2015年09月13日

煙突男の最期

7年前になるが、「ミスター・チムニー! 天空百三十尺の男」という芝居についてブログに書いた。

芝居を観に行ったわけではなく、チラシを見て興味を持ったので、覚書としてブログに書いたまでのことだったのだが、最近、再び思い出す機会があった。

それは、『昭和残影』(目黒考二)という本に、「煙突男」として、ミスター・チムニーのことが紹介されていたからだった。

煙突男というのは、1930年(昭和5年)、川崎の冨士瓦斯紡績での労働争議の最中に、煙突のてっぺんまで昇り、「組合の条件を受け入れるまで、絶対に下におりない」と宣言をした男のことである。

煙突での籠城は、六日間で終わった。
その理由は、昭和天皇が乗る列車が、近くを通過するというので、煙突の上から、赤旗でも振られては大変なことになると会社側が考えたからだった。
煙突男の要求を会社は受け入れ、争議は労働者の勝利となった。

それから三年後、煙突男の遺体が、堀から発見された。
警察は溺死者として処理しようとしたが、遺族らの疑念を受けて解剖したところ、他殺と判明した。

この時期、元「煙突男」は、警察にとらわれの身で、釈放されていなかった。
そういう時期に遺体が見つかったことで、遺族らは単なる溺死ではないと疑ったのだった。

『昭和残影』で引用されている、『拷問』(森川哲郎)の一節。↓

このころ、獄内で拷問、虐殺された数は、数えきれないほどで、またそのために発病、瀕死の状態で保釈仮出所はさせられたが、家へ帰る途中、死んだり、帰りついてすぐ死んだりする者も多く、惨憺たるありさまであった




私が7年前にブログに煙突男のことを書いたときには、まだ芝居は上演されていなかったが、今、ネットを見てみると、「ミスター・チムニー! 天空百三十尺の男」のレビューサイトがいくつか見つかる。

同じ関心を寄せる人たちの声に触れて、煙突男の出来事は、さらに私の記憶に深く刻みこまれることになった。
posted by みの at 09:44 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第7回口頭弁論 #minamata

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第7回口頭弁論が東京地裁で行われました。
2015年8月9日の出来事です。




東京地裁803号法廷の見取り図(あいまいです)

        裁判官
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山口弁護士       被告側代理人● ● ●
佐藤英樹さん(原告)    ●    ● ●
              ●    ● ●
              ●    ● 
                   ●
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
       傍聴者16人


原告側が原告と原告代理人の二人なのに対して、
被告側(国と熊本県)は、12人でした。(数えました)


裁判官は、まず、この間に原告側から提出された準備書面を受けて、
今後の裁判の進め方を考える上でと断わってから、被告に質問しました。

被告は、準備書面で提示された内容を受けて、これまでの主張を変えるのかどうか?

最初に被告(国の代理人)は、「国の調査義務はないという主張」でいくと発言。
国は食品衛生法に基づく水俣病の現地調査を行う義務はない、という主張でいくという意味です。
(これまでの主張を変えないということ)

被告の、主張を変えないという発言をうけて、裁判官が、再び被告に質問。

決して、直ちに応答せよといっているわけではない。
従前の立場なのか、あるいは、中身の細かい話になるのか、確認したい時期にきたと述べました。

裁判官から二回、同じ内容の質問を受けたこともあってか、
被告席の代理人同志が耳うちして、

「でしたら、こちらで整理して、明らかにした準備書面を…」

準備書面を出すといった回答をしました。

一回目は、主張は変わらずと、強硬姿勢を見せたものの
二回目は、準備書面を出すと。
原告の提出した書面をうけて、被告側は、何らかの文章を作成することになりました。

その書類を提出する期日の調整が行われて、

次回の法廷は、11月4日(水)午前11時

になりました。


弁護団によると、今日の法廷で行われたことは、以下の通り。

原告側は、水俣病の現地調査をしないことによる被害の実態を準備書面で提出している。
被告側は、食品衛生法のいうところの調査は、国の施策のために行う調査であり、被害者のために行う調査ではないから、被害者は裁判を起こすことができないと主張。(つまり、被害者は、このような調査を求める裁判を起こすことができないと主張している)

双方の主張がかみあっていない状態。
裁判官は、この間、原告側が提出した準備書面を読んで(もちろん被告側も読んでいる)、被告の立場はどうなのか(準備書面を読んで変化があるのか、ないのか)表明してほしいと。それが、法廷での質問になった。


ということです。

裁判ですから、双方の主張がかみ合わないのはわかるのですが、
この裁判では、原告は現地調査を求めて裁判を起こしたのに対して、
被告は、そもそも、原告(被害者)はこの種類の裁判はおこせない、と主張しているのです。


次回の法廷は、11月4日(水)午前11時です。
posted by みの at 00:18 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

「戦争は最大の公害」「戦争法案」に反対! 

「戦争は最大の公害」「戦争法案」に反対! 
さまざまな公害被害者・支援者が、国会の議員会館で記者会見を行いました。
2015年9月8日のことです。




20150908大石さん.jpg
「公害・環境問題にかかわってきた私たちは、『戦争法案」に反対し、即時廃案を求めます」
という決意表明を読み上げる、大石利生さん(水俣病不知火患者会会長)。

20150908中杉さん.jpg
中杉喜代司さん(全国公害弁護団連絡会議幹事長)
戦争は最大の公害である端的な例として、横田基地の騒音問題を紹介。

横田基地について裁判では、基地の撤去、九条違反といった主張はせず、騒音被害者ということで原告を集めたとのこと。(注:新横田基地公害訴訟のことと思われる)

「平和」のためには、全てにおいて基地(軍事)が優先するという意見を退けて、
高裁判決では、軍事は、経済や文化と比べて優先されるものではないとされ、被害は賠償しなくてはならないという判決に。

この裁判の証人だったのが、元防衛庁防衛研修所第一研究室長だった前田寿夫先生という方だったそうで、前田氏の主張は、

「軍事は下(げ)の下(げ)。国の平和というのは、何も軍事だけでもっているものではない。外国との経済、すべての経済や文化交流といった相互交流のなかで平和は保たれている」

というものだったそうです。

「前田先生は自衛隊の研修所の方ですので、軍隊は不要とはいわれなかったが、最低限の軍事をもっていればいいという話だった。その考えを裁判所がくみとった。判決には、軍事だけが優先されるものではないこと、それが日本国憲法の精神であるとまで書かれている。私どもの(裁判)請求には、憲法のけの字も入っていなかったが、裁判所は、憲法の精神だといってくれた」

戦争法案阻止は、公害弁護士の共通の思い、と発言を締めくくりました。

20150908谷さん.jpg
水俣病の問題にかかわりながら、ベトナム戦争の反戦運動にもかかわってきた谷洋一さん(水俣病被害者互助会事務局)。
1987年から故原田正純医師と、ベトナムの枯葉剤の被害調査を開始。
「まさにこれは戦争による最大の環境破壊であり公害」であると述べ、
人の命を奪う戦争という行為が、世界の現在の秩序であるのなら、それを拒否し、憲法9条を掲げて、平和の道をつくっていくのが使命と訴えました。


この日、東京地裁で水俣病関係の裁判を傍聴者約20人が、裁判所から国会まで、戦争反対のプラカードを持って移動してきたという報告もありました。







東京地裁から国会までの道のりの途中には、脱原発テント(経済産業省前)があります。
ここでテントにいらしゃった方に一言かけて、国会をめざしました。
posted by みの at 22:14 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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