2016年04月17日

大津幸四郎さん

20150322大津幸四郎さんお別れ会1.JPG

大津幸四郎さんを偲ぶ会(2015年3月22日)に参加してから、一年以上が経ってしまいました。

偲ぶ会のこと、自分なりにまとめてブログにアップしようと思いつつ、今日まで来てしまいました。
中途半端な記録ですが、残しておきたいと思います。

『三池 終わらない炭坑の物語』の熊谷博子監督の話のなかに、強烈なエピソードがありました。

30年ほど大津さんと付き合いのある熊谷さんが、たった一度だけ、大津さんの怒る姿を見たという話しでした。
広島に原爆関係の撮影で行ったときのこと、一緒に飲んでいた某テレビ局のカメラマンが、自分はテレビ局にいるから、撮りたいものが撮れないとこぼすと、大津さんは、「バカヤロー!、人のせいにするんじゃない」と怒りをあらわにし、店にいたお客は、大津さんの怒りの発言に凍り付いたといいます。

いつも物静かで寡黙な大津さんが、なぜ?
その理由を熊谷さんは、貧しいながらも、ギリギリの状況のなかで撮影をしてきた大津さんにとって、人のせいで撮りたいものが撮れないというカメラマンの言葉には黙っていられなかったのでは、と述べられていました。

裏をかえせば、どんなに貧しくても、撮りたいものを撮るための努力を大津さんはされていたのでしょう。

常日頃、「貧すれば鈍する」という言葉が頭をよぎり、これに抗う気持ちを持ち続けようともがいている私にとって、大津さんのこのエピソードは、まるで海でおぼれそうになっている私が、必死ですがりついている救命具のような存在です。

20150322大津幸四郎さんお別れ会2.JPG


私が大津さんにお会いしたのは、一度だけ。2014年3月に行われた江古田映画祭でした。
その日、私は大津さんの『撮影術 映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事』という本にサインをいただきました。
本の表紙をめくったところに、大津さんが書いた言葉は、
三里塚に生きる、生き抜くってなんだろう。


でした。





偲ぶ会に来られていた方から、『定年時代』という新聞に掲載された大津さんの記事を教えていただきました。
その記事で、大津さんは、

「被写体の姿や生活をさらけ出す」というカメラの暴力性を指摘した上で、「相手の秘密を丸裸にしてはいけない。特に自分の中に『盗んで撮っている』というやましい気持ちが出てくる時は危険」と自戒する。


60年代に撮影した三里塚での空港建設反対闘争を再びフィルムに収めることにした動機については、
「権力と闘ってきた人々の今を知りたい。闘争で負った傷は何か。生きるということはどういうことか。こじ開けようとはせず、なるがままになればいいという撮り方にした」


と、攻めるのではなく、流れの中に身を置きながら、「待つ」姿勢で臨んだことを明かしていらっしゃいます。
この記事が掲載されたのが、『定年時代』2015年11月下旬号。
大津さんが亡くなられたのは11月28日。訃報は29日に各紙に掲載されたようです。
映画『三里塚に生きる』は11月22日から公開でした。

ちなみに、大津さんが江古田映画祭で語られた「撮影術」は、

体と心で相手にぶつかっていかないと、撮影できない。これが撮影の基本。
自分が裸になってこそ、相手のことが理解できる。そして、撮影ができる。
「撮影術」などない――。

でした。




posted by みの at 22:38 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

岩波日本発見シリーズ





















書籍『戦後復興から高度成長へ 民主教育・東京オリンピック・原子力発電 記録映画アーカイブ』


東京大学出版会のサイトから転載しています↓
未公開作品のところ、赤字にしました。

記録映画アーカイブ2
戦後復興から高度成長へ 民主教育・東京オリンピック・原子力発電
丹羽 美之 編, 吉見 俊哉 編
ISBN978-4-13-003251-3, 発売日:2014年07月下旬, 判型:A5, 320頁

内容紹介

戦後日本の時代背景を記録映画から明らかにするシリーズ,第2弾。戦後復興から高度経済成長にいたる日本の歩みにともなって構築される都市インフラ・原発,変化する地域の産業や風景などを記録映画からたどり,そこに写された日本社会の動態とその実相を浮かび上がらせる.オリンピック前の東京再開発を記録した『空にのびる街』や,幻の作品と言われる土本典昭『日本発見 東京都』など,記録映画10本をDVDに収録.

主要目次

序 章 記録映画を生き直す(丹羽美之)
第1部 社会科映画と戦後民主化
第1章 『はえのいない町』をつくった頃(藤瀬季彦)
第2章 二人の教育者と「常総コレクション」(村山英世)
第3章 見えるものから見えないものへ――『社会科教材映画大系』と『はえのいない町』(一九五〇年)の映像論(中村秀之)

第2部 高度経済成長と地理テレビ
第4章 テレビ番組『日本発見』シリーズの誕生と挫折(吉原順平)
第5章 『日本発見』シリーズの『東京都』と『群馬県』――公開版と未公開版の比較(筒井武文)
第6章 岩波写真文庫から地理テレビへ――そして,それを超えるものへ(若林幹夫)

第3部 空に,地下にのびる都市
第7章 高度経済成長と記録映画――撮影の現場から(西村健治)
第8章 オリンピック前夜の東京改造(伊藤 滋)
第9章 東京タワーとは何か――「戦後日本」,および都市の象徴として(鳥羽耕史)

第4部 原子力発電とPR映画
第10章 『いま原子力発電は…』ができるまで(羽田澄子)
第11章 核物理学者として生きた原子力時代――記録映画と共に振り返る(藤本陽一)
第12章 被爆の悪夢からの転換――原子力広報言説の戦後史(吉見俊哉)


posted by みの at 14:43 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

水俣病食中毒義務付け津田訴訟 第一回口頭弁論 #minamata

水俣病食中毒義務付け津田訴訟 第一回口頭弁論が
2015年12月16日(水)、東京地裁522号法廷で行われました。
傍聴に行ってきました。
以下、簡単な報告です。

20151216津田訴訟.JPG



水俣病食中毒調査義務付け津田訴訟  
原告:津田敏秀 岡山大学大学院 生命環境学・環境疫学
被告:国、熊本県、鹿児島県
裁判で求めていること:
  食品衛生法に基づき、1956年から現在までの水俣病食中毒調査を行うこと。
(注:政府が水俣病の存在を「公式」に確認した年が1956年)



























「津田訴訟」次回の法廷は、
2016年3月9日 13:30 です。



同じ日、東京高裁では、別の水俣病の裁判が行われていました。
新潟水俣病三次訴訟の控訴審です。
こちらも傍聴してきました。




新潟水俣病三次訴訟 控訴審、次回の法廷は
2016年2月22日 14:00 となりました。

20151014新潟水俣病東京高裁monos.jpg
(裁判所に向かう新潟水俣病三次訴訟弁護団と支援者たち 2015年10月14日撮影)



posted by みの at 09:47 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月09日

「公害・薬害・職業病 制度比較レポート第3集」CD版のご案内 #minamata

(いただいたお知らせをそのまま転載します)

制度比較レポート.JPG

「公害・薬害・職業病 制度比較レポート第3集」CD版のご案内
および第1集・第2集冊子のご案内

                 公害薬害職業病補償研究会

1.比較レポート第3集CD版の案内

2015年11月29日に開催した「公害薬害職業病 被害者補償・救済の改善を求めて 第3回シンポジウム ― 戦後70年 被害者補償・救済の現在」(明治大学・駿河台キャンパス)の会場で配布された資料CDを実費1000円(送料共)で希望者にお頒けします.

ご希望の方は,ゆうちょ銀行(郵便局)の郵便振替用紙に下記の加入者名・口座番号および備考欄に必要事項を記入し,CD 1枚につき1000円を振り込んでください.送金手数料はご負担ください.

郵便振替口座  加入者名 東京・水俣病を告発する会
口座番号 00110−6−95892
備考欄には,「制度比較レポート第3集CD申込」と明記のうえで
送付先の郵便番号・住所・氏名・電話番号・氏名・CDの希望枚数を
記入してください.

資料CDの概要は次の通りです:

題名等:『公害・薬害・職業病/被害者補償・救済の改善を求めて 
制度比較レポート第3集(CD版)』
(下田守編集,公害薬害職業病補償研究会発行,2015年11月29日)

主な内容
(括弧内は作成者名,各事例の次行以下は各報告末尾の主な資料):
イタイイタイ病 (水谷敏彦)
 認定基準,イタイイタイ病の賠償に関する誓約書,医療補償協定,
 神通川流域カドミウム問題の全面解決に関する合意書
新潟水俣病 (萩野直路)
 新潟水俣病補償協定書(第1次訴訟,第2次訴訟),
 新潟県水俣病総合対策医療事業実施要綱
スモン (片平洌彦)
 スモン和解確認書(抄),スモン総合対策,スモン手帳(抄)
水俣病・追記2 (久保田好生・谷洋一・野澤淳史)
 水俣病の認定に関する環境省の新通知,
 胎児性・小児性水俣病患者に係る地域生活支援事業補助金交付要項
サリドマイド事件・追記2 (川俣修壽)
カネミ油症・追記2 (下田守)
 カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律,
 同法に関する基本的な指針
大気汚染 ・追記2 (尾崎寛直)
アスベスト・追記2 (古谷杉郎)
原爆症(改訂版) (内藤雅義)
 認定基準(内規),原爆症認定に関する審査の方針,
 新しい審査の方針
森永ひ素ミルク中毒事件(改訂版) (塩田隆・平松正夫)
 森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案,三者会談確認書,
 40歳以降の被害者救済事業のあり方
医薬品副作用被害・追記 (栗原敦)

2.比較レポート第1集,第2集の冊子の案内

第1回,第2回のシンポジウムで配布した冊子は,次の方法で入手することができま


1) 第1集(公害薬害職業病補償研究会編『公害・薬害・職業病/被害者補償・
 救済の改善を求めて ― 制度比較レポート集[水俣病・サリドマイド・カネミ油
症・大気汚染・アスベスト]』,東京経済大学学術研究センター,2009. 5.)

  冊子は残部僅少ですが,日本環境会議のホームページの中の次のサイトから
 (修正を加えた)改訂pdf版を入手できます.
 http://www.einap.org/jec/committee/hoshoken/sympo151129.html

2) 第2集(公害薬害職業病補償研究会編『公害・薬害・職業病/被害者補償・
 救済の改善を求めて ― 制度比較レポート第2集[原爆症・森永ひ素ミルク中毒・
 医薬品副作用被害/第1集各事例の追記],公害薬害職業病補償研究会,
 2012. 2.)

 冊子の残部があり,ご希望の方は,ゆうちょ銀行(郵便局)の郵便振替用紙に
下記の加入者名・口座番号および備考欄に必要事項を記入し,冊子1部につき
1000円を振り込んでください.送金手数料はご負担ください.

郵便振替口座  加入者名 東京・水俣病を告発する会
口座番号 00110−6−95892
備考欄には,「比較レポート第2集希望」と明記のうえ
郵便番号・住所・電話番号・氏名・希望冊数を記入してください.


(連絡先) 公害薬害職業病補償研究会
136-0071 東京都江東区亀戸7−10−1 Zビル5階
全国労働安全衛生センター連絡会議 気付
Tel:03-3636-3882  Fax:03-3636-3881
E-mail:joshrc@jca.apc.org  (@を半角にしてください)


(転載ここまで)

関連ツイートです。




サリドマイド事件史日録(2016年2月発行予定)のチラシいただきました。

クリックすると大きく表示されます。(クリックした先で、もう一度、画像の上でクリックをすると、大きな画像が表示されます)
サリドマイド事件史目録 チラシ.jpg
posted by みの at 11:05 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第7回口頭弁論 #minamata

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第7回口頭弁論が東京地裁で行われました。
2015年8月9日の出来事です。




東京地裁803号法廷の見取り図(あいまいです)

        裁判官
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山口弁護士       被告側代理人● ● ●
佐藤英樹さん(原告)    ●    ● ●
              ●    ● ●
              ●    ● 
                   ●
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
       傍聴者16人


原告側が原告と原告代理人の二人なのに対して、
被告側(国と熊本県)は、12人でした。(数えました)


裁判官は、まず、この間に原告側から提出された準備書面を受けて、
今後の裁判の進め方を考える上でと断わってから、被告に質問しました。

被告は、準備書面で提示された内容を受けて、これまでの主張を変えるのかどうか?

最初に被告(国の代理人)は、「国の調査義務はないという主張」でいくと発言。
国は食品衛生法に基づく水俣病の現地調査を行う義務はない、という主張でいくという意味です。
(これまでの主張を変えないということ)

被告の、主張を変えないという発言をうけて、裁判官が、再び被告に質問。

決して、直ちに応答せよといっているわけではない。
従前の立場なのか、あるいは、中身の細かい話になるのか、確認したい時期にきたと述べました。

裁判官から二回、同じ内容の質問を受けたこともあってか、
被告席の代理人同志が耳うちして、

「でしたら、こちらで整理して、明らかにした準備書面を…」

準備書面を出すといった回答をしました。

一回目は、主張は変わらずと、強硬姿勢を見せたものの
二回目は、準備書面を出すと。
原告の提出した書面をうけて、被告側は、何らかの文章を作成することになりました。

その書類を提出する期日の調整が行われて、

次回の法廷は、11月4日(水)午前11時

になりました。


弁護団によると、今日の法廷で行われたことは、以下の通り。

原告側は、水俣病の現地調査をしないことによる被害の実態を準備書面で提出している。
被告側は、食品衛生法のいうところの調査は、国の施策のために行う調査であり、被害者のために行う調査ではないから、被害者は裁判を起こすことができないと主張。(つまり、被害者は、このような調査を求める裁判を起こすことができないと主張している)

双方の主張がかみあっていない状態。
裁判官は、この間、原告側が提出した準備書面を読んで(もちろん被告側も読んでいる)、被告の立場はどうなのか(準備書面を読んで変化があるのか、ないのか)表明してほしいと。それが、法廷での質問になった。


ということです。

裁判ですから、双方の主張がかみ合わないのはわかるのですが、
この裁判では、原告は現地調査を求めて裁判を起こしたのに対して、
被告は、そもそも、原告(被害者)はこの種類の裁判はおこせない、と主張しているのです。


次回の法廷は、11月4日(水)午前11時です。
posted by みの at 00:18 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

水俣病被害者団体に対する環境省の対応に問題あり 

ここ数日気がかりだったのが、3月25日、参議院議員会館で行われた「水俣病問題に関する院内集会です。

20150325院内集会.JPG

23日に新潟水俣病三次訴訟の判決が出た直後ということもあって、新潟テレビ21のカメラが取材に来ていた以外に、テレビ局の取材はなく、新聞社は確か二社(社名不明)のみという、マスコミの取材率は低かったです。

この院内集会には、水俣病の患者・被害者団体のほか、環境省から3人、超党派の議員による「水俣病被害者とともに歩む国会議員連絡会」のメンバー11人が出席していました。
これほどの数の国会議員の方々が顔を会わせる場に、記者の数が少ないのはどうしてなのか考えつつ、あまりにも「院内集会が開催された」という事実が知られないまま、物事が進んでしまいそうな危機感もあって、私のつたない報告でも、ないよりましだろうと、書かねば、書かねば、と思っていた次第です。

その日のうちに、速報的な内容ですが、togetterにまとめました。



院内集会に出席した議員のツイートや、公式サイトを見て、関連するコメントがあればリンクしましたが、そうした発言のある議員は少数で、ほとんどの議員が院内集会については触れてないというのが現実でした。

ということで、院内集会に出席した議員は以下のとおりです。

大島くすお 民主 比例
後藤 祐一 民主 神奈川6区 元経産省官僚
田島 一成 民主 比例近畿
吉田 忠智 社民 比例
島津 幸広 共産 比例 東海
藤野 保史(やすふみ) 共産 比例 北陸信越
真島 省三 共産 九州
黒岩 宇洋(たかひろ)民主 新潟3
菊田 真紀子 民主 比例 北陸信越
仁比 聡平 共産 比例
川田 龍平 維新 比例
辻元 清美 民主 大阪10


この11人以外にも「水俣病被害者とともに歩む国会議員連絡会」(連絡会)に名を連ねている議員はいるとのこと。
例えば、院内集会と同じ時間帯に、総務委員会に出席していた、社民党の吉川はじめ議員(比例九州)は、今回は欠席。いつも水俣病関連の院内集会には出席されている方です。

約1時間にわたる 被害者・患者団体、環境省、国会議員の意見交換では、水俣病が未だに「解決」していない現状の訴えに対して、動くべき環境省の対応が不誠実である点が浮き彫りに。

ここで、超党派の国会議員による連絡会の出番です。
連絡会の名前のとおり、「水俣病被害者とともに歩む」議員連絡会ですから、こうした要望に対して、環境省に誠意ある対応するよう、集会に出席していた環境省の職員に要請しました。

と、書くと、なんだか、淡々と集会が進んだように思えてしまいますが、実際のやりとりは激しかったです。

ここで問題にあげられている環境省の対応というのは、一ヵ月ほど前の2月12日のこと。
「ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議」のメンバーが上京し、環境省に要望書を渡した際の、環境省の担当者の対応と、その後の対応のマズさのことです。

環境省の会議室に、イスに座りきれないほどの人が集まり、立ち見も数人いるなか、環境省の担当者二名が会議室に入ってきて、まずは、全国連絡会からの要請書を受け取ったそうです。

通常ですと、この後、着席して、要請書の中身について確認したりするのです。

ところが、この日の環境省の二人は、立ったまま、決して座らなかったというのです。

その場にいた人の話によると

「環境省の二人の女性は、イスに座ろうとしないので、話をするような状態にならなくて」

水俣病の担当者というと、役職の上のほうから補佐まで男性ばかり。
女性もいらっしゃるかもしれませんが、これまで私が立ち会った交渉の場は、全員が男性か、何人かのうち一人だけが女性といったことがありましたが、今回は環境省から会議室に派遣されてきたのが、二人とも女性だったというので驚きまして、

担当者の二人は、今回は二人とも女性だったんですか?

と思わず、再度確認。

「はい。肩書きは、なんとか調査係長といったかな」

それで、彼女たちは、立ったままで座らないで、どのくらい話合いをしたのですか。二時間くらい?

「いや、そんな長くなかったですよ。一時間弱くらいだったかな」

一時間未満だったんですか。そうだったんですか…。

ということで、せっかく、熊本や新潟から上京してきたのに、一時間も話をしないで終わったときいて、これはどういうことなんだろうとますます驚いてしまいました。
座らないということは、話し合わないという作戦だったのかと、考えてしまいます。

その日感じた口惜しさを、大石利生さん(不知火患者会)は、次のように院内集会で語りました。

「2月12日に、望月環境大臣あての要請書を渡したときに非常に腹が立ったことがありました。
私たちの対応をした彼女に、水俣病の症状を知っているのか聞いたところ、自分の言葉ではいいきれなかった。それで、(もう一人の環境省の)女の人に教えてもらって、(水俣病について)足のこむらがえりとか、そういうような答えしかしきらんのです。
それが、新潟、熊本から来た私たちに対する対応ですか」

「(環境省は)どういう指導をしているのでしょうか。水俣病の問題すらこたえきれない人に、なんとか係長とかいう肩書きをつけて。そのとき、(女性の上司にあたる)あなたたちはどこにいたのですか。
私たちは、水俣から半日かけて上京し、せっかく環境省に話を聞いてもらえると思っていたのに、そういう態度をとること自体がおかしいと思う」

「そのとき対応した(女性の)係長に、要望書に対する返事をくれと、文書で回答せいと要請しましたら、上(の者)に伝えるといったが、上からの回答もない。ただ、聞きぱなし。それがあなたたちのつとめですか。
私は本当に腹がたって、寝ることもできなかった。人の痛みのわかる行政をやってください」


この一件は、国会議員の耳にも入り、

「環境省の対応を聞いて、びっくりした。水俣病の基本も知らないような対応が散見されて。
これは一体、どういうことなのか。この話が国会で広がっている」と辻元議員。
「軌道修正して、対応をしていただきたい。議員からの要請です」
と、環境省の三人に釘を指す一幕も。

この場には、水俣病の担当部署、特殊疾病対策室の室長の姿はなく、
代わりに集会に出席した長谷川学室長補佐(特殊疾病対策室)が、質問に対応。

会場からの質問)
今日、あなたたちをここのよこした責任者は誰ですか。室長の判断ですか。

長谷川氏)
本日につきましては、このなかで、お互いに話をして決めたことで、そのなかで対応できる人間が来ている。

会場)
国会議員が呼んでも、責任者はでてこない。そういう判断をしたわけですね。

菊田議員)
政務三役は(この件について)判断されていますか。

長谷川氏)
部内の判断ですから。

菊田議員)
部内じゃなくて、政治家はそれを承諾しているんですか。政務官にはあがっているんですか。

長谷川氏)
政務官、副大臣には、(今日の集会について)誰が対応するかに関しては説明していない。

大島議員)
政務官、副大臣は、この会議(院内集会)があること自体知らないでしょ。

長谷川氏)
国会関係の各種委員会、部会については、政務三役、秘書官ふくめて、情報入ります。
ご本人に(情報が)入ってるものもあるかと思いますが、全てがどうかは定かではない。


ということで、院内集会については、大臣、副大臣、政務官には伝えていないことがハッキリ。
ちなみに、問題になっている2月に渡した要望書の宛先は、望月環境大臣宛てです。


仁比議員)
2月の件、水俣病がなんたるかわかっていなかったその人が、(要請書については)上に報告する、文書での回答については、もちかえるといった。どうなっているのでしょうか。
今日のことを、長谷川さんは、上に報告するというけど、伝書鳩ですか。そんなことが求められているんじゃない。被害者の要求に応えていただきたい。

長谷川氏)
要望書を2月にいただいている。そのときの状況に応じて、患者の方々と私レベルではなく、上のレベルでお会いしているケースもあるかと。6月の総行動デーの要望ですとか、そういう場で、今回の要望についてもお話する機会もあるかと。


ここで、会場から「話が違うだろ」のブーイングが。
長谷川氏が、突如持ち出してきた「6月の総行動デー」の話は、2月の話と関係がないからです。
毎年6月に、公害被害者団体が環境省に申し入れをしていて、そのときには「上のレベル」の担当者と会っている話は、唐突ですし、もし、2月の要請書について、6月に「上のレベル」の担当者が回答すると考えていたとしたら、それは患者被害者を4か月も待たせることになります。待たせることの罪深さに無関心だからこそ、こういう発言ができてしまうのでしょうか。



会場)
環境省が文書で回答するっていって、なぜ回答しないのか。文書で回答しなさいといったら、(環境省の担当者は)上司に伝えると、わかりましたといったんだから。いくら係長だろうと、わかりましたといったら、(返事を)返さなくちゃいけないだろうが。なんで返さないの。

長谷川氏)
要望書については……

会場)
要望書じゃなくて、回答すると係長が明言したこと。だから我々は待っている。それ知っていると?

長谷川氏)
そういう話があったことは承知します。

仁比議員)
だったら回答しなくちゃ。

長谷川氏)
それについては、ちょと今持ち帰って相談させていただいて……

大石氏)
ふざけるな。あんたたちのやりかたは……

長谷川氏)
この場で回答するということに対しては……

会場)
なぜ回答しないのか聞いている。

長谷川氏)
ですから、回答する場というのが、文書でするのか…

会場)
文書って約束したんだよ。係長が。

長谷川氏)
約束した話までは承知してませんので、今、お話し聞かせていただきましたので、確認させていただき、あらためてご連絡させていただく。

会場)
あなたが上司に伝えるっていっても、信用できない。
伝えたけど、文書では回答できませんって、連絡がくれば納得するんですよ。
あれから、長谷川さんからも、小林室長からも何も連絡がない。そんないい加減な対応ってありますか。

長谷川)
こちらの行き違い申し訳ない。改めて、戻りまして、相談して……

会場)
ちょっと待ってくれ。これ、行き違いで済まされる課題なんですか。
僕らは要望した。その係長は返事をした。そしたら省庁内で行き違いがった。許されるの。謝罪しなさいよ。

菊田議員)
今、(2月のときに担当した)係長さんは何をしているのですか。本庁にいるですか。他の会議にでているの?なんで来れないのですか。回答をもってこなくちゃ。その経緯をわかっている担当者はその係長でしょ。今、何しているのこの時間帯。

長谷川氏)
いや、仕事をしていると思いますけど。 

会場から失笑。

会場)
行き違いについて謝罪しろ。

長谷川氏)
大変申し訳ありません。

会場)
いつまでに回答するの? あらためて文書だす日を決めなさいよ。

長谷川氏)
文書をだすかどうかもふくめて、あらためて回答させていただく。

会場)
ちがうよ、文書だすと(環境省が)いったから、我々はその日の交渉やめたんだよ。

長谷川氏)
そうした回答したことをおわび申し上げます。

会場)
えええ(長谷川氏が、文書による回答に否定的な態度をとったので、会場は驚きの反応)

長谷川氏)
あらためて相談させていただきます。

会場)
だから、無責任な人を担当者にしちゃいかんと、国会議員の先生たちがいっとるわけですから。責任ある立場の人間が出ないからそうなるんでしょ。無責任きわまりないですよ。

仁比議員)
国民が政府に対して要望する。具体的に文書で項目を出している。この項目に書いてあることは、政府に認識がない問題だとは思わない。一つ一つ、環境省は見通しをもっているはず。この要望に、今日、一切答えないという態度、これはちょっと一般的にあり得ないのではないか。
水俣病問題についてはこたえないのか。

今日(の院内集会に)臨むにあたって、(特殊疾病対策)室なり(環境保健)部として、この問い(要望)に対する答えをもっているはず。それを答えないのなら、対話は成立しない。被害者に答える気がないのですか。これ、絶対におかしいですから。

この要請書を、私や連盟で質問主意書として出したら、(環境省は)絶対に答えるでしょ。対応しないなんて、ありえないですから。


と問い詰めていくなかで、時間切れに。

最後に発言した議連会長、辻元議員の発言を整理すると、

1)ことの発端は前回の環境省の対応。しかる人が対応していれば、文書による回答が来て、話が進んでいくところ、水俣病のことをよく知らない人が対応したことで、今の状態に至る。環境省は同じ過ちを繰り返してはいけない。(つまり、責任ある役職者を出席させること)

2)2月に対応した係長には、次の集会なり交渉の場には来ていただく。

3)環境省には、文書で回答していただきたいと議連は考えている。

4)政務三役にも(水俣病に)認識をもっていただくよう、議連から申入れをする。


という4点が、環境省に対して要請および提案されました。

20150325院内集会2.JPG
環境省の三人(左奥)に、「大丈夫ね」と確認する大島議員(手前)


国会議員の介入がなければ、環境省は2月12日の要請書については、無視を通したのかもしれません。
議員連絡会の議員が、この場に立ち会ってくださったからこそ、環境省の3人は、書面で回答することを含め、議員からの要求、提案にうなづいたのでしょう。

しかし、ここまで話がまとまる間のやりとりを見ていて、本当にあきれるほど信頼できない環境省の対応に、私も驚くばかりでした。
国会議員の目の届かないところであれば、患者被害者団体との約束は、簡単に破られてしまうものだということ。
そのことを追究しても、論点をずらして回答したり、この場での回答は控えさせていたく、上に伝えるといって、その場しのぎの回答だけをして、後のフォローアップは一切しないという嘘まみれの対応。

環境省が「上に伝えて、改めて回答する」と、期日をもうけない「約束」をするたびに、『患者さんたちと、環境省の人たちの間に流れている時間の重さは違うのに』と、心が痛みました。
そのことに無自覚であるからこそ、いとも簡単に何事も先延ばししてしまうのでしょう。

環境省が信頼される省庁になるまでには、相当の努力が必要です。
その道のりは遠く、環境省はスタート地点にも着けていないように見えます。
もしかすると、スタート地点には、あえて行かないようにしているかもしれません。

これ以上、水俣病の被害を受けた人たちを苦しませないでください。









posted by みの at 00:55 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

水俣病食中毒調査義務付け訴訟 第4回口頭弁論 終わりました。 #minamata

水俣病食中毒調査義務付け訴訟 第4回口頭弁論が3月13日に東京地裁で行われました。

2015年3月13日 水俣病食中毒調査義務付け訴訟.jpg


《法廷の様子》

       〇   〇   〇
       (地裁の裁判官3名)

〇 山口弁護士          〇  〇  〇
  原告代理人          〇  〇  〇
                  〇  〇  〇
〇 佐藤英樹さん               〇
  原告                    〇    
                被告(国・県)側代理人

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          16人が傍聴

原告側に2人、被告側に11人がいたということです。
毎回、このような感じです。


11時半から約5分間の口頭弁論でした。

裁判官から、被告へ、食品衛生法の文脈で使われる「診定」が何を意味するのか。
これを明確にするようにとの求釈明がありました。
被告へ出された宿題です。

原告側は、食品衛生法に基づく調査を行うことで、原告にどんな利益があるのか次回までに回答することになりました。

原告、被告、それぞれ宿題を課されたかたちです。

裁判官からは、まだ「入口の議論」でしかないとの発言があり、今後、具体的な内実に迫った議論が展開されていくようです。

次回は5月27日11時。


posted by みの at 00:39 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

Зураг ном "Ага-ын Jizo" Монгол Улсад хэвлэгдсэн байна

The following text is translated by Google.

Миний блог Япон, та Google-ийн орчуулга сайтыг ашиглах боломжтой, энэ нь монгол хэл дээр орчуулан оролдсон.



Зураг ном "Ага-ын Jizo" Би одоо Монгол улсад хэвлэгдэж байна.

モンゴル語訳 阿賀のお地蔵さん.jpg

Оны гуравдугаар сарын 6-Асахи Shimbun танилцуулсан байна.
Монгол, Минаматагийн өвчин хэлж Нийгата) зурагтай ном
http://www.asahi.com/articles/ASH347JJHH34UOHB01M.html

"Ага-ын Jizo" А "Нийгата Минаматагийн өвчний хэлж зурагтай ном" гэж танилцуулж байна.
Нийгата дахь Jizo нь уулзалтын газартаа хөдөлж, Их Ханшин газар хөдлөлт туршлагатай Boy, Минаматагийн өвчний талаар мэдэх нь түүх юм.

Эсвэл үгс, зураг сайн байж магадгүй юм.
Horori болгон авна.
Мөн оюун Attakaku болно.
Энэ бол миний хамгийн дуртай зурагтай ном нэг юм.

Энэ удаагийн "Ага-ын Jizo" энэ нь тэр, монгол хэлнээ хэвлэгдсэн орчуулагдсан байх ёстой цаана нь байгаа, Kakaware байсан.
Hatano Hideto Ноён байна .. (Ясүда Нийгата Минаматагийн өвчин өвчтөнд хийсэн бэлэг дурсгалын төлөвлөлтийн уулзалт нарийн бичгийн дарга нарын)
Hatano ноён, "Ага амьдрах" сүүлээр Сато үнэн захирал нь мөн гол тоглогч төрсөн юм.

阿賀のお地蔵さん.JPG

Ноён Hatano, би та нарт "Ага-ын Jizo" Монголын хувилбар нь төрсөн суурь асуух хэрэгтэй.

Буцааж гурван жилийн өмнө одоо мөрдөн гаргаж бай.
Токио олон улсын их сургуулийн зүүн Tiki Goro профессор семинар, Нийгата Минаматагийн өвчин Tano-ийн ярихыг хүссэн нь гашилгасан гэхдээ хөгжилтэй байсан. Энэ нь мэдээж бэлэн энэхүү урилгыг хийлгэх шийдсэн үед Hatano-ын эхэлсэн "сайтар ярилцахыг хүсэж байна" гэх зөвшөөрөл хүсч байсан, учир нь энэ юм.

"Сайтар" түүхийг "ryoufusou" байрлалыг цуглуулав.
Энэ нь зүгээр л дараагийн Нийгата Минаматагийн өвчин музейд байрлах орон сууц юм. (Fukushimagata мөн ойр орчимд)

Энд эрт үдээс хойш дундаас үдэш болтол маш хэцүү, энэ нь түүхийг байх шиг байгаа юм.

Мөн олон хүн, олон улсын оюутнуудын дунд оюутнууд, эсвэл байгаль орчныг сүйтгэж, тэгш бус байдал, юмсын, тэдний хандлага нь эх орондоо өргөтгөх нь хямралын утгаар нь Минаматагийн өвчний талаар мэдэхийг хүсдэг гэж бичжээ, ямар нэгэн зүйл ойртон ирж байгаа ямар нэг зүйл байсан юм.
Энэ нь надад хэлсэн Hatano-ийн бас өнгө аяс сүнсний дүүрэн байна Энэ нь надад давж заалдах ирэлтийн ямар нэг зүйл байсан юм.

Дараа нь, семинар оюутнууд АНУ-ын баримт бичиг ноён Hatano нь хэлэлцэх цуглуулга болгон гүйцэтгэлээ. Hatano ном хөөргөх нам, нэг жилийн өмнө (March 2014) дахин учирсан.

Hatano-ийн газар дээрх нь, зурагтай ном "Ага-ын Jizo" Би тухайн улс орны хэл дээр орчуулах замаар тархдаг хүсч байна гэж хэлж байх шиг байна.
Дараа нь "хийх" дэлгэгдэх ийм хурдан гарын тул монгол оюутан, зурагтай ном бүтээлийн монгол хувилбар байсан бөгөөд энд нь чин сэтгэлээсээ эхэлсэн юм.

Дараа нь нэг жил.
Hatano энэ хугацаанд нь юм, хэвлэн нийтлэх талаар Токио олон улсын их сургууль нь хэд хэдэн удаа, хамтын ажиллагааг зочилж байна.
Тэгээд эцэст нь Монгол Улс дахь элчин сайдын яаманд зурагтай ном удахгүй байсан, дугаар сарын 6.

Монгол улсын бүх хэвлэсэн зурагтай ном, Монгол, тарааж болно механизм байх шиг байгаа юм.
Одоогийн байдлаар Япон дахь монгол хувилбар, орон нутгийн авчирсан байсан ганц зүйл бол хэд хэдэн ном.

Тухайн орон нутгийн унтраах ажилладаг, харин зурагтай ном нь эрэлт хэрэгцээ байгаа бол, яг тоог мэдэхгүй байсан ба нэг хэсэг нь татахгүй байж болох ийм Монгол Улс олон хүмүүст хэвлэх гэж суурийг тавьж, гэсэн дарааллаар дахин хэвлэх ямар ном-ий тухай мэдээлэл хүмүүст энэ нь та энэ номыг уулзаж болох уу гэж бодож байна хэрэгтэй биш юм.

Энэ нь тэмдэглэх нь зүйтэй гэсэн ийм Японы зурагтай ном заавал өөр товхимол зэрэг гаргахад зурагтай ном монгол хувилбар. Та нэг зэрэг Японы зурагтай ном шиг холбохыг нь, ном үнэ хэт өндөр болж, Учир нь ямар ч урт худалдаж авах эрхтэй, учир нь ийм юм.

阿賀のお地蔵さん4.JPG

Нийгата Минаматагийн өвчний албан ёсны баталгаажуулах нь энэ жил эхлэн '50.
Энэ нь '50 учраас гэж хэлэх биш юм, харин би тэмдэглэсэн зүйл Нийгата Минаматагийн өвчин олон боломж бий гэж бодож байна. Ийм цаг хугацаанд хэвлэн нийтлэх чадсан монгол хувилбар "Ага-ын Jizo" тулд би Монгол, Нийгата холбосон гүүр болж байна.

Аль хэдийн, Нийгата, Монголын бизнес учраас ямар ч урт ажил бол бизнесийн хэлхээ холбоо, дуусгавар болно бизнесийн хувьд солилцох юм байна. Зах захын нэг нэгнээсээ мөнгө алт холбоотой гэсэн харьцаатай байна. Хэврэг гэж юу вэ.

Хоёр улс зурагтай ном "соёл" гэх мэт замаар холбогдсон Гэхдээ хэрэв холболт итгэл найдвар маш taxel бодож байна.

Ч гэсэн даруухан, жижиг зураг ном, холбох, бид хойч үедээ доош дамжигдан байгаа боломж байдаг юм. Мөн "Ага-ын Jizo" хэмээх их зурагтай ном юм уншиж, хүмүүсийн зүрх сэтгэлд үлдсэн чадахгүй байгаа ямар ч шалтгаан байхгүй.

Энэ нь 2012 онд сэргэлт шинжилгээ хийлгэж байгаа бөгөөд энэ нь кино үзсэн нь хуучин хоногийн кино, эхний үеийг харсан үеийнхэн, би холбоотой байсан бол 20 орчим жилийн өмнө кино "Ага амьдардаг" юм.

阿賀のお地蔵さん3.JPG

Дэлгэц тусгасан байгаа бол хаана, кинонд "Ага амьдардаг" гэж тэр амьд байсан гэж бодож байна.
Кино нь ямар нэг байдлаар харилцах байгаа, эсвэл энэ нь сул санаж хаа нэгтээ холбоотой байсан хүмүүс -.
Би ийм ойлголттой байдаг.

Би биш энэ нь "Ага-ын Jizo" ийм байрлуулалт эсэхийг бодож байна.


モンゴル語 日本語 阿賀のお地蔵さん.jpg

posted by みの at 14:54 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンゴル語で『阿賀のお地蔵さん』#minamata

絵本『阿賀のお地蔵さん』がモンゴルで出版されることになりました。

モンゴル語訳 阿賀のお地蔵さん.jpg

3月6日の朝日新聞が紹介しています。
新潟)水俣病を伝える絵本、モンゴルへ
http://www.asahi.com/articles/ASH347JJHH34UOHB01M.html

「新潟水俣病を伝える絵本」と紹介されている『阿賀のお地蔵さん』。
阪神大震災を経験した男の子が、引っ越し先の新潟でお地蔵さんに出会い、水俣病について知るという話です。

言葉と絵がいいからでしょうか。
ほろりとさせられます。
そして、心があったかくなります。
私の大好きな絵本の一つです。

今回、『阿賀のお地蔵さん』がモンゴル語に翻訳されて出版されることになった背景には、あの方が、関われていました。
旗野秀人さんです。(新潟水俣病安田患者の会事務局・冥土のみやげ企画)
旗野さんは、故佐藤真監督の『阿賀に生きる』誕生の立役者でもあります。

20140416籏野さん.JPG
旗野秀人さん(左) 
写真は、土門拳賞授賞式で、受賞者の桑原史成さん(右)にお祝いのスピーチを籏野さんがされているところです。詳しくはこちらのブログで→ 土門拳賞授賞式 水俣を撮り続けた桑原史成さんに



旗野さんに、モンゴル語版『阿賀のお地蔵さん』の生まれた背景をお聞きしました。

今から遡ること三年前。
東京国際大学の左治木吾郎教授のゼミから、新潟水俣病について旗野さんと話がしたいというお誘いがありました。それが、どうやら「とことん話がしたい」というリクエストだったので、旗野さんはこの誘いを喜んで受けることにしたのが始まりでした。

「とことん」話をするために、集まった場所は菱風荘
新潟水俣病資料館のすぐ隣にある宿泊施設です。(福島潟もすぐ近く)

ここで、午後の早いうちから夕方まで、みっちり、話をしたそうです。

大学生のなかには留学生も何人かいて、母国の環境破壊や格差の拡大への危機感からか、水俣病について知りたいという彼らの姿勢には、何か迫るものがあったとのこと。
そのことを私に語る旗野さんの口調も気迫に満ちていて、私に訴えてくるものがありました。

その後、ゼミ生たちは、旗野さんとの議論を論文集として完成。出版記念パーティで旗野さんと再会したのが、一年前(2014年3月)。

その場で旗野さんは、絵本『阿賀のお地蔵さん』を、それぞれの国の言葉で翻訳して広めてほしいと言ったそうです。
すると、さっと手をあげて「やります」といったのが、モンゴルの留学生だったそうで、ここからモンゴル語版の絵本づくりが本格的に始まったのでした。

それから一年。
旗野さんもこの間、何度か東京国際大学に出向いて、出版にむけて協力。
そして、ついに3月6日、モンゴル大使館で絵本のお披露目をしたのでした。

阿賀のお地蔵さん.JPG
手前がモンゴル語の絵本。後ろは、日本語の『阿賀のお地蔵さん』です。
モンゴル語部分は、旗野さんからのメッセージ。

お地蔵さんの力を借りて水俣病という重いテーマをできるだけ軽い切り口で、元気の出る絵本にしたい。
こんな無理な注文を震災に遭った神戸の友人わっくんが8年前、見事に軽やかに、神戸と阿賀の風が心に沁みるステキな絵本に仕上げてくれました。

阪神大震災から20年、新潟水俣病公表から50年。そして未曾有の東日本大震災と原発事故。その行く末は母親の胎内で水俣病になった子供や無念のまま逝った被害者と重なります。



モンゴル語の絵本は、すべてモンゴルで印刷、流通できるしくみにしたそうです。
現在、日本にあるモンゴル語版は、現地から持ってきた数冊だけとのこと。

現地では何冊刷るのかについては、正確な数字がわかりませんでしたが、絵本の需要があれば、増刷されるでしょうし、そのために、モンゴルに印刷などの拠点を置いたわけで、一人でも多くの人に、この本と出会っていただけたらと思わずにいられません。

モンゴル語 日本語 阿賀のお地蔵さん.jpg
モンゴル語版(左)と日本語版(右)

なお、モンゴル語版の絵本は、パンフレットのようなつくりで、日本の絵本の装丁とは違います。というのも、日本の絵本のような装丁にしてしまうと、絵本の値段が高くなってしまい、買ってもらえなくなるからだそうです。

新潟水俣病は今年で公式確認から50年。
50年だから、というわけではないですが、何かと新潟水俣病が注目される機会が多いと思います。そんなタイミングで出版にこぎつけたモンゴル語版の『阿賀のお地蔵さん』に、モンゴルと新潟をつなぐ架け橋になってもらいたいです。

すでに、新潟とモンゴルはビジネスの面ではやりとりがあるそうですが、ビジネスでのつながりは、商売がうまくいかなくなったら終わってしまいます。お金でつながっている関係は、金の切れ目が縁の切れ目。もろいものです。

でも、両国が絵本のような「文化」でつながれたら、そのつながりに希望が託せるように思います。

絵本のつながりは、小さくて、ささやかであっても、次の世代へと語り継がれていく可能性があるからです。また、『阿賀のお地蔵さん』という素晴らしい絵本が、読んだ人の心に残らないわけがありません。

阿賀のお地蔵さん4.JPG

20年ほど前の映画『阿賀に生きる』が、2012年にリバイバル上映されたとき、昔映画を見た世代と、今回初めて映画を見た世代が、つながったように感じました。

スクリーンには写っていないところで、映画『阿賀に生きる』は生きていたのだと思います。
映画に何らかのかたちで接点を持った人たちは、ゆるく心のどこかでつながっていたんじゃないか――。
そんな印象を持ちました。

『阿賀のお地蔵さん』にもそんな展開があるんじゃないかと思いました。

阿賀のお地蔵さん3.JPG

阿賀のお地蔵さん




posted by みの at 14:19 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

水俣と福島を訪ねて 『明日への誌』 荒馬座準座員公演

水俣に関する、イベント告知をしようと思った矢先、
「満員のため申し込みを締め切らせていただきました」
という知らせを、荒馬座公式サイトで知りました。

WEBDICEのサイトに投稿させていただいた内容を、以下、転載しておきます。

荒馬座準座員公演20150211.jpg


日程 2015年02月11日
時間 16:00
会場 蕨(わらび)市民会館

水俣病事件が起こる前の 水俣の原風景と、
水俣病を「のさり」として受け止めた受難者、故杉本栄子さんの思想。

これが『2001水俣ハイヤ節』に込められた思いです。

水俣病の語り部として活動されていた杉本栄子さんは、
歌や踊りといった芸能を通じて、水俣のことを伝えていきたいと考えていたそうです。

その願いは、荒馬座との出会いによってカタチになりました。

2001年に完成した水俣の海や山、暮らしを表現したハイヤ節は、
今ではすっかり地元に根付き、水俣の小学校の運動会で踊られているといいます。
そこには、患者家族の子どもの姿もあれば、両親がチッソで働いている子どもの姿もあるそうです。

西山正啓監督の映画『のさり〜杉本栄子の遺言』のなかで、栄子さんが小学生に教えているのは、『2001水俣ハイヤ節』です。

2008年に栄子さんが亡くなってからは、語りをお聞きすることは出来なくなりましたが、栄子さんの思いのつまったハイヤ節が、今も水俣で踊られているという事実に、一筋の希望の光が見えるような気がしてなりません。

そして、この公演でハイヤ節を踊るのは、荒馬座の準座員です。

準座員は、保育士や学校の教師などの仕事をしながら、週一度、荒馬座の稽古を続けている方々。
踊りや歌で暮らしているのではなく、別に仕事を持ちながら、準座員としての稽古を続けることを選択してきた方々です。

芸能とは関係のない仕事をしつつ、水俣に思いを寄せられていることに、私は強く惹きつけられました。なぜならば、水俣病事件というのは、私たちの問題であるからです。

水俣病のことは水俣の人に任せておけばいい。
水俣病のことは、水俣病の専門家(そうした人がいるかは疑問だが)がやればいい。
と考えている限り、水俣病事件は終わらないし、同じような事件が、これからもどこかで起きるでしょう。

なんて、難しい話になると、興味が失せてしまいますね。

難しいことは、一度脇に置いておいて、
『2001水俣ハイヤ節』を五感で感じてください。

情報でふさがれた体中の毛穴を解放させて、
『2001水俣ハイヤ節』を体感してください。

・・・(準座員からのメッセージ・チラシから引用)・・・

2014年8月には、準座員の有志で水俣へ取材旅行に行きました。

水俣病の患者さんと『2001水俣ハイヤ節』を一緒に踊り交流する中で、
水俣病は今も終わっていないこと、でもそれを「のさり」(授かり物)ととらえ、常に前進して行こうとする姿にも出会いました。

その後は……福島県浪江町の芸能保存会の子どもたちと交流をしました。
子どもたちは、いつふるさとに帰ることができるのかわからない状況の中でも、芸能を大切に守っていて、私たちに「ふるさとの踊り」を教えてくれました。

この二つの取材から、今の時代に「何のために芸能を守り育てていくのか」を改めて考えさせられました。

今回も私たちの言葉で詩(うた)います。
「よりよい明日になりますように」。


荒馬座サイト

posted by みの at 14:00 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

水俣病 新通知差し止め訴訟 東京高裁 第一回口頭弁論 #minamata

水俣病 新通知差し止め訴訟.jpg

東京高裁822号法
控訴人側に二人着席 (傍聴席から見て、左手、手前に佐藤さん、奥に山口弁護士)
被控訴人側に6人着席。

傍聴者は21名。

開廷まもなく、佐藤英樹さんの陳述。
裁判官の真正面にある証言台に移動。

佐藤さん「控訴人 佐藤英樹です」と話し出す。

佐藤さんの陳述内容は、一人芝居「天の魚」の上演が5月に乙女塚で決まったこ
とにふれ、この一人芝居の上演運動を応援しつつ、水俣病の不正を裁判で自分は正し
ていく、というものだった。

「天の魚」の登場人物である杢少年の暮らしぶりに触れ、実際に、似たような暮らし
を強いられた人が水俣にいると話した。






この日、法廷にいた少なくとも半分の人たちは、「苦海浄土」を読んだことがあり、「天の魚」と聞けば、どんな話なのかわかる人たちではなかっただろうか。

石牟礼道子さんの「苦海浄土」に収録されている一作品である「天の魚」は、先
日NHKで放送された石牟礼さんを取り上げた番組で紹介されていた。

それは、「天の魚」杢太郎のモデルとなった胎児性水俣病患者の半永一光さんを、石牟礼さんが明水園に訪
ねるシーンだった。
半永さんを目の前にして、「天の魚」を朗読された。
そのときの石牟礼さんは、「杢太郎」の部分を、「一光」(かずみつ)と読み、半永さんに呼びかけているようだった。

さて、法廷――。

佐藤さんの5分程度の陳述が終わると、山口弁護士が、佐藤さんに代わって裁判官の真正面に位置する証言台まで出てきて話を始めようとしたが、裁判官から「代理人はできれば席で(話をするように)」といわれ、控訴人席に戻って話を始めた。

先ほど提出したばかりという「第四準備書面」がどうのこうのと聞こえてくるが聞き取れない。
(法廷内でのやりとりは、マイクを使っていないため、聞き取りずらい)

必要書類等の確認だろうか。そのあと、以下のように続いた。

(かっこ)は筆者の補足。
《二重かっこ》は、聞き取りにくかった箇所。文脈から判断して発言を予想した。

「59年間の水俣病の放置は違法。明らかにされていないことがたくさんある。
そうした患者の実態…
今も国、県、チッソは責任を取ろうとせず、調査をしないのは異常。

私は42年間、被害者の訴訟を(弁護人として)してきた。
これは自慢ではなく、私の愚かさを暴露しているのである。
裁判を42年間続けても、水俣病の本質を解決できないのは、弁護士の責任であり、私の愚かさでもある。
もちろん、チッソ、県、国も責任を負っている。
さらには裁判官にも責任がある。
同胞の命や体が無視されてきた責任をとるべきである。

去年の4月16日、最高裁の寺田逸郎裁判長は、溝口訴訟最高裁判決で、この事態の最終解決を目指すを判決を下した。
この判決に従って、環境省、官僚、指定代理人が動けば、(水俣病は)解決できたはずだった。

ところが、判決の二日後、環境省の事務次官が(判決内容を)否定。
現在まで、あらゆる手続の場で(環境省は)これまで同様に患者を否定している。

さらに(2014年3月に環境省は)『新通知』を発出。(新通知の発出によって、現在の水俣病認定基準の)違法を《補強》する作戦にでた。これを許すことはできない。

(そこで新通知を取り消す「新通知差し止め訴訟」を2014年2月4日に東京地裁に提訴)

しかし、(新通知取消訴訟の)一審は、裁判すら開かれなかった。

(8月8日、一審の訴えは却下。8月18日に、一審を不服とし、東京高裁に控訴)

したがって、高裁が(今日、このようにして)開かれたことに、感動と喜びを感じている。

水俣病の実態を知っていただき、行政の責任を知っていただきたいと心から祈ります。

一審判決への批判だが、(一審は)患者の水俣病が(行政に)否定されても、(患者個人には)損害が
ないと主張しているが、佐藤さんが50年以上、水俣病の病(やまい)を負って生きていること。正しい行政の対応を受けてこなかったこと。(水俣病の)申請をしても「52年判断条件」で、適切な判断が受けられなかったことは大損害であると主張する。

環境省の小林秀幸の証人尋問を準備したい」


ところどころ聞き取れなかったが、だいたい、このような話だった。

このあと、裁判官が、被控訴人側(国と熊本県側)に、反論があるか尋ねると

「反論はありません」

とのこと。

国側が反論しないのは、そもそも本件が、裁判で争われるべき対象ではない(処分性がない)と考えているためのようだ。
国・県側は、一審でも、本件には処分性がない、というスタンスだった。

法廷は、次回のスケジュール調整の後、閉廷。
次回は4月21日 11時。

NHKの番組で、石牟礼さんが、半永さんにプレゼントしていた「苦海浄土」は、これだったように見えました。


こちらのバージョンには、第1部「苦海浄土」、第2部「神々の村」、第3部「天の魚」の3部作すべてが収録されています。














posted by みの at 17:25 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第三回 口頭弁論 #minamata

裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg水俣病に関する食中毒調査義務付け訴訟の第三回口頭弁論が16日、東京地裁で行われた。
被告(国、熊本県)が否定する「処分性」(被害者個人が行政に対して調査を要求をする権利があるのかどうか)について、裁判官は原告側に法的根拠に基づく説明を求めた。
次回は3月13日11時30分。

食品衛生法は、行政に対して、有害物が混入した食品の流通販売を禁止し、被害拡大を防ぎ、保健所は住民の悉皆調査を実施し、上部機関に結果報告をすることを定めている。しかし、水俣病事件では、行政による悉皆調査が一度も行わていない。

食品衛生法 58条〔中毒に関する届出、調査及び報告〕
  〃   60条〔厚生労働大臣による調査の要請等〕


悉皆調査(被害者の掘り起し)をしない行政は、水俣病患者認定制度に「本人申請主義」を採用。
差別偏見があるなか、被害者本人が名乗り出るのは困難。
結果、「申請なし=被害なし」という行政に都合のいい歪んだデータがつくられていった。

熊本県は2004年、悉皆調査の実施を提案したが、環境省幹部から「患者の掘り起しにつながる」と否定されている。(西日本新聞2010年4月30日)

西日本新聞2010年4月30日.jpg


食品衛生法に基づく調査が行われていないことから、行政の記録に残されない、データに表れることもない被害者がどれくらいいるのかわかっていない。
つまり、水俣病事件の被害の実態は、今もわかっていないというのが現状。

被害実態がわからないのに、「申請なし=被害なし」と都合よく被害数を解釈して構築した官製の「水俣病の被害実態」は、さまざまな水俣病施策の骨格になっている。

例えば、
不正確な実態把握を基にしている水俣病の認定基準。
2014年3月に環境省から熊本県他に出された「新通知」など。

この基準にそって、水俣病かどうか判断されることで、本来、水俣病患者として補償されるべき人たちが、切り捨てられている。

食中毒義務付け訴訟の原告、佐藤英樹さんもそうしたうちのお一人。
行政が悉皆調査を行わないことで、佐藤さんは、不利益をこうむっている。

裁判では、
食品衛生法58条に基づき、悉皆調査を行うこと。
調査が行われない場合は、裁判所はこれが「違法」であると確認すること。
原告の佐藤さんには、損害賠償として10万円を払うこと等。
を求めている。

損害賠償金が10万円というのは、佐藤さんが受けた不利益に照らし合わせると低額すぎるが、
裁判の目的は、調査の実施であるから、このようになっているのだろう。

魚介類を食べて病気になるという食中毒事件が起きたのに、発生地域の調査をしない。
調査をしないまま(現状把握がされていないまま)、誰が患者で、誰がそうでないか決める基準がつくられる。
被害者自らが手をあげない地域は、被害ゼロと解釈されて、行政に放置される。

これが、政府公式確認から今年で59年目をむかえる水俣病事件の現状なのです。

現地調査義務付け訴訟 食品衛生法の義務、原告に立証求める
 国と熊本県に食品衛生法に基づく水俣病現地調査、報告義務付けなどを求めた訴訟の第3回口頭弁論が16日、東京地裁であり、谷口豊裁判長は、原告で水俣 病互助会の佐藤英樹会長(60)=水俣市=に対し、同法が定める国と県の具体的義務、調査を求める根拠などの立証を求めた。
 同法に基づく調査・報告について、原告側は「水俣病患者の生命と健康を守るための法的義務を定めている」と主張。被告側は「食中毒発生の判断が目的で、患者認定など国民に対する義務はない」と反論している。
 谷口裁判長は「双方の主張がかみ合っていない」と述べ、原告側に主張を裏付ける根拠の説明を求めた。(山口尚久)
熊本日日新聞 2015年01月17日

引用元  http://kumanichi.com/feature/minamata/kiji/20150117001.xhtml


posted by みの at 11:27 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月06日

11月22日 チッソと国の水俣病責任を問うシンポ(第11回) #minamata

※シンポジウム告知のお知らせ、貼り付けています。

関西訴訟最高裁判決10年
いま問う 国の水俣病放置責任 
チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム(第11回)ご案内


水俣病で国の責任を認めた2004.10.15の最高裁判決以降、不知火海および阿賀野川沿岸で6万5千人の未認定患者の存在が明らかとなりました。しかし、先日発表された特措法判定結果によれば、その人々のうち、210万円の一時金給付が認められなかった人が1万5千人(一切の給付なし9千人、被害者手帳のみ6千人)にも上り、特措法が標榜した「能う限りの救済」は看板倒れです。未認定問題が今回も解決に至らなかったことは、なお残る公健法での認定申請者1万人、係争中の訴訟10件という数字に端的に示されています。

折しも、チッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決から10周年を迎えますが、国・環境省が、最高裁が関西訴訟判決で認めた水俣病像や溝口訴訟で示した認定の方法論に従わないのは由々しいことです。

シンポジウムでは、熊本・東京・新潟で引き続く訴訟や患者の現状について報告を受け、終わらぬ水俣病について考えます。

患者・被害者へ補償を求め続ける上で避けて通れないのが1950−60年代、被害発生拡大期の行政の責任です。最高裁が認めた「水質二法での不作為」以外にも、通産省や厚生省の発生源対策の怠りには看過しがたいものがあります。被害の発生・拡大を何ら防止できなかった国の責任は、チッソに劣らず重大です。チッソ水俣病関西訴訟で行政責任論を担当された小野田弁護士から、事実や証言をふまえた講演を受けます。

原発問題の現状を見るにつけても、半世紀以上続く環境汚染・水俣病の責任を最後まで国とチッソに取らせることが重要です。(川内原発反対を巡る水俣の動きについても報告を頂きます)。

現地・各地の被害者の闘いを支え、国の政策を厳しく注視し続けるために、首都圏皆様のシンポジウムへのご参加を呼びかけます。

日時:11月22日(土)  12時半開場  午後1時―5時
           
会場:YMCAアジア青少年センター 9階 国際ホール           
   東京都 千代田区猿楽町2−5−5  地図  
  (JR水道橋から徒歩5分 JRお茶の水から徒歩7分)
   TEL 03-3233-0611          
参加費:1000円 (学生半額) 

プログラム(敬称略 順不同)
講演:水俣病発生拡大をめぐる国・熊本県の責任 
   小野田 学(元チッソ水俣病関西訴訟弁護団)
報告:山口 紀洋(互助会国賠訴訟、食品衛生法による調査義務付け訴訟弁護団)
   谷  洋一(水俣病被害者互助会事務局)
   萩野 直路(新潟水俣病第三次訴訟事務局)
   永本 賢二、 松永 幸一郎  加藤 タケ子(ほっとはうす)

主催 チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会
   千代田区神田淡路町1−21−7静和ビル1A 
   TEL/FAX 03- 3312-1398(昼留守録) 
   メール y-kbt@nifty.com (@を半角にしてください)

協力 東京・水俣病を告発する会 最首塾


過去のシンポジウムの様子(2014年7月)
s20140706会場.JPG


聖地Cs 木村友祐

『聖地Cs』と『猫の香箱を死守する党』の二作品が一冊に。
『猫の香箱を死守する党』は思わぬところで水俣病の話がでてきます。

斎藤美奈子さんによるレビュー
ヤワな観念論をぶっ飛ばす震災後文学――木村友祐『聖地Cs』




posted by みの at 11:11 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月27日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第二回 口頭弁論 #minamata

2014年10月24日(金)、東京地裁で行われた水俣病食中毒調査義務付け訴訟の傍聴に行ってきました。

裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg

水俣病食中毒調査義務付け訴訟の法廷が開かれたのは今回が二回目で、この日は、原告である佐藤英樹さんの口頭弁論が行われました。佐藤英樹さんは水俣病被害者互助会の会長です。

佐藤さんが裁判官に述べた内容の抜粋が
以下の通りです。

まず、佐藤さんご自身について

  • 水俣病患者が多く住む、水俣市袋生まれ。

  • 海岸から20mのところで育った。


家族と水俣病について

  • 父親と祖父は漁師。

  • 祖母と両親は水俣病認定患者。

  • 4人の姉弟全員が、水俣病の医療手帳保持者、あるいは被害者手帳保持者。


佐藤さんと水俣病について

  • 佐藤さんご自身は現在、3回目の認定申請中(二回棄却されている)。三回目の申請は9年前。つまり9年間待たされている最中であり、必要な検査もまだ終わっていない。


佐藤さんを棄却した判断基準(52年判断条件)への不信について

  • 佐藤さんと同じように、認定申請を二回棄却された下田良雄さんという人は、公害健康被害補償不服審査会に申し立てをして、2013年10月に水俣病と認められた。
    (下田さんを水俣病患者だと認めてこなかった審査を、不服審査会が見直したところ、審査の誤りを認め、下田さんは水俣病患者だと認められたということ。)

  • (佐藤さん、下田さんを棄却してきた基準である)52年判断条件は、何を根拠にして決定されたのか。現地の患者データや医学論文があるのか。根拠なく基準が決められているのが事実ではないか。もし根拠となるデータがあるのなら、(被告=国に)具体的な表題を聞いてほしい。

  • このような状態にあることから、食品衛生法に決められている汚染地域の調査をしてほしいと訴訟をした。



水俣病は魚介類を食べたことで発症した病気であることから食中毒事件であり、であれば、食品衛生法に基づいた現地調査が行われるべきだという主張です。

ところが、これまで国が打ち出してきた水俣病に関する施策は、被害地の状態を調査せずに考案された策ばかりです。ですので、佐藤さんは、現地調査をしてほしいと訴えているのです。

口頭弁論の後、山口弁護士が、この間に集めた署名を裁判官に提出し、次回の日程を決めて、この日の法廷は15分ほどで終わりました。

ここから先は、同日に行われた報告集会での話を含む報告になります。

争点
佐藤さんが訴えた、食品衛生法に基づく食中毒事件としての水俣病の調査(不知火海沿岸の住民県調査)を求める主張が、この裁判の争点です。

この主張に対して、被告(国、熊本県)は、「処分性がない」「行政訴訟の要件を満たしていない」と反論しています。

「処分性」という表現は、あまり馴染みのない表現ですが、行政(国や県)が行ったことについて、裁判で争うには、行政がしたことによって、「直接国民の権利義務が失われたり、狭まったりすること(権利の変動が明確にあること)」だけが、訴訟の対象になるのだとか。

この「処分性」の有無については、水俣病事件に関する別の訴訟でも問題になり、訴訟自体が却下されたケースがあります。

環境省が今年3月にだした「新通知」についての訴訟です。訴訟内容は、この「新通知」に従った認定審査を熊本県にしないように求めると同時に、環境省に「新通知」を取り消すよう求めるものでしたが、「処分性がない」という理由で訴訟自体が却下されています。
環境省から熊本県にあてた新通知は、国民には関係はなく、官庁間の連絡事項でしかない---- というのが却下の理由でした。

参考:
新通知差止め訴訟と仮の差止め請求の経過一覧表

私からすれば、食中毒調査も、新通知も、国民への影響があるとしか思えません。

「新通知」は、認定申請者が水俣病かどうか判断するときの基準について書かれたものですから、患者かどうかを判断する根拠になるわけで、申請する人にに影響を及ぼします。

食品衛生法に基づく調査をしていないということは、不知火海沿岸地域に「行政に記録されていない」被害者がいるか、いないかもわからないということ。実態がわからないままに組立られた水俣病の認定基準や新通知といったものを、患者認定、あるいは患者切り捨ての基準にしているわけで、この基準にそって、水俣病かどうか判断される佐藤英樹さんは、まぎれもなく不利益をこうむっていると思われます。

ところで、この裁判において被告(国と熊本県)は、水俣病が食中毒事件であるかどうか、意見を述べていないと山口弁護士はいいます。

「水俣病は魚たべて症状がでるわけで、食中毒である。ところが、国の指定代理人は、水俣病は中毒かどうか明らかでないといっている」(山口弁護士)

こうした立場をとる国・県は、水俣病事件はそもそも食品衛生法とは関係がないと、いわんばかりなのだそうです。

国側が裁判所に提出した書面(第一書面)によると、食品衛生法にもとづく調査報告要請というのは、直接的に個別の国民との関係において食中毒発生実態や正しい病像を明らかにするものではなく、また食中毒患者等を食中毒患者として認定するものではないと解釈していて、
つまりこれは、「食品衛生法が国民を守ってくれるものだと思っていたら、国いわく、この法律は直接国民とは関係ないといっているに等しい」とのこと。 

最高の法廷進行
それでも報告集会で山口弁護士は、この日の法廷でのやりとりについて、「最高の法廷進行」だったと評価しました。

国を相手にした行政訴訟で、ここまで上手くいくことはあまりないとのこと。
一般的な事件の裁判も含めて、この日の法廷の展開は「奇跡的」な出来事があったといいます。

第一の奇跡
水俣から、被害者である佐藤英樹さんが来て、陳述したこと。
佐藤さんが直面している「不条理」を、当事者から聞けたことが一つ目の「奇跡」。
裁判官は佐藤さんの話を途中で止めることがなかったこともよかったと。

ちなみにこの日の法廷は、原告側の席に二人(山口弁護士と佐藤さん)、被告側には、14人もの指定代理人や検察官、訴訟検事が座っていました。私たちの税金によって、仕事をしている人たちが、佐藤さんの主張に反論を唱えるために仕事をしているのは皮肉なことです。
 
第二の奇跡
この訴訟が継続する(軌道に乗った)という手ごたえがあったこと。
処分性がないという理由で、審議が行われないこともなく、裁判官が双方の言い分を聞くような姿勢を見せていること。次回(2015年1月16日)で閉廷するとも言われていない。

第三の奇跡
水俣病の調査をするよう求める1468人分の署名が提出できたこと。

「みなさんの汗と情熱による署名簿が、私のコメントともに提出できたことは、裁判ではあまりないことです」(山口弁護士)

住民訴訟の場合は、住民投票の有無といったことが、判決を左右する要件になりますが、水俣病の調査義務付け裁判における署名の意味というのは、「これだけ多くの人が、食中毒調査をしてくれ」と要望していることを可視化したもの。裁判官が署名を受け取るにしても「雑記録」として受け取ることもできたにも関わらず、裁判資料として受け取ってもらえた点が、注目すべき点なのだとか。

「署名簿が正式な証拠になったことは奇跡的なこと」(山口弁護士)

次回法廷が行われるのは、来年1月16日です。

水俣病食中毒調査義務付け訴訟の経過一覧表

詳しくはこちらのサイトで。
食中毒調査の義務付け判決を求める署名用紙(PDF)もこちらのサイトにあります。
食品衛生法に基づく水俣病食中毒調査の義務付け訴訟


posted by みの at 11:54 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月01日

訃報 「水俣な人」塩田武史さん

写真家、塩田武史さんの訃報を見て驚きました。
今年に入ってからも、手紙や電話でお話しさせていただいたことがあったからです。

朝日新聞(10月1日)の訃報によると、心筋梗塞だったそうです。69歳ともありました。
年齢のことも、ご家族がいらっしゃることも、訃報で知りました。
塩田さんも私も、お互いのプライベートな話には触れることはありませんでした。
水俣病について、水俣の秘境について、ゆるキャラについてなどなど、水俣にまつわる様々なことについて意見交換をさせていただいておりました。

私のようなものにも、決して上から目線で語ることなく、それでいて、人生の先輩として、伝えるべきことはおっしゃってくれる方でした。その言葉の節々から伝わってくる塩田さんのお人柄に、静かに感動しておりました。

そもそも、塩田さんとやりとりが始まったきっかっけは、塩田さんが撮影された写真に写っている「カーターさん」(Anthony Carter)の消息を探しているとお聞きし、そのお手伝いをさせていただければと、私が申し出たことでした。

カーターさんは、1972年にスウェーデンのストックホルムで行われた国連人間環境会議で、日本から参加していた水俣病患者の通訳をされた方です。塩田さんは、このときのカーターさんの通訳に衝撃を受け、当時のことを次のように振り返っていらっしゃいました。

 この人の情熱的な通訳ぶりが私の頭から離れません。世界中の記者が集まった民間フォーラムの記者会見場で、坂本しのぶさん母娘、浜元二徳さん、カネミ油症患者等の通訳を勤めてくれました。浜元さんのトツトツとした言葉とカーターさんの激しい舌鋒(ぜっぽう)のやりとりは静と動となって会場を揺すった。坂本フジエさんもカーターさんの顔を真っ赤にした通訳ぶりに乗せられたのか、お互いの心の昴(たか)ぶりはその極に達していた。英語特有の強弱のアクセントが場内の人々の心を突きさす様が伝わってくる。痛いばかりの拍手が響き渡りました。
 私はこの日を忘れることが出来ません。彼の英語の喋り口が40年たった今でも頭に残っています。
(『季刊 水俣支援東京ニュース』No.63 2012.10.15より抜粋)


「静かで小さい声」で仕事をするのが通訳だと思っていたところ、型破りなカーターさんの姿は、とても強烈だったそうです。

塩田さんによると、カーターさんは、「米国籍の牧師」であり、日本の女性と結婚しているとのこと。ご存命なら80歳くらいではないかともいわれていました。米国で暮らしていたことのある私は、日系アメリカ人コミュニティに知り合いがいます。日本語がわかる牧師であれば、日系コミュニティに知っている人がいるかもしれない思いました。

カーターさんの消息を探す「たずね人」の記事と写真を、米国の新聞に掲載したく、塩田さんに写真掲載の許可などのことで連絡をとらせていただいたのが、2012年の冬だったと思います。これが交流の始まりでした。

たずね人の記事は、ロサンジェルスで発行されている「RAFU SHIMPO」に2013年1月29日に掲載されました。ネットにも同じ記事が掲載され、情報を待ちました。しかし、消息を知っている方からの連絡はありませんでした。

カーターさんは、1973年に行われたマグサイサイ賞表彰式でも通訳をされていたようで、フィリピンにあるマグサイサイ賞財団にも問い合わせてみましたが、「当時のことを知っているスタッフはいない」とのことで、手がかりは途絶えてしまいました。
マグサイサイ賞財団は、1973年にマグサイサイ賞を『苦界浄土』を執筆した石牟礼道子さんに贈っていて、表彰式の通訳を担当したのが、カーターさんらしいのでした。

カーターさんの消息については、国内外、いろいろな方にお聞きしてみましたが、これ、といった情報を得ることはできないまま、今日に至ります。

2013年4月には、塩田さんの写真集『水俣な人』が発売されました。「水俣な人」というのは、水俣に惹かれ、集まった人たちのことで、一つ前の写真集、岩波から出版された『僕が写した愛しい水俣』が患者を中心にしたもだったのに対して、『水俣な人』は、支援者がテーマである写真集です。このなかには、カーターさんの写真も掲載されています。

塩田さんはこの写真集について、「私としては最後の仕事と思い取り組んでいます。前回の‟岩波の本‴は患者中心でしたが、今回は支援者中心です。これで私の‟水俣病”は完結です」とおっしゃっていられましたが、本当にそうなってしまいました。それでも2014年1月27日に熊本地裁で行われた水俣病被害者互助会 第2世代訴訟の結審には行かれていたようで、水俣への思いはずっと持ち続けていらっしゃったことと思います。

『水俣な人』に掲載されている塩田さんが撮影された方々の表情を見て、私は塩田さんにこうお伝えしました。「年をとることについて、“時の流れは残酷だ”、という言葉を聞くことがありますが、『水俣な人』のお顔には、人生を丁寧に生きてこられた歴史が刻まれていると感じました」と。私もそういう年の取り方をしたいと思った次第です。

塩田さんのことは、2007年、水俣市の水俣病資料館で行われた『水俣を見た七人の写真家たち』のパネルトークでお見かけしておりますが、きちんとご挨拶をさせていただく機会もないまま、2012年冬に、手紙と電話でお話しさせていただくご縁をいただいたのでした。
晩年の塩田さんのお顔を拝見することが叶わなかったことが残念です。塩田さんは、まぎれもなく『水俣な人』だったと思います。

合掌。

A.Carter.jpg
塩田さんが撮影されたカーターさんの写真。
モスクワからストックホルムに向かうバスの車中。
前列左は、土本典昭さん、中央に、坂本フジエさんとしのぶさん。右手前がカーターさん。
1972年6月4日 撮影:塩田武史さん

A. Carter in Moscow on a Stockholm-bound bus on June 4, 1972. (Photos by Takeshi Shiota)




posted by みの at 14:18 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月05日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第一回 口頭弁論 #minamata

水俣病・食中毒調査義務付け訴訟の口頭弁論が、2014年8月1日、東京地裁で行われました。

水俣病が食中毒であることによる住民調査の義務付けを求める訴訟です。

原告は、水俣市在住の佐藤英樹さん。
被告は、国と熊本県。
食品衛生法に基づく調査の義務付けを争う裁判であり、被告の「国」とは、具体的には処分行政庁の厚生労働省を指します。


裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg
裁判所合同庁舎(東京・霞が関)

東京地裁に向かう弁護団.JPG
東京地裁に向かう弁護団

10時30分から始まった食中毒調査義務付け訴訟の第一回口頭弁論は、約15分ほどで、あっという間に終わってしまった印象でした。

原告側は、食品衛生法に基づく調査の実施と報告、これら調査をこれまで行ってこなかった責任の追及、調査が行われなかったことで損害を受けている原告への損害賠償を求めています。

被告側は、原告にはこうした要求をする権利は認められていない、訴訟要件を欠いているため不適法だと主張し、請求の却下を求めています。

法廷で、原告側代理人の山口紀洋弁護士が述べたのは4点でした。

1) 陳述時間について
報道に与えられた法定撮影時間は2分。山口弁護士に与えられた陳述時間は5分。(15分欲しいとお願いしていた)短すぎると主張。

2) 水俣病の経過
政府公式確認から58年目の水俣病。ところが2012年7月に申請を締め切った特措法には、約6万5千人が申請していることから明らかなように、長年、被害者は放置されてきた。
2013年4月16日の溝口訴訟、Fさん訴訟についての最高裁判決について。溝口チエさんは、認定申請から42年かかって患者と認定された。最高裁判決は、52年判断条件を否定。本来なら、(国・環境省は)52年判断条件を撤回し、新しい基準をつくるべき。ところが、環境省は2014年3月に、根拠なしにつくった「新通知」を出すことで、最高裁が否定した52年判断条件を維持している。また、これまでに国が水俣病の認定を棄却したケースについては、見直しをしないといっている。

3) 水俣病 不正/解決しない原因
当初から、被害者の調査をせず、また、今日にいたるまで、調査を行うことを否定してきた行政の姿勢が原因。これは許されることではない。

以下は、法廷での発言ではありませんが、食品衛生法に基づく調査義務付け訴訟を始めるきかっけの一つは、環境省特殊疾病対策室室長だった大坪寛子氏(現在の小林秀幸室長の前任者)が、患者や弁護団から、国はなぜ水俣病の調査をしないのかと理由を問われた際、公式確認以来57年間、「調査の手法について調査してきた」と回答したことだったそうです。
このやり取りが行われた現場に筆者もいましたが、この回答に唖然としてしまいました。

なお、このときの環境省とのやりとりについては、溝口訴訟弁護団のホームページに掲載の、環境省への申し入れ書(2013/4/26)で読むことができます。(以下引用)


  
水俣病公式確認から56年以上を経た今日において、認定をめぐる行政の不法がなされて来た根本原因は、環境省および熊本県が不知火海沿岸往民の健康披害に係る悉皆調査を実施しないことにあります。
 すでに、2004年10月の関西訴訟最高裁判決の直後に、当時の潮谷県知事が、環境省に対し、八代海地域に居往歴がある者47万人を対象とした網羅的な悉皆調査を提案しているのです。
 さらに、この問題に関して、前環境省特殊疾病対策室室長大坪寛子氏は、調査方法を57年間検討中である、などという明らかに虚偽違法の発言を続けていま した。調査方法については、通称・重松委員会の「水俣病に関する総合的調査千法の開発に関する研究」をはじめ、これまで環境省委託で行われてきた様々な研 究が、調査手法を提言しているにもかかわらず、いまだに実施に移されず、それどころか、調査手法自体決められないというのは極めて異常な事態です。


4) 被告の答弁について

被告の反論は、技術的な部分に限定されている。
原告の佐藤英樹さんと同時期に発生した患者を含め、水俣保健所長と天草保健所長は県知事に報告をし、県知事は厚生労働大臣に報告。大臣は食品衛生法に基づき、県知事に調査を求めるべきだった。この手続がとられていれば、佐藤英樹さんは食品衛生法に基づく調査で患者と認められたはず。


第一回口頭弁論のより正確な報告は、溝口訴訟弁護団のサイト に掲載されると思います。
同サイトには、訴状の概要が掲載されています。

<訴状の概要>
 訴状では、公式確認から6か月後の1956年11月には、水俣病は魚介類による食中毒であることが判明していたこと。そして、当時既にこのような大規模な集団食中毒に対する行政対応や実態把握の方法(すなわち食品衛生法に基づく住民食中毒調査)が、関係行政機関の義務として法定されていたことを指摘しています。
 また、水俣病の実態把握(病像やメチル水銀の汚染範囲)をしなければ、適切な施策ができないことは自明であり、現に1991年の中央公害対策審議会答申や、2004年の熊本県の八代海沿岸住民調査の提案など、行政側からも住民調査の必要性が説かれてきたことを列挙しています。
 しかし、水俣病ではこの当たり前の対応がなされず、代わりに作られた本人申請主義と認定制度は、実態把握からは遠のき、事態を混乱させるだけだったことを明らかにしました。
 何の医学的・科学的根拠を持たない「S52年判断条件」によって、水俣病の病像がねじ曲げられ、さらに本人申請主義では、家族や地域の事情のため申請することが困難であり、患者として名乗り出たくてもできない状況があることを指摘しています。
 その結果、公式確認から58年を経た現在に至っても、水俣病は解決するどころか、民間の調査によって新たな患者や汚染地域の拡大が確認され続けている事実を指摘しました。
 水俣病は、食品衛生法の目的である「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もって国民の健康の保護を図る」が未だ履行されていない現在進行形の事件であり、直ちに適切な対応施策をとならなければ、不知火海沿岸住民が今後も回復困難な損害を被ることを訴えました。




今回、原告の佐藤さんは上京できなかったので、法廷で原告サイドに立ったのは、山口紀洋弁護士一人。対する被告側には、国や県の代理人が15人もいるという、圧倒的な差を見せつけられました。(筆者は13人までしか確認できませんでしたが)

傍聴席は報道関係者も含めて30人くらいが確認できました。

報告集会.JPG
口頭弁論の後、弁護士会館で報告集会が行われました。

「一人ひとりが、(水俣病事件解決にかかわる)波の一波だと実感してほしい」と語る山口弁護士。
「それを実感する日が、人生のなかで一日でもあったことが嬉しい」とも。

私のようなものが、傍聴席に座っていることが何になるんだろうと、考えないわけではなく、自分の無力さを常に感じているからこそ、山口弁護士のこの言葉に胸をうたれました。裁判の傍聴に行くことも、波の一波なのだと、気づかせていただきました。

そして、半世紀以上の水俣病事件史を振り返ってみると、
40年前の1974年8月1日は、水俣病認定申請患者協議会が発足した日であり、溝口チエさんが熊本県に水俣病の申請をした日でもあります。(申請から21年後に行政はチエさんを棄却。(←放置しすぎ!)2013年に最高裁はチエさんを水俣病と認定しました)

溝口チエさんは申請から3年後の1977年に死亡。チエさんの水俣病患者認定は、チエさんが亡くなってからのことだったのです。
溝口訴訟にかかわってこられた支援者の方も、この間、亡くなられています。

新聞が、全ての水俣病患者の訃報を取り上げるわけではありません。
この間、人知れず、ひっそりと亡くなられていった水俣病患者の方がいらっしゃいます。
ご自分で主張できる人もいれば、水俣病で言葉を失われた人もいます。
言いたいことを言えないまま、息を引き取られていった方々…
そうした方々に寄り添い続けている方…

いくつもの一波が積み重なって今日に至っているわけです。

水俣病の食中毒調査義務付け訴訟をするべきだと主張してきた津田敏秀岡山大学教授は、疫学の研究者として「同時代性の責務」を感じていると、山口弁護士から紹介がありました。
この時代に生きている疫学者としての責務、というわけです。

この裁判の続きは、10月24日(金)11時に開廷とのことです。

なお、この日、「チッソの逃亡を許さないアピール」が、チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員から、環境省の長谷川特殊疾病対策室長補佐に手渡しされたとのことです。
posted by みの at 00:22 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

「チッソ・JNCの水俣病補償救済からの逃亡を許さない7・6アピール」

チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム第10回にて、以下のアピール文が採択されました。

s20140706会場.JPG

チッソ・JNCの水俣病補償救済からの逃亡を許さない  7・6 アピール

 水俣病未認定問題では、被害者の闘いと、為政者の和解策とが交互に歴史を織りなしてきました。

 一九九五年 村山内閣による第一次政治決着が約一万人の未認定患者を対象に行われましたが、患者定義も行政責任もあいまいなことに抗して続けられたチッソ水俣病関西訴訟で、二〇〇四年、最高裁判決が国と熊本県に水俣病拡大の賠償責任を初めて確定させ、病像も中枢神経損傷説を軸に塗り替えられました。

 判決に背中を押されるようにして多くの患者が認定を申請する中、二〇〇九年には「水俣病特措法」が施行され、補償救済を求めて新たに名乗りを挙げた人々は六万五千人に上りました。私たちは水俣病被害の裾野の広さを、深く認識し直した次第です。しかし、出生年や居住地域の線引き、二年二カ月での受付停止、今後明らかになる「非該当」判定・・・様々な形でそこから除外される人々が多数存在し、特措法が標榜した「能う限りの救済」は画餅に帰さんとしています。

 そんな中で二〇一三年、溝口訴訟・Fさん訴訟の最高裁判決が、棄却患者を多数生みだす公健法の認定基準(水俣病判断条件)の誤りを指弾したのは記憶に新しいところです。二度にわたって、行政の誤りを最高裁が断ずるというのは、極めて稀な展開です。そこ至る患者・被害者の闘いに心から敬意を表するとともに、この期に及んでも水俣病判断条件を見直さない国の環境行政には憤りと失望を抑えることができません。

 それにも増して由々しいのは、チッソが、勝手に水俣病問題を終わらせようとしていることです。特措法がチッソと子会社JNCの免責を促進することを、私たちは、法の成立以来ずっと批判し続けて来ましたが、今般の会社法改正問題で、いみじくも、チッソの本音が露呈しました。チッソは特措法の「子会社株売却 → 免責」をあたかも既得権のように言い募り、それに籠絡された国会の多数会派が、改正会社法で課されるはずの「子会社株売却には株主三分の二の同意が必要」という新たな規制を、チッソには免除することにしてしまったのです。

 このようなチッソ優遇の立法は残念至極ですが、そのことで私たちは危機感を深めました。当面チッソ子会社株売却を認可する状況にないと環境省は言っていますが、予断を許しません。熊本・新潟の患者団体は連帯を強め、また、国会内でも超党派の議員連絡会が結成されるなど、新たな動きも始まっています。

 水俣病被害の「底」が見えない以上、補償救済は被爆者援護法のような恒久法によってこそ行なわれるべきで、そのためにも、チッソによる子会社株売却は、半永久的に凍結し続けるしかありません。
水俣病補償責任がある故に行政の手厚い庇護を受け、倒産を回避してきた会社が、未認定患者がなおも苦難の海にあえぐ傍らで補償救済の放棄を目指すのは、天に唾する暴挙です。

 私たちは、チッソ(新潟では昭和電工)と国・県に対し、水俣病患者・被害者の補償救済に最後まで責任を持つよう、強く求めます。チッソ・JNCの逃亡を決して許さないことを、声を大にして訴えます

2014年7月6日

チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム  参加者一同

posted by みの at 22:54 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

奪われた言葉の代わりに、写真が水俣病を伝えてくれた #minamata

もう7年も前のことになるが、2007年に水俣病資料館で「水俣を見た7人の写真家たち展」が行われ、7人の写真家によるシンポジウムが行われた。

それほど広くない会場に、たくさんの人が話を聞きに来ていた。
そのなかに水俣病患者の杉本栄子さんの姿もあった。

シンポジウム後の質疑の時間に、栄子さんは手をあげて発言をされた。
その発言を聞いて私は、強い衝撃を受けた。

栄子さんの発言に、身も心もつかまれてしまったような一撃を忘れることはできない。

あのとき栄子さんは、水俣を撮影してきた写真家たちに感謝の言葉を述べていた。

水俣病が「水俣病」と呼ばれる以前、「奇病」と呼ばれ、伝染病だと思われていた1950〜60年代、栄子さん一家は、家族同然の付き合いをしていた親戚や近所の人たちから、徹底的に村八分にされた。

家族の身におきた病気について口にすることを、世間は許さなかった。
言葉を奪われた栄子さんは、「おはようございます」と挨拶することも許されなかったという。

桑原史成さんをはじめとする写真家たちが水俣で撮影を始め、雑誌などに発表されると、世間の関心が水俣病に注がれるようになった。

栄子さんに代わって、写真が、水俣で今、何が起こっているのか伝えてくれたというのだった。

「水俣へ来られた写真家の皆さんが、言葉を発することの許されない私たちの代わりに、写真で水俣を伝えてくれた。だからこそ、今がある」

「私は感謝しています。もの言えなかった私たちが、言えるようになったっです。それはみなさんの写真のおかげです」


20070430杉本栄子.JPG
2007年4月撮影 水俣病資料館にて 発言する杉本栄子さん。

杉本栄子さん

1938年生まれ。漁師の家に生まれる。
3歳から父に漁を教えてもらう。
1959年、母が水俣病で入院。杉本家に対する差別が始まる。
    結婚。栄子も発病。
1969年、父が水俣病で亡くなる。
1969年、水俣病の原因企業チッソに賠償を求める裁判の原告になる。
   (熊本水俣病第一次訴訟)
1973年、第一訴訟勝訴
1974年、栄子 水俣病患者認定
1981年 夫 水俣病患者認定

2008年2月28日、永眠




「闘いを教える人も全国から来てくださる。写真家も全国から来てくださる。このことが世界につながった。
 でも、この人たちに頼とっていいのか。俺たちゃ、ここで死なんばならないとやろが、闘いも争いもなくすためにはどうすればいいのか。
 ものを言えない、標準語も言えない、漁師である私が(資料館の)語りにならせていただいたってことは、水俣のことは水俣んもんじゃなからんば解決しならんとじゃなかっただろうか。
 私は考えました。だから、標準語も、やっとやっと、ちった言えるごっなりましたばってん、語り部になりました」

栄子さんは1995年、水俣病資料館の語り部になった。

語り部をしている栄子さんの映像がふんだんに使われているのが、西山正啓監督の2014年の映画『のさり』だ。

西山監督いわく、栄子さんは、「水俣病の過去・現在・未来」の全てを体験した人だという。
そして、栄子さんの語りのなかには、その全てがあるという。
映画は、そこを描きたかったそうだ。

「闘いも争いもなくすためにはどうすればいいのか」と、資料館で発言された栄子さんは、
自身が経験した水俣病の過去と現在を語り、さらに、未来の水俣はこうあってほしいね、と話していたと思えてならない。

栄子さんが経験した水俣病の過去には、水俣病で奪われてしまった日常生活。
拒絶された人間関係と、人様からの残酷な仕打ちがある。
これは、栄子さんたちがチッソを被告にした裁判に参加することで、さらに激化した。

裁判原告になったのは、29世帯。
この時期、原告家族は隠れるようにして生活をしなければならないほど、世間から忌避されていた。
当時の栄子さんたち原告家族の苦しみを見落としてしまえば、栄子さんの言葉の重みも、水俣病事件が教えてくれる教訓も、その意味合いが変わってしまう。
この時期、栄子さんたちが耐え抜いた人様からの残酷な仕打ち。
このことを考えずして、水俣病事件は語れないのではないか、と私は思う。

映画では、語りに加えて、栄子さんが小学生に「2001水俣ハイヤ節」を教えるシーンがでてくる。
子どもたちの前で踊ってみせる栄子さんは実に、いきいきとしている。
もし「2001水俣ハイヤ節」が、百年後の水俣でも踊り継がれていれば、こどもたちは踊りがつくられた理由を考えてくれるかもしれない。そして、自分たちが住んでいる町に、水俣病事件があったことを知ることになるかもしれない。
栄子さんは水俣病の歴史を「芸能」で残したいと考えていた。

栄子さんにとって、ハイヤ節を子どもたちに教えることは、未来を生きることだったのだろう。

実際、ある水俣の小学校で踊られたハイヤ節の輪には、チッソの子どもと患者の子どもが一緒に踊る姿があったという。

映画のなかでは、はつらつとハイヤ節を踊る栄子さんだが、そのころから体調はよくなかったと西山監督はいう。

2008年、栄子さんは69歳で亡くなった。


今でも毎年、栄子さんの命日にはご縁のあった人たちが集い、栄子さんとの縁(えにし)を語り合う。
今年行われた栄子さんの七回忌では、『のさり』が上映された。
かつて、語ることを禁じられた栄子さんの言葉は、写真がその代わりを果たしたように、
映画『のさり』は、故人となられた栄子さんの代わりとして、多くの人を魅了していくだろう。




写真集「水俣を見た7人の写真家たち」




posted by みの at 00:03 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

水俣病 大石利生さんの意見陳述 #minamata

大石利生さん(水俣病不知火患者会会長)が、5月13日の参議院法務委員会で、
会社法改正におけるチッソ優遇修正案について、参考人として意見陳述されました。

水俣病をめぐる行政の問題点を、わかりやすく話していただいてます。
特に、以下の点がポイントかと。

● 症状が見えにくいため理解されにくい水俣病の症状について

● チッソが子会社売却で得る益売却を、水俣病の補償救済の財源にすると政府は説明していますが、
このとき得られる財源は一時的なものでしかなく、年々減っていくものであること。
大石さんは、政府のやり方では、新しい被害者がでてきた場合、補償救済ができない点を指摘しています。

● 国が決めた、救済の対象となる範囲が現実と乖離しているため、救済されるべき人が取り残されていること。この点が解決しない限り、水俣病は終わらないということ。

法務委員会_大石さん.jpg
参議院インターネット審議中継からキャプチャー

以下、意見陳述の中継を見ながらの、おおまかな文字おこしです。
聞き間違い等あるかもしれませんので、録画映像をあたってください。


会社法改正では、子会社の株売却につき株主総会の特別決議が必要とされている。ところが水俣病の加害企業であるチッソを適応除外する修正案が衆議院で可決された。これに反対する意見を述べます。

加害者はすべての被害者への補償、救済に最後まで責任におうべき。どうして国会が加害企業であるチッソを特別扱いにして優遇するのですか。どうして国会が、公害加害企業チッソの責任逃れを手助けするのですか。水俣病に苦しみつづける私たちは被害者は絶対に納得できません。

水俣病はチッソがメチル水銀ふくむ工場排水を海に垂れ流しておこりました。激しく痙攣(けいれん)して短期間で死亡にいたる劇症型はよく知られているが、現在の被害者は、手先、足先の感覚がいたみ、感じにくいという症状が多く見受けられる。私の場合は38歳で交通事故にあい、ガラスの破片が足の裏から甲までつきぬけたことがありましたが、痛みを感じず、血だらけの足をみるまで怪我に気づかず平気で歩いていた。他にも様々な症状がでる。

現在の水俣病被害者の生活の一つのイメージはこうです。議員の方も考えてください。
朝起きたときから頭が重い。食事は味も臭いもわからない。よくものを落とす。ころぶ。家事も仕事も失敗する。手がふるえる。口がまわらずしゃべりたくない。ひっこみがちになる。少し疲れるとこむらがえりで激痛。夜は耳鳴りで眠れない。やっと眠れたのに、こむらがえりの激痛で起こされ朝まで眠れない。こういうものです。想像できますか。

外から見ただけではわかりにくい被害かもしれません。しかし今の被害者は水俣病に苦しみつづけている。
胎児性患者の坂本しのぶさんは、本当は健康な身体で生きてきたかった。私は苦しみながら生き続けるのに、その加害者であるチッソは免罪されはればれと生き続ける。こんな不条理は絶対に許せないといっている。これは全ての被害者に共通の思い。

修正案の提案者は、被害者救済と水俣病問題の最終解決を妨げてはならないというが、現実を無視するもの。水俣病特措法は、チッソの子会社の株式を売却をして、それを被害者の補償にあてるしくみとなっている。子会社の株式を売ることで一時的にはお金がつくれる。しかし、被害者補償に回せる金額の上限がきまっている今、未救済の被害者が取り残されている。今後、被害者が補償をもとめても資金不足でチッソからの補償をうけられなくなるおそれがある。これでは被害者救済にも、水俣病問題の最終解決にも逆行することになる。驚かれるかもしれないが、公式確認から58年、まだ被害者は多数とりのこされている。水俣病は終わっていない。

平成22年から特措法の受付はじまったが、不当に切り捨てられた人が多い。検診で症状を認めてもらえず切り捨てられた人がいる。配布資料1ページ目の写真をご覧ください。痛みの感覚の検診で、医者からつまようじを強くつきさされて出血した人の写真。わたくしどもが把握しているだけで20件以上はあった。

検診を依頼する医師は、行政が依頼するわけですが、なかには申請者の感覚障害を疑ってかかる医師もいた。感覚の検査では、手先、足先と胸などの体感を比較する。しかしうちの会員である山本さとこさんのケースでは、医師が比較の検査をしなかった。山本さんは元看護師なんで、おかしなことがわかったんですね。人の命と健康を扱う医者が、あんないいかげんな検査をするなんて許せないと怒っています。

次に、半世紀前の資料をだせと行政から無理強いされて出せずに切り捨てられた方もいる。被害者と認められるには、症状にくわえて、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという暴露要件が必要です。行政が一定の地域を対象地域と定め、そこでの居住歴、生活歴があれば、暴露ありとされるしくみです。ところが行政は客観資料を要求する。客観資料とは、住民票、雇用暦、学齢の証明書です。しかし半世紀前の住民票は廃棄されて残っていない場合がある。引っ越しても住民票を移さなかったケースは昔よくあった。

会員の大野よしみさんは、3歳から6歳まで女島という患者多発の漁村で暮らしたが、住民票を移してなかったために非該当となった。大野さんは、当時同居していた親戚の証言を文章でだしたのに認めてもらえなかった。行政は住民票をうすさなかった親を恨めというのですか、と憤慨している。

会員の77歳のIさんは、30〜32年まで水俣の洋服店に住み込みで働いていた。今では店もなく、雇い主の行方もわからず、雇用証明書をだせす非該当になった。
国は私たちを放置していて、今になって60年前の雇用証明をとっていなかった私が悪いというのですかとおっしゃっています。

対象者が多数取り残されていることが明白な地域、特に天草。配布資料3ページ。地図がついているところ。(地図の説明省略)図で斜線をひいたのが、特措法対象地域。天草は、御所浦、龍ヶ岳だけが対象地域。

従来、行政は、対象地域外というだけで水俣病と認めてこなかった。住民も、対象地域外とされれば、自分が水俣病のはずがないと思い込み、ある方は申請しても無駄だとあきらめていた。

しかし平成21年の民間の住民健診では、天草の住民から水俣病の症状が確認された。手先足先の感覚障害は珍しい症状で、汚染のない住民のなかでは100人に一人いるかいないかというレベル。手先、足先の感覚障害を持つ人が多数みられれば、地域ぐるみのメチル水銀汚染が強く疑われる。

その後、天草の対象地域外から、数百名が、ノーモアミナマタ第一次訴訟の原告となり、平成23年の和解で地域外の7割が救済対象に。その後特措法でも、私どもが把握しているだけでも、地域外の会員のうち数百名が救済対象になっている。被害者のいないはずの地域外から、被害者がでたのを他の住民がみて、救済を求める声がさらに広がっている。

水俣病不知火患者会は、被害者の掘り起し、検診を勧めている。ノーモアミナマタ訴訟では、天草の、倉岳(くらたけ)、河内(かわち)、姫野(ひめの)の三地区が中心でしたが、特措法では、楠浦(くすうら)、親和(しんわ)、栖本(すもと)など沿岸地域一体に申請者が広がっている。

対象地域外の地元自治体も対象地域の拡大を求める意見書をだしている。天草の不知火海沿岸で、対象地域外とされている地域の人口はすくなくても3万人以上。天草での救済は始まったばかり。そのほか魚介類が流通した内陸部。山間部、昭和43年以降に生まれた人の救済が本格化しようとしている。

特措法 平成24年7月に間に合わなかった申請者もいる。過去の差別、偏見の影響で、子や孫の就職、結婚の心配から、申請をためらう人がいる。水俣市周辺の市町村を比べると水俣市の割合が低いのも、チッソのおひざ元であるのが影響しているのではないでしょうか。

県外転出者にも情報が届いてません。高度成長経済のとき集団就職で、中学卒業すると東京、大阪方面に集団就職で移住。その人たちが私たちと同じ症状がでてますが、それが水俣病だということわからない。誰も教えてくれないのが現状。

以上のように、未救済の水俣病被害者が多数とりのこされている。被害者救済が終わる見込みない。水俣病は終わっていないのです。

このようななかでチッソを優遇する修正案は絶対に許せない。国はチッソを優遇して、子会社株式売却を手助けすれば、残されている被害者がチッソから補償を受けられなくなる。水俣病問題の最終解決に逆行する。

加害企業チッソを擁護しても、国の賠償責任は消えません。関西訴訟最高裁判決では国の責任は4分の1。しかしチッソがいなくなれば、被害者が賠償うけられなくなれば、国が全額を負担するようになるのではないか。すべての加害者はすべての被害者への補償をまっとうするべき。私たちは闘いつづけます。

posted by みの at 00:58 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月13日

水俣病 5月13日の参議院・法務委員会の感想 #minamata

会社法改正におけるチッソ優遇修正案について話題をしぼり、
5月13日に行われた参院法・務委員会の感想を。

法務委員会_共産にひ議員4e.jpg
(参議院審議会中継サイトの映像をキャプチャーしました)

チッソ優遇修正案を提出した維新の西田議員の言いたいことは、
大切なのは 水俣病特措法を立法した「先生方の努力」(先生方=国会議員)であり、
したがって、「先生方」が熟考された特措法スキーム実行の障害物になるものは取り除いて当然というように聞こえた。
この場合の障害物とは、親会社が子会社株を売却する際、株主の同意を得るという要件。
チッソ以外の会社は、この要件に従うことになるのだが、チッソだけは適用除外にするのが維新の修正案。
よって、チッソは株主の同意なしに子会社株の売却ができるようになる。
チッソが子会社株を売却し、チッソが計画的倒産をすることは、特措法に盛り込まれている。
この加害企業消滅計画が実行されると、チッソが加害責任からフリーになる。
また、どのタイミングで、特措法スキームに書いてある、新規の水俣病患者認定を停止するのか定かでないが、新規認定が停止されると、現在、環境省が熊本県などに委託している患者認定業務もなくなるだろうから、環境省および関係する県も、水俣病の加害責任からフリーになれるという、許しがたい事態になる可能性は大きい。

特措法は成立時から問題が指摘されていたが、自民・公明・民主の賛成で2009年に成立した。
実際に特措法による救済策が開始されると、被害の現状を無視してつくられた救済策なので、切り捨てられる被害者が続出することになった。

そうした現状があるのだから、水俣病被害の救済の終わりは遠い。
だが、チッソが子会社株を売却するには、前提として、水俣病被害者の救済が終了していなければならない。
しかし、チッソと環境省を免責したい人達は、この不都合な現実を無視している。

維新の西田議員と、共産の仁比議員のやりとりを聞いていると
西田議員が修正案を正当化する理由として挙げているのは、特措法立法者である先生方の意志を貫くため、特措法スキームを実行するために限ってであり、そこには、修正案が被害者救済にプラスになる根拠は一切見当たらない。

・・・・・・・・
仁比議員が、具体的な事例をあげて、「こうした事態から、救済が終了したといえると考えられますか」
と質問。

西田議員の回答
「ご指摘の問題はあると思う。しかし、今回の会社法で我が党がだした修正案は、あくまで現行の水俣病特措法のスキームを前提とした修正案。あまり、特措法そのものについての認識について、この場で私が修正案を超えてお答えするのが適切なのかと考えるところ。ご理解を」

 ※「特措法スキームを前提」にした修正案であり、被害の現実は前提にされていないようである。

仁比議員
「政治家としての感想も示せないのか。スキームというが、特措法は、あたうかぎりの救済が目的。あなたががたの提案は、その加害企業チッソの株式譲渡を容易にしようと、ハードルを課さえないものになっているから抗議の対象になっているわけ。(略)
被害者たちが、一方的に国が設定した線引きで切り捨てられていいはずがない。もう一度おたずねする。これで救済が終了したといえると思いますか。それを前提に株式譲渡の要件を議論する場面だと思いますか」

西田議員
「おっしゃるような、問題がおきていることは事実。(生じた問題については)裁判中であるわけで、司法の結論でれば対応されなければと思う。
 特措法制定時の原則、あたう限りの救済から何分ずれるものではない。そういった思いで、修正案は努力のなかで成立された(特措法)立法者の意志とはそぐわないという認識」

仁比議員
「つまり、救済の終了とはおっしゃりはしないわけですか」



昨日(5月12日に)行われた院内集会での被害者団体からのコメントを再度紹介します。

大石利生さん(水俣病不知火患者会 会長)
「会社法改正によるチッソ優遇の修正案は、チッソの責任と役割を免責し、水俣病の幕引きをしようとするもので許されない」

坂本龍虹さん(水俣病被害市民の会 代表)
「会社法でチッソだけ適用除外する件もそうだが、特措法でもチッソは民法や破産法のいくつかの項目で法の適用対象外になっている。なぜチッソだけが適用対象外なのか理解に苦しむ」

谷洋一さん(水俣病被害者互助会 事務局長)
「国はなぜチッソをこれほど擁護し、被害者のためには動かないのか。
 水俣病被害の申し立てが相次ぎ、訴訟も今後行われていく状態。そういう意味では水俣病の解決が見えないなかで、チッソの分社化は進められ、先日の水俣病犠牲者慰霊式では、チッソの社長が子会社の株売却を早く進めたいと発言している。ようするに、水俣病の責任から逃れたいということを平気で発言しているということ。被害者はこうしたことを許せない」

中山裕二さん(水俣病被害者の会全国連絡会 事務局長)
「特措法がこのままいくとチッソは消滅する。チッソが子会社の株を売却すると加害企業がなくなる事態になる。認定患者がチッソと結んでいる補償協定は、1970年代に患者が必死の闘いで勝ち取ったもの。それをないがしろにする行為であり、それが特措法である。
 慰霊式で石原環境大臣が、自分の在任中はチッソが株を売ることはないといったが、私の在任中は消費税をあげないといった総理大臣もいた。同じことなのではないか」

菅一雄さん(ノーモアミナマタ第二次国賠訴訟弁護団)
「今の状況説明を。今国会に会社法改正案が提出されていて、改正案は多義にわたるが、そのうちの一つが、子会社の株式売却時、親会社の株主総会による承認を必要とする改正案。私どもが反対しているのは、この改正案からチッソを除外しようという修正案。修正案は維新の会が議員提案し、衆院で可決、参院にまわされているのが今の状況。
 反対する理由は、特措法にはじまる加害企業免責、水俣病問題の幕引きの一環としての動きだから。
どういうことかというと、特措法の申請が締め切られ(2012年7月末)、いよいよ今夏にも特措法に定められた手続き上、チッソが子会社売却を環境省に伺いたてられる状況。これにより本当に加害企業チッソが水俣病と縁を切ることにつながる。縁が切れれば、チッソは水俣病と無関係に金儲けができる。今、その一歩手前にきている状態で、わざわざチッソに株を売りやすくする修正案をだしている。なぜ加害者の味方を国会がするのか」


20140512チラシ.JPG
(院内集会にて撮影。手前は配布されたチラシ)

参議院の「先生方」はどう、判断するのでしょうか。

追伸:12日の院内集会での被害者団体からの発言と、本日の法務委員会で意見陳述をされた大石利生さんの発言および仁比議員の質疑には、水俣病の補償救済の不条理な線引きの実態、理解されにくい病状の具体例等の話がありました。これらは、特措法の救済制度が根拠なくつくられていること指摘する証言でしたが、会社法改正および修正案の話題と一緒にすると、かなり長文になるかと思い、別の機会に書きたいと思います。
posted by みの at 17:53 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
環境ブログランキングに参加しています。
人気ブログランキングへ
Blog Widget by LinkWithin
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。