修正案が被害者救済にプラスになる根拠は一切見当たらない。

・・・・・・・・
仁比議員が、具体的な事例をあげて、「こうした事態から、救済が終了したといえると考えられますか」
と質問。

西田議員の回答
「ご指摘の問題はあると思う。しかし、今回の会社法で我が党がだした修正案は、あくまで現行の水俣病特措法のスキームを前提とした修正案。あまり、特措法そのものについての認識について、この場で私が修正案を超えてお答えするのが適切なのかと考えるところ。ご理解を」

 ※「特措法スキームを前提」にした修正案であり、被害の現実は前提にされていないようである。

仁比議員
「政治家としての感想も示せないのか。スキームというが、特措法は、あたうかぎりの救済が目的。あなたががたの提案は、その加害企業チッソの株式譲渡を容易にしようと、ハードルを課さえないものになっているから抗議の対象になっているわけ。(略)
被害者たちが、一方的に国が設定した線引きで切り捨てられていいはずがない。もう一度おたずねする。これで救済が終了したといえると思いますか。それを前提に株式譲渡の要件を議論する場面だと思いますか」

西田議員
「おっしゃるような、問題がおきていることは事実。(生じた問題については)裁判中であるわけで、司法の結論でれば対応されなければと思う。
 特措法制定時の原則、あたう限りの救済から何分ずれるものではない。そういった思いで、修正案は努力のなかで成立された(特措法)立法者の意志とはそぐわないという認識」

仁比議員
「つまり、救済の終了とはおっしゃりはしないわけですか」



昨日(5月12日に)行われた院内集会での被害者団体からのコメントを再度紹介します。

大石利生さん(水俣病不知火患者会 会長)
「会社法改正によるチッソ優遇の修正案は、チッソの責任と役割を免責し、水俣病の幕引きをしようとするもので許されない」

坂本龍虹さん(水俣病被害市民の会 代表)
「会社法でチッソだけ適用除外する件もそうだが、特措法でもチッソは民法や破産法のいくつかの項目で法の適用対象外になっている。なぜチッソだけが適用対象外なのか理解に苦しむ」

谷洋一さん(水俣病被害者互助会 事務局長)
「国はなぜチッソをこれほど擁護し、被害者のためには動かないのか。
 水俣病被害の申し立てが相次ぎ、訴訟も今後行われていく状態。そういう意味では水俣病の解決が見えないなかで、チッソの分社化は進められ、先日の水俣病犠牲者慰霊式では、チッソの社長が子会社の株売却を早く進めたいと発言している。ようするに、水俣病の責任から逃れたいということを平気で発言しているということ。被害者はこうしたことを許せない」

中山裕二さん(水俣病被害者の会全国連絡会 事務局長)
「特措法がこのままいくとチッソは消滅する。チッソが子会社の株を売却すると加害企業がなくなる事態になる。認定患者がチッソと結んでいる補償協定は、1970年代に患者が必死の闘いで勝ち取ったもの。それをないがしろにする行為であり、それが特措法である。
 慰霊式で石原環境大臣が、自分の在任中はチッソが株を売ることはないといったが、私の在任中は消費税をあげないといった総理大臣もいた。同じことなのではないか」

菅一雄さん(ノーモアミナマタ第二次国賠訴訟弁護団)
「今の状況説明を。今国会に会社法改正案が提出されていて、改正案は多義にわたるが、そのうちの一つが、子会社の株式売却時、親会社の株主総会による承認を必要とする改正案。私どもが反対しているのは、この改正案からチッソを除外しようという修正案。修正案は維新の会が議員提案し、衆院で可決、参院にまわされているのが今の状況。
 反対する理由は、特措法にはじまる加害企業免責、水俣病問題の幕引きの一環としての動きだから。
どういうことかというと、特措法の申請が締め切られ(2012年7月末)、いよいよ今夏にも特措法に定められた手続き上、チッソが子会社売却を環境省に伺いたてられる状況。これにより本当に加害企業チッソが水俣病と縁を切ることにつながる。縁が切れれば、チッソは水俣病と無関係に金儲けができる。今、その一歩手前にきている状態で、わざわざチッソに株を売りやすくする修正案をだしている。なぜ加害者の味方を国会がするのか」


20140512チラシ.JPG
(院内集会にて撮影。手前は配布されたチラシ)

参議院の「先生方」はどう、判断するのでしょうか。

追伸:12日の院内集会での被害者団体からの発言と、本日の法務委員会で意見陳述をされた大石利生さんの発言および仁比議員の質疑には、水俣病の補償救済の不条理な線引きの実態、理解されにくい病状の具体例等の話がありました。これらは、特措法の救済制度が根拠なくつくられていること指摘する証言でしたが、会社法改正および修正案の話題と一緒にすると、かなり長文になるかと思い、別の機会に書きたいと思います。
posted by みの at 17:53 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

会社法改正 チッソ優遇の修正案は 許せない #minamata 

2014年5月12日 参議院議員会館で、水俣病に関する院内集会がありました。
集会の趣旨は、会社法改正において、チッソ優遇の修正案は許せないというもの。

チッソ優遇の修正案は、「チッソだけ特別扱い」とか、「チッソだけ適用対象外」と読みかえてもいいかと思います。

どんな特別扱いをチッソだけがしてもらえるのかというと、

会社法改正案では、親会社が子会社の株を売却する際、
株主総会の承認を義務づけているのですが、

チッソにおいては、親会社であるチッソが、子会社(JNC)の株を売却する際、
株主総会の承認の義務を適用対象外にするというもの。
これが、チッソ優遇の修正案です。

水俣病 国会院内集会 2014/5/12 on Twitpic

院内集会では、特措法についても多くの問題点が指摘されましたが、
ここでは、会社法改正 チッソ優遇の修正案に関する発言だけを紹介します。

大石利生さん(水俣病不知火患者会 会長)
「会社法改正によるチッソ優遇の修正案は、チッソの責任と役割を免責し、水俣病の幕引きをしようとするもので許されない」

坂本龍虹さん(水俣病被害市民の会 代表)
「会社法でチッソだけ適用除外する件もそうだが、特措法でもチッソは民法や破産法のいくつかの項目で法の適用対象外になっている。なぜチッソだけが適用対象外なのか理解に苦しむ」

谷洋一さん(水俣病被害者互助会 事務局長)
「国はなぜチッソをこれほど擁護し、被害者のためには動かないのか。
 水俣病被害の申し立てが相次ぎ、訴訟も今後行われていく状態。そういう意味では水俣病の解決が見えないなかで、チッソの分社化は進められ、先日の水俣病犠牲者慰霊式では、チッソの社長が子会社の株売却を早く進めたいと発言している。ようするに、水俣病の責任から逃れたいということを平気で発言しているということ。被害者はこうしたことを許せない」

中山裕二さん(水俣病被害者の会全国連絡会 事務局長)
「特措法がこのままいくとチッソは消滅する。チッソが子会社の株を売却すると加害企業がなくなる事態になる。認定患者がチッソと結んでいる補償協定は、1970年代に患者が必死の闘いで勝ち取ったもの。それをないがしろにする行為であり、それが特措法である。
 慰霊式で石原環境大臣が、自分の在任中はチッソが株を売ることはないといったが、私の在任中は消費税をあげないといった総理大臣もいた。同じことなのではないか」


国会議員も数名出席。
民主・大島議員(参)、共産・仁比議員(参)、共産・市田議員(参)、共産・赤嶺議員(衆)、社民・吉川議員(衆)

コメントを紹介したいところですが、今日は時間がありません。

明日の参議院法務委員会で、仁比議員と糸数議員が、チッソ優遇問題について発言する予定です。
法務委員会の傍聴も可能。
インターネット中継もあります。(詳細は↓)

会社法改正 チッソ優遇の修正案について、社民党の声明文がわかりやすかったので、紹介させていただきます。(アンダーラインは私によるものです)

2014年4月25日
「チッソ」子会社株の売却緩和法案に強く抗議する(談話)

社会民主党幹事長
又市 征治

1.水俣病の原因企業「チッソ」が子会社株の売却をしやすくする法案が本日、衆院本会議で可決された(社民党は反対)。日本維新の会が提出した会社法改正案の施行に伴う関連法の修正案で、子会社株の売却時に株主総会の決議を義務づける新規定からチッソのみを免除するもので、安易な水俣病問題の幕引きにつながりかねず断じて認められない。

2.チッソは水俣病被害者救済特別措置法により主要事業を子会社に移管し、親会社のチッソが被害者補償や公的債務の返済を担っている。しかし被害者団体はチッソが子会社株を売却し、売却益で補償債務を返済した上で会社の清算を念頭に置いていると強く危ぐしている。今回の法案はこうした動きを助長・加速させかねず、被害者救済が道半ばで同社や国を相手取った損害賠償請求訴訟も続いている中で加害企業の特別扱いは決して許されない。

3.水俣病問題をめぐっては今年3月、環境省が認定基準の新たな運用指針を示したが、手足の感覚障害だけでも認めると譲歩したかに見せつつ、実際には当時の頭髪や血液などの有機水銀濃度、漁業従事歴の確認など半世紀も前の証明を申請者に求め、認定のハードルを大きく上げるものとなった。安倍政権は患者認定基準を抜本的に改めるとともに、これまで一度も行っていない不知火海沿岸や阿賀野川流域での健康調査や被害者の実態調査を実施し、水俣病の全容解明と全ての被害者への救済・補償を図ることにこそ全力を挙げるべきである。

以上
引用元:http://www5.sdp.or.jp/comment/2014/04/25/%E3%80%8C%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%BD%E3%80%8D%E5%AD%90%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E6%A0%AA%E3%81%AE%E5%A3%B2%E5%8D%B4%E7%B7%A9%E5%92%8C%E6%B3%95%E6%A1%88%E3%81%AB%E5%BC%B7%E3%81%8F%E6%8A%97%E8%AD%B0%E3%81%99/


衆議院を通過し、参議院で審議されることになりますが、
5月13日の参議院法務委員会で、本件について議論されます。


傍聴のための集合場所:参議員議員面会所(参議院議員会館の、道路の向かい側)
  午前:9時45分(厳守)までに集合    午後:12時45分(厳守)までに集合

インターネット中継あり
http://t.co/QnUmjcioI2

チッソ優遇問題について質問する予定の仁比議員、糸数議員に注目。
水俣病不知火患者会の大石利生さんの参考人陳述は午後1時45分頃から。

法務委員会予定 敬称略
午前の部
<質疑>石井準一(自民)10:00−
    小川敏夫(民主)10:15−
    佐々木さやか(公明)10:45−
    行田邦子(みんな)11:00−
    仁比聡平(共産)11:15−
    谷亮子(生活)11:30−
     糸数慶子(無所属)11:45−
  仁比さん、糸数さんの質問にはチッソ優遇問題が含まれます。
  チッソ優遇修正部分の提案者として答弁に立つのは西田議員(衆・維新)。

午後の部
<参考人意見陳述>
    静正樹(証券取引所)13:00−
    藤田和久(三菱商事)13:15−
    岩原紳作(早大教授)13:30−
    大石利生(水俣病不知火患者会)13:45−
<参考人に対する質疑>
石井準一(自民)14:00−
    小川敏夫(民主)14:15−
    佐々木さやか(公明)14:30−
    行田邦子(みんな)14:45−
    仁比聡平(共産)15:00−
    谷亮子(生活)15:15−
    糸数慶子(無所属)15:30ー
    
    15:45終了予定


昨日のツイートですが、関連するので貼り付けておきます。























posted by みの at 02:34 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

水俣病 臨水審報道の裏にあるものを考える

ツイートのなかから、臨水審についての私の考察を抜粋しておきます。











という展開にならないといいのですが。
・・・・・・・・・・・・・・・

以下の3冊は、すべて同じ内容ですが(解説や加筆されたあとがき以外)タイトルがそれぞれ異なります。
最も内容を的確に表しているのは、二番目の『官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で』だと思います。ここでいわれている「官僚」とは環境省の官僚だった山内豊徳さんのこと。
水俣病行政の現実と理想の間で板挟みになり、その結果、「死を選んだ」のです。
山内さんの通夜だったか葬儀で、同僚が、山内さんについて「彼は官僚に徹しきれなかったのね」といったそうです。では、官僚になるということは、どんなことなのでしょう。
理想は理想、現実は現実と割り切ることができる人間になるということでしょうか。


著者は映画監督の是枝裕和さん。
現在、もっとも入手しやすいのは、これ↓のようです。

雲は答えなかった 高級官僚その生と死 (2014年出版)

是枝さんによる「刊行にあたって」(2014/1/15)
想田和弘さんによる「解説――共振する『しかし』」
が、2014年に出版されたPHP文庫版には掲載されています。



官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で (2001年出版)

このバージョン↑は、未確認ですが、おそらく
是枝さんによる「文庫版のためのあとがき」(2001/5/1)が、このとき、加筆されたと思わます。



しかし… ある福祉高級官僚死への軌跡 (1992年出版)
【送料無料】しかし… [ 是枝裕和 ]

【送料無料】しかし… [ 是枝裕和 ]
価格:1,782円(税込、送料込)


私の手元にあるのはこの↑バージョンです。
是枝さんによる「あとがき」(1992/11/3)があります。
一気に最後まで読み切りました。
その後しばらくの間は、山内豊徳さんのことを考えずにはいられない日々が続きました。
そして現在も、水俣病行政を担当する環境省の官僚を前にすると、山内さんのことを思い出してしまいます。

近く発行される『水俣支援東京ニュース』に、水俣病患者と環境省の水俣病担当者のやりとりを一部再現したルポが掲載されます。
嫌というくらい「官僚に徹して」いらっしゃる環境省の担当者たちを目撃しました。
私のルポは、たくさんの人の目に留まることはないと思いますが、例えば50年後、誰かの目に私のルポがとまれば、あのとき、2014年4月2日に環境省の一室でどんなやり取りが行われたのか、知ってもらえるわけです。
私は、小さな小さな種を、将来にむけてまいたと思っています。
あまりにも種をまいた場所が日影すぎて、小さな種は大きく育たないかもしれないですけど。
それでも、種はまかれた。
種は私に実をもたらさなくてもいいのです。
小さくても、ささやかでも、何があったのか未来の人に知ってもらえればいいのです。

水俣病で犠牲になった命とその魂たち――。
どこかで私がしていることを見てくれていますか?
あるとき、
「水俣病で亡くなった魂が、よろこんでくれるような仕事をしていきましょう」と、
ある方からいわれて、とても納得しました。
それ以来、私は常にこの言葉とともに生きています。

水俣病事件の解決に人生を捧げてきた方々。
すでに故人となってしまった方々もいらっしゃいます。
もし、そうした人たちが死後、どこかで集まっているのなら、
私も死後、そこにおじゃまさせていただき、私が見て来た水俣病事件についてお話したいです。
焼酎は飲めませんが。(苦笑)
posted by みの at 12:16 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月17日

土門拳賞授賞式 水俣を撮り続けた桑原史成さんに #minamata #水俣病

第33回土門拳賞授賞式に行ってきました。2014年4月16日のことです。

20140416桑原さん.JPG
受賞された桑原史成さん(写真)です。
トロフィーと、受賞作品の一つ、写真集『水俣事件』を手にされています。
(正確には受賞作は、写真展『不知火海』と写真集『水俣事件』)

2012年の冬だったか、東京の大江戸線で、偶然、桑原さんにお会いしたことがあります。
そのときに桑原さんが、藤原書店から写真集を出す話があるんだと嬉しそうに話してくれました。その写真集が、今回の土門拳賞受賞作品となった『水俣事件』です。

トロフィーや賞状授与の後の、歓談の時間、主役の桑原さんは当然のことながらひっぱりだこ。私が話を聞ける機会はないかと思いきや、一瞬だけ、桑原さんと一対一でお話できる機会がありました。

77歳にして新人賞!?
土門拳賞を受賞してのお気持ちは?
「80歳まで現役だとして、77歳にして新人賞をもらったような気がします。サッカーでいう、ロスタイムに一点入ったような。あと3年というロスタイムのなかでね」

水俣病事件を初期から見続けてきたお一人である桑原さん。宇井純さん、原田正純さんが亡くなり、ご存命でいらっしゃるのは石牟礼道子さんと桑原史成さんのお二人になりました。
「その後も、新しい人が入ってきているから、そうした人もいれたらもっと増えますよ」

という話をしている最中、「桑原さん、誰々さんが呼んでます」と声がかかり、私の取材はここで終わりとなりました。

サッカーの試合にご自身の現役人生の残り時間をたとえていらしゃいましたが、桑原さんに原田正純さんが亡くならた際にインタビューさせていただいたのですが、そのときも、「彼は、サッカーの試合でいうと後半戦で力量を発揮した人じゃないか」と話されていらっしゃいました。

そのときの記事はコチラ 
水俣病事件の初期を知る第一世代の同志・桑原史成さん、原田正純さんを語る

桑原さんがいうところの、水俣病を追っている「新しい人」が、桑原さんより後から水俣病を追い続けている人と解釈していいのなら、来賓祝辞を述べられた村上雅道さんは間違いなくそのお一人だと思います。

普通の積み重ねが、桑原さんの言動力
村上雅道さん。3年前まで熊本放送で水俣病をはじめとするドキュメンタリー番組を制作されていた方。世に送り出した水俣関係の番組は13本。今も長崎県立大学の教授の仕事をされながら、水俣についての新作を制作中とのこと。職業が変わっても、水俣を追い続けている一人であります。

スピーチでは、桑原さんと村上さんが出会うきかっけになったドキュメンタリー『記者たちの水俣病』(2000年)作成秘話を聞くことができました。この作品は、メディアが水俣病をどのように報道したのかを検証したといいます。作品のなかで桑原さんには、「大手メディアが水俣病から目をそむけていたときに、真正面から患者と向かい合ったジャーナリスト」として登場してもらったそうです。

20140416村上さん.JPG
「桑原さんと(番組の取材のために)最初に出会ったのが六本木のアマンドの前。待っているときはすごく緊張していた」と語る村上雅道さん。

そのときの村上さんにとって、桑原さんといえば、「チッソ工場内で秘密裏に行われた猫400号実験をスクープしたジャーナリスト」であり、「洞察力のするどい報道写真家」だったそうです。

「だから、待っている間は緊張がピーク。ところが、お会いしている間に印象は変わっていきました。温和な顔、飾りっ気のないしゃべり口。なにより、全てを受け入れてくるおおらかな人間性が、私の緊張をやわらげてくれたんじゃないかと思います」

そして、インタビューを開始すると、村上さんが桑原さんに抱いていた印象がさらに変わったといいます。

「やはり(私は)テレビ屋なんで、非日常的なものを求めるんですね。ところが桑原さんからでてくるのは、普通のことばかり。普通の人が、普通の姿勢で、普通のことを考えた。私の桑原さんへの印象も、普通のおじさんのイメージに変わっていきました」

桑原さんへの取材は三回行われ、六時間ほどお話をうかがったといいます。

「でも、桑原さんの話を聞いていたら、話をうかがうたびに、話の重みが増していく。いつのころからか、桑原さんの世界に引き込まれてしまう。これぞ、普通の積み重ねが、桑原さんの作品の原動力か、と思うようになってきました」

以来、水俣病のドキュメンタリーのみならず、他のテーマのドキュメンタリー番組をつくるたびに、村上さんは桑原さんのことを考えるようになったといい、「ある意味で、制作者としての恩師でもあります」と話しました。

スピーチの最後は、水俣病「公式」確認の日である5月1日について。水俣では毎年、水俣市主催の犠牲者慰霊式が行われています。新作制作中の村上さんは、「桑原さんもこの日は水俣にいらっしゃるんですよね。ぜひ、ジャーナリストとしての真骨頂を見せつけてください」と結びました。


突然のご指名でスピーチをすることになったのは、旗野秀人さん(新潟水俣病安田患者の会世話人)でした。
20140416籏野さん.JPG

冥土連設立宣言を載せてくれて感謝
「突然しゃべろといわれたんですが、決して、褒めるなといわれました。(笑)
そもそもある日(桑原さんから)電話がきて、『旗野さん、僕は土門拳賞もらうことになったんだけど』というので、よかったじゃないですかといったら、『あんた人が死んでいるんだぞ、そんなんでもらっていいのか』というわけです。授賞式の案内状が届くかもしれないけど、わざわざ新潟から来なくていいぞって。でも、来なきゃなんないじゃないですか」

「うれしかったのは、今回の写真集『水俣事件』に、“水俣病になってしまったけど、生きていてよかった”という『冥土連設立宣言』を書かせてもらったこと。(写真集には)新潟代表として、坂東弁護士と私に執筆を依頼してくれました。(依頼されたときに)え、私でいいんですかって、写真集の品位が落ちると思ったんですけどね。桑原さんは、すごい仕事をされるんだけど、お茶目なところ、ちょっと危ないところがあって、そのへんはたぶん、私と共通している」

「桑原さん77歳でしょ。こんな大きな賞もらって。もうちょっと働けってことなんだから、あと3年だけは、一緒に付き合っていただきたいと思います」

冥土連:正式名称「冥土のみやげ全国連合」。「水俣病にはなってしまったが生きていて良かったと、患者さんに喜んで貰える冥土のみやげをつくろう!」が設立宣言の内容。


桑原史成さん 受賞者挨拶
20140416桑原さん2.JPG「(受賞を知らせる連絡をうけて)受賞の対象になった作品はなんですかと聞くと、去年発表したものだというので、それを聞いて率直なところ困ったなと思いました。去年といえば、水俣について写真展をやり、写真集をだしているんで。別のテーマならよかったんだけど。

水俣事件というのは、認定されている患者がざっと3000人。うち、亡くなられたのが正確にはわからないが2000人。特措法で65000人が申請し審査を受けている。さらに、訴訟が5本…そういう未解決な状態が続いているなかで、僕は傍観者で、事件の周辺をうろついて写真を撮っていた。そういう者がスポットライトを浴びることに負い目を感じて困りましたが。

土門拳賞は、写真界で、ドキュメンタリーですばらしい賞だと存じているので、今日はありがたく頂戴いたします」

「熊本、福岡、宮崎から。玄界灘を渡った僕の田舎の島根津和野から町長さんも。新潟からもおいでくださいました。玄界灘を渡った韓国からも友人が…」と、集まった方々へのお礼の言葉も。本当にたくさんの方がいらしゃっていて、参加者のほぼ全員がはいった集合写真の撮影のときには、カメラの方が、全員を写真に収めるのにご苦労されていました。(でも、とっても声がけの上手な方でした!)

そのなかでも、水俣病事件を撮影されてきた写真家が6人、一堂に会したことには、この授賞式をさらに特別なものにしたのではないでしょうか。こんな機会はめったにないだろうということで、集合写真、撮らせていただきました。



その他のコメント

「去年は水俣病の被害者認定につながる最高裁判決があり、水俣条約が採択された節目の年。このときに、桑原さんに土門拳賞を贈れるのは意義があると思う」伊藤芳明さん(毎日新聞社主筆)

「水俣について桑原さんの『傍観者の負い目』と聞いて、キャパの『ちょっとピンぼけ』のある部分を思い出した。キャパは第二次大戦で負傷した兵士から、おい写真屋、どういう気持ちで写真を撮っているだといわれて、その場を黙って立ち去った。撮影者の内面の葛藤は深く複雑。だけれども、記録しなければ、その現実は歴史として残らないというドキュメンタリーの現実がある。桑原さんの『水俣事件』は、後につづく若い写真家にとって励ましになることを確信している」鈴木龍一郎さん(写真家)



「桑原さんの作品は7月に(展覧会が)予定されている。土門拳記念館でしか味わえない雰囲気をつくる。ぜひ桑原さんの作品は土門拳記念館に見に来てほしい。桑原先生おめでとうございます」高橋修さん(土門拳記念館理事長)

「桑原さんの写真集にも書いてあったが、まさに、水俣に始り、水俣に終わる写真家人生。時代を享受させる報道写真だ」西岡隆男さん(ニッコールクラブ会長)

紹介された祝電
西田弘志水俣市長
坂東克彦弁護士(元新潟水俣病訴訟弁護団長)
ジュリア・トーマスさん ノートルダム大学準教授  
こじまあいこさん シカゴ大学博士課程

選考経過
最終選考に残ったのは11作品。水俣2作品、沖縄3作、その他。実験的な作品もあり。最終的に、桑原さんの『水俣事件』と、小柴一良さんの『水俣よサヨウナラ、コンニチワ』が残り、桑原さんに決定したとのこと。(授賞式での鈴木龍一郎さんのスピーチより)※毎日新聞(2014年3月23日)に詳細あり。

授賞式の詳しい記事は(授賞式)翌日の4月17日の毎日新聞に掲載されるとのことです。





こちらは、楽天でみる限り、売り切れの書店がいくつか。


posted by みの at 23:19 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月31日

水俣病被害者互助会 第二世代訴訟判決がでました。

(2014年3月31日午後の時点での記録です)

2014年3月31日、熊本地裁で、水俣病に関する判決が下されました。
水俣病被害者互助会による第二世代訴訟と呼ばれる裁判で、原告8人が、国、熊本県、チッソを被告に、水俣病の損害賠償請求をしていたものです。

判決は、原告8人のうち3人の賠償請求を認め、5人の訴えを棄却するという内容。
賠償が認められた3人の賠償額は、報道によると220万〜1億500万円とのこと。

賠償請求を認められた3人のうち、特に重症のお一人の方だけは、請求どおり1億円ちかくの損害賠償を認めたようです。
残りの二人については、220万〜ということしか現在ではわからないのですが、どちらかお一人の損害賠償額が220万円だとしたら、ここまで低額になる根拠が気になります。
もともと原告の損害賠償請求額は(重症の方をのぞき)一人あたり1600万円で、これは、チッソと「認定患者」が締結する補償協定に準じた金額でした。

原告8人は、故原田正純医師によって、水俣病と診断されている方々です。
公的には水俣病と認められていない、未認定患者ですので、裁判では、水俣病患者であることを認めさせることが目的の一つでした。

しかし裁判では、8人のうち5人は、水俣病とは認められなかったわけで、裁判所は原告の水銀暴露歴を調べる際、原告の同居家族に認定患者がいるかいないかを考慮したようです。

ただ、家族に認定患者がいないことが、原告の水俣病を否定する材料にはならないと思います。

例えば、認定患者のなかには、一回目の認定申請では認められず、二回目、あるいは三度目の申請で認定患者になった人もいます。もし、一回目の申請で諦めてしまったら、未認定患者のままです。また、認定申請は一回しかできないと思い込んでいる人もいます。(認定申請についての情報が正確に広報されていないことが原因)

医者に水俣病の申請をしたいと申し出たら、そんなバカなことするのかと、露骨に嫌な顔をされて、申請をあきらめてしまった人もいます。(認定申請を阻止する圧力)

胎児性水俣病の子どもを出産した母親が、認定されていないケースもあります。

地域から認定患者を出すな、という圧力があり、申請ができなかった人たちもいます。

このように、誰もが申請できる環境にいたわけではないのです。

また、こういう方もいらっしゃいます。自分と同じような症状が、周囲の人にも同じようにあったので、自分の体の具合がおかしいことに気づかなかった。よって、体調不良の原因が水俣病によるものだとも知らず、認定申請はしてこなかった――というケースです。

ですから、同居家族に認定患者がいる・いないは、本人の水銀暴露暦や水俣病であるかどうかを否定する情報には成りえないと思うのです。

報道にざっと目を通すと、「未認定患者3人に賠償」「賠償1億超え」といった見出しから、原告が勝訴した喜ぶべき判決がでたような印象を持ちますが、原告8人のうち5人の訴えは棄却されているわけです。よって、

「未認定患者5人の訴え棄却」
「賠償220万しか認めないケースも」

といった見出しも間違っていなかと…。

続報入り次第、リポートしたいと思います。





お知らせ

4.2 水俣病被害者互助会 第二世代訴訟 判決報告東京集会
2014年 4月2日(水) 6時半―8時45分 午後6時開場  連合会館 4階 402会議室
参加費 500 円

主催 水俣病被害者互助会第二世代訴訟原告団/水俣病被害者互助会第二世代訴訟弁護団
共催 水俣病訴訟を支える会
協力 東京・水俣病を告発する会/チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会/最首塾
連絡先 千代田区神田淡路町1−21−7静和ビル1A(東京告発)/090−3533−4489(久保田)

    

posted by みの at 23:59 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

水俣病-5- 環境省は患者が増えると困る!? #minamata

(前回からの続き)

もし最高裁判決に従って、環境省が水俣病の認定基準を変えれば、認定される患者が増えることは想像できる。
だが、環境省は認定基準の見直しに同意せず、「最高裁判決は認定基準を否定していない」と独自の主張を続けている。

そこで代理人が、「患者の数が多くなるから困っているのか」と聞くと、これまでほとんど発言していなかった飯野氏が間髪入れずに「そういうことはないです」とほぼ小林氏と同時に反論した。
「そういうことはない?神に誓って、そういうことはない?」と代理人が聞きかえすと、小林氏は「神に誓ってそういうことはない」と述べた。

認定患者が増えると、チッソが払う補償額が増えることにつながる。このことから
「チッソと(環境省は)話し合いをしているんじゃない?」
と代理人側が問うと、飯野氏が「してないですよ。本当にしてない」と否定した。
再度「大事なことだから確認しますが、この件について、チッソと相談したり話し合ったりしていることはないでしょうね」と聞くと、小林氏が「ないです」と回答した。

患者・被害者を避けていないか?
環境省は患者や被害者を避けていないだろうか。
このような疑念を抱いたのは以下のやり取りからである。

代理人側が、総合的検討について、現地の人との意見交換の場を持ってほしいと提案すると、「約束(するの)は控えさせていただく」と小林氏。その後のやりとりを経て、やっと、「検討させていただく」という発言に行き着いた。

さらに、総合的検討の公表前に、被害者団体に説明することを考えているか聞くと、「検討していきたい」とだけ答えた。

水俣病行政において、患者・被害者・現地の住民の声を聞かずに加害者側がつくったものは、水俣病の解決を先延ばしにしてきた。
その間、被害者は高齢化していく。時間の経過とともに、水俣病の被害を訴える人間が少なくなっていく。
水俣病を担当する環境省の職員、とりわけ特殊疾病対策室長は、約2年後には別の部署に異動していく。

室長は、異動とともに水俣病との関わりから外れ、「出世」していくと聞く。だが被害者は一生、水俣病とつきあっていくしかない。

環境省は患者の数が増えて困るという考え方を否定した。であれば、認定基準の見直しを行い、現行の基準と最高裁や不服審査会が示した基準とのギャップを取り払い、停滞している認定審査の迅速な対応に動くべきだ。








posted by みの at 00:00 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月24日

水俣病-4- 秘密主義?で進む「総合的検討」の実態 #minamata

(前回からの続き)

最高裁判決が国の水俣病認定基準を否定したことを、環境省は認めていないことはこれまでに書いてきた。
その代わりに環境省がいいだしたのが、52年判断条件に関する「総合的検討」だ。だが、検討内容などについては何も説明がないまま、加害責任を負う環境省と熊本県が検討を進め、検討のテーブルにつくことができない被害者たちを待たせている状態が続いている。(待たせているという状態は、加害者側を利する)

12日の環境省交渉では、総合的検討について小林氏から以下のことを聞き出すことができた。


  • 環境省には、総合的検討に関する検討会や審議会といったものは置いていない。熊本県と会合を行っているかについては「何をもって会合というのか。会合という言い方(表現)がいいかは別にして、検討会的なオフィシャルな会はない」

  • 検討は「資料を参考に」し、熊本県の「いろんな資料」も参考にしている。

  • 検討するにあたり、認定審査会委員の意見を聞いているのかについては、「聞いていきたいと考えている」といい、現段階で委員に意見を聞いているのかについては「そこは控えさせていただきたい」と回答を避けた。

  • 総合的検討は「環境保健部としてやっています」とのこと。小林氏の姿が現地で目撃されていることから、実質的には小林氏が動いていることは認めた。

  • 総合的検討の発表時期については「なるべく早くに」とだけ回答。具体的な時期や、検討に時間がかかっている理由等の説明はなし。

  • 総合的検討の発表方法(記者会見をするのか、通達なのか等)については、「手続の話なので即答できない」。

  • 52年判断条件は変えず、「補足する」「言葉を補う」「実務の参考にする補足の説明をもりこむと」という認識。



ここからは筆者の感想。

「総合的検討」は「会合」のようなものは設けていないという件だが、議事録の公開を求められたときに、会合自体が存在しないので議事録も存在しないというために、先手を打ったのではないかと考えてしまう。

税金を使って水俣と霞が関を往復し、調査を委託し、ときには被害者を相手にした裁判費用に、何十人にもの弁護士を雇う環境省。税金によって行われている「総合的検討」が、「密室会議」と批判されるほど実態が見えにくのは問題だと思う。

そもそも「総合的検討」の必要性には疑問の声もあがっている。
なにも環境省がこれ以上検討すべきことはなく、最高裁判決にしたがい認定基準を見直せばいいだけだという指摘だ。

総合的検討の公表前に、被害者団体に説明する考えがあるのかについては、「検討していきたい」と小林氏は答えた。
しかし筆者はこう考える。
ある日突然、中央(東京)で報道関係者に向けて発表し、報道関係者が水俣の関係者にコメントをもらおうと連絡を入れたところで、初めて、現地住民の知るところになるという、現地が置き去りにされたやり方だ。

水銀の使用を規制する条約名を「水俣条約」とする提案も、ある日突然、知らされた。、鳩山首相(当時)が水俣病犠牲者慰霊式に出席した際、スピーチのなかで発表した。その後、東京では説明会らしきものが開催されたが、地元での開催は後回しだったと記憶する。当然、水俣で開催された説明会では、「水俣条約」と名前を付けることの賛否で、住民の間に仲たがいが生じた。

全てがトップダウン(中央から地方への一方的提案)であり、その被害をこうむるのは地元の人たちである。

「総合的検討」の公表時期については、具体的な時期を述べなかったが、支援者の間では12月、年末近くではないかとささやかれている。(続く)
posted by みの at 16:30 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

水俣病-3- 騙されてはいけない環境省の「最高裁判決は受け止める」発言 #minamata

(前回からの続き)

環境省・特殊疾病対策室室長の小林氏によれば、最高裁判決に認定基準は拘束されるが、不服審査会の裁決には拘束されないという。しかし、筆者は、審査会の裁決は、環境省を拘束するもの(行政不服審査法第四十三条)であると考える。
また、審査会の裁決は最高裁判決に従ったものであるから、最高裁判決が示す認定基準と、不服審査会が今回用いた認定基準には違いはなと理解している。
 
最高裁判決「単一症状でも水俣病と認定する余地はある」
    ↓
不服審査会、上記判決内容に従い、下田さんを認定相当に。
   ↓
環境省「最高裁判決には拘束されるが、審査会裁決には拘束されない」


最高裁判決に従えば、結果として、環境省は審査会裁決に従ったことになるのだが・・・

代理人:今回の(審査会の)裁決は、最高裁判決の趣旨を再確認、徹底したものだという考えはもっているのか。あるいは、今回の裁決は、全く違う趣旨だと理解しているのか。
小林 :合議体組織である不服審査会として判断されたものとして考えている。
代理人:(小林氏が質問とはズレた回答をしているので、再度質問)裁決は、最高裁判決の趣旨を徹底、再確認し、さらに具体化したものだと理解しているが、それは違うか。
小林 :独立した合議体組織の判断については、環境省の事務方としてはコメントを控えたい。


このやり取りからわかるように、環境省は何がなんでも、不服審査会の裁決内容は認めたくないようだ。
よって、最高裁判決と、審査会裁決の主張が同じであることも認めたくないため、「コメントは控えたい」と言わざるを得ないのだろう。

次に、環境省がいう「最高裁判決には拘束される」の真意を見ていく。

最高裁判決が認定基準(52年判断条件)を否定していることについて小林氏は、
 「52年判断条件が否定されているという見解ではないという認識を持っている」と発言している。
したがって、小林氏が何度も口にした「(環境省としては)最高裁判決をふまえた通知をだして、より丁寧に慎重に(やっていく)」という、一見、判決を素直に受け入れたように聞こえる発言も、“最高裁判決によって基準が否定された”という認識がないことを踏まえての発言と考えると、全く意味のない回答に等しい。

であれば、環境省が取り組んでいる「総合的検討」は、水俣病行政の改善にはつながらない。「総合的検討」は、被害者を不利な状況に追い込む時間かせぎと、最高裁判決をうけて環境省は対策をとったというアリバイづくりにしかならないだろう。

そのような逃げ腰の環境省に対して、さまざまな団体が基準を見直すよう訴えている。

孤立する環境省〜環境省を包囲する動き〜
最高裁判決(4月16日)を支援する声明等。

日本弁護士連合会会長談話(4月16日)
国は、今回の最高裁判決を踏まえ、すべての水俣病患者を救済するために、感覚障害等一症状だけであっても、曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定するよう、「昭和52年判断条件」を速やかに見直すべきである。


大阪弁護士連盟会長談話(4月16日)
国は、今回の最高裁判所判決を踏まえ、全ての水俣病患者を救済するために、感覚障害等一症状だけであっても、曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定するよう、「昭和52年判断条件」を速やかに見直すべきである。


熊本県、最高裁判決をうけて、溝口チエさん(故人)を認定。(4月19日)

九州弁護士会連絡会 水俣病の認定義務付け訴訟最高裁判所判決に関する理事長声明(5月1日)
今回の最高裁判決を踏まえ、国は、すべての水俣病患者を救済するために、「昭和52年判断条件」を速やかに見直し、感覚障害などの一症状だけであっても、汚染地区の魚介類の摂取などメチル水銀への曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定すべきである。


最高裁で大阪高裁に差し戻しとなった豊中市の女性(故人)の遺族が継承していた水俣病裁判で、熊本県は訴訟を断念し、女性を水俣病と認定することを発表。(5月2日)

日本弁護士連合会緊急提言(6月27日)
日弁連は、環境省に対し、水俣病の現行の認定基準である「昭和52年判断条件」を改定して、恒久的な患者救済システムを構築するよう再三にわたって提言してきましたが、前記最高裁判決により司法判断が確定したことから、改めて下記のとおり水俣病問題の総合解決に関する緊急提言をとりまとめ、2013年6月 27日付けで、環境大臣、熊本県、鹿児島県、新潟県に提出しました。
本提言の趣旨より一部抜粋> 昭和52年判断条件を改定し、現行の症候の組合せを要求する基準を撤廃して、感覚障害のみの一症候であっても、患者の居住歴や魚介類の摂取状況、家族の認定の有無等総合的に考慮して水俣病と認定するという基準に改めること。


日本精神神経学会 水俣病認定に関する最高裁判所判決(2013年4月16日)に関する声明(7月27日)
今回の判決においては、「所轄行政庁の運用の指針としての昭和52年判断条件に定める症候の組み合わせが認められない四肢末端優位の感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はないところ」と述べられ、本学会の1998年見解が採用された。
本学会は、環境省が今回の最高裁判決を遵守し、昭和52年判断条件を撤回することをあらためて要請する。


九州弁護士会連絡会 水俣病問題につき,認定基準を改め,すべての被害者を水俣病患者と認めて救済することを求める決議(10.25)
国に対して,(1)昭和52年判断条件を改定し,現行の症候の組合せを要求する基準を撤廃して,感覚障害のみの一症候であっても,居住歴や魚介類の摂食状況などといった諸条件を踏まえて,総合的に考慮して水俣病と認定するという基準に改めること。


公害健康被害補償不服審査会が、下田さんを認定相当と裁決。(10月25日)
熊本県知事が下田さんを認定。(11月1日)


欧州環境庁
『2013年版報告書』5章に、水俣病についての記述があり、国が定めた52年判断条件について「根拠がない」と指摘する論文が掲載されている。(2013年1月発行)

「俺様ルール」で都合の悪い判決・裁決を曲解し、正当化し、強行突破するのは許されない。
もはや、環境省に逃げ道なし。八方ふさがりの状態だ。(続く)

posted by みの at 10:00 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月22日

水俣病-2- 環境省は不服審査会の裁決に拘束されない? #minamata

(前回からの続き)

ところで、環境省は公害健康被害補償不服審査会の裁決に拘束されないのだろうか?
行政不服審査法の趣旨にはこう書いてある。

第一条  この法律は、行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによつて、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする。


このことから、行政不服制度には、@「国民の権利利益の救済」のほかに、A「行政の適正な運営を確保」するという目的があることがわかる。

@の目的は、下田さんが認定されたことで達成された。Aについては、環境省は審査会の裁決をうけて、水俣病行政の適切な運営に必要な見直しをすべきで、このことがなされないと、Aの目的は達成できない。

さらに、
第四十三条  裁決は、関係行政庁を拘束する。


とある。裁決は、環境省を拘束するのである。

だが、小林氏は、あくまでも審査会の裁決は「個別の事案」であり、裁決の内容は、環境省の認定基準を拘束するものではないと主張する。

代理人らが、行政不服審査法の趣旨と照らし合わせ、環境省の主張の不備を追及すると、
「認定されたことを尊重する…」と、下田さんの認定にだけ言及し、行政の適切な運営確保については無視した。

間違いなく、行政不服審査法が目的とする「行政の適正な運営を確保」は、環境省にとって都合が悪いようだ。(続く)
posted by みの at 10:29 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

水俣病-1- 溝口訴訟最高裁判決を受けて 行政不服審査会は棄却された男性を認定相当と判断 #minamata

政府が水俣病を公式に確認してから57年がたつ水俣病事件。
国(環境省)に水俣病の患者認定を棄却(否定)されてきた下田良雄さんが、公害健康被害補償不服審査会に挑んだことで、11月1日、水俣病と認定された。
これまで水俣病患者認定を棄却されてきた下田さんが認定にいたった背景には、2013年4月16日の溝口訴訟最高裁判決の影響があった。

週刊金曜日(奥田みのり)s.jpg
雑誌『週刊金曜日』941号より、最高裁が初認定 感覚障害だけでも水俣病の記事。

溝口訴訟最高裁判決は、国が1977年(昭和52年)に定めた認定基準(52年判断条件)について以下のように判断した。

これまで国は、水俣病の症状とされる感覚障害や視野狭窄などのうち、複数の症状の組み合わせがなければ基準を満たさないとし、52年判断条件を運用してきた。
しかし、感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はない。したがって、52年判断条件は、単一症状(症状が一つだけ)でも水俣病と認定する余地がある

判決前:複数の症状の組み合わせがなければ対象外。
判決後:単一症状でも水俣病と認定する余地はある。


つまり、これまでの基準は、認定対象者を狭くとらえていて、最高裁判決はそれはおかしいと判断した。

不服審査会は、最高裁判決の内容をふまえた判断をし、下田さんを認定相当と判断。

本来なら、4月16日の最高裁判決以降、環境省はすみやかに認定基準の見直しに着手するべきであったが、環境省は直ちに見直しをしないと宣言した。かといって、環境省が主張する認定基準の欠陥が最高裁判決で指摘された以上、何もしないわけにはいかない。
そこで環境省が言い出したのが、「52年判断条件についての総合的な検討」(総合的検討)だ。ところが、総合的検討が何を目指しているかなど、一切の情報は知らされないまま、環境省と熊本県によって進められているのが現状だ。

2013年11月12日、下田さんの代理人や支援者らは環境省を訪問。約二時間議論をした。代理人らの要求は6項目にわたったが、ここでは「52年判断条件を見直し、認定制度の抜本的改革をおこなうこと」という要望だけを取り上げる。
対応したのは、環境保健部・特殊疾病対策室の小林秀幸室長と、飯野暁(さとる)課長補佐。他、二名の環境省職員が記録のため同席していたが、名前や所属は不明。

現行の認定基準は改変すべきという要望に対して環境省は、逆転認定となった下田さんの裁決については「個別ケース」とし、審査会の裁決は、認定基準のあり方を拘束するものではないという主張を貫いた。(続く)
posted by みの at 16:14 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

続・カナダ水俣病 報告交流会 #minamata

以前、9月13日に東京で行われた「先住民の証言 カナダ水俣病報告交流会」の写真速報を掲載しました。
今回は、同交流会の詳細です。

カナダ製紙工場の水銀汚染
カナダ・オンタリオ州を流れるイングリッシュ・ワビグーン川の流域にある先住民族居留地、グラッシー・ナロウズとホワイトドッグ。この二つの居留地の先住民に、感覚障害や視野狭窄などの神経症状が見られることを原田正純医師が確認したのは1975年のことだった(発表は1976年)。

原因は、居留地を流れるワビグーン川水系の約200km上流に位置するリード社の製紙工場(ドライデン市)。

漂白に使う苛性ソーダの触媒に使用した水銀を水系に排出。水銀は環境内で有機化し、食物連鎖により魚介類に蓄積。それを摂取した住民の間に水俣病が発生したという。
しかしカナダ政府は、水銀汚染は認めても、水俣病が発生していることは認めていない。

カナダへ帰国前の東京で
この報告会は、熊本学園大学が熊本・水俣で主催した「環境被害に関する国際フォーラム」に招聘したカナダからの参加者を囲んで、帰途の東京で設けられたものである。

グラッシー・ナロウズからはジュディ・ダ・シルバさんが来日。参加予定だったホワイトドッグからのパメラ・マンダミンさんは、体調不良により急遽帰国、話を聞くことはできなかった。
報告会には約50人が参加した。環境省の水俣病担当の官僚の姿もあった。
 
20130913カナダ水俣病stage.JPG
日本語通訳つきで報告会

カワウソの水銀値
祈りの言葉をつぶやいてから、ジュディさんはポツリポツリと、話し始めた。
「1997年、カナダ厚生省の医者が私たちに、川に水銀は含まれていないと言いました。最初は信じましたが、知り合いの看護師が、それが真実ならば、どうしてスポーツフィッシングをしにここへ来る人たちには、魚を食べるなと言っているのか、と質問したのを聞いて、これは疑ってかかるべきだと考えました」

20130913カナダ水俣病judy.JPG
ジュディ・ダ・シルバさん 

ジュディさんたちが独自に行なった調査では、カワウソの肉からは、カナダ厚生省による許容水銀値の40倍が検出された。

「私たちはカワウソは食べませんが、この数値から、どれほど水系が汚染されているかを知りました。水銀の垂れ流しは1970年代に禁止されたのに、未だに水銀値は高いのです」

ジュディさんの食生活は、街で買う牛肉や鶏肉と、森からの鳥や鹿と、川魚の「ピケラル」(カワカマス科の小魚)で成り立っている。ピケラルの水銀値は高いが、ジュディさんは食べ続けるという。

「なぜって、ピケラルは私にとって文化であり、伝統であり、大切な存在だから。この魚を食べることを諦めることより、汚染をなくすことが大事なのでは」
ジュディさんの顔の左半分には感覚がない。身体バランスの崩れ、めまいがあるという。

「認定基準」を輸出した日本
花田昌宣氏(熊本学園大学教授)は、日本の水俣病認定基準が、そのままカナダで使われていると説明した。

「カナダの(生活保障給付の)認定基準には腱反射の低下が入っているが、これは日本の2004関西訴訟最高裁判決で否定された末梢神経損傷説による基準。それがそのまま導入されている。カナダ政府は原田先生の診断書を認めていない。原田先生がいう『差別のあるところに公害が起きる』の典型といっていい」

20130913カナダ水俣病hanada.JPG
花田昌宣さん

ジュディさんたちと共に来日した支援者、ソア・アトキンヘッドさんによれば、原田氏がグラッシー・ナロウズで開いた記者会見では、米国のメイヨクリニックの医者が原田氏の発言は真実でないとコメントをしたという。

「原田医師の信頼をおとすためでしょう。その人は、水銀の専門家ではなく神経科の医者でした」
 
メイヨクリニックはカナダでも知られた有名な病院で、新聞でそこの医師のコメントを読めば、「原田先生のことを知らないふつうの読者は、メイヨクリニックの医者の発言が正しいと受取ってしまう」とジュディさんはいう。

参加者からの質問
Q 苛性ソーダは現在も使われているのか。
ジュディ:1970年頃、触媒に水銀を使うのをやめている。今は別の有害な代用品が使われている。

Q (水俣病として)認定されているのは何人?補償金は誰が払っているのか?
ジュディ:水俣病認定はゼロ。リード社がコミュニティ全体に対して補償金600万ドルを払った。現在リード者は買収されて、別の会社が運営している。

花田:1986年に会社と州政府、国で「水銀障害委員会」を設立。水俣病に似た症状がある人に、毎月250〜800ドルが払われている。償いの金ではなく、生活保障(福祉)としての支給で、グラッシー・ナロウズで約150人、ホワイトドッグで約100人が受給している。

Q カナダ国民の意識は?
ソア:水銀のみならず、化学物質に環境が汚染され苦しんでいる先住民は多数いる。環境問題に人種差別があることをカナダ国民は認めていない。これを認めさせるのは難しい。よって、補償を勝ち取るのは夢の夢だ。
政府は2005年、イングリッシュ・ワビグーン水系で商業目的で獲った魚(3000ポンド)を、水銀値が高いと全廃棄させた。なのに、ジュディたちの身に起きている健康被害は認めない。ダブルスタンダード以外のなにものでもない。

Q 住民の症状は「ケネディ病」と診断されることがあるというが、水銀中毒症として認識されているのか。
ジュディ:ケネディ病と診断した人物は同時に、この患者はアルツハイマーだとか、痴呆症、多発性硬化症じゃないかというが、決して、水銀中毒とは言わない。

ピーター・カウチスキ(マニトバ大学教授):政府は水俣病の発生を認めていないので、医者の診察には水俣病かどうかのテストはない。医者はこの地域にほとんど診察に行かないし、まれに行く医者がいても、水俣病を知らない医者だ。
メディアが報道していた時期もあったが、現在は終わった問題扱いだ。

20130913カナダ水俣病peter.JPG
カウチスキさん

終わりに
花田氏は、急遽帰国されたパメラさんが原田氏を最初にホワイトドッグに受け入れてくれたチーフの娘であること。また、ジュディさんの父親は、水銀問題にとりくんできた偉大なチーフであることが紹介し、「(カナダの水俣病も)二代目の闘いかな」と話した。

集会主催団体の東京告発の久保田好生氏が「初めてカナダの被害民が最初に東京・新潟・水俣を訪問してから38年が経つが、未だに日本もカナダも水俣病が解決しておらず心が痛む。しかし、何度も繰り返されてきたあいまいな決着で終わらせず、運動を継続してきた素晴らしい面を水俣の患者さんやカナダの皆さんから教えてもらった」と閉会の挨拶をし、水銀の入っていない寿司(食品サンプルのマグネット文具)をジュディさんたちにプレゼントした。

20130913カナダ水俣病whole.JPG

・・・・・・・・・・・
以上、『季刊水俣支援』67号に書いた原稿を転載。

原稿を書きながら感じたのは、カナダ水俣病について語るときは、カナダ政府がいうところの「認定基準」については、必ず、“生活保障の受給者認定”のことであり、水俣病認定とは無関係であることを、明確にするべきだということ。

ジュディさんは「認定患者」だが、その意味するところは、認定され、毎月、生活保障をもらっているということで、水俣病認定患者とは無関係。

日本では、 認定=水俣病患者 を意味するが、
カナダでは 認定=生活保障受給者。
カナダ政府は、カナダに水俣病患者がいることを認めていない。

↓ この本の第七章に「カナダ先住民の水俣病と受難の社会史」あり!


ドキュメンタリー映画「カナダ水俣病と先住民」
英語版です。you tubeに、続きがアップされています。


posted by みの at 01:22 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

カナダ水俣病 報告交流会 #minamata

9月13日、東京で行われた
「先住民の証言 カナダ水俣病報告交流会」の写真速報です。
(報告集会ルポはこちら 続・カナダ水俣病交流集会

カナダ・オンタリオ州を流れるイングリッシュ・ワビグーン水系流域にある先住民族居留地の一つ、グラッシー・ナローズとホワイトドッグ。
この川の上流にあるパルプ工場(ドライデン市)から排出された水銀によって、住民の間に水俣病が発生したという。
20130913カナダ水俣病stage.JPG

ジュディ・ダ・シルバ氏(グラッシー・ナロウズ居留地生まれ・在住)
20130913カナダ水俣病judy.JPG

ピーター・カウチスキ氏(マニトバ大学教授)
20130913カナダ水俣病peter.JPG

花田正宣氏(熊本学園大学教授)
20130913カナダ水俣病hanada.JPG

イングリッシュ・ワビグーン水系流域に点在する、先住民居留地
20130913カナダ水俣病map.JPG

大規模水力発電に反対する人々。
日本のように高低さがない大地にダムを建設することで、地中の水銀が水に入り込むとのこと。
20130913カナダ水俣病anti-hydoro.JPG

約50人ほどが参加。噂では、環境省の水俣病担当の官僚も参加していたと聞く。
20130913カナダ水俣病whole.JPG

主催団体の「東京・水俣病を告発する会」の久保田氏からお土産贈呈。
水銀の入っていない寿司のマグネット。
20130913カナダ水俣病kubota.JPG

集会チラシ
カナダ水俣病.JPG


会場で販売されていた書籍の一つ
書籍の画像がありません・・・


この本の第七章「カナダ先住民の水俣病と受難の社会史」に、
集会で講演されたジュディさんについて書かれています。

このなかに2011年にジュディさんたちが来日された際、熊本県の阿蘇を訪問された時のエピソードがありました。一部抜粋します。

いつもは、噴火活動が続いているので山上まで登れないか、登れたとしても霧が強くて噴火口が見えるのは稀なのだが、この日は彼らと噴火口までたどり着いたとたん、それまで深い霧がかかっていたのだが、一瞬嘘のように晴れ、コバルト色の火口湖が見えることができた。奇跡的だねと話しているそばで、ジュディ・ダ・シルバが山上の風に向かって大きく両腕を広げていた。何をしているのかと尋ねたところ、
「私たちは飛行機で来たので早く着きすぎてしまい、魂がついてこれなかった。今その魂が風に乗って追いついてきたので全身で受け止めているところだ」という。横に立って、同じように風邪を受けてみると何か感じるような気がしたのも不思議な感覚だった。


これを読んで、故杉本栄子さん(水俣病患者)のことを思い出しました。
九州新幹線に乗っていた栄子さんは、新幹線が水俣の山のなかを通過する際、静かに手を合わせて、山の神様たちに祈りを捧げたそうです。

集会の話に戻って、ジュディさんはお話を始める前、祈りの言葉をつぶやかれていました。

・・・・・・・・
以上、速報でした。
日本政府の水俣病事件への対応が、そのままカナダ政府に引き継がれていることなど、
報告すべきことは他にもたくさんあるのですが。(後日、別途ご報告できればと思いつつ
多忙な日々…)(おかげさまです)
posted by みの at 12:03 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月06日

小柴一良さんの写真集『水俣よ サヨウナラ、コンニチワ』

写真集、一足先に拝見させていただきました。
光と影の繊細さが、ジワジワと迫ってきます。

小柴さん写真集チラシ.jpg

小柴さん写真集チラシ裏.jpg

水俣1974-2013 水俣よサヨウナラ、コンニチワ

表紙の「水俣」の書は、鬼塚勇治さん。
posted by みの at 14:05 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月28日

『水俣病と労働者』石田博文さん

チッソ第一組合は(会社の方針に従う第二組合とは別の組合)1968年8月30日、
水俣病発生企業の労働者として
「何もしなかったことを恥とし、水俣病と闘う」という有名な「恥宣言」を採択しました。
この「恥宣言」を大会で読み上げた石田博文さんが、本を出版されました。

水俣病と労働者.jpg

注文方法 
このチラシスキャン画像の一番下に書いてあります。
水俣病と労働者1.jpg

本のタイトル『水俣病と労働者 ―−チッソ水俣の労働者は水俣病とどう向き合ったのか―ー』とありますが、私の印象では、「水俣病と労働者」というより、「チッソ水俣工場と労働者」のほうが、しっくりきます。

この本を読んでわかるのは、チッソに15歳で就職した当時の石田少年が、チッソの身分制度、人事制度に直面し、組合活動に本腰を入れるようになっていった過程です。

チッソの労働者への締め付けが厳しくなるなか、会社に対する疑問は増していく。
そして、水俣病発生企業の労働者としての「恥宣言」や、水俣病裁判におけるチッソ労働者としての(被害者側の)証言といった行動につながっていくのです。

裁判で証言をする際のお気持ちを、石田さんはこう記されています。

裁判での証言は、(略)自分の証言が患者さんたちのためになるなら、私が証言することが役に立つのなら、という思いとうしろに労働組合がついている、という安心感があったからと言える。


組合員(なかま)の存在が、石田さんを後押し、精神的な支柱にもなっていたのです。


1946年、日本チッソ水俣工場労働組合が結成。
当時の管理職や熟練労働者たちを中心に組織された組合は、
(戦後の)レッドパージへの対応をめぐって一時分裂状態に。

1951年、再編成を経て、合化労連に加盟。新日窒水俣労組として再出発。

1953年、身分制撤廃争議により、不十分ながらも、全従業員を社員にするという成果を勝ち取る。

1956年、水俣病が公式発見された年。

1962年、会社側は春闘回答で、同一業種並みの賃金を保証する代わりに組合は争議を行わないという「安定賃金」を提案。
組合はこれに対して、長期にわたる闘争を決行。合化労連などの全国的な支援体制を得て、大規模な争議に。

この争議のなかで、チッソ内に「第二組合」がつくられ、組合の分裂が進められた。争議解決においても、会社側の主張を大幅にのまされる結果に。

しかし争議直後、新日窒労組は多数はで、強固な組織を維持。
会社は、賃金差別・不当配転など、非人道的な扱いをすることで、組合の切り崩しを行う。

会社との10年戦争に。しかし、組合員は持ちこたえ、会社の切り崩し策は失敗に。

1968年、水俣市民による水俣病市民会議が結成。組合人のなかにも、これに参加する者がいた。

同年8月30日の組合定期大会で、公害発生企業の労働者として「何もしなかったことを恥とし、水俣病と闘う」という有名な「恥宣言」を採択。水俣病患者支援を打ち出した。

患者・家族が起こした水俣病訴訟においては、組合員が訴訟活動の中心になり、また法廷での組合員の証言によって、人間性無視のチッソの企業体質、安全性無視の工場運転実態などが明らかになり、裁判勝利の大きな原動力に。

こうした活動は、公害の原因企業の労働組合としては、きわめて稀有な活動だった。

会社は1962年に起こった安定賃金争議以降、従業員の新規採用に際して、第二組合系の人しか採用しない方針をとったため、第一組合の新規加入はなくなり、退職者数の増加とともに組合員数が減少していった。

2004年、3月に(第一組合)解散大会を開催。
2005年、3月30日、最後の組合員2名の退職をもって、59年の歴史に幕を閉じた。

(「新日本窒素労働組合60年の軌跡」より抜粋&一部加筆)



第二組合系の人しか採用しない方針により、第一組合の人数は増えることなく減るだけ。
2005年に最後の組合員二人が退職すると、第一組合に所属する労働者は誰もいなくなり、
59年にわたる第一組合の歴史に幕は下ろされました。

チッソ第一組合が計画的に消滅させられたように、同じことを水俣病の患者・被害者にもしてはいないかと考えてしまいました。
水俣病の患者・被害者が亡くなるを待っているかのように、一向に進まない水俣病行政とチッソによる補償。
行政認定された「認定患者」が、チッソから補償を拒否されている事実。
高齢の患者が亡くなるのを、じっと待っているとは思いたくないですけど。

70代の石田さんが本に込めた思いは、第一組合が貫いたものを、次の世代に語り継いでほしいということと、チッソの第二組合への檄文だと感じました。
posted by みの at 14:43 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

「人間が素直だから、こういう字を書くんですよ」溝口秋生さん

溝口秋生さん、水俣病訴訟 最高裁で勝訴後、
初の書道教室を、「ほっとはうす」で行いました。

東京で記者の取材を受ける溝口さんの口から、何度、ほっとはうすで書道を教えている話を聞いたことでしょう。胎児性水俣病患者たちが通う通所施設「ほっとはうす」で溝口さんは、ここ10年、書道を教えていらっしゃるのです。

20130416溝口秋生さん.JPG

書道教室が始まる前には、ちょっとしたパーティも行われました。
詳しくは、ほっとはうすのブログ でどうぞ。
posted by みの at 14:10 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

#最高裁 に要請文を提出 水俣病裁判 筋の通った判決を #minamata

「水俣病について筋の通った最高裁判決を」という要請文が10日、最高裁に提出されました。
提出したのは、チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会と東京・水俣病を告発する会。

代表として細谷孝氏(中央大学講師)が要請文を提出。最高裁の訴廷上席書記官・若梅順一氏と訴廷首席書記官補佐・岩崎俊弥氏が対応しました。

最高裁.JPG

要請文の宛名は、第三章法廷所属の5人の裁判官と、担当調査官宛。
彼らが16日に判決がくだされる二つの水俣病裁判を担当しています。

二つの裁判とは、溝口訴訟とFさん訴訟のこと。

溝口訴訟は、水俣で検診未了のまま死亡した母・溝口チエさんの水俣病認定を求める訴訟。
原告は息子の溝口秋生さん。81歳。
熊本県はチエさんの水俣病認定審査を21年間放置し、集めるべきカルテを集めずにチエさんを棄却処分しました。チエさんは水俣病だと認めさせる裁判です。

Fさん訴訟は、関西訴訟&最高裁で水俣病と認められたのに、熊本県認定審査会では水俣病でないとされたFさんの水俣病認定を求める訴訟。原告のFさんは3月3日、87歳で亡くなられ、ご遺族が原告となり、裁判を継承されることになりました。

要請文では、過去における最高裁の判決が、水俣病における行政の過ちを正してきたことにふれ、
4月16日の判決においても、歴史の審判に堪え得る判決を期待するというもの。

作家の石牟礼道子さんら410人が要請文に賛同者として名を連ねています。

要請文のほかに、水俣病裁判で、環境省から「国に都合のよい証言」をしてほしいと要請された医師の証言映像をおさめたニュース番組の記録と、
この間の水俣病裁判に関する地方新聞の記事のコピーも手渡しました。


国から「都合のよい証言」依頼された 水俣病 医... 投稿者 tvpickup

このニュースを見るまでもなく、最高裁は、佐藤医師が最高裁にあてた意見書を読んでいるはずですから、大阪高裁判決(原告のFさんは水俣病ではないという内容)は、環境省が恣意的に用意し高裁に提出した医師の意見書によって、導かれた判決である可能性を否定できないでしょう。

また、原告のFさんは、2004年のチッソ水俣病関西訴訟最高裁判決の勝訴原告です。最高裁に水俣病と認められているFさんを、下級審の大阪高裁が後に、水俣病でないとしたのです。つまり、最高裁の判決を否定したといってもいいかもしれません。
このことを最高裁は、どうお考えなのでしょうか。

要請 水俣病について、筋の通った最高裁判決を  

最高裁判所第三小法廷 御中   
裁判長 寺田逸郎 様  裁判官 田原睦夫 様  裁判官 岡部喜代子 様
裁判官 大谷剛彦 様  裁判官 大橋正春 様  担当調査官 林俊之 様


 水俣病未認定患者Fさんと溝口さんの上告審について訴えます。

 チッソ水俣病関西訴訟における2004最高裁判決は「チッソのみならず国・熊本県行政にも水俣病発生・拡大の責任があること」「健康被害の基底は中枢神経損傷によること」の2点において2001大阪高裁判決を確定させ、水俣病の定義を塗り替えました。その判決以降、不知火海沿岸に潜在する未認定患者の申請が6万数千人に及びました。被害を申し出ることを躊躇していた住民の背中を判決が押した形です。9年前の見識に改めて敬意を表します。

 今回訴訟のFさんは関西訴訟の勝訴原告です。その最高裁判決と整合しない棄却処分や2012大阪高裁判決を放置・追認するなら、最高裁の水俣病観が医学的にも法解釈的にも根底から問われます。また、遺族の秋生さん提訴の溝口訴訟においては、行政が意図的に病院カルテ調査を放棄した故・母チエさんについて、2012福岡高裁は疫学的条件を重視し詳細な鑑別を行なって水俣病と判示しました。この判決を否定して別な結論があり得るでしょうか。そして、それぞれ高齢の患者や遺族に、これ以上の長期訴訟を強いることは人道上も容認できず*、迅速・広範な救済という立法趣旨にも反します。Fさんと故・溝口チエさんが医学的にも法的にも水俣病であるとの認定義務付けを、最高裁の責任において速やかに判示されるよう、強く要請する次第です。

 昭和52・1977水俣病判断条件の症候組み合わせ論と「末梢神経損傷説」に基づく運用が医学的にも誤りであることは明らかです。これが法の目的・趣旨に照らして妥当などという判示が万一あれば、1973年以来地裁高裁で確定した幾多の水俣病判決をも含め、司法の功績は烏有に帰してしまいます。

 関西訴訟や1980川本輝夫さん刑事訴訟の公訴棄却におけるように、水俣病における行政の誤謬を正した最高裁の判決・決定は歴史を画します。2004最高裁判決の意義内容をふまえぬ水俣病政策の誤りを断ち、歴史の審判に堪え得る判決を出されるよう、強く求めます。
 以上、貴所に要請するとともに、同時にこれを声明として世に広く伝えます。

2013年4月10日

*Fさんは賛同呼びかけ中の3月3日、87歳で亡くなられ、ご家族が訴訟を継承されました。心からご冥福をお祈りします。

※要請文は、cuatro-gatosのサイトから転載。
同サイトには、賛同者の名前も掲載されています。サイトには賛同者406名とありますが、要請文提出直前に確認したところ410名とのことです。

なお、最高裁弁論が開かれた3月15日の段階で、331人分の賛同名とともに要請文を提出しています。
今回の提出は、これに賛同者名を追加したものの提出です。
そのときの写真はこちら。
最高裁jpg.jpg
最高裁の東門での受け渡しでした。(4月10日の要請文提出は会議室で行われました)
このあと弁論が開かれましたので、報道関係者もたくさんいらっしゃいましたし、要請文提出の記事も何本がネット上で確認できます。
posted by みの at 00:39 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月29日

大学生が新潟水俣病の患者支援に!

新潟市で開催された「新潟水俣病患者のボランティア支援について考えるフォーラム」に行ってきました。

主催は、新潟医療福祉大学
新潟医療福祉大学では新年度から、水俣病患者を支援する学生ボランティアの育成をはじめるそうです。
通院や買い物の付き添いボランティアなどを学生がするとのこと。

「やっと地元の大学が動いた」という安田患者の会事務局の旗野秀人さんの一言。
「やっと」という一言、深いです。

20130327新潟フォーラム.JPG



新潟医療福祉大学では2月、何人かの大学生が水俣でフィールドワークを行ってきました。
参加した大学生のうち、お二人が、フォーラムで感想を話しました。

大学3年生の堀井夢摘さんは、新潟で行った患者さんたちへの足湯提供の機会などを通じて、
水俣病の健康被害が外から見ているだけではわかりにくいこと。
しかし、被害が見えないだけで、「日々つらいことを知った」と話しました。

同じく3年生の木村駿介さんは、水俣訪問時、熊本学園大が開催している原田正純さんの追悼展示を見て、「チッソ従業員にも患者がいたことに戸惑いを感じた」と話しました。
原因企業のチッソで働いていた人のなかにも、被害をうけた人がいる。
水俣病のことをよく知る人は、当たり前のことだろうと思うかもしれませんが、初めて水俣を訪問して感じたフレッシュな感想は、何年も水俣に通うようになった私のような者にとって、忘れていた当初の気持ち、水俣病をよく知らない人はどう感じるのか、どう考えているのか、といった視点を教えてくれます。

新潟水俣病被害者の会・会長の小武節子さんは、大学生が患者支援にふみだすことについて
「こういう機会をもうけてくれただけで、これからも生きる力になる。感謝しています」
「ボランティアをとおして、なぜ水俣病は解決しないのか、考えてほしい」
と発言されました。

そこに安田患者の会事務局・旗野秀人さんの愛情たっぷりの辛口発言が入りました。

感謝してくれる患者さんばかりではない。
自分が水俣病患者だということを隠している人もいる。
当たり前だけど、患者はふつうの人たち。いろんな人がいる。
ボランティアの押し売りもある。放っておいてほしい、という人もいるだろうと。

会場からのご発言でも、こういうのがありました。
患者は全ての世代にいる。そのなかでも働いている世代は、多分、患者であることを名乗り出ないだろう。
となると、名乗り出れないことが本人にとっては苦痛になっている。
そういう人がいることを知ったうえで、ボランティアを展開してほしいと。

現場をよく知る方からの発言は、新潟医療福祉大学が今後展開していくボランティア活動を、より現実的なステージに引き上げる、貴重な助言です。
会場から数多くの発言があがったのも、新潟医療福祉大学の試みへの期待のあらわれでしょう。

そして、一歩間違えると、フォーラム自体が「賞賛の嵐」になってしまうところを、
こうした意見が飛び交ったことで、より実りある、リアルな議論の場にすることができたと思いました。


大学生のような「若い」人たちが、動き出すということに、期待せずにいられません。
若い人は、大人にはない力を秘めているからです。
直接会場で、堀井さんや木村さんにお伝えできませんでしたが、若いということは、それだけで特別なこと。そのことに気づくのは年をとってから・・・なのです。

以前、こんな話を聞きました。
水俣の山のほうにある村に、大学生のグループが村を見に来ました。
村のおばちゃんたちは、若い人が村に来てくれたことに大喜び。
そんななか、大学生から水俣病についても知りたいといわれて、これまで水俣に住んでいながら、水俣病のことに関心のなかったおばちゃんたちは、「わたしらも水俣病について勉強しなくちゃ」と考えるようになったそうです。

若者マジック!?

若者の言動が、予期せぬ展開につながるかもしれません。

会場を埋めた60人ほどの参加者のなかには、新潟医療福祉大学の学生も10人ほどいらしていたと、丸田秋男副学長が話しました。フォーラムに参加しても授業の単位になるわけではないとこのこと。それでも、会場に足を運んだ人には、ズシリと体感するものがあったはずです。
私はこういう「体感」を、大事にしたいと思っています。

そのうちのお一人、水俣でフィールドワークに参加した大学3年生の方は、水俣の患者さんの言葉がなかなか理解できなかったが、心で聞くことを知ったと述べられました。

この話は、基調講演で、ほっとはうすの加藤タケ子さんが話されたことに通じます。
加藤さんは「次世代を担う学生への期待」として、水俣にある患者の通所施設「ほっとはうす」のメンバーについて話ました。
言語障害のある金子雄二さんの言葉は、初めて聞く人にとっては、理解するのが難しいのです。
話を聞きにきた小学生も、最初は戸惑います。
そして加藤さんは、金子さんが発する一言の重み。その声を、心で聞いてみてくださいといいます。
大人なら「まさか、心で聞くなんて」と、冷めた態度で受け取ってしまうところ、子どもたちは、金子さんの二回目の発言には、さっきとは全く違う気持ちで向き合うのです。
その姿を後ろから見ていた大人のなかには、「子どもたちの背中が違ってみえた」という人もいました。
私は、患者さんの語りを前にした子どもたちの姿を見るうちに、自分も含めた大人が失ってしまった感性・感覚といったものに気づかされました。
そして人と人のつながりのあり方について、考えさせられました。

社会福祉法人でもある ほっとはうす。施設長の加藤さんは
新潟医療福祉大学の大学生たちに向けて、
「社会福祉に関わる人材が、新潟水俣病に関わることはすごいことです」と、エールを送りました。

患者さんの話を心で聞くことができたら、
ぐっと、患者さんとの距離は近くなるでしょう。
その人たちが、社会福祉の視点を持ち合わせていたら、
何が見えてくるのでしょう。
何が始まるのでしょう。
これからが楽しみです。

胸にジーンとくるものを残してくれた新潟医療福祉大のフォーラムでした。
そんな思いに浸っていた私に、会場で声をかけてくださった方が、
「今年のフォーラムは、感動しました」
といわれてました。
私が感じたものと、似たようなものを感じている人が、ここにもいらっしゃいました。

フォーラムでは、新潟県がやっている「新潟水俣病関連情報発信事業」
「新潟水俣病地域福祉推進条例」についての説明はありませんでしたが、
こうした事業の積み重ねが、大学を動かす原動力の一つになっていることでしょう。

暖かい気持ちで会場を後にしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
水俣病裁判 最高裁判決 2013年4月16日!
溝口さん(水俣病認定)棄却取消・義務付け行政訴訟のホームページ
posted by みの at 12:44 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

音声ガイドで #映画 『水俣 患者さんとその世界』 #minamata

明日に迫りました。


水俣病:視覚障害者に伝える 市民団体が音声ガイド付き映画上映会
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20121230ddlk14100119000c.html

 水俣病を世界に知らせたドキュメンタリー映画「水俣 患者さんとその世界」(71年製作、2時間47分、土本典昭監督)の音声ガイド付き上映会が来年1月5日、相模原市南区の小田急相模原駅ビル4階おださがプラザで開かれる。「『水俣』を子どもたちに伝えるネットワーク」(田嶋いづみ代表)らが「視覚障害者が同じ情報と思いを共有できるように」とガイドの台本を作成した。【高橋和夫】(毎日新聞 2012年12月30日 地方版より)



「『水俣』を子どもたちに伝えるネットワーク」の田嶋いづみさんが、
音声ガイドをつけた『水俣 患者さんとその世界』について、つぶやかれています。
以下のサイトにご発言、まとめています。



http://togetter.com/li/433786

「言ってみれば、視覚障害者は音声ガイドの助けを借りて心のスクリーンで見る。心のスクリーンに映るものを見逃すことはない。目の見えるものは、たくさんのものを見逃す。それは、心の隙間とつながっていて、見るということがどんなことか教えてくれる。体験してみませんか?」(田嶋さん)

◇  ◇  ◇

詳細は、以下のサイトでご確認ください。

毎日新聞の記事 
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20121230ddlk14100119000c.html

伝えるネットねこレポート(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/tutaerunettoneko
posted by みの at 12:38 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
環境ブログランキングに参加しています。
人気ブログランキングへ
Blog Widget by LinkWithin