2014年04月17日

土門拳賞授賞式 水俣を撮り続けた桑原史成さんに #minamata #水俣病

第33回土門拳賞授賞式に行ってきました。2014年4月16日のことです。

20140416桑原さん.JPG
受賞された桑原史成さん(写真)です。
トロフィーと、受賞作品の一つ、写真集『水俣事件』を手にされています。
(正確には受賞作は、写真展『不知火海』と写真集『水俣事件』)

2012年の冬だったか、東京の大江戸線で、偶然、桑原さんにお会いしたことがあります。
そのときに桑原さんが、藤原書店から写真集を出す話があるんだと嬉しそうに話してくれました。その写真集が、今回の土門拳賞受賞作品となった『水俣事件』です。

トロフィーや賞状授与の後の、歓談の時間、主役の桑原さんは当然のことながらひっぱりだこ。私が話を聞ける機会はないかと思いきや、一瞬だけ、桑原さんと一対一でお話できる機会がありました。

77歳にして新人賞!?
土門拳賞を受賞してのお気持ちは?
「80歳まで現役だとして、77歳にして新人賞をもらったような気がします。サッカーでいう、ロスタイムに一点入ったような。あと3年というロスタイムのなかでね」

水俣病事件を初期から見続けてきたお一人である桑原さん。宇井純さん、原田正純さんが亡くなり、ご存命でいらっしゃるのは石牟礼道子さんと桑原史成さんのお二人になりました。
「その後も、新しい人が入ってきているから、そうした人もいれたらもっと増えますよ」

という話をしている最中、「桑原さん、誰々さんが呼んでます」と声がかかり、私の取材はここで終わりとなりました。

サッカーの試合にご自身の現役人生の残り時間をたとえていらしゃいましたが、桑原さんに原田正純さんが亡くならた際にインタビューさせていただいたのですが、そのときも、「彼は、サッカーの試合でいうと後半戦で力量を発揮した人じゃないか」と話されていらっしゃいました。

そのときの記事はコチラ 
水俣病事件の初期を知る第一世代の同志・桑原史成さん、原田正純さんを語る

桑原さんがいうところの、水俣病を追っている「新しい人」が、桑原さんより後から水俣病を追い続けている人と解釈していいのなら、来賓祝辞を述べられた村上雅道さんは間違いなくそのお一人だと思います。

普通の積み重ねが、桑原さんの言動力
村上雅道さん。3年前まで熊本放送で水俣病をはじめとするドキュメンタリー番組を制作されていた方。世に送り出した水俣関係の番組は13本。今も長崎県立大学の教授の仕事をされながら、水俣についての新作を制作中とのこと。職業が変わっても、水俣を追い続けている一人であります。

スピーチでは、桑原さんと村上さんが出会うきかっけになったドキュメンタリー『記者たちの水俣病』(2000年)作成秘話を聞くことができました。この作品は、メディアが水俣病をどのように報道したのかを検証したといいます。作品のなかで桑原さんには、「大手メディアが水俣病から目をそむけていたときに、真正面から患者と向かい合ったジャーナリスト」として登場してもらったそうです。

20140416村上さん.JPG
「桑原さんと(番組の取材のために)最初に出会ったのが六本木のアマンドの前。待っているときはすごく緊張していた」と語る村上雅道さん。

そのときの村上さんにとって、桑原さんといえば、「チッソ工場内で秘密裏に行われた猫400号実験をスクープしたジャーナリスト」であり、「洞察力のするどい報道写真家」だったそうです。

「だから、待っている間は緊張がピーク。ところが、お会いしている間に印象は変わっていきました。温和な顔、飾りっ気のないしゃべり口。なにより、全てを受け入れてくるおおらかな人間性が、私の緊張をやわらげてくれたんじゃないかと思います」

そして、インタビューを開始すると、村上さんが桑原さんに抱いていた印象がさらに変わったといいます。

「やはり(私は)テレビ屋なんで、非日常的なものを求めるんですね。ところが桑原さんからでてくるのは、普通のことばかり。普通の人が、普通の姿勢で、普通のことを考えた。私の桑原さんへの印象も、普通のおじさんのイメージに変わっていきました」

桑原さんへの取材は三回行われ、六時間ほどお話をうかがったといいます。

「でも、桑原さんの話を聞いていたら、話をうかがうたびに、話の重みが増していく。いつのころからか、桑原さんの世界に引き込まれてしまう。これぞ、普通の積み重ねが、桑原さんの作品の原動力か、と思うようになってきました」

以来、水俣病のドキュメンタリーのみならず、他のテーマのドキュメンタリー番組をつくるたびに、村上さんは桑原さんのことを考えるようになったといい、「ある意味で、制作者としての恩師でもあります」と話しました。

スピーチの最後は、水俣病「公式」確認の日である5月1日について。水俣では毎年、水俣市主催の犠牲者慰霊式が行われています。新作制作中の村上さんは、「桑原さんもこの日は水俣にいらっしゃるんですよね。ぜひ、ジャーナリストとしての真骨頂を見せつけてください」と結びました。


突然のご指名でスピーチをすることになったのは、旗野秀人さん(新潟水俣病安田患者の会世話人)でした。
20140416籏野さん.JPG

冥土連設立宣言を載せてくれて感謝
「突然しゃべろといわれたんですが、決して、褒めるなといわれました。(笑)
そもそもある日(桑原さんから)電話がきて、『旗野さん、僕は土門拳賞もらうことになったんだけど』というので、よかったじゃないですかといったら、『あんた人が死んでいるんだぞ、そんなんでもらっていいのか』というわけです。授賞式の案内状が届くかもしれないけど、わざわざ新潟から来なくていいぞって。でも、来なきゃなんないじゃないですか」

「うれしかったのは、今回の写真集『水俣事件』に、“水俣病になってしまったけど、生きていてよかった”という『冥土連設立宣言』を書かせてもらったこと。(写真集には)新潟代表として、坂東弁護士と私に執筆を依頼してくれました。(依頼されたときに)え、私でいいんですかって、写真集の品位が落ちると思ったんですけどね。桑原さんは、すごい仕事をされるんだけど、お茶目なところ、ちょっと危ないところがあって、そのへんはたぶん、私と共通している」

「桑原さん77歳でしょ。こんな大きな賞もらって。もうちょっと働けってことなんだから、あと3年だけは、一緒に付き合っていただきたいと思います」

冥土連:正式名称「冥土のみやげ全国連合」。「水俣病にはなってしまったが生きていて良かったと、患者さんに喜んで貰える冥土のみやげをつくろう!」が設立宣言の内容。


桑原史成さん 受賞者挨拶
20140416桑原さん2.JPG「(受賞を知らせる連絡をうけて)受賞の対象になった作品はなんですかと聞くと、去年発表したものだというので、それを聞いて率直なところ困ったなと思いました。去年といえば、水俣について写真展をやり、写真集をだしているんで。別のテーマならよかったんだけど。

水俣事件というのは、認定されている患者がざっと3000人。うち、亡くなられたのが正確にはわからないが2000人。特措法で65000人が申請し審査を受けている。さらに、訴訟が5本…そういう未解決な状態が続いているなかで、僕は傍観者で、事件の周辺をうろついて写真を撮っていた。そういう者がスポットライトを浴びることに負い目を感じて困りましたが。

土門拳賞は、写真界で、ドキュメンタリーですばらしい賞だと存じているので、今日はありがたく頂戴いたします」

「熊本、福岡、宮崎から。玄界灘を渡った僕の田舎の島根津和野から町長さんも。新潟からもおいでくださいました。玄界灘を渡った韓国からも友人が…」と、集まった方々へのお礼の言葉も。本当にたくさんの方がいらしゃっていて、参加者のほぼ全員がはいった集合写真の撮影のときには、カメラの方が、全員を写真に収めるのにご苦労されていました。(でも、とっても声がけの上手な方でした!)

そのなかでも、水俣病事件を撮影されてきた写真家が6人、一堂に会したことには、この授賞式をさらに特別なものにしたのではないでしょうか。こんな機会はめったにないだろうということで、集合写真、撮らせていただきました。



その他のコメント

「去年は水俣病の被害者認定につながる最高裁判決があり、水俣条約が採択された節目の年。このときに、桑原さんに土門拳賞を贈れるのは意義があると思う」伊藤芳明さん(毎日新聞社主筆)

「水俣について桑原さんの『傍観者の負い目』と聞いて、キャパの『ちょっとピンぼけ』のある部分を思い出した。キャパは第二次大戦で負傷した兵士から、おい写真屋、どういう気持ちで写真を撮っているだといわれて、その場を黙って立ち去った。撮影者の内面の葛藤は深く複雑。だけれども、記録しなければ、その現実は歴史として残らないというドキュメンタリーの現実がある。桑原さんの『水俣事件』は、後につづく若い写真家にとって励ましになることを確信している」鈴木龍一郎さん(写真家)



「桑原さんの作品は7月に(展覧会が)予定されている。土門拳記念館でしか味わえない雰囲気をつくる。ぜひ桑原さんの作品は土門拳記念館に見に来てほしい。桑原先生おめでとうございます」高橋修さん(土門拳記念館理事長)

「桑原さんの写真集にも書いてあったが、まさに、水俣に始り、水俣に終わる写真家人生。時代を享受させる報道写真だ」西岡隆男さん(ニッコールクラブ会長)

紹介された祝電
西田弘志水俣市長
坂東克彦弁護士(元新潟水俣病訴訟弁護団長)
ジュリア・トーマスさん ノートルダム大学準教授  
こじまあいこさん シカゴ大学博士課程

選考経過
最終選考に残ったのは11作品。水俣2作品、沖縄3作、その他。実験的な作品もあり。最終的に、桑原さんの『水俣事件』と、小柴一良さんの『水俣よサヨウナラ、コンニチワ』が残り、桑原さんに決定したとのこと。(授賞式での鈴木龍一郎さんのスピーチより)※毎日新聞(2014年3月23日)に詳細あり。

授賞式の詳しい記事は(授賞式)翌日の4月17日の毎日新聞に掲載されるとのことです。





こちらは、楽天でみる限り、売り切れの書店がいくつか。


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2014年04月16日のつぶやき








































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