2014年08月11日

2014年08月10日のつぶやき



















東京新聞で、トリッパーに掲載の、辻村深月さんの「早穂とゆかり」が取り上げられていたので読んでみました。〈特集〉“いじめ”をめぐる物語として書かれた本作品の主人公は雑誌のライター。マスコミから脚光を浴びるようになったかつての同級生を、このライターが取材に行くという話。
同級生は、いじめられていた過去を持っている。
大人になり、学校というしがらみから自由になった今、いじめられていた同級生と、いじめる側にいたライターが再会する――。

永江 朗さんの「科学とジャーナリズムをめぐる10冊」もよかった。
紹介されていた本を読んでみようと思う。

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2014年08月10日

2014年08月09日のつぶやき








































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2014年08月09日

2014年08月08日のつぶやき










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2014年08月08日

2014年08月07日のつぶやき










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2014年08月07日

2014年08月06日のつぶやき












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2014年08月06日

2014年08月05日のつぶやき


























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2014年08月05日

水俣病 食中毒調査義務付け訴訟 第一回 口頭弁論 #minamata

水俣病・食中毒調査義務付け訴訟の口頭弁論が、2014年8月1日、東京地裁で行われました。

水俣病が食中毒であることによる住民調査の義務付けを求める訴訟です。

原告は、水俣市在住の佐藤英樹さん。
被告は、国と熊本県。
食品衛生法に基づく調査の義務付けを争う裁判であり、被告の「国」とは、具体的には処分行政庁の厚生労働省を指します。


裁判所合同庁舎(東京・霞が関).jpg
裁判所合同庁舎(東京・霞が関)

東京地裁に向かう弁護団.JPG
東京地裁に向かう弁護団

10時30分から始まった食中毒調査義務付け訴訟の第一回口頭弁論は、約15分ほどで、あっという間に終わってしまった印象でした。

原告側は、食品衛生法に基づく調査の実施と報告、これら調査をこれまで行ってこなかった責任の追及、調査が行われなかったことで損害を受けている原告への損害賠償を求めています。

被告側は、原告にはこうした要求をする権利は認められていない、訴訟要件を欠いているため不適法だと主張し、請求の却下を求めています。

法廷で、原告側代理人の山口紀洋弁護士が述べたのは4点でした。

1) 陳述時間について
報道に与えられた法定撮影時間は2分。山口弁護士に与えられた陳述時間は5分。(15分欲しいとお願いしていた)短すぎると主張。

2) 水俣病の経過
政府公式確認から58年目の水俣病。ところが2012年7月に申請を締め切った特措法には、約6万5千人が申請していることから明らかなように、長年、被害者は放置されてきた。
2013年4月16日の溝口訴訟、Fさん訴訟についての最高裁判決について。溝口チエさんは、認定申請から42年かかって患者と認定された。最高裁判決は、52年判断条件を否定。本来なら、(国・環境省は)52年判断条件を撤回し、新しい基準をつくるべき。ところが、環境省は2014年3月に、根拠なしにつくった「新通知」を出すことで、最高裁が否定した52年判断条件を維持している。また、これまでに国が水俣病の認定を棄却したケースについては、見直しをしないといっている。

3) 水俣病 不正/解決しない原因
当初から、被害者の調査をせず、また、今日にいたるまで、調査を行うことを否定してきた行政の姿勢が原因。これは許されることではない。

以下は、法廷での発言ではありませんが、食品衛生法に基づく調査義務付け訴訟を始めるきかっけの一つは、環境省特殊疾病対策室室長だった大坪寛子氏(現在の小林秀幸室長の前任者)が、患者や弁護団から、国はなぜ水俣病の調査をしないのかと理由を問われた際、公式確認以来57年間、「調査の手法について調査してきた」と回答したことだったそうです。
このやり取りが行われた現場に筆者もいましたが、この回答に唖然としてしまいました。

なお、このときの環境省とのやりとりについては、溝口訴訟弁護団のホームページに掲載の、環境省への申し入れ書(2013/4/26)で読むことができます。(以下引用)


  
水俣病公式確認から56年以上を経た今日において、認定をめぐる行政の不法がなされて来た根本原因は、環境省および熊本県が不知火海沿岸往民の健康披害に係る悉皆調査を実施しないことにあります。
 すでに、2004年10月の関西訴訟最高裁判決の直後に、当時の潮谷県知事が、環境省に対し、八代海地域に居往歴がある者47万人を対象とした網羅的な悉皆調査を提案しているのです。
 さらに、この問題に関して、前環境省特殊疾病対策室室長大坪寛子氏は、調査方法を57年間検討中である、などという明らかに虚偽違法の発言を続けていま した。調査方法については、通称・重松委員会の「水俣病に関する総合的調査千法の開発に関する研究」をはじめ、これまで環境省委託で行われてきた様々な研 究が、調査手法を提言しているにもかかわらず、いまだに実施に移されず、それどころか、調査手法自体決められないというのは極めて異常な事態です。


4) 被告の答弁について

被告の反論は、技術的な部分に限定されている。
原告の佐藤英樹さんと同時期に発生した患者を含め、水俣保健所長と天草保健所長は県知事に報告をし、県知事は厚生労働大臣に報告。大臣は食品衛生法に基づき、県知事に調査を求めるべきだった。この手続がとられていれば、佐藤英樹さんは食品衛生法に基づく調査で患者と認められたはず。


第一回口頭弁論のより正確な報告は、溝口訴訟弁護団のサイト に掲載されると思います。
同サイトには、訴状の概要が掲載されています。

<訴状の概要>
 訴状では、公式確認から6か月後の1956年11月には、水俣病は魚介類による食中毒であることが判明していたこと。そして、当時既にこのような大規模な集団食中毒に対する行政対応や実態把握の方法(すなわち食品衛生法に基づく住民食中毒調査)が、関係行政機関の義務として法定されていたことを指摘しています。
 また、水俣病の実態把握(病像やメチル水銀の汚染範囲)をしなければ、適切な施策ができないことは自明であり、現に1991年の中央公害対策審議会答申や、2004年の熊本県の八代海沿岸住民調査の提案など、行政側からも住民調査の必要性が説かれてきたことを列挙しています。
 しかし、水俣病ではこの当たり前の対応がなされず、代わりに作られた本人申請主義と認定制度は、実態把握からは遠のき、事態を混乱させるだけだったことを明らかにしました。
 何の医学的・科学的根拠を持たない「S52年判断条件」によって、水俣病の病像がねじ曲げられ、さらに本人申請主義では、家族や地域の事情のため申請することが困難であり、患者として名乗り出たくてもできない状況があることを指摘しています。
 その結果、公式確認から58年を経た現在に至っても、水俣病は解決するどころか、民間の調査によって新たな患者や汚染地域の拡大が確認され続けている事実を指摘しました。
 水俣病は、食品衛生法の目的である「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もって国民の健康の保護を図る」が未だ履行されていない現在進行形の事件であり、直ちに適切な対応施策をとならなければ、不知火海沿岸住民が今後も回復困難な損害を被ることを訴えました。




今回、原告の佐藤さんは上京できなかったので、法廷で原告サイドに立ったのは、山口紀洋弁護士一人。対する被告側には、国や県の代理人が15人もいるという、圧倒的な差を見せつけられました。(筆者は13人までしか確認できませんでしたが)

傍聴席は報道関係者も含めて30人くらいが確認できました。

報告集会.JPG
口頭弁論の後、弁護士会館で報告集会が行われました。

「一人ひとりが、(水俣病事件解決にかかわる)波の一波だと実感してほしい」と語る山口弁護士。
「それを実感する日が、人生のなかで一日でもあったことが嬉しい」とも。

私のようなものが、傍聴席に座っていることが何になるんだろうと、考えないわけではなく、自分の無力さを常に感じているからこそ、山口弁護士のこの言葉に胸をうたれました。裁判の傍聴に行くことも、波の一波なのだと、気づかせていただきました。

そして、半世紀以上の水俣病事件史を振り返ってみると、
40年前の1974年8月1日は、水俣病認定申請患者協議会が発足した日であり、溝口チエさんが熊本県に水俣病の申請をした日でもあります。(申請から21年後に行政はチエさんを棄却。(←放置しすぎ!)2013年に最高裁はチエさんを水俣病と認定しました)

溝口チエさんは申請から3年後の1977年に死亡。チエさんの水俣病患者認定は、チエさんが亡くなってからのことだったのです。
溝口訴訟にかかわってこられた支援者の方も、この間、亡くなられています。

新聞が、全ての水俣病患者の訃報を取り上げるわけではありません。
この間、人知れず、ひっそりと亡くなられていった水俣病患者の方がいらっしゃいます。
ご自分で主張できる人もいれば、水俣病で言葉を失われた人もいます。
言いたいことを言えないまま、息を引き取られていった方々…
そうした方々に寄り添い続けている方…

いくつもの一波が積み重なって今日に至っているわけです。

水俣病の食中毒調査義務付け訴訟をするべきだと主張してきた津田敏秀岡山大学教授は、疫学の研究者として「同時代性の責務」を感じていると、山口弁護士から紹介がありました。
この時代に生きている疫学者としての責務、というわけです。

この裁判の続きは、10月24日(金)11時に開廷とのことです。

なお、この日、「チッソの逃亡を許さないアピール」が、チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員から、環境省の長谷川特殊疾病対策室長補佐に手渡しされたとのことです。
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2014年08月04日のつぶやき














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2014年08月04日

2014年08月03日のつぶやき
























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2014年08月03日

2014年08月02日のつぶやき













絶望の裁判所 瀬木比呂志

東京新聞掲載のレビューを見て、読んでみた一冊。
思っていた以上に辛口。
衝撃の一つは、裁判員制度導入の背景に、刑事裁判官たちの権力拡大の狙いがあったとは。
読んでみて損はない一冊だと思います。
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2014年08月02日

2014年08月01日のつぶやき
















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2014年08月01日

2014年07月31日のつぶやき










































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