2014年05月31日

2014年05月30日のつぶやき





写真でみる日本生活図引 須藤功

もう販売されていないかもしれませんが、図書館にはきっとあります!
昭和30年代の写真でみる当時の「まち」の様子。(7巻は「まち」にフォーカス)
かつて東京には、船の上で生活をする人々がいたのです。
写真を見たのは初めてでした。
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2014年05月30日

2014年05月29日のつぶやき


























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2014年05月29日

2014年05月28日のつぶやき



























恋歌 朝井まかて

この小説を書くにあたって、参考にされた書籍一覧が巻末に載ってました。
当たり前のことですが、著者はこれらの書籍を読んで、「恋歌」を書かれたのですけど、
これだけの参考文献を読んで、頭のなかに「恋歌」の世界を構築していったんだな、という、あたりまえの(苦笑)ことを想像して、その世界にどっぷり浸かっていらっしゃっただろう著者が羨ましくなりました。

「恋歌」にでてくる和歌の一つです。
君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ   中島歌子
(恋することを教えたのはあなたなのだから、どうかお願いです。忘れ方も教えてください。)

Please teach me how to forget, Because you taught me love.
という英訳は、
http://azumi-kou.tumblr.com/post/74499406067
このサイトで見つけました。

染み入ります。
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2014年05月28日

2014年05月27日のつぶやき






























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2014年05月27日

奪われた言葉の代わりに、写真が水俣病を伝えてくれた #minamata

もう7年も前のことになるが、2007年に水俣病資料館で「水俣を見た7人の写真家たち展」が行われ、7人の写真家によるシンポジウムが行われた。

それほど広くない会場に、たくさんの人が話を聞きに来ていた。
そのなかに水俣病患者の杉本栄子さんの姿もあった。

シンポジウム後の質疑の時間に、栄子さんは手をあげて発言をされた。
その発言を聞いて私は、強い衝撃を受けた。

栄子さんの発言に、身も心もつかまれてしまったような一撃を忘れることはできない。

あのとき栄子さんは、水俣を撮影してきた写真家たちに感謝の言葉を述べていた。

水俣病が「水俣病」と呼ばれる以前、「奇病」と呼ばれ、伝染病だと思われていた1950〜60年代、栄子さん一家は、家族同然の付き合いをしていた親戚や近所の人たちから、徹底的に村八分にされた。

家族の身におきた病気について口にすることを、世間は許さなかった。
言葉を奪われた栄子さんは、「おはようございます」と挨拶することも許されなかったという。

桑原史成さんをはじめとする写真家たちが水俣で撮影を始め、雑誌などに発表されると、世間の関心が水俣病に注がれるようになった。

栄子さんに代わって、写真が、水俣で今、何が起こっているのか伝えてくれたというのだった。

「水俣へ来られた写真家の皆さんが、言葉を発することの許されない私たちの代わりに、写真で水俣を伝えてくれた。だからこそ、今がある」

「私は感謝しています。もの言えなかった私たちが、言えるようになったっです。それはみなさんの写真のおかげです」


20070430杉本栄子.JPG
2007年4月撮影 水俣病資料館にて 発言する杉本栄子さん。

杉本栄子さん

1938年生まれ。漁師の家に生まれる。
3歳から父に漁を教えてもらう。
1959年、母が水俣病で入院。杉本家に対する差別が始まる。
    結婚。栄子も発病。
1969年、父が水俣病で亡くなる。
1969年、水俣病の原因企業チッソに賠償を求める裁判の原告になる。
   (熊本水俣病第一次訴訟)
1973年、第一訴訟勝訴
1974年、栄子 水俣病患者認定
1981年 夫 水俣病患者認定

2008年2月28日、永眠




「闘いを教える人も全国から来てくださる。写真家も全国から来てくださる。このことが世界につながった。
 でも、この人たちに頼とっていいのか。俺たちゃ、ここで死なんばならないとやろが、闘いも争いもなくすためにはどうすればいいのか。
 ものを言えない、標準語も言えない、漁師である私が(資料館の)語りにならせていただいたってことは、水俣のことは水俣んもんじゃなからんば解決しならんとじゃなかっただろうか。
 私は考えました。だから、標準語も、やっとやっと、ちった言えるごっなりましたばってん、語り部になりました」

栄子さんは1995年、水俣病資料館の語り部になった。

語り部をしている栄子さんの映像がふんだんに使われているのが、西山正啓監督の2014年の映画『のさり』だ。

西山監督いわく、栄子さんは、「水俣病の過去・現在・未来」の全てを体験した人だという。
そして、栄子さんの語りのなかには、その全てがあるという。
映画は、そこを描きたかったそうだ。

「闘いも争いもなくすためにはどうすればいいのか」と、資料館で発言された栄子さんは、
自身が経験した水俣病の過去と現在を語り、さらに、未来の水俣はこうあってほしいね、と話していたと思えてならない。

栄子さんが経験した水俣病の過去には、水俣病で奪われてしまった日常生活。
拒絶された人間関係と、人様からの残酷な仕打ちがある。
これは、栄子さんたちがチッソを被告にした裁判に参加することで、さらに激化した。

裁判原告になったのは、29世帯。
この時期、原告家族は隠れるようにして生活をしなければならないほど、世間から忌避されていた。
当時の栄子さんたち原告家族の苦しみを見落としてしまえば、栄子さんの言葉の重みも、水俣病事件が教えてくれる教訓も、その意味合いが変わってしまう。
この時期、栄子さんたちが耐え抜いた人様からの残酷な仕打ち。
このことを考えずして、水俣病事件は語れないのではないか、と私は思う。

映画では、語りに加えて、栄子さんが小学生に「2001水俣ハイヤ節」を教えるシーンがでてくる。
子どもたちの前で踊ってみせる栄子さんは実に、いきいきとしている。
もし「2001水俣ハイヤ節」が、百年後の水俣でも踊り継がれていれば、こどもたちは踊りがつくられた理由を考えてくれるかもしれない。そして、自分たちが住んでいる町に、水俣病事件があったことを知ることになるかもしれない。
栄子さんは水俣病の歴史を「芸能」で残したいと考えていた。

栄子さんにとって、ハイヤ節を子どもたちに教えることは、未来を生きることだったのだろう。

実際、ある水俣の小学校で踊られたハイヤ節の輪には、チッソの子どもと患者の子どもが一緒に踊る姿があったという。

映画のなかでは、はつらつとハイヤ節を踊る栄子さんだが、そのころから体調はよくなかったと西山監督はいう。

2008年、栄子さんは69歳で亡くなった。


今でも毎年、栄子さんの命日にはご縁のあった人たちが集い、栄子さんとの縁(えにし)を語り合う。
今年行われた栄子さんの七回忌では、『のさり』が上映された。
かつて、語ることを禁じられた栄子さんの言葉は、写真がその代わりを果たしたように、
映画『のさり』は、故人となられた栄子さんの代わりとして、多くの人を魅了していくだろう。




写真集「水俣を見た7人の写真家たち」




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2014年05月26日のつぶやき
































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2014年05月26日

2014年05月25日のつぶやき




































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2014年05月25日

2014年05月24日のつぶやき





























真実 新聞が警察に跪いた日 高田昌幸
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2014年05月24日

2014年05月23日のつぶやき
















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2014年05月23日

2014年05月22日のつぶやき




































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2014年05月22日

2014年05月21日のつぶやき






























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2014年05月21日

2014年05月20日のつぶやき


























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2014年05月20日

2014年05月19日のつぶやき






























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2014年05月19日

2014年05月18日のつぶやき




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2014年05月18日

2014年05月17日のつぶやき


























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2014年05月17日

2014年05月16日のつぶやき


























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2014年05月16日

2014年05月15日のつぶやき





























市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像  佐々木実

本のタイトルだけ読むと誰のことを書いている本かわかりませんが、竹中平蔵氏のことを書いています。
そしてこの本は、第45回大宅壮一ノンフィクション賞書籍部門を受賞しています。
ちょうどこの本を読み終えた日、安倍首相が集団的自衛権容認に踏み出す趣旨の会見を行い、日本の未来に対して、暗澹たる気持ちになりました。

原発ユートピア日本  早川タダノリ

楽天で売り切れの店舗多いですね。
原爆投下後の日本で、「原子力平和利用展覧会」が広島を含む各地で行われたことなどを書籍で読んできましたが、そうした原子力を称賛する出来事を写真付きで紹介しています。
芸能人が原発を推進する広告に登場している写真もあります。

ちなみに、電気事業連合会の雑誌『Enelog』は、ネットでも読めまして、
コメントを寄せている有名人がいることもがわかります。
http://www.fepc.or.jp/enelog/ 
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2014年05月15日

2014年05月14日のつぶやき




























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2014年05月14日

水俣病 大石利生さんの意見陳述 #minamata

大石利生さん(水俣病不知火患者会会長)が、5月13日の参議院法務委員会で、
会社法改正におけるチッソ優遇修正案について、参考人として意見陳述されました。

水俣病をめぐる行政の問題点を、わかりやすく話していただいてます。
特に、以下の点がポイントかと。

● 症状が見えにくいため理解されにくい水俣病の症状について

● チッソが子会社売却で得る益売却を、水俣病の補償救済の財源にすると政府は説明していますが、
このとき得られる財源は一時的なものでしかなく、年々減っていくものであること。
大石さんは、政府のやり方では、新しい被害者がでてきた場合、補償救済ができない点を指摘しています。

● 国が決めた、救済の対象となる範囲が現実と乖離しているため、救済されるべき人が取り残されていること。この点が解決しない限り、水俣病は終わらないということ。

法務委員会_大石さん.jpg
参議院インターネット審議中継からキャプチャー

以下、意見陳述の中継を見ながらの、おおまかな文字おこしです。
聞き間違い等あるかもしれませんので、録画映像をあたってください。


会社法改正では、子会社の株売却につき株主総会の特別決議が必要とされている。ところが水俣病の加害企業であるチッソを適応除外する修正案が衆議院で可決された。これに反対する意見を述べます。

加害者はすべての被害者への補償、救済に最後まで責任におうべき。どうして国会が加害企業であるチッソを特別扱いにして優遇するのですか。どうして国会が、公害加害企業チッソの責任逃れを手助けするのですか。水俣病に苦しみつづける私たちは被害者は絶対に納得できません。

水俣病はチッソがメチル水銀ふくむ工場排水を海に垂れ流しておこりました。激しく痙攣(けいれん)して短期間で死亡にいたる劇症型はよく知られているが、現在の被害者は、手先、足先の感覚がいたみ、感じにくいという症状が多く見受けられる。私の場合は38歳で交通事故にあい、ガラスの破片が足の裏から甲までつきぬけたことがありましたが、痛みを感じず、血だらけの足をみるまで怪我に気づかず平気で歩いていた。他にも様々な症状がでる。

現在の水俣病被害者の生活の一つのイメージはこうです。議員の方も考えてください。
朝起きたときから頭が重い。食事は味も臭いもわからない。よくものを落とす。ころぶ。家事も仕事も失敗する。手がふるえる。口がまわらずしゃべりたくない。ひっこみがちになる。少し疲れるとこむらがえりで激痛。夜は耳鳴りで眠れない。やっと眠れたのに、こむらがえりの激痛で起こされ朝まで眠れない。こういうものです。想像できますか。

外から見ただけではわかりにくい被害かもしれません。しかし今の被害者は水俣病に苦しみつづけている。
胎児性患者の坂本しのぶさんは、本当は健康な身体で生きてきたかった。私は苦しみながら生き続けるのに、その加害者であるチッソは免罪されはればれと生き続ける。こんな不条理は絶対に許せないといっている。これは全ての被害者に共通の思い。

修正案の提案者は、被害者救済と水俣病問題の最終解決を妨げてはならないというが、現実を無視するもの。水俣病特措法は、チッソの子会社の株式を売却をして、それを被害者の補償にあてるしくみとなっている。子会社の株式を売ることで一時的にはお金がつくれる。しかし、被害者補償に回せる金額の上限がきまっている今、未救済の被害者が取り残されている。今後、被害者が補償をもとめても資金不足でチッソからの補償をうけられなくなるおそれがある。これでは被害者救済にも、水俣病問題の最終解決にも逆行することになる。驚かれるかもしれないが、公式確認から58年、まだ被害者は多数とりのこされている。水俣病は終わっていない。

平成22年から特措法の受付はじまったが、不当に切り捨てられた人が多い。検診で症状を認めてもらえず切り捨てられた人がいる。配布資料1ページ目の写真をご覧ください。痛みの感覚の検診で、医者からつまようじを強くつきさされて出血した人の写真。わたくしどもが把握しているだけで20件以上はあった。

検診を依頼する医師は、行政が依頼するわけですが、なかには申請者の感覚障害を疑ってかかる医師もいた。感覚の検査では、手先、足先と胸などの体感を比較する。しかしうちの会員である山本さとこさんのケースでは、医師が比較の検査をしなかった。山本さんは元看護師なんで、おかしなことがわかったんですね。人の命と健康を扱う医者が、あんないいかげんな検査をするなんて許せないと怒っています。

次に、半世紀前の資料をだせと行政から無理強いされて出せずに切り捨てられた方もいる。被害者と認められるには、症状にくわえて、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという暴露要件が必要です。行政が一定の地域を対象地域と定め、そこでの居住歴、生活歴があれば、暴露ありとされるしくみです。ところが行政は客観資料を要求する。客観資料とは、住民票、雇用暦、学齢の証明書です。しかし半世紀前の住民票は廃棄されて残っていない場合がある。引っ越しても住民票を移さなかったケースは昔よくあった。

会員の大野よしみさんは、3歳から6歳まで女島という患者多発の漁村で暮らしたが、住民票を移してなかったために非該当となった。大野さんは、当時同居していた親戚の証言を文章でだしたのに認めてもらえなかった。行政は住民票をうすさなかった親を恨めというのですか、と憤慨している。

会員の77歳のIさんは、30〜32年まで水俣の洋服店に住み込みで働いていた。今では店もなく、雇い主の行方もわからず、雇用証明書をだせす非該当になった。
国は私たちを放置していて、今になって60年前の雇用証明をとっていなかった私が悪いというのですかとおっしゃっています。

対象者が多数取り残されていることが明白な地域、特に天草。配布資料3ページ。地図がついているところ。(地図の説明省略)図で斜線をひいたのが、特措法対象地域。天草は、御所浦、龍ヶ岳だけが対象地域。

従来、行政は、対象地域外というだけで水俣病と認めてこなかった。住民も、対象地域外とされれば、自分が水俣病のはずがないと思い込み、ある方は申請しても無駄だとあきらめていた。

しかし平成21年の民間の住民健診では、天草の住民から水俣病の症状が確認された。手先足先の感覚障害は珍しい症状で、汚染のない住民のなかでは100人に一人いるかいないかというレベル。手先、足先の感覚障害を持つ人が多数みられれば、地域ぐるみのメチル水銀汚染が強く疑われる。

その後、天草の対象地域外から、数百名が、ノーモアミナマタ第一次訴訟の原告となり、平成23年の和解で地域外の7割が救済対象に。その後特措法でも、私どもが把握しているだけでも、地域外の会員のうち数百名が救済対象になっている。被害者のいないはずの地域外から、被害者がでたのを他の住民がみて、救済を求める声がさらに広がっている。

水俣病不知火患者会は、被害者の掘り起し、検診を勧めている。ノーモアミナマタ訴訟では、天草の、倉岳(くらたけ)、河内(かわち)、姫野(ひめの)の三地区が中心でしたが、特措法では、楠浦(くすうら)、親和(しんわ)、栖本(すもと)など沿岸地域一体に申請者が広がっている。

対象地域外の地元自治体も対象地域の拡大を求める意見書をだしている。天草の不知火海沿岸で、対象地域外とされている地域の人口はすくなくても3万人以上。天草での救済は始まったばかり。そのほか魚介類が流通した内陸部。山間部、昭和43年以降に生まれた人の救済が本格化しようとしている。

特措法 平成24年7月に間に合わなかった申請者もいる。過去の差別、偏見の影響で、子や孫の就職、結婚の心配から、申請をためらう人がいる。水俣市周辺の市町村を比べると水俣市の割合が低いのも、チッソのおひざ元であるのが影響しているのではないでしょうか。

県外転出者にも情報が届いてません。高度成長経済のとき集団就職で、中学卒業すると東京、大阪方面に集団就職で移住。その人たちが私たちと同じ症状がでてますが、それが水俣病だということわからない。誰も教えてくれないのが現状。

以上のように、未救済の水俣病被害者が多数とりのこされている。被害者救済が終わる見込みない。水俣病は終わっていないのです。

このようななかでチッソを優遇する修正案は絶対に許せない。国はチッソを優遇して、子会社株式売却を手助けすれば、残されている被害者がチッソから補償を受けられなくなる。水俣病問題の最終解決に逆行する。

加害企業チッソを擁護しても、国の賠償責任は消えません。関西訴訟最高裁判決では国の責任は4分の1。しかしチッソがいなくなれば、被害者が賠償うけられなくなれば、国が全額を負担するようになるのではないか。すべての加害者はすべての被害者への補償をまっとうするべき。私たちは闘いつづけます。

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2014年05月13日のつぶやき
















































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