2016年04月17日

大津幸四郎さん

20150322大津幸四郎さんお別れ会1.JPG

大津幸四郎さんを偲ぶ会(2015年3月22日)に参加してから、一年以上が経ってしまいました。

偲ぶ会のこと、自分なりにまとめてブログにアップしようと思いつつ、今日まで来てしまいました。
中途半端な記録ですが、残しておきたいと思います。

『三池 終わらない炭坑の物語』の熊谷博子監督の話のなかに、強烈なエピソードがありました。

30年ほど大津さんと付き合いのある熊谷さんが、たった一度だけ、大津さんの怒る姿を見たという話しでした。
広島に原爆関係の撮影で行ったときのこと、一緒に飲んでいた某テレビ局のカメラマンが、自分はテレビ局にいるから、撮りたいものが撮れないとこぼすと、大津さんは、「バカヤロー!、人のせいにするんじゃない」と怒りをあらわにし、店にいたお客は、大津さんの怒りの発言に凍り付いたといいます。

いつも物静かで寡黙な大津さんが、なぜ?
その理由を熊谷さんは、貧しいながらも、ギリギリの状況のなかで撮影をしてきた大津さんにとって、人のせいで撮りたいものが撮れないというカメラマンの言葉には黙っていられなかったのでは、と述べられていました。

裏をかえせば、どんなに貧しくても、撮りたいものを撮るための努力を大津さんはされていたのでしょう。

常日頃、「貧すれば鈍する」という言葉が頭をよぎり、これに抗う気持ちを持ち続けようともがいている私にとって、大津さんのこのエピソードは、まるで海でおぼれそうになっている私が、必死ですがりついている救命具のような存在です。

20150322大津幸四郎さんお別れ会2.JPG


私が大津さんにお会いしたのは、一度だけ。2014年3月に行われた江古田映画祭でした。
その日、私は大津さんの『撮影術 映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事』という本にサインをいただきました。
本の表紙をめくったところに、大津さんが書いた言葉は、
三里塚に生きる、生き抜くってなんだろう。


でした。





偲ぶ会に来られていた方から、『定年時代』という新聞に掲載された大津さんの記事を教えていただきました。
その記事で、大津さんは、

「被写体の姿や生活をさらけ出す」というカメラの暴力性を指摘した上で、「相手の秘密を丸裸にしてはいけない。特に自分の中に『盗んで撮っている』というやましい気持ちが出てくる時は危険」と自戒する。


60年代に撮影した三里塚での空港建設反対闘争を再びフィルムに収めることにした動機については、
「権力と闘ってきた人々の今を知りたい。闘争で負った傷は何か。生きるということはどういうことか。こじ開けようとはせず、なるがままになればいいという撮り方にした」


と、攻めるのではなく、流れの中に身を置きながら、「待つ」姿勢で臨んだことを明かしていらっしゃいます。
この記事が掲載されたのが、『定年時代』2015年11月下旬号。
大津さんが亡くなられたのは11月28日。訃報は29日に各紙に掲載されたようです。
映画『三里塚に生きる』は11月22日から公開でした。

ちなみに、大津さんが江古田映画祭で語られた「撮影術」は、

体と心で相手にぶつかっていかないと、撮影できない。これが撮影の基本。
自分が裸になってこそ、相手のことが理解できる。そして、撮影ができる。
「撮影術」などない――。

でした。




posted by みの at 22:38 | TrackBack(0) | 水俣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
環境ブログランキングに参加しています。
人気ブログランキングへ
Blog Widget by LinkWithin