2014年10月01日

訃報 「水俣な人」塩田武史さん

写真家、塩田武史さんの訃報を見て驚きました。
今年に入ってからも、手紙や電話でお話しさせていただいたことがあったからです。

朝日新聞(10月1日)の訃報によると、心筋梗塞だったそうです。69歳ともありました。
年齢のことも、ご家族がいらっしゃることも、訃報で知りました。
塩田さんも私も、お互いのプライベートな話には触れることはありませんでした。
水俣病について、水俣の秘境について、ゆるキャラについてなどなど、水俣にまつわる様々なことについて意見交換をさせていただいておりました。

私のようなものにも、決して上から目線で語ることなく、それでいて、人生の先輩として、伝えるべきことはおっしゃってくれる方でした。その言葉の節々から伝わってくる塩田さんのお人柄に、静かに感動しておりました。

そもそも、塩田さんとやりとりが始まったきっかっけは、塩田さんが撮影された写真に写っている「カーターさん」(Anthony Carter)の消息を探しているとお聞きし、そのお手伝いをさせていただければと、私が申し出たことでした。

カーターさんは、1972年にスウェーデンのストックホルムで行われた国連人間環境会議で、日本から参加していた水俣病患者の通訳をされた方です。塩田さんは、このときのカーターさんの通訳に衝撃を受け、当時のことを次のように振り返っていらっしゃいました。

 この人の情熱的な通訳ぶりが私の頭から離れません。世界中の記者が集まった民間フォーラムの記者会見場で、坂本しのぶさん母娘、浜元二徳さん、カネミ油症患者等の通訳を勤めてくれました。浜元さんのトツトツとした言葉とカーターさんの激しい舌鋒(ぜっぽう)のやりとりは静と動となって会場を揺すった。坂本フジエさんもカーターさんの顔を真っ赤にした通訳ぶりに乗せられたのか、お互いの心の昴(たか)ぶりはその極に達していた。英語特有の強弱のアクセントが場内の人々の心を突きさす様が伝わってくる。痛いばかりの拍手が響き渡りました。
 私はこの日を忘れることが出来ません。彼の英語の喋り口が40年たった今でも頭に残っています。
(『季刊 水俣支援東京ニュース』No.63 2012.10.15より抜粋)


「静かで小さい声」で仕事をするのが通訳だと思っていたところ、型破りなカーターさんの姿は、とても強烈だったそうです。

塩田さんによると、カーターさんは、「米国籍の牧師」であり、日本の女性と結婚しているとのこと。ご存命なら80歳くらいではないかともいわれていました。米国で暮らしていたことのある私は、日系アメリカ人コミュニティに知り合いがいます。日本語がわかる牧師であれば、日系コミュニティに知っている人がいるかもしれない思いました。

カーターさんの消息を探す「たずね人」の記事と写真を、米国の新聞に掲載したく、塩田さんに写真掲載の許可などのことで連絡をとらせていただいたのが、2012年の冬だったと思います。これが交流の始まりでした。

たずね人の記事は、ロサンジェルスで発行されている「RAFU SHIMPO」に2013年1月29日に掲載されました。ネットにも同じ記事が掲載され、情報を待ちました。しかし、消息を知っている方からの連絡はありませんでした。

カーターさんは、1973年に行われたマグサイサイ賞表彰式でも通訳をされていたようで、フィリピンにあるマグサイサイ賞財団にも問い合わせてみましたが、「当時のことを知っているスタッフはいない」とのことで、手がかりは途絶えてしまいました。
マグサイサイ賞財団は、1973年にマグサイサイ賞を『苦界浄土』を執筆した石牟礼道子さんに贈っていて、表彰式の通訳を担当したのが、カーターさんらしいのでした。

カーターさんの消息については、国内外、いろいろな方にお聞きしてみましたが、これ、といった情報を得ることはできないまま、今日に至ります。

2013年4月には、塩田さんの写真集『水俣な人』が発売されました。「水俣な人」というのは、水俣に惹かれ、集まった人たちのことで、一つ前の写真集、岩波から出版された『僕が写した愛しい水俣』が患者を中心にしたもだったのに対して、『水俣な人』は、支援者がテーマである写真集です。このなかには、カーターさんの写真も掲載されています。

塩田さんはこの写真集について、「私としては最後の仕事と思い取り組んでいます。前回の‟岩波の本‴は患者中心でしたが、今回は支援者中心です。これで私の‟水俣病”は完結です」とおっしゃっていられましたが、本当にそうなってしまいました。それでも2014年1月27日に熊本地裁で行われた水俣病被害者互助会 第2世代訴訟の結審には行かれていたようで、水俣への思いはずっと持ち続けていらっしゃったことと思います。

『水俣な人』に掲載されている塩田さんが撮影された方々の表情を見て、私は塩田さんにこうお伝えしました。「年をとることについて、“時の流れは残酷だ”、という言葉を聞くことがありますが、『水俣な人』のお顔には、人生を丁寧に生きてこられた歴史が刻まれていると感じました」と。私もそういう年の取り方をしたいと思った次第です。

塩田さんのことは、2007年、水俣市の水俣病資料館で行われた『水俣を見た七人の写真家たち』のパネルトークでお見かけしておりますが、きちんとご挨拶をさせていただく機会もないまま、2012年冬に、手紙と電話でお話しさせていただくご縁をいただいたのでした。
晩年の塩田さんのお顔を拝見することが叶わなかったことが残念です。塩田さんは、まぎれもなく『水俣な人』だったと思います。

合掌。

A.Carter.jpg
塩田さんが撮影されたカーターさんの写真。
モスクワからストックホルムに向かうバスの車中。
前列左は、土本典昭さん、中央に、坂本フジエさんとしのぶさん。右手前がカーターさん。
1972年6月4日 撮影:塩田武史さん

A. Carter in Moscow on a Stockholm-bound bus on June 4, 1972. (Photos by Takeshi Shiota)




posted by みの at 14:18 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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