2015年03月19日

2015年03月18日のつぶやき
























ここ一・二年、読書量が増えた。
といっても、乱読気味である。
書評で気になったものは、できるだけ手にとってみている。
そのせいか、最近、バラバラに点在していたあれこれが、頭のなかでつながりつつある。
その上で、昔読んだ本を再読すると、新たな解釈が生まれてくる。
楽しい。ワクワクする。そんな体験をしている。

以下の三冊は、新聞の書評で本の存在を知って、素直に、紹介されるがままに読んでみたもの。

考古学崩壊  竹岡俊樹


この本は、石器ねつ造事件をいち早く見抜き、考古学界にそのことを指摘していた竹岡氏によって書かれたもの。ねつ造事件に関わった人達の証言(論文や記事)を引用しながら、ねつ造事件の始りから終わりまでを追ったもの。







ということで、こちらも読んだ。

石の虚塔  上原善広


こちらは、上原善広氏というジャーナリストが、石器ねつ造事件に関わった人たちを訪ねて取材をしつつ、すでに故人となられた人物についても、家族に取材を試みたり、論文や新聞記事を引用している。
考古学が、他の学問と違い、一般の考古学好きな方による石器の発見が、学説を揺るがす影響力を持っていること。相澤忠洋氏の発見と、考古学に情熱を注ぎ続けた人生についての詳細のルポは、その後、第二の相澤を目指そうとねつ造に手を下してしまう藤村新一の心理を理解することを深めてくれる。

実は私個人は、これらの本の存在を知る前から、石器ねつ造事件を早くから指摘していた竹岡氏に関心があった。ネット情報でわかる範囲では、竹岡氏はねつ造を見抜いたにも関わらず、市立大学の講師であり、そこでは考古学は教えていないのである。
本当のことを指摘したばかりに、冷遇されてしまったのだろうか――。
もしそうだとしたら、竹岡氏はどんな気持ちでいるのだろうと、私は気になっていたのだ。

一冊目の『考古学崩壊』(竹岡俊樹)では、そのあたりのことはわからなかったが、
二冊目の『石の虚塔』(上原善広)では、上原氏が、そのあたりの竹岡氏の気持ちを聞いている。

私はその下りを読んで、すっきりした。
竹岡氏は、今のポジションを、自ら選んだのだとわかったからだ。
そして、著書を通じて、日本の考古学研究における課題などを、一般読者に向かって、発信していくことを、選んで実践しているということ。

そうして出版された本を、この時期私は、手にとったのだった。

竹岡氏のこの本もよかった。

石器・天皇・サブカルチャー   竹岡俊樹


日本の古来の風習を紐解きながら、日本人の世界観を分析。
日本人が「この世」と「あの世」をどのように理解し、二つの世界を行き来する人を、どう見ていたのか。

読みながら、別の本を思い出していた。

「空気」の研究  山本七平


まだこの本は十分に読み込めていないが、論理的である世界と、神話的世界との折り合いのつけかたに、なんらかのヒントを、竹岡氏の本はくれるような気がした。

ここからさらにつながりそうなのは、「石牟礼道子の世界」である。



最近読んだのは『石牟礼道子対談集』だが、対談のなかで『苦界浄土』で描かれた世界観について石牟礼氏がこたえているが、その世界観は、竹岡氏の本を読んだ後では、深みが違う気がした。



『椿の海の記』も、対談の話題によくとりあげられていた。

石牟礼さんは、文字というものを知り、文字をつなげて言葉にすれば、自分が見ている世界を再現できると予感する。そして書き始める。
その根底には、自分は何者で、どこから来たのか、という問いがあるとのこと。

竹岡氏の本は、石器を起点に、日本人の世界観の変化を分析しているわけで、石牟礼さんの自分のルーツを探る文学と、重なる点があってもおかしくない。

これは私(わたくし)独自の解釈であるかもしれないが、
乱読が私に新たな世界の地平を見せてくれたのなら、その世界のなかで思いっきり想像することを楽しんでみたいと思っている。




posted by みの at 00:01 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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